田舎暮らしの手引き その1

田舎暮らしも6年目に突入するとそれなりに知見が増えて来ます。最近では田舎暮らしを始めるにあたって、どういうところに注意したら良いかを訊かれることが増えたので、そのあたりをまとめてみようと思います。

田舎に移住するのと、地方都市に引っ越すのは別の話

東京や大阪に住んでいると都会以外は全部田舎という大きな括りで考えてしまうんですが、ロケーションというのは常にユニークなもので、同じ町でも集落や部落が異なれば住み方は全く違うものになるんです。

私が現在住んでいる町にも昔で言う大字(おおあざ)がいくつもあって、それによって生活の仕方が全然違うんです。例えば私の住んでいる集落には猪がほとんど出ませんが、車で5分走ったお隣の集落ではウリ坊(猪の子供ね)が5匹玄関前に屯していたりするわけですよ。そうなると農作物を作るのだって、猪除けのフェンスが必要になったり、猪が好む作物は作らないようにするとかの対策が必要になりますよね。

気候とかもちょっとロケーションがずれるだけで大きく変わります。私の住んでいるところはすぐ横に川があって、東側が山の麓になっているせいか秋から冬にかけて朝は非常に濃い霧が出ます。お隣の家が見えなくなるくらいですから、非常に幻想的ではあるのですが不便でもあります。冬は8時半くらいにならないと太陽が顔を出しませんからね。こんなのは住んでみて初めて分かったんです。

同じ町でもこれくらいの違いがあるんですから、市町村や県が変わったらライフスタイルは全く別物になると考えた方が良いでしょう。ハッキリ言うと田舎暮らしが上手く行くかどうかは、どこに住むかで8割方決まってしまうくらい重要なんです。

そんなロケーションを選ぶ際に、都会の人がやりがちなのが、田舎と地方都市の混同です。都会以外はみんな田舎でしょ、と考えてしまう人が多いんですが、田舎と地方都市は全く違いますから。田舎というのは田んぼや畑、山に川に湖や海が視野の大部分を占めるエリアで、写真にしたらこんな感じです。

それに対して地方都市というのは、畑や田んぼがほとんど無いんです。確かに東京よりも密度は少ないし、道路も混んでいないけど、でも基本的に人工物しか目に入らないというエリアのことです。こういうところに住むのは田舎暮らしではなく、移住でもありません。こういうのは地方都市へのお引っ越しですから。

これはこれでアリですよ。なんたって住居費が都会に比べて半額とか、場所によってはそれ以下になったり、生活費もグッと安いのが当たり前ですから。でもそれはここで論じる田舎暮らしではありません。このような地方都市から車で30分程度走ると目にする風景を田舎と言っているんですから。

もう少し突っ込んで解説すると、我々が5年前に移住してすぐのことなんですが、駅前の繁華街(つまり地方都市のド真ん中のあたり)にある病院に行ったんですよ。そこで治療の合間に世間話になって、我々が横浜から移住して来たことを知った看護婦さんが、「じゃ、駅前のタワーマンションとかにお住まいなんですよね?」と訊いて来たんです。どんな誤解だ?と思いつつ住んでいる町名を伝えたら、「え?あんな田舎に!」って驚いたんですが、それが田舎です。地方都市に住んでいる人からみても田舎だなと思われるところに住むのが田舎暮らしなんです。

将来、田舎に移住したいと考える人の多くは、イメージの中で田んぼや畑をやっている自分を考えるわけですが、それは地方都市へのお引っ越しでは出来ませんから。だってそこはスケールの小さな都会があるだけで、田んぼも畑も存在しないんですから。

カテゴリー: 田舎暮らし | 田舎暮らしの手引き その1 はコメントを受け付けていません

スッポンが棲息してるって?そりゃ食べなきゃ。

ちょうど一月前のこと。ご近所さんと世間話をしていたら、ふと近くの川(岡山三川のひとつである一級河川)に野生のスッポンが棲息しているって話になったんです。この川は鮎もそこそこ(昔は手づかみで獲れるくらいだったそうですが)釣れるのですが、スッポンがいるんなら、鮎どころの話じゃないですよね、と話を振るもほとんど反応なし。みなさん子供の頃から食べ飽きているから、今さらスッポンって言われても反応しないのかなと思ったんです。

ところが話を聞いてみたらその場にいた全員が、その川で獲れるスッポンを食べたことがないということが分かり、引っ繰り返りそうになるくらい驚きました。え?イヤだってスッポンですよ。日本料理の食材としてトラフグや松葉ガニに匹敵する美食の王様であるスッポンがすぐそこの川にいるってのに、それを獲って食べたことがないというのは都会育ちの私たち夫婦には理解が出来ませんでした。

ってことは、やっぱり捕まえるのが難しいんですかね?と訊くと所詮カメみたいなものですから、獲ろうと思えば簡単ですし、網とかに良く引っ掛かっているんですよとのこと。ならそれを食わんかい!もしかして毒を持っているというオチですかね?と訊いたらそうでもなく、捕まえたスッポンを売りに行く人もいるらしいという話もありました。つまりそれって、スッポン料理を食したことがなくてあの美味しさを知らないから、目の前にある宝物をスルーしているってことなんじゃないの?と思ったら案の定そうでした。

でも聞くところによると、夏場のスッポンは泥臭くて食べられないとか、泥抜きに時間が掛かるとか、捌く人がいないとか、ま、ビジネスと同じですが、やらない、出来ない理由は無限に即座に見つかるものなんですよね。昔の私なら尻込みしたんでしょうが、今の私はビジネススキルに関するメールマガジンを書いているわけで、そこでは何度となく「とにかく行動しないと何も始まらないんだよ」なんて話を書いているんですよ。そんな私がこの程度の困難、障害に怯んで諦めるわけにはいかんのですよ。ま、正直な話、天然物のスッポンの誘惑に勝てなかっただけなんですけどね。横に座っていた家人なんて、話を聞きながら目を輝かせ始め、脳内ではスッポン堪能中のイメージが立ち上がっているのがよく分かります。

こうなったら一度は食べてみなきゃならんってことで、次にどなたかがスッポンを捕まえたら分けて頂けるようお願いしたんですが、地元の人は半信半疑でホントに食べるの?という目をしています。そこからはスッポンってどうやって食べるのか、どんな味がするのか、東京ではこれが如何に高級料理として認知されているのかを滔々と説明し、これを食べない、試してみないのは勿体ない話なのだと熱弁を振るったわけです。

それから一週間後、家人の携帯にスッポンが捕れたという連絡が来ました。キター!スッポンじゃ!と喜んだんですが、あいにく翌日からは4泊の予定で出張が入っています。今回はムリかなと思っていたら、なんと帰って来るまで生け簀で預かってもらえるとのこと。さすが田舎。生け簀を持っている知り合いがサクッといるわけですね。

そして帰宅後、やって来ましたスッポン様が!しかもなんと2匹。ところでスッポンってどう数えるんでしょうか。匹、頭、どっちでもいけそうですが、調べてみたところカメは一匹ですがスッポンは一マル、二マルって数えるみたいです。ですから我が家に2マルのスッポン様が、我々の胃袋目指して怒濤のがぶり寄りでやって来たわけです。

さてこれをどこに置いておくか。まさかヒモを付けて放し飼いってわけにはいかず、やっぱりお水があるところが良いよね、でもバケツじゃ小さいし。ということで、プラスチックで出来た衣装ケース(積み重ねられるヤツ)を空けて、そこに水を入れてスッポンを投入。そしてフタをして重しを載せれば、一晩くらいどうにかなるんじゃないかと思ったわけです。

ところがこれがどうにもならんかったんです。翌朝、様子を見たら既に1マルのスッポン様が昇天遊ばしていまして、悲嘆に暮れたわけです。ネットで調べてみたら、死んでしまったスッポンは食べられないとのこと。こうなったら予定を変更して、もう1マルが元気なうちに捌いて食べるしかないという結論に至り、そこから慌ててネットでスッポンの捌き方を検索しました。そうしたら出て来る、出て来る、プロの料理人から素人まで、たくさんの動画が見つかりました。家人もヤル気全開、食べる気満々でスタンバってます。

まずは、死んでしまったスッポンで練習をしてみようということで、動画の通りにやってみます。その結果出来たのがこれ。

なかなかキレイに捌けました。でもこれは死んでるヤツでだから動かないわけですよ。ところがこれから捌かなきゃならないのは、ガサガサと動きまくっている活きの良いヤツで、おまけにガブッと噛まれたらシャレにならないことになる凶暴な生き物ですから。結論を言えばやりましたよ。やらなきゃ食べられないんですからやりますとも。その模様の一部は動画に撮ったんですが、あまりにもグロいので公開出来ません。生き物を絞めるというのは、スッポンに限らずブタだって、牛だって、鳥だって、魚だって同じなんですよね。自分がやらず、切り身になっているヤツを買うから罪悪感がないだけで、誰かがその仕事をやってくれているんです。豚肉を頬張りながら、「私には動物を殺すなんてムリ~」って言ってるヤツは偽善者ですよ。自分は殺さないけど、他の誰かが殺してくれた肉なら食べるのか?って話ですから。そうやって汚い仕事、やりたくない仕事を他の人に押しつけると、そのうちそういう仕事をしている人を見下すようになるんですよね。同和問題ってそれが起源ですから。つまり、自分は殺すのはイヤ、でも捌いてあるお肉は美味しいと言う人は、思想の根っこに差別的体質を持っているということだと思うんですよね。

