三浦九段の不正疑惑から将棋界のおかれた状況を読んでみる。

私の趣味の一つに、プロ将棋の棋戦を観戦するというのがあるんですが、私は将棋はからっきし下手っぴです。プロ棋士と言われる人たちの才能が、天才性が対局中にキラキラと全身から飛び出すのを見るのが好きなんです。

観戦歴20数年ですから、プロ棋士のかなりの人を個体識別出来るんです。以前地下鉄に乗っていたら某プロ棋士が私の前に座っていて、いきなり街中で芸能人を見つけた気分になりました。問題は、私以外の誰もその人を知らない、私が騒いでも誰も一緒に騒いでくれないというところでしょうか。これが有名女優とかなら話は別なんですけどね。

そんな将棋界に激震が走りました。

三浦九段の不正調査…対局中ソフト利用か
三浦九段というのは、「三浦」が性で、「九段」が名前じゃありませんよ。九段というのは将棋界での段位で、プロ入り時が四段でそれから昇段を重ねた最高峰が九段という段位で、現役棋士では22名しか九段になっていません。つまり三浦氏ってトッププロの一人なんですよ。そんな人が対局中に(この場合の対局とは勝てば賞金がもらえるという真剣勝負のことです)、コンピュータのソフトを使って自分の指し手を決めたんじゃないか?という疑いを持たれちゃったんです。

つまりカンニングですな。これが事実なら我が家では問答無用の寺送りです。(←分かる人だけ笑って下さい)

これ関しては将棋好きの人がブログで様々なコメント、検証をしていますが、みなさんの論点は本当にカンニングをしたのか、疑惑を生まないためにはどういうルール変更が必要かだったりします。それはそれで重要なのかも知れませんが、それよりも重要な視点があるんじゃないかと思います。こういう時には物事の本質を衝くという視点が必要です。

この場合の本質は、三浦氏が不正行為をやったかどうかじゃないんです。そんなこたぁどうでも良いんですわ。

本質的な問題は、

■ コンピュータソフトが人間の棋力を圧倒したことを当事者が認めた

ということなんです。

当事者というのはプロ棋士のことですよ。

永らく彼らは、「人間はコンピュータに負けない」って言ってたんですが、昨今のソフトの進化によって非公式には「もう人間はコンピュータに勝てない」って言うようになったんですが、公益社団法人日本将棋連盟は公式にはそのあたり、お茶を濁したコメントしかしていなかったんです。

コンピュータソフトが急速な進化を遂げて、もうプロに追いついたんじゃないのか?という噂が出るようになった2005年には、日本将棋連盟は「許可なくコンピュータと対局することを禁ず」って御触れを出したんです。つまりこれは、

■ プロ棋士が負けたら将棋連盟がヤバい事になる

というか、負けたら将棋連盟としてどう対応して良いのか分からないから、対局禁止にして時間稼ぎをしたということです。どう対応して良いのか分からないというのは、負けたというイベントで自分たちに良いも悪いもどういう影響があるのかが分からない、もし悪い影響があったら(そちらの可能性の方が高い)どうやって劣勢を引っ繰り返したら良いのかが分からない。だったら勝負をさせずに決着を付けないようにしようということです。

その後、元連盟会長の故米長邦雄氏が公式にコンピュータソフトと対局をして負けたわけですが、これもまた現役棋士を守るために引退した(つまり以前よりも棋力が格段に落ちた)米長氏が登場したわけですね。しかしその対局以降、どうもコンピュータソフトの方がプロ棋士よりも強い、という評価がソフトウェアの進化によってチラホラ出て来てこれを否定できなくなると、渋々電王戦というコンピュータとの公式の棋戦を作り、ここでは負け越しが続いているんですね。

それでも将棋連盟はどっちが強いのかという議論を避けていたんです。

ところが今回ヒョンなことから、将棋連盟自身がコンピュータソフトの方が棋力が上だということを宣言するかのような事態になっちゃったんです。

なんたって、ソフトに指し手を教えてもらって勝ったんじゃないか、だからインチキだ、出場停止だって言ってるわけですから。人間の方がソフトよりも棋力が上ならば、最終盤の詰みを見つける場面以外では(ここだけは数十年前からコンピュータの方が上だという認識が定着していました)、