動画では見せられないので、文章で説明すると、スッポンってまずは頸を落とさなきゃならないんです。そのために甲羅を下にしてスッポンを押さえると。そうすると元に戻ろうとして頸を伸ばすんですね。そこをギュッと首根っこを捕まえて出刃で頸を落とすって説明されているんですが、ムリでした。やっぱり噛まれるのが怖くて、ギュッと掴めないんですよね。だから伸びた頸の根っこに出刃を当てることになるんですけど、これだと余程出刃の切れ味が良くないと切れません。今回のケースでは5箇所くらいに包丁の刺さった痕が出来て、そこから少しずつ出血することで徐々にスッポンの体力が落ちて、最後にようやく頸を落とせたという感じです。これってスッポンを余計に苦しめているんですよね。分かっちゃいるけど、思い切って頸を掴めませんでした。ここは次回の課題ですね。

頸さえ落ちたらこっちのものです。まずは甲羅を外します。

甲羅が取れたらこんな感じになります。

そうしたらゼラチンたっぷりのペラが外れます。ここがプリプリして美味いんだ。

ふと見るとなんとタマゴを持っていたメスだったことに気付きました。こりゃ美味そうだ。

さらに料理用のハサミでジョキジョキと切ります。このあたりは出刃よりも良く切れる料理用ハサミの方が作業がしやすいと思います。我が家のヤツは山陽道三木サービスエリアで購入したハサミで、さすが刃物の町だけあって切れ味バツグンでした。

問題はここからの処理で、肉の解体が終わったら、軽く湯通しをするんです。そして肉や皮の表面をこそげ取ると、体表に付いている薄皮がベロベロと外れます。この作業が大事みたいで、これをちゃんとやると臭みが出ないみたいなんです。その作業が終わった状態がこれ。

ここまで来たら完全に食材としか思えません。(「食材」と入力したらいきなり「贖罪」と変換されたので焦りましたけど)ホントは内臓も食べたかったですし、お刺身でも食べてみたかったんですが、今回は涙を飲んで自重しました。もちろん天然もので管理されていないので、血を飲むのもムリだと思います。食材は全てしっかりと火を通して頂きます。

まずは出汁をしっかり取ります。この時点で美味そうな油が出ています。

後はフツーの鍋と同じで野菜や豆腐を入れて味を調えたらOKです。完成図はこれ。ポン酢で美味しく頂きました。

食べてみた感想は、どこが泥臭いんじゃ!って叫びたくなるお味で、臭みなんて全くなく、ゼラチンプリプリ、お肉はしっかり歯ごたえ、噛めばジュッと旨味が出て来る、まさにスッポンのお味でした。

もちろん翌日は残りの出汁で雑炊を作ります。これがまた、玄米とジャストミートでふぐ雑炊に匹敵する美味さでした。

ってことで、年内にあと何回かはやってみようと思います。ビバ、田舎暮らしですな。

カテゴリー: 田舎暮らし | スッポンが棲息してるって?そりゃ食べなきゃ。 はコメントを受け付けていません

お小遣いやお年玉を無条件にあげる家庭が信じられない

我が家ではお小遣いは(といっても私のじゃありませんよ)、毎月実施する英単語の小テストの結果によって金額が決定します。

ここで持論を述べておくと、一切の対価無しに無条件でおカネをもらえるお小遣い制度って、子育てに於ける大悪手ですから。こういう子育てをするから、オトナになったら何もせずにおカネがもらえる生活保護をもらうのがオトクな人生なんだ、なんて嘯く輩が頻出するんです。みなさんだって、会社に行って何もしないでお給料が入るなんてことは無いでしょ。何かをもらうのなら対価として自らの何かを差し出す、これを出来るだけ若いウチから価値観に刷り込まないと、オタクのお子さんは将来犯罪者か生活保護受給者になっちゃいますよ。

こう書くと、犯罪者と生活保護受給者を一緒にするな!というクレームが日本語のコンテキストを理解出来ない方から来そうなので補足します。ここでいう生活保護受給者とは、前述した「オトナになったら何もせずにおカネがもらえる生活保護をもらうのがオトクな人生なんだ」と考え、それを実行する人たちのことですから。止むを得ず生活保護が命の糧になっている方々を揶揄する意図はありません。

閑話休題。我が家はこれを100問一発勝負の英単語テストでやっているんです。悲しいのは出題範囲が、中学生向けの英単語本だというところですな。

少しユニークなのは、外資系っぽく成果と報酬にイロが付いているところです。基本は1問正解で15円のお小遣いゲットなんです。ところが正解数が90問になるとこれが1問なんと2倍の30円に跳ね上がるんですな。となると、89点と90点の1点差で1335円になるか、2700円になるかというものすごい金額差が生まれるわけです。

まさにこれって社会人で起こり得る話でしょ。なんでたったの1点差でこんなに差が付くの?そんなのおかしい!って言っても、それが社会ってもんだから。今の日本人なら100メートル9秒99で走るのと10秒00で走るのとでは、その人が手にする名誉と地位とお金は100倍くらい差が出るはずです。たったの100分の1秒の違いでね。そのコンマ01秒を縮めるために、猛練習をするわけで、これは即ち英単語テストで89点を90点にする努力と質的に同じなんですね。

案の定10月は91点で、本人的には冷汗三斗、結果として滑り込みセーフだったわけですが、11月と12月は90点にはるか及ばず、会社でいうローパフォーマーのような切ない状況になっていました。でもそれも本人の努力が足りないからで、私たち親側は一顧だにせず、これに関する不平不満は完全スルーです。

ちなみに我が家では、この小テストをお小遣いゲットテストと呼んでいるんですが、これには受験資格が必要で、週に1回のお手洗い掃除をやってオトナに確認してもらう必要があるんです。これをサボると無条件で今月のテストは中止になるんですね。そうしたらこちらが何も言わなくても、水曜日には早起きをしていそいそと掃除を始めるわけですよ。お、中々能動的でよろしいじゃないですか。

今はちょうどお年玉のシーズンですが、これまた我が家は成果報酬制となっていて、国語、算数、英語でそれぞれ100問、1問100円、全部満点なら3万円という制度を敷いています。出題範囲も一月前に公開し、点数が取れるかどうかは本人の頑張り次第ということを本人も理解しているので、お正月はこちらが言わなくても出題範囲の勉強に勤しんでいます。

日本ではなぜ、子供たちが無条件で金銭をもらえる習慣になっているんでしょうね。人間をある方向に誘導したければ、仕掛けが必要で、手っ取り早く効果が期待出来るのが金銭とヒモ付いた仕掛けなんです。っていうか、だからみなさん平日は時間通りに会社に出社するわけですよね。上司のムリな命令もクリアしようとするわけですよね。それなら子供たちだって同じですよ。

たかだかお小遣いでも、ちょっとした知恵と工夫で子供を狙った方角に導くツールに出来るんですよ。そのツールを活用せずに、無条件でおカネをあげるのってバカらしいと思うんですよね。

ま、大変なのはその問題作成と回答チェックなんですが、これは慣れるしかなさそうです。

カテゴリー: メルマガ補足 | お小遣いやお年玉を無条件にあげる家庭が信じられない はコメントを受け付けていません

役所ってどうしてこうなんだろうか?パート2

昨日の夕方、買い出しから帰って来たらなにやら市役所からお手紙が。なんじゃらほい?って感じで開けてみたら国民健康保険の保険料の督促状でした。しかもその督促状って10月分です。これを見た瞬間にカーッと頭に血が上りました。

だって当社は10月1日から社会保険に加入したんですよ。っていうか、加入したくなかったのに年金事務所から連絡が来て加入しろって言って来たから、年間数百万になる経費増をグッと堪えて、おまけに高飛車で融通の利かない加入手続きを、ノラリクラリした役人を面罵せずにどうにか完了させたわけですよ。そのあたりの経緯については、このブログの過去ログ、

役所ってどうしてこうなんだろうか?

をお読み下さい。

先週はようやく社会保険の銀行引き落としの手続きも完了し、やれやれこれで大丈夫だと思っていたら、やって来たのがこの督促状なんですね。

あのさ、この国には2700億円という巨費を投じて作られたマイナンバーってシステムがあるんでしょ。このシステムに私の番号を入力したら私がいま国保に入っているのか、社保に入っているのか、はたまた無保険状態なのかは分かるわけですよ。端末があってログインされている状態なら5秒で完結する仕事です。これをせずに、帳票を印刷して、封筒に入れて、切手を貼って郵送するってどれだけバカ野郎なんでしょうか。しかもこれには人件費と切手代というコストも掛かってますし。

で、その督促状を良く読むと、「他の健康保険に加入した場合には脱退の手続きを取って下さい」って書いてあるわけです。なぜ私がそんな手続きをしなきゃならないわけ?それこそマイナンバーのシステム上で、国保→社保ってラジオボタンを押せば済むんじゃないの?システム上そうなっていないのなら、これは設計上のバグですよ。

そもそも私が社会保険に加入しなきゃならなくなったのも、マイナンバーによって納税情報と個人情報に矛盾があるってことが分かったからでしょ。つまりあのシステムには私の健康保険状況が必ず記録されているわけです。そして10月1日に社会保険に加入したわけですから、この情報は今ではアップデートされているはずなんです。その証拠に、今年の4月に年額で納めた国民年金の掛け金は、社保に加入した10月の中旬にはもう「支払過誤による還付手続き」の書類が来ましたから。

これはどういうことかというと、4月に今年分の国民年金の掛け金を全額払ったんですね。ところが10月からは厚生年金になるので、10月以降の国民年金をそのままにすると二重加入になっちゃうので、速やかにその分を還付するということです。つまりチャンと台帳の方はアップデートされているってことですよ。

それなのになんで国保の方は連動しないのか?というのが疑問のひとつで、さらにここで督促状を発行することの意味がもうひとつの疑問です。これって私が振り込んだら受け付けるわけ?受け付けたら国保と社保の二重納付になっちゃいますよ。ってことは、この入金を受け付けちゃったら、遅かれ早かれ過誤による還付手続きがなされるはずなんです。その手間に関する人件費って誰が負担するんですかね?

おまけにこの督促状には、「脱退の手続きをしないと国保加入のままとなり、保険料の請求を続ける事になりますので」って書いてあるんです。おおそうかい、なら請求すりゃ良いじゃん。どうせほったらかしにしておくから。なんなら不定期に振り込みもしてやろうか?そうしたら市役所の職員はそのたびに、過誤による還付手続きをしなきゃならないんだぞ。脱退手続きをしなきゃならない、した方がトクをするのはこっちじゃなくて役所の方なんだよ。それなら自分たちで脱退の手続きをしろよ。っていうか、どうせシステム上で何度かクリックするだけなんだろう?

なぜそれをこちらにやらせるのか?

役所というのは、人が動くイコールそこにコストが掛かっているという意識が薄いんですよね。だから遠慮会釈せずに、慇懃無礼に手続きをしろだの、郵送しろだの、持参しろだのと言って来るんです。そういえば、年金事務所からは賞与支払い届けってのが来て、これを書いて郵送しろ、って言って来たんですが、返信用の封筒も切手も入っていないんです。そのコストをなぜこちらが負担しなきゃならないわけ?このコストを事業主が負担させられる法的根拠はどこにあるのでしょうか?

たかだか切手代と言う勿れ。日本には250万以上の法人があって、この全てにこういうコストを掛けていたらトータルではいくらになると思っているんですか。この書類の郵送代だって定形外郵便ですから一通120円。これを250万社に送ったら郵便代だけで3億円ですよ。3億円。これが往復されるわけですから、ここだけで6億円の不要なコストが掛かっているんです。

この類の書類が年にあちこちからウンザリするくらいやって来るというのは、事業主の人ならご存じですよね。これをトータルしたら数1000億というオーダーになるんじゃないですかね。これを削減するだけで、待機児童削減のための保育園が全国に出来ますよ。

日本の財政が危機にあるというのは今や国民の誰もが知っていますが、そうなった土壌がこういうところにあると認識している人はどれくらいいるんでしょうか。ここを正さないで税金を上げようというのは、明らかに間違いだと思うんですよね。

カテゴリー: 政治・経済 | 役所ってどうしてこうなんだろうか?パート2 はコメントを受け付けていません

三浦九段の不正疑惑から将棋界のおかれた状況を読んでみる。

私の趣味の一つに、プロ将棋の棋戦を観戦するというのがあるんですが、私は将棋はからっきし下手っぴです。プロ棋士と言われる人たちの才能が、天才性が対局中にキラキラと全身から飛び出すのを見るのが好きなんです。

観戦歴20数年ですから、プロ棋士のかなりの人を個体識別出来るんです。以前地下鉄に乗っていたら某プロ棋士が私の前に座っていて、いきなり街中で芸能人を見つけた気分になりました。問題は、私以外の誰もその人を知らない、私が騒いでも誰も一緒に騒いでくれないというところでしょうか。これが有名女優とかなら話は別なんですけどね。

そんな将棋界に激震が走りました。

三浦九段の不正調査…対局中ソフト利用か
三浦九段というのは、「三浦」が性で、「九段」が名前じゃありませんよ。九段というのは将棋界での段位で、プロ入り時が四段でそれから昇段を重ねた最高峰が九段という段位で、現役棋士では22名しか九段になっていません。つまり三浦氏ってトッププロの一人なんですよ。そんな人が対局中に(この場合の対局とは勝てば賞金がもらえるという真剣勝負のことです)、コンピュータのソフトを使って自分の指し手を決めたんじゃないか?という疑いを持たれちゃったんです。

つまりカンニングですな。これが事実なら我が家では問答無用の寺送りです。(←分かる人だけ笑って下さい)

これ関しては将棋好きの人がブログで様々なコメント、検証をしていますが、みなさんの論点は本当にカンニングをしたのか、疑惑を生まないためにはどういうルール変更が必要かだったりします。それはそれで重要なのかも知れませんが、それよりも重要な視点があるんじゃないかと思います。こういう時には物事の本質を衝くという視点が必要です。

この場合の本質は、三浦氏が不正行為をやったかどうかじゃないんです。そんなこたぁどうでも良いんですわ。

本質的な問題は、

■ コンピュータソフトが人間の棋力を圧倒したことを当事者が認めた

ということなんです。

当事者というのはプロ棋士のことですよ。

永らく彼らは、「人間はコンピュータに負けない」って言ってたんですが、昨今のソフトの進化によって非公式には「もう人間はコンピュータに勝てない」って言うようになったんですが、公益社団法人日本将棋連盟は公式にはそのあたり、お茶を濁したコメントしかしていなかったんです。

コンピュータソフトが急速な進化を遂げて、もうプロに追いついたんじゃないのか?という噂が出るようになった2005年には、日本将棋連盟は「許可なくコンピュータと対局することを禁ず」って御触れを出したんです。つまりこれは、

■ プロ棋士が負けたら将棋連盟がヤバい事になる

というか、負けたら将棋連盟としてどう対応して良いのか分からないから、対局禁止にして時間稼ぎをしたということです。どう対応して良いのか分からないというのは、負けたというイベントで自分たちに良いも悪いもどういう影響があるのかが分からない、もし悪い影響があったら(そちらの可能性の方が高い)どうやって劣勢を引っ繰り返したら良いのかが分からない。だったら勝負をさせずに決着を付けないようにしようということです。

その後、元連盟会長の故米長邦雄氏が公式にコンピュータソフトと対局をして負けたわけですが、これもまた現役棋士を守るために引退した(つまり以前よりも棋力が格段に落ちた)米長氏が登場したわけですね。しかしその対局以降、どうもコンピュータソフトの方がプロ棋士よりも強い、という評価がソフトウェアの進化によってチラホラ出て来てこれを否定できなくなると、渋々電王戦というコンピュータとの公式の棋戦を作り、ここでは負け越しが続いているんですね。

それでも将棋連盟はどっちが強いのかという議論を避けていたんです。

ところが今回ヒョンなことから、将棋連盟自身がコンピュータソフトの方が棋力が上だということを宣言するかのような事態になっちゃったんです。

なんたって、ソフトに指し手を教えてもらって勝ったんじゃないか、だからインチキだ、出場停止だって言ってるわけですから。人間の方がソフトよりも棋力が上ならば、最終盤の詰みを見つける場面以外では(ここだけは数十年前からコンピュータの方が上だという認識が定着していました)、

● ソフトなんて使ったって意味ないじゃん、バカらしい

って話でスルーされるわけですね。それが今回は出場停止処分ですから、これはもう全面的に人間の負けを認めたようなものです。

さてそうなると、果たして人間が将棋を指す、そしてそれによってスポンサーからおカネをもらう、これで生活をするという全てにどういう意味を見出すのかという話になるんです。プロ棋士って人間国宝みたいなもので、だから将棋を指すだけで高額の対局料をもらえるのだという理屈になっていたのに、実はコンピュータの方が強いんですよね、となったらだったら人間じゃなくても良いじゃないか、って話になりかねないんです。

今までは難しい局面での指し手について、プロ棋士があれこれと解説をしてそれを我々素人はありがたがって拝聴していたわけです。そのありがたがるという理由で彼らはおカネをもらっていたようなものなんです。ところがこれからは、正解を求めるだけなら

■ ま、先生の解説はどうでも良いんで、ソフトに訊いてみましょう

ってことになるんです。これはプロ棋士にとっては辛いですよ。

プロ棋士って2種類のアマチュアを相手にしているんです。ひとつは自分たちプロ棋士をリスペクトしてくれる将棋ファン、もうひとつは「プロ棋士ってなに?」という完全素人さん。後者の人たちを惹きつけるツールが、この人たちは超人的に将棋が強い、ということでここがコンピュータに取って代わられると、将棋を知らない素人さんからのリスペクトってガクッと減ると思うんですよ。

要するに電車オタクみたいなもので、電車オタク同士で相手を認め合うというオタクの閉じた世界があって、それが何かの切っ掛けでドアが外部世界に開かれちゃう(ほとんどはテレビなどのメディア露出によって)と、中には