● ソフトなんて使ったって意味ないじゃん、バカらしい

って話でスルーされるわけですね。それが今回は出場停止処分ですから、これはもう全面的に人間の負けを認めたようなものです。

さてそうなると、果たして人間が将棋を指す、そしてそれによってスポンサーからおカネをもらう、これで生活をするという全てにどういう意味を見出すのかという話になるんです。プロ棋士って人間国宝みたいなもので、だから将棋を指すだけで高額の対局料をもらえるのだという理屈になっていたのに、実はコンピュータの方が強いんですよね、となったらだったら人間じゃなくても良いじゃないか、って話になりかねないんです。

今までは難しい局面での指し手について、プロ棋士があれこれと解説をしてそれを我々素人はありがたがって拝聴していたわけです。そのありがたがるという理由で彼らはおカネをもらっていたようなものなんです。ところがこれからは、正解を求めるだけなら

■ ま、先生の解説はどうでも良いんで、ソフトに訊いてみましょう

ってことになるんです。これはプロ棋士にとっては辛いですよ。

プロ棋士って2種類のアマチュアを相手にしているんです。ひとつは自分たちプロ棋士をリスペクトしてくれる将棋ファン、もうひとつは「プロ棋士ってなに?」という完全素人さん。後者の人たちを惹きつけるツールが、この人たちは超人的に将棋が強い、ということでここがコンピュータに取って代わられると、将棋を知らない素人さんからのリスペクトってガクッと減ると思うんですよ。

要するに電車オタクみたいなもので、電車オタク同士で相手を認め合うというオタクの閉じた世界があって、それが何かの切っ掛けでドアが外部世界に開かれちゃう(ほとんどはテレビなどのメディア露出によって)と、中には

● そんな細かい事まで全部覚えているのかよ、スゴいなぁ~

と感動する人が出て来ますよね。そうやって感動する外部世界の人が増えると、プロという世界が作られるんです。野球だろうが、サッカーだろうが、ゲーマーだろうが、見ている人を感動させるレベルでやれるから、おカネを払って人が集まってくるんです。そういう新たなファンの創造、開拓こそが、プロという世界の維持、拡大には必須で、プロ同士の試合、対局なんてファン作りに比べたら一つランクが落ちる仕事なんですよ。

自分たちを見て喜んでくれる人がいるから、スポンサーがおカネを払う。自分たちの超絶的なスキルに憧れる人がいるから、次世代のプロプレーヤーが生まれる。この二つこそが、どんなプロの世界でも絶対に必要なことなんです。

ところが今回の不正疑惑事件で、その超絶スキルにはもっと上のレベルがあるということが明らかになって、しかもそれがもう人間ではないとなると、この世界に憧れる人って出てくるのか?という疑問が生まれるんです。既存のファンについても、ソフトを手に入れてしまえば、プロの対局中に同じ場面でコンピュータの示す正着手を検索出来ちゃうわけですから、かなり興ざめしちゃうと思うんですよね。

そうなった時に(というか、環境的にはすでにそうなっているんですが)、ファンの創造、開拓って本当に出来るのか?という疑問が生じるんですよね。もちろんその答えがノーならば、その世界はプロとして維持出来なくなるわけで、そうやって潰れたもしくは縮小を余儀なくされた業界は、ボーリングやキックボクシング、ローラーゲーム(←知ってますか?)、麻雀などがあるわけです。プロ将棋が果たしてそういう道を歩むのか、プロ将棋という世界を維持するために必要なファンの創造、開拓をコンピュータソフトに棋力で負けた状態でも出来るのか。

これって人間VSコンピュータの大きな戦いでもあり、共存共栄を模索するための大事なポイントでもあるんです。ですからこの世界はちょっと深く観察したいと思っています。

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