● そんな細かい事まで全部覚えているのかよ、スゴいなぁ~

と感動する人が出て来ますよね。そうやって感動する外部世界の人が増えると、プロという世界が作られるんです。野球だろうが、サッカーだろうが、ゲーマーだろうが、見ている人を感動させるレベルでやれるから、おカネを払って人が集まってくるんです。そういう新たなファンの創造、開拓こそが、プロという世界の維持、拡大には必須で、プロ同士の試合、対局なんてファン作りに比べたら一つランクが落ちる仕事なんですよ。

自分たちを見て喜んでくれる人がいるから、スポンサーがおカネを払う。自分たちの超絶的なスキルに憧れる人がいるから、次世代のプロプレーヤーが生まれる。この二つこそが、どんなプロの世界でも絶対に必要なことなんです。

ところが今回の不正疑惑事件で、その超絶スキルにはもっと上のレベルがあるということが明らかになって、しかもそれがもう人間ではないとなると、この世界に憧れる人って出てくるのか?という疑問が生まれるんです。既存のファンについても、ソフトを手に入れてしまえば、プロの対局中に同じ場面でコンピュータの示す正着手を検索出来ちゃうわけですから、かなり興ざめしちゃうと思うんですよね。

そうなった時に(というか、環境的にはすでにそうなっているんですが)、ファンの創造、開拓って本当に出来るのか?という疑問が生じるんですよね。もちろんその答えがノーならば、その世界はプロとして維持出来なくなるわけで、そうやって潰れたもしくは縮小を余儀なくされた業界は、ボーリングやキックボクシング、ローラーゲーム(←知ってますか?)、麻雀などがあるわけです。プロ将棋が果たしてそういう道を歩むのか、プロ将棋という世界を維持するために必要なファンの創造、開拓をコンピュータソフトに棋力で負けた状態でも出来るのか。

これって人間VSコンピュータの大きな戦いでもあり、共存共栄を模索するための大事なポイントでもあるんです。ですからこの世界はちょっと深く観察したいと思っています。

カテゴリー: 時事ネタ | 三浦九段の不正疑惑から将棋界のおかれた状況を読んでみる。 はコメントを受け付けていません

新幹線ネット予約というダンジョンにハマったわ

今年に入ってから大阪に行くことが多くなりました。今までは車で行ってたんですけど、とにかく時間が読めないのと、お酒が飲めなくなっちゃうのとので、ここのところは専ら新幹線を利用しています。

で、先日受講生たちと新幹線を利用した時に、みなさんネットでチケット予約、座席指定をしているんですね。それって便利そうじゃん、ってことであれこれ調べてみたんですよ。そうしたらここには大きな闇が存在し、顧客目線とかユーザーフレンドリーとは対極のお役所思想が垣間見えたので、ここでご紹介しようと思います。

新幹線のチケットをネットで予約しようとする人にはかなり役立つ内容だと思います。
新幹線のチケットをネットで予約するだけならば、えきねっと

というサイトに行けば全国の新幹線の予約が出来ます。
ただし、ここで予約をするとJR各社が独自にやっている特典を受けられない可能性があるんです。

特典は例えば、「座席指定」だとか、「予約の変更」とか、「割引き料金」とか、「ポイントサービス」とかのことです。これが何気に大きくて、しかも人間って損をしたくない生き物ですから、ついついオトクな道を模索しちゃうんですね。

結論から言うと、仕事で頻繁に新幹線を乗るのでない限り、この特典のことはスパッと忘れて、えきねっとで予約するのが一番です。ここで買えば、予約の変更だって1回だけ受け付けてくれるんですから。みどりの窓口で買うのに比べれば、このサイト経由の方が座席指定も出来たりと充分メリットがあるんですから。これで納得出来れば新幹線のネット予約はダンジョンじゃありません。

しかし特典を享受したいとか、あれこれとイレギュラーなことをしたい、というのであれば話は変わってきます。

いきなりパンドラの箱を開けるようですが、JRって電力会社みたいに地域ごとに独立した別会社なんですよ。東京から博多まで新幹線で行く場合、乗客がそれを意識する事はありませんが、東京駅から新横浜はJR東、静岡県に入って名古屋まではJR東海、京都から下関はJR西、博多はJR九州という感じで管轄しているエリアが移動しているんですね。これがダンジョンが生まれる真因なんですけど、それぞれの会社が独自に集客とか、利便性とか、サービスとかを考え出しちゃったんです。なんたって表面的には独立して民間企業ですから、自分たちで好き放題施策を作る権利があるわけです。

顧客目線を考えたら、各社のトップが協調して一つのユニバーサルでシームレスなサービスを考えるべきなんですが、これがそうなっていないところに利用者の不幸はあるのです。

それでもJR西、東、九州、四国は、それなりにシームレスを目指しているんですよ。問題児は新幹線で甘い汁を吸ってブクブクと太って来たJR東海です。しかもJR東海って新幹線鉄道事業本部という組織を持っていて、新幹線全体を管理している非常に厄介な会社なんです。そこが全く協調性がなく、独自サービスを作り上げているから始末が悪いんです。

例えば新幹線のネット予約で料金の割引きを受けたいとか、予約した列車を何度も変更したいとか、チケットレスで乗車したいとか、そういうサービスを受けたいのであれば、JR東海管轄の新幹線と、そうでないところの新幹線とではやり方が全く異なるのです。

JR東海、つまり東海道新幹線でこのようなサービスを受けたい場合には、エクスプレス予約(通称「EX予約」)というサービスを利用する必要があります。ところがこれ、適用されるのは東海道、山陽新幹線だけなんです。しかも困ることに、この東京←→博多間というのが一番集客があって、新幹線の大多数を占有しているわけですから、このEX予約だけで充分だという人もたくさんいるんです。

そういう人はここから

会員登録をすればOKです。

ところが、北陸新幹線とか、九州新幹線も使うんだよね、となると話は途端にややこしくなります。ここはJR東海の管轄じゃありません。そこではJR西が主体になっているJR西日本ネット予約(通称「e5489」)を使う必要があるんです。で、面倒なのが、このサイトでは、山陽、九州、北陸新幹線に加えて、JR西、四国、九州の特急列車までオトクに予約出来ちゃうということです。これのどこが面倒かというと、山陽新幹線の部分がEX予約とダブっているというところなんです。

私みたいに中国地方に住んでいると、新幹線は必然的に山陽新幹線なるわけで、そうするとどっちを使ったら良いのだ?という話になるわけですよ。つまりこのダンジョンは乗車駅が山陽新幹線のエリアにある人が優先的にハマるという仕掛けになっているんですね。それに該当する人、並びに、東海道、山陽新幹線以外の新幹線やJR西、九州、四国の管内に頻繁に行かれる方はじっくり読んで正しく理解して下さいね。

まず、JR東海の「EX予約」も、JR西の「e5489」もどちらも会員登録が必要です。どちらもというのは、運営会社が違うのでふたつのサービスでそれぞれ会員登録が必要ということです。ここでクレジットカードの登録をしておくと、ネットでカード決済でチケットが買えるんですが、様々な特典を受けるためには、JR東海エクスプレスカードか、J-WESTカードを持ってなきゃならないんです。おまけにJR東海のEX予約をJ-WESTカードでするには、年会費無料のベーシックカードではダメで、年会費1050円のエクスプレスカードを申し込まなきゃならないんです。これは逆も真なりで、JR東海エクスプレスカードで九州、北陸新幹線、JR西、四国、九州のチケットを割引料金で買うことは出来ません。

その意味では、J-WESTカードのエクスプレスカードを持つのが一番だと思います。
このあたりでダンジョンに入った気分満載なんですけど、魑魅魍魎はこんなものじゃありません。このサイトを使ってネットで新幹線のチケットを買うじゃないですか。そうするとチケットレスで入場したいって思いますよね。でも新幹線でこれが出来るのはJR東海のEX予約だけで、しかもEX-ICカード(JR東海エクスプレスカードもしくはJ-WESTカードを発行すると別送で送られてくるらしい)を持っていないとチケットレスで入場出来ないんです。はい、全然分かりませんね。別な言い方で解説します。

チケットレスで新幹線に乗りたければ、まず予約はEX予約のサイトからする必要があるんです。そしてEX予約はJR東海がやっていますから、買えるチケットは東海道、山陽新幹線のエリアだけです。九州、北陸新幹線は、EX予約のサイトでは買えませんからね。これが一つ目のダンジョンです。次のダンジョンは、e5489EX予約がダブって特典付き販売している山陽新幹線はどうなるかなんです。例えば岡山から新大阪という路線をチケットレスで乗車したい、という場合、買い方としてはe5489でもEX予約でもどちらでもチケットは買えるんですが、チケットレスで乗車できるのはEX予約のサイトから買った場合だけなんです。なんでそんなバカみたいなことになってしまうのか、私にも意味が分かりません。

じゃ、チケットレスで乗れないのなら駅でチケットを発券する必要があるんですが、e5489で予約した新幹線のチケットを発券できるのは、JR西、四国、九州の駅だけなんです。つまりJR東海と東にある駅では発券が出来ないんです。買ったのに発券できない、そしてチケットレスでの入場も出来ないということは、e5489で東京に住む親戚のために呼び寄せチケットを買ってあげる、ということが出来ない(買えるけどJR東管内の駅では発券できないので乗れません)ということです。ところがここには例外があって、北陸新幹線のチケットはe5489で買っても発券できるみたいなんです。段々こんがらがって来ましたね。

e5489はJR西がやっているサービスなんです。だからこれらの管轄エリアの駅以外では発券が出来ないよということです。発券したいのなら、EX予約で買いなさいということですね。JR西としてはどこの駅でも発券できるようにしたかったはずなんですが、そうするとEX予約のメリットが薄まっちゃうからJR東海と東がタッグを組んで認めなかったということなんでしょう。逆に言えば、JR東海のEX予約って西日本の在来線や、九州新幹線のチケットは買えませんから、サービスの範囲という意味ではe5489の方が強いんですよ。そこで競争するために、管内の駅で発券をさせないとか、東海道新幹線の割引きをe5489には適用させないという2つの妨害策を作ったわけですね。チケットレスで乗車できるのはEX予約経由のみというのも、ほとんど嫌がらせみたいなものですから。

ここには全く顧客目線とか、利用者のためにという思想は感じられません。同じ新幹線なのに、何がしたいのかによって、お客にサービスを使い分けろと指示する民間会社ってJR以外にあるんですかね。ものすごく尊大な組織だと思います。

ちなみに笑っちゃうのが、e5489でもチケットレスサービスを展開しているんです。新幹線以外の特急列車の指定席なら。たぶんこれは、JR東海がJR西の相乗りを認めなかったということなんでしょう。インフラとしてはチケットレスに対応出来ているわけですからねぇ。

最後のダンジョンに価格差を挙げましょうか。今まで説明してきたように、新幹線のネット販売は、e5489EX予約のふたつがありますね。さすがにこれはどちらで買っても同じ金額だと思うじゃないですか。ところがこれが左に非ずなんですよ。冒頭に書いたように、JRはそれぞれ独立した会社ですから、会社によって様々な割引サービスというのが独自に生み出されているんです。それを組み合わせると、条件によってはe5489で買うのと、EX予約で買うのとで値段が違ってしまうということが起こるんです。もうそんなの調べられんがな、という方のために、価格比較サイトが作られています。

このサイトをいじくってみたんですが、EX予約で買える「e特急券」というのが安いみたいなんですが、EX予約で買うということは東海道、山陽新幹線だけなんですよね。つまりどこまで行ってもJR東海は東海道、山陽新幹線におんぶにだっこ状態で、この路線については他のJRに売らせたくない、そのためには自分のところだけでチケットレスもするし、特別割引料金も作るし、他社での予約は発券のジャマをするし、ということなんです。しかし新幹線網が九州、北陸と伸びて来るに従い、JR東海とJR西との力関係が徐々に拮抗しつつあるんですね。正確に言えば、JR東海以外のJRがタッグを組んで共通のサービスを打ち出して、利便性を高めることでJR東海に対抗しようとしている、ということなんでしょう。

つまり我々利用者から見たら、この混乱はこれからさらに拍車が掛かると読めるわけですね。旧国鉄の民営化には様々な功罪がありましたけど、これは明らかに負を生み出したと言えるでしょうね。

では東北新幹線や北海道新幹線はどうなっているんだ?という疑問もおありでしょうが、ちょっと探った感じでは、えきねっとが唯一のサイトみたいなので、まだ分化されたサービス会社になっていないみたいです。これは早いうちに、e5489に取り込んでもらいたいものです。

カテゴリー: 時事ネタ | 新幹線ネット予約というダンジョンにハマったわ はコメントを受け付けていません

役所ってどうしてこうなんだろうか?

法人を設立してはや丸5年が経過し、6期目に突入しているわけですが、我が社は典型的な同族、家族経営の会社で、家族以外の従業員はいません。つまり、個人事業主とほとんど差が無いわけですね。そのため、今まで健康保険は国民健康保険を、年金も国民年金を納めてきたんですけど、今年に入ってから年金機構の職員から、「オタクは法人なので厚生年金に入ってもらわなきゃダメなんですよ」という指摘を受けました。

マヂ?そんなの知らないよ、でも加入しなきゃならないのなら仕方ないよね、と税理士に話をしたら厚生年金の場合には会社負担分が個人負担分と同額掛かるので、かなりの経費増になりますよとのこと。ザクッと計算したら年間で数百万円というオーダーの追加経費が必要になるみたいです。そんなもん払ったら完全に赤字ですね。

とはいえ、法律で決まっているのなら逃れようもなく、ついに10月から加入することとなりました。

その手続きのために駅前の年金機構の事務所に行って来たんですけど、ここでの対応があまりにも役所的で、腐っていたので、それをログしたくなりました。

そもそもなぜ私の会社に年金機構から連絡が来たのかというと、マイナンバーがスタートして私個人の情報と会社の情報が横串で管理出来るようになったからなんですね。前述したように私個人は国民健康保険に国民年金です。ところが会社の代表者(代表取締役)にも私の名前が記載されているわけですね。これは公開情報ですから、隠しようがありません。

そうなると、納税情報に矛盾が生じるわけです。株式会社の代表者なら厚生年金を納めなきゃならないのに、国民健康保険、国民年金を納めているわけですから。以前はこの情報が共有されていなかったので、自分で申請をしなければ厚生年金に加入することが出来なかったというか、年金機構の方では私が株式会社の代表者(つまり厚生年金に加入しなきゃいけない人)だって分からなかったわけですね。マイナンバーがスタートしてこの抽出が簡単になったんでしょう。それはそれで正しいアプローチだと思います。

で、加入手続きをしに行ったわけですけど、あまりの不親切ぶりというか、顧客目線の低さに驚いたわけです。いま書いたように、私の情報は彼らが全部持っているはずなんです。会社名で検索すれば、社員の人数や名前、年収は出て来ますし、社員名が分かればマイナンバーから一人ひとりの情報はあっという間に出て来るわけですよ。

というか、そのためにマイナンバーってシステムを作ったんですから。(ええと、これと同じシステムを目指したのが住民基本台帳ってヤツだったんですけど、なぜあれはいつの間にか葬り去られたんでしょうか。マスコミがこの件をほじくって報道しないのは、何らかの報道規制が敷かれているってことなんでしょうか?)

だから私は会社名と私の名前を言えば、加入に必要な書類が出て来て、そこには必要事項が全部書かれていて、私の署名と捺印だけを待っている状態になっているんだろうと思ったわけですよ。ってか、民間の会社が、顧客に何かをやってもらおう、ましてやおカネを払ってもらおうと思ったら、お客さんの手を極力掛けさせないように工夫するのは当たり前です。毎年しつこく来るジャストシステムのDMだって、申込書には私の情報があらかじめ全部書かれていて、アイテムと数だけ書いて送ればそれだけで手続きが終わるようになってます。

それなのに、年に数百万円というオーダーの金額を私から抜き取ろうじゃなくて、毟り取ろうじゃなくて、徴収しようとしているそんな申込書なのに、なんと全部が空欄。は?名前から住所から全部オレに書けってか?住所を言うから情報を検索してそれでプリントアウトすれば良いじゃん。

ここまででもブチ切れそうだったのに、さらにムカッと来たのが、必要書類に会社の全部履歴事項証明書があったことです。そんなのは年金機構が法務省に問い合わせれば良いだけでしょ。っていうか、その情報を元に私のところに加入しろって連絡をして来たんでしょ。改めてそんな書類を出さなきゃならない理由がどこにあるわけよ?おまけにこの証明書、発行するのに600円が必要なんですよ。そのコストを何でオレが負担しなきゃならないわけ?

思うにこれは、「申請したら加入させてあげますよ」という手続きを残している理由だと思うんですよ。加入が義務づけられているのに、申請しないと加入できないって、そもそもおかしいと思いませんか?こっちが申請しようがしまいが、強制加入なんでしょ。それならそんな建前上の手続きは要らないはずなんですね。それを形だけでも「申請書」というお題の様式で書かせるのは、下々の者たちが、お上に「加入させて下さいませ」とお願いしているという態を残したかったからなんですね。つまり、お上の許認可権限を行使した結果、このたびめでたく加入できたのであるぞ、ありがたく思え、と言いたいわけですね。

そう考えたら、加入させるかどうかはオレたち年金機構の胸先三寸なんだから、お前のカネで証明書を取るのも当たり前だし、書類を穴埋めするのもお前たちがやるに決まってるじゃないか、とこのプロセスに整合性が出て来るんですね。

ホント、こんなバカシステムは崩壊して欲しいもんです。役所が特権階級、支配階級だという前世紀の遺物から如何に抜け出せていないのかの証左がこの様式なんですよね。

さらにこいつらバカなんじゃないの?と思ったのが、私の母親の年金受給金額が分かる書類をコピーしろって言って来たことです。あの~、ここはどこなんでしょうか?ここ以外に、私の母親の年金受給額を正確に把握しているところがどこにあるんでしょうか?オイコラ年金機構、その情報はお前のデスクに置いてある端末で確認出来るんじゃないのかよ。まさか年金通知書とデータベースの金額が異なっているなんてオチはねぇよな?

ここまで書類を書いて、法務局にも行って来たのに、加入日には健康保険証が用意できないんだと。今日は9月28日で、加入日は10月1日なんですけど、百歩譲って週末はムリにしても10月3日の月曜日には社会保険加入者としてのすべての権限が行使できるようになってなきゃおかしいですし、そこで加入者(つまりおカネを納める人)に迷惑を掛けないように制度を整えるのが公僕たる役人の仕事じゃないんっですかい?という常識は日本年金機構には通用しないみたいです。

健康保険については、穴を空けずに切り替えたいから平日に時間を作って、わざわざ法務局にも行ったのに、書類の手続きは加入日以降(私の場合は10月1日以降)になると。でも1日は土曜日なので、3日まで書類は寝かせておくと。で、3日から順次やっていくから時間が掛かるというのが彼らの言い訳。

眉ひとつ動かさずに、「申請から2週間は掛かりますから。」と平然と言われた時には、日本の役所の病の重さにクラッと来ました。あのね、ウチのオフクロは脳梗塞を患っていて、糖尿の気がある病人なんだけど、保険無しでどうしろって言うのよ、と問い詰めたら、「一旦10割負担してもらって後から還付の手続きを」ってサイバラ画伯のマンガなら、そのコマで脳天にハンマーが打ち下ろされる絵コンテになるシーンですよ。無理矢理加入させて、加入の手続きまでやらせた上に、加入後に不便を掛けることを恬として恥じないメンタリティーって、日本の役人の面の皮の厚さはギネス級です。

って文句を付けたら、「それでしたらこの申請書を書いてもらうと加入証明ということで病院でも保険の適用が出来ますから」って、それなら最初から言えよ。この時の役人の気持ちを解説すると、書類が増えると自分たちの仕事も増えるから、この申請書のことは出来るだけ言わないようにしよう。でもうるさいヤツが来たらこれを出して宥めよう、ってことなんですよね、文句を言ったら出てくるってことは。この姿勢ってヒドくありません?文句を言われたら小出しに対応策を出してくるって。

じゃ、その書類書くわ、ってなったんですけど、この書類の提出先が、「日本年金機構理事長殿」ってなっててブチ切れそうになりました。なんで納税者が公僕に許可を願うかのような表現になってるわけよ?そもそもお前らの仕事が遅くて加入日に保険証が出ないんだろうが。だったら、「手続きに時間が掛かりまして申し訳ありません。出来るだけご不便をおかけしないように、加入証明書を作成させていただきます。年金機構理事長拝」って書くのが当たり前だろうが。なんでこっちがお願いしなきゃならないんだよ?

で、てっきりこの加入証明書は3日にもらえるのかと思ったら、「これは社会保険証よりも2日か3日早く着くだけです」って、お前らドリフのコントをやってるんじゃないんだよ。じゃ、どうするんだよ!とツッコんだら、「書類に付箋で”早急に処理をして下さい”って書いたら早くなると思います」ってこのオチはどこまで本気で受け止めて良いんだ?とひっくり返りそうになりました。

このブログ、政治家や上級役人が読むとは思えないんですけど、この国の公的制度って設計というか思想のレベルで決定的に間違っていると思うんですよね。この姿勢のどこに「公に奉仕する」気分が盛り込まれているんでしょうかね。

カテゴリー: 政治・経済 | 役所ってどうしてこうなんだろうか? はコメントを受け付けていません

オリンピックのメダルについて考える

今回のブラジルオリンピックでは、日本勢が大活躍で、連日誰が誰それがメダルを獲ったというニュースが流れていますね。それはそれで、おめでとさんなんでしょうけど、オリンピックの報道に違和感を感じたので、思うところを書いてみようと思います。

事の発端は、朝のNHKニュースで、女子マラソンの結果が伝えられていた時でした。今回の女子マラソンでは誰もメダルに届かなかったわけで、日本人最下位の人は46位だったんですね。それを聞いた我が母は、「そんな順位なら出場する意味ないじゃん。出なきゃ良かったのに」って言ったわけですよ。これを聞いた瞬間に、一連の報道の違和感の正体が分かりました。そしてそれと同時に、その前日(だったと思う)予選で負けたとある選手のインタビューを思い出したんですね。一人は射撃男子ラピッドファイアピストルの秋山輝吉選手で、もうひとりは陸上100M走の桐生祥秀選手です。

ちなみに秋山選手のインタビューはここから。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160814/k10010634971000.html

桐生選手のインタビューはここから。
http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/athletics/news/1694486.html

私はこのお二人のインタビューに感銘を受けたんですけど、それと母親のコメントがリンクしたんです。それが違和感が解消した瞬間だったんですね。

ちょっと考えて欲しいんですけど、オリンピックに出場する目的、ゴールって何なんですかね?

今の日本では「頑張ってメダルを獲るためだ」という答えが正しいという風潮になっていますよね。だからこそ、税金を投入して選手を育成して、勝ったら報奨金を上げて、負けたら悔し涙を流して雪辱を誓う、という画が成立するわけです。その結果、メダルを獲得した選手を中心に報道時間が割り振られ、予選で負けた選手、名前も知られていない競技については、下手したら結果すら報道されないという現実が生まれたんです。そうなると選手の方もメダルを獲ることに躍起になりますし、獲れなければ悔し涙を流さなきゃならなくなるんです。下手したら決勝で負けて銀メダルになっても悔し涙を流したりするわけですよ。自己ベストを出したのに、予選で負けたら悔しいとか言うわけですよ。

これって根本的に間違っていると思うんですよ。特に、私が専門にしている自己啓発とか、願望実現の世界では、このフレームワークでは幸せになるのは難しいですから。

この構図のどこに問題があるのかを考える前に、プロスポーツとアマチュアスポーツの違いについて考えてみましょう。両者はおカネをもらえるかどうか、という違いがありそうですが、実はこれは違いとは言えないんですよね。アマチュア選手は事業団とか、実業団、場合によってはどこかの企業の所属になって、そこからお給料をもらって生活をしている人が大半(特にオリンピックに出場するレベルの選手は)なんですけど、これって仕事ですよね。体操の内村航平選手は、ゲームメーカーのコナミの所属ですけど、彼が他のコナミ社員と同じレベルの仕事をしているということはなく、彼の仕事はコナミの看板を背負いながら体操の練習をすることにあるんですから。プロ野球やJリーガーのように、個人事業主として年俸もしくはインセンティブ契約をしていないだけで、やっていることは同じですよね。スポーツをしてその対価として年俸やインセンティブをもらうか、お給料をもらうかの違いであって、どちらもおカネをもらっていることに代わりはないんですから。

では、名誉とか名声という無形の報奨についてはどうでしょうか。こちらもプロ、アマ共に勝者が手にするもので、両者に大きな違いは無いんです。つまり現代に於いては、プロスポーツとアマチュアスポーツの違いって、ここには無いんですよ。だからオリンピックの野球には日本のプロが出場出来るわけですし、サッカーだってJリーガーが出場出来るわけです。

ところがこれは、あくまでも現実世界を見た場合の話なんです。理念という意味では、プロとアマチュアとでは大きな違いがあるんですよ。それを最近忘れちゃっているように思えるんです。

プロスポーツというのは、そのゴールがどこにあるのかというと、見ている人、観客を喜ばせるというところにあるんです。だって見ている人っておカネを払ってくれるお客さんですから。だからプロレスのように、シナリオがある出来レースのような試合だって、シナリオが存在することを糾弾されることは無いんです。だって見ている人が興奮して喜んでいれば、また足を運んでくれる、つまりはまたおカネを払って見に来てくれるわけですから。いくら真剣勝負をやって勝ち続けても、お客が喜んでくれない、見に来てくれないような試合をしてたらプロとして失格なんです。かつて西武ライオンズの黄金期を作った森監督は、その試合運びがつまらない(初回から送りバントをやるところとかね)ということで、ペナントレースでは連勝していたのに、観客動員数は減少を続けて、そのためにクビになったという歴史があるんですね。中日ドラゴンズの監督だった落合氏にも同じようなエピソードがありますね。つまり、強いか弱いか、真剣勝負かそうでないか、というモノサシよりも、「お客を呼べるかどうか」というモノサシの方が強力だということです。

それに対してアマチュアスポーツのゴールがどこにあるのかというと、amateurの語源が、「趣味として愛好する人」という意味ですから。つまり何かにハマって愛好する人は全てアマチュアであって、オリンピックというのはそんなアマチュアが集まる祭典なんですよね。つまり、究極の愛好家が集って、自身の愛好っぷりを披露し合うのが元々の目的だったんです。それをスポーツでやると、どうなるかというと、アマチュアとは自分自身が納得する身体操作を追及することがゴールになるんです。スポーツとは極限まで身体を使って、何かを表現する、その時に内的自己で何かを感じ取る、さらには今まで動かせなかった、自由にならなかった身体を少しでも意志通りに動かせるようになる、それを喜ぶ、この一連の流れがアマチュアスポーツなのですよ。見ている観客が喜ぼうが、試合の勝ち負けがどうであろうがそんなことはどうでも良くて、やっている自分が、心と脳みそと身体がシンクロしたと感じられたら、それは目的を達成したと言えるんです。

これをもう少し分かりやすく説明すると、プロというのは他者評価の世界なんです。おカネを払ったお客さんによる評価で優劣が決まるわけですから。ところがアマチュアスポーツというのは、全て自己評価なんですよ。だって自分の身体の可動域がどう変化して、昨日出来なかったことが今日はどこまで出来た感じがするのか、なんて他者に評価してもらう必要はありませんから。

楽器をやっている人ならその感覚が分かるでしょう。昨日よりも弾けてる感じ、指使いがスムーズになった感じ、リズムが切れよく演奏できた感じ、ビブラートのちょうど良く決まった感じ、これって全部演奏している自分は分かるものですから。その結果、昨日よりも良い、悪いという評価を自分で出来るわけです。

翻って今のオリンピックは他者評価なんですよ。その象徴が順位でありメダルなのです。審判が勝ち負けを決めて、タイムが順位を決めて、その中で自分がどこにいるのかを争う、って全部他人が作ったフィールドじゃないですか。そこで金だ、入賞だ、予選落ちだという結果は、自分の身体操作感覚とは全く関係ない次元の話です。

そしてこのようなやり方、つまり他者評価で優劣が論じられるから、金メダルならエライけど、46位じゃ出て来る必要がなかったという考えになるわけですよ。金メダルの人は本当に自分の身体操作に満足しているんですかね?46位の人が金メダルの人よりも充実して、納得したということはあり得ないんですかね?

金メダリストの中に、

  ● 金を獲れたけど今日の演技(泳ぎ、試合、走り)は全然ダメでしたわ

って言う人がいたらスゴいと思うんですけどね。でも今は、「金メダルを獲れたから良い演技、泳ぎ、走りだった」という評価に流されちゃって、本人もそこに疑問を持たなくなっちゃってるでしょ。それって自分自身に軸を持っていないということです。

  ● 誰がなんと言おうと、今日の出来は最高だったのだ

と言う予選落ちの選手は、このシステムからは生まれにくいですし、それを共感出来る人もほとんどいないでしょう。上でご紹介したお二人からはその薫りを感じたんですよ。

決勝で負けて銀メダルになって悔しさで号泣しちゃう選手とか、自己ベストを記録したのに予選で負けたから悔しがる選手って、それが本当に身体操作感覚と一致しているのなら良いんですけど、ほとんど場合、「負けた」という結果について泣いているのであって、「あそこはもう少し細かく身体を制御出来たはずだったのに」という悔しさで泣いているわけじゃないんですね。後者なら、泣く必要はなく(というか、泣くという感情が立ち上がるはずもなく)、反省点を整理してお終いになるはずなんですから。だいたい自己ベストを出せたということは、身体操作としては過去最高の出来だったはずで、それを喜べずに悔しがのは、明らかに他者評価が優先されているからです。

今大会の開幕前にひとしきり問題になったロシアのドーピング問題って、他者評価の結果に、名誉とかおカネが絡んで来るから生まれたんです。ドーピングをゼロにしたければ、順位付けを止めれば良いんです。そもそも自己評価的視点から言えば、そんな順位にビタ一文の価値もないんですから。ですから、あのメダルをありがたがっている人は、スポーツの本質を理解していないんです。あれは勝った負けたの戦争ゲームですから。戦争ゲームなら何をしても勝ったモノがエライ、という「勝てば官軍」的な気質が出て来るのが当たり前です。

自己評価で満足出来るレベルを目指すと、ドーピングなんてイミフになるわけです。100M走で自転車で走って自己新記録だなんて言っても、全く嬉しく無いわけですから。ドーピングってそういうものですよ。名誉とおカネが絡むから、バイクに乗って勝っても、これがバイクだと分からなければ、バレなければそれでヨシとしちゃう価値観が生まれたんです。

これとは真逆に、自分がどれだけ納得出来たのか、どの程度まで限界を広げたのかという感覚に、他者が順位を付ける事は不可能なんです。そして参加者一人ひとりが、自己の内的身体操作感覚を味わう、そこでの限界を突破することを目指す、そういう次元の演技、競技を見ていると、人間という動物の持つ無限界さに畏敬とか、感動の念が立ち上がるはずだ、と考えたところからオリンピックってスタートしたと思うんですよ。クーベルタン男爵が、「参加する事に意義がある」と言ったのは、まさにそのことなんです。そして本質的にスポーツとは、自分で実感出来た内的世界の広がりを喜ぶのが目的なんですから。

秋山選手と桐生選手のインタビューからは、予選で負けたけど、自分が設定した到達点に届いた満足感が身体から出ていたんですよ。どうせお前らはやった事ないから分からないだろうけど、オレはスゴく狙い通りに出来たと思ってるんだよ、というオーラが出ていました。他者評価では予選敗退、つまり惨敗というレッテルになっているのに、自己評価では金メダリストと同じくらい、もしかしたら彼らよりも納得しているってスゴくないですか。

ここからは私の守備範囲である自己啓発とか願望実現の世界とリンクさせて話をするんですけど、人生を楽しく、充実して生きるために必要なのは、他者評価というモノサシを脳みそから追い出して、自己評価というモノサシをインストールする、そしてその自己評価が評価に値するレベルで自分を調えるということが求められるのです。自己評価の軸が他者評価の軸を上回ると、芸術に昇華するんです。体操の内村選手が他を圧倒しているのは、彼が自分の中に設定した自己評価のモノサシが、他の選手が全く及びも付かない次元だというところにあるんです。他の人が10を目指して頑張っているのに、彼だけは「オレにはその基準は3くらいだね、だからオレは30を目指すよ」と言ってやり切っちゃったんですね。だから他の選手から憧憬に近い称賛を受けるわけです。

イチローが3000本安打を打ってまたまた注目されていますけど、彼は徹頭徹尾自己評価だけで生きているんですよ。今日の出番で、身体をどこまで完璧に操作出来るか、その結果がレーザービームだったり、クリーンヒットだったりするだけです。その身体操作を極めるために、自分が納得する準備をする、それをやり続けている、その準備が他のメジャーリーガーという他者評価の目線で見ても高いレベルにあるから、ああいう記録が残せたわけです。プロだから観客が喜んでくれたら良いなとは思ってるかも知れませんが、そんなことをゴールにしていないんです。どれだけ心と、脳みそと、身体をシンクロさせるか、それが出来れば結果は勝手に付いてくる、名誉とかおカネなんてもっとどうでも良いレベルで付いてくると理解しているはずで、そんな結果を外野がどう評価しようが、それはオレの知ったことじゃない、って思ってるんじゃありませんかね。

本来スポーツに勝ち負けなんて持ち込む必要がないんですよ。勝っても身体が自由になっていなければ、自分的には惨敗ですし、負けても過去最高の動きが出来れば自分的には大満足するはずなんですから。それが出来る人を愛好家って言うんですから。鉄道マニアのことをテッちゃんと言いますが、彼らは自分の中にマイワールドを作っていて、そこで作った基準を満たせば、それで満足するんです。誰かと競争しようなんて考える人の方が少ないんです。

アマチュアの世界に勝ち負けとか、順位という他者評価を持ち込んで、さもそちらの方が重要であるかのように、価値基準をすり替えようとしている今の報道のあり方が(これは日本だけではなく世界的にですが)、あなたを幸せから、願望実現から遠ざけているんですよ。その末路がメダルを獲っても、「金メダルじゃなかった」と言って悔し泣きをしている選手たちですから。

人が作った基準で評価されて、その土俵で一喜一憂する人生って、それは本当に自分自身の人生なのか?という問いを発しないといけないと思うんですよ。あなたという人間の人生の世界をコントロールしているのはあなたなんですから。ですからその評価に他者を入れちゃいけないんです。それこそが幸せになるために必要な思考なんです。そういうことをオリンピックの報道を見ていて感じました。

カテゴリー: 時事ネタ | オリンピックのメダルについて考える はコメントを受け付けていません

旭山動物園にビジネスの本質を見る。

ついに念願の旭山動物園に行って来ました。平日ということもあり、ガラガラなんだろうなと思いながら園内に入ると、今日び平日にこれだけの入園者が集まる動物園があるのか?というくらいのお客さん。そしてかなりの外国人率。ということは、海外にもこの動物園の評判が轟いているということなんでしょう。

入園して最初に目に付いた看板が、このもぐもぐタイム。
もぐもぐタイム

これは何かというと、動物たちの食事時間を公開して動物の解説や、食事の説明をしようという、なんともコロンブスの卵的なイベントで、実はこれが大人気なんですね。ペンギン、アザラシ、ホッキョクグマ、オランウータン、エゾシカにカバなどがエサを食べる様子を見られるのですが、これは百聞は一見にしかずで見てみないと雰囲気は伝わらないかも知れません。私も最初は「だからどうした?」くらいの感じでしたから。

園内最初の展示がペンギン館で、ペンギンのもぐもぐタイムの30分程前に到着。ペンギン館を見終わった頃に、もぐもぐタイムになりそうとのことで館内に入った瞬間、「やられた」と思いました。なんたってドアを開けた瞬間に目に飛び込んでくるのがこれですから。
ペンギン1
館内がトンネルのような作りになっていて、壁面がすべて透明な水槽でそこにペンギンが優雅に泳いでくるんです。これが目の前それこそ10センチというところをペンギンが通り過ぎるのを見ると、これだけで興奮してしまいます。こんなに近くで動物たちを見る経験って良く考えたら無いんですよね。そんな初めての体験が興奮させるんです。
だって、
ペンギン2
こんなのを目の前で見せられちゃ、そりゃシャッター切るでしょ。

ペンギン館を出たら、人がわらわらと集まっていて、もう少しでもぐもぐタイムの始まりみたいです。時間になるとマイクを付けた飼育員さんがペンギンの種類や生態、食べるエサ、現在彼らが置かれている環境などをユーモアを交えて解説してくれます。こういう解説って今までは余程興味がある人が書籍やDVDで勉強するものだったのですが、ここに来るだけで素人でも分かった気分になれるんですね。やろうと思えばどの動物園でも出来るのに、気付かなかったんですね。

その後、園内を順番に見て行ったのですが、動物たちをどの位置で見せるのかが良く考えられているんです。これなんて客の頭上ですから。
ユキヒョウ
ユキヒョウというヒョウなんですが、お気に入りの休憩スポットが観客の通路の真上なんです。頭上3メートルくらいのところに、柵のスキマからシッポが垂れた状態で佇んでいるのを見られるんですね。当然ですがこのユキヒョウは猛獣ですから。こんな猛獣の肉球を肉眼で間近に見られるって異次元の感覚でした。

アザラシだって手を伸ばせば届くんじゃないかというところをターンして行きます。
アザラシ1
この距離だとアザラシの表情がハッキリと見えるんですね。これがまた堪らないのですよ。水族館だと彼らの動きが速くて細かい動きや、皮膚の感じ、表情などは全く分からないんですが、水槽の作りを工夫して観客の前でゆっくりターンするようにしたため、つぶらな瞳や、目の上に空いている耳穴までハッキリと見えるんです。

アザラシ館の中には、下から上を貫くようにチューブが通っているんですが、なんとここをアザラシが下から上へ通り抜けていくんです。
アザラシ2
立ち位置によっては、目の前を駆け上がっていくんですから、これは水族館じゃ体験出来ません。

この動物園は展示されている動物が珍しいわけじゃありません。展示の方法がユニークなんです。他の動物園では決して見られないシーンをどうやったら演出出来るのかをとことん考え抜いて施設が作られているんです。これが小動物ならありがちですが、ホッキョクグマのような巨大で怖い動物がすぐそばを泳いでいたら、怖いけど面白いって思いますよね。
ホッキョクグマ1

ありきたりなものを、ありきたりに思わせないために、何をどう変えたら良いのかを考えて作られた施設で、それはつまり飼育さんたちがどれだけその動物を熟知しているか、どのポーズを見せると喜ぶのかを知っているということで、これは相当風通しの良い組織でないとなかなか実現しないことなんですよね。途中から、自分ならどう見せるか?を考えながら見ていたんですが、それでも彼らの目論みを見破れませんでした。分かっちゃいるのに「やられた!」と思ってしまう、これもまた快感に繋がるんですよね。発想力の訓練としてこの動物園は是非行くべきだと思いますよ。(ただ彼らの解説がちょっと左曲がりのセンチメンタリズムに染まっていたのがどうかと思いましたけど)

この動物園で次に何かをやるとしたら、インバウンド対策でしょう。このもぐもぐタイムで飼育員さんが話してくれる言語は当然日本語だけなんですね。ところが館内には少なからぬ外国人客(一聴したところ、英語以外に、中国語、広東語、韓国語、タイ語、フランス語、ドイツ語あたりが話されていました)が来ていたんですが、やっぱりここでも英語の解説看板すらほとんど整備されていないんですね。確かに見れば分かるんですが、それだけじゃやっぱり勿体ないんですよ。せめて英語の解説は日本語と同レベルのものを用意すべきですし、もぐもぐタイムでの解説も、音声ガイドのような形で貸し出すようにすればさらに一人1,000円くらいの追加料金をもらえて、満足度も高まると思うんですよね。解説の翻訳なんてアウトソースしたら一発なんですから、そんなにおカネを掛けなくても出来るはずなんですよね。

カテゴリー: ビジネス・副業 | 旭山動物園にビジネスの本質を見る。 はコメントを受け付けていません

炭酸水製造機「ソーダストリーム」を使ってみた

夏になると我が家での消費量がグッと増えるのが炭酸水です。
野良仕事の後、汗だくの状態でシュワシュワと弾ける冷えた炭酸水をグビグビ飲むのは至高の瞬間です。
夜は夜で、ウイスキーを炭酸で割るハイボールや、梅酒サワーもまた格別です。

ところがこの炭酸水、買うのが一苦労なんですね。過去何度か、アマゾンで24本パックとかを買ってみたこともあるんですが、微妙に炭酸が抜けていたり、特に最後の5本とかはハッキリと炭酸が抜けていて興ざめしたんです。そのため、3本とか5本を小刻みにスーパーで買うんですが、この在庫コントロールが結構面倒なんです。

さらに飲み終わった後のペットボトルの処理にも手間が掛かります。私の住んでいるあたりは田舎ですから、ペットボトルの回収って月に1回しか無いんです。つまりそれまでは自宅のどこかにスペースを作って保管しなきゃならないんですね。でも毎日2本飲んでいたら、ひと月で60本ですから。さすがにそこまでは飲まなくても、ゴミ置き場代わりの土間は、いつの間にかペットボトルだらけになってしまいます。

そういったペインに対するソリューションは無いものかと、あれこれ調べたところ見つかったのが炭酸水製造機です。これは色々なところから製品が出ています。

ソーダストリーム

これは炭酸ボンベの容量が大きくて、1本で60リットルの炭酸水が出来るとのこと。

ツイスパソーダ

ソーダスパークル


は、毎回カートリッジを取り替える必要があるみたいです。毎回カートリッジを取り替えるとしたら、その都度空のカートリッジがゴミとして生まれてしまうのでこれは止めにして、ソーダストリームを購入しました。

ちなみにこれ、アマゾンで買うのがおトクだと思います。東京に出張に行った時に買おうとしたんですが、炭酸のボンベは飛行機に持ち込めないかも知れないと店員に言われたんですよね。オマケに、この交換用の炭酸ボンベって、空のボンベを持ち込んで交換すると1本2000円で済むんですが、追加で買うと1本3700円もするんです。

ネットで買うと空のボンベがあるか無いかで、値段が変わるみたいなので注意が必要です。そのため、近所にこのソーダストリームを売っているお店があるかどうかを先に調べておいた方が良いと思います。お店があるのなら、空になったボンベを持参して交換すれば良いだけですから。私の住んでいる田舎でも販売店があるのか気になったんですが、調べたところ高島屋で取り扱いがあるとのことで、そこで購入しました。

購入したのは一番安いグレードで、炭酸水用の500CC専用ボトル2本を追加購入して12,000円くらいでした。アマゾンならもう少し安く買えると思います。っていうか全然安いし・・・

早速これを使ってみました。専用ボトルに指定された線までお水を注ぎ、冷蔵庫で冷やす。炭酸は冷えたお水の方がたくさん溶け込むので、チャンと冷やした方が良いでしょう。これをソーダストリームにセットし、ボタンを押すとブシューという音と共に泡が立ちます。これってどれくらい押し続ければ良いの?と思っていたらブブブーと音がしてこれで一杯になったことが分かります。

確かにこれでかなり強めの炭酸水が出来ました。ちょっと気になったのが、ボトルを取り外す時にやたらとブシューって炭酸が逃げること。それでも充分に炭酸が入っているから、ま、良いかって思ってたんですよ。

ところが、この使い方をしていたらあっという間に炭酸ボンベが空になったんです。ちょっと待て、1本で60リットルの炭酸水が出来るんじゃないのかね?これはどう考えても20リットルも作っていないんだけど・・・で、困った時のグーグル頼み。そうしたら色々な人が同じようなクレームというか状態になっているみたいなんです。

さてどうしたものか。キットまで買ってしまったら今さら他のプロダクトに乗り換えるわけにはいきません。なんとかこれを使って状況を改善させなきゃならないわけです。で、さらにあれこれ調べてみたところ、ヒントはありました。っていうか、すでにこのブログでも書いていました。「炭酸は冷えたお水の方がたくさん溶け込む」ここにヒントがありました。切っ掛けは、自宅にミドボン(緑色の炭酸ボンベ)を設置している友人からのコメントでした。「水の中に炭酸を通したら、ボトルをジャカジャカ振らないと炭酸が溶け込まないんです」え?マヂ?そこですか。てっきり炭酸って振ったら抜けちゃうように思うじゃないですか。コーラの瓶とか振ったら泡が飛び出てきますしね。だから出来るだけボトルを揺らさずにガスを注入していたんですが、これが大きな間違いだったらしいです。

早速試してみました。炭酸のボタンを押してブブーって音が鳴ったら、いきなりボトルを外すのではなく、キットを持ったままゆっくりとボトルを上下左右に振って炭酸を溶け込ますのです。時間にして15秒くらいですかね。振ってから外すと、いつもよりも炭酸が逃げる量が減っているのに気付きます。つまりその分がお水に溶けたということ。こうしたらたったの1回ボタンを押すだけでかなり強めの炭酸水が出来ました。なんだよ、今までは空気中に逃がしていただけで、お水には溶け込んでいなかったのか・・・ってことで、あっという間にボンベが空になってしまうという人は、炭酸水の作り方を変えた方が良いと思います。ガスを入れたら一定時間ボトルを振る、これでOK。果たしてこれで60リットル分の炭酸水が作れるのか。

カテゴリー: 田舎暮らし | 炭酸水製造機「ソーダストリーム」を使ってみた はコメントを受け付けていません