死刑についてはこの本を読む事から始めてみよう。

本当はこのエントリー、メールマガジンでやりたいくらいなのですが、ちょっと重たいテーマなのでこちらに書く事にします。

みなさんは「死刑制度」について何か意見を持っていますか?死刑なんてオレには関係無いよ、と思われる方がほとんどなんでしょうけど、そういう人はこのサイトを見るとギョッとするはずです。ここのP10に犯罪のタイプ別件数の推移が載っているんですが、殺人罪ですら年に1000件も発生しているんですね。ということは、殺人罪で殺された1000人がいるという事で、さらにこの1000人の方に家族がいるという事です。自らが殺されなくても、家族や友人、知人というレベルに範囲を広げると可能性ってゼロじゃ無いと気付くはずです。

特に最近は裁判員裁判が始まったので、一般市民が殺人や強盗などの凶悪犯罪に関与する事が増えてきたので、死刑に関する議論はこれから喧しくなると思っています。ここで私の死刑に対するスタンスを明確にしておくと、私は死刑賛成派です。いくつか理由を述べておくと

  • 殺人に遭った被害者の感情は極刑で無ければ和らげる事が出来ない
  • 人の命を奪うという行為を他の刑罰で充当する事は出来ない

という若干感情に偏った意見しか持っていなかったのですが、

この本を読んでここに以下の論理が加わりました。

  • 殺人罪の犯罪者が刑務所で真に悔い改める事はほとんど無い
  • 死刑こそが最も人間的な刑罰である

この本の著者は現役の(?)無期懲役囚で、2名を殺人した罪で現在も刑務所で暮らし、生涯出所しないと決めた人です。彼は刑務所の中で月に100冊以上の本を読み、自らの罪を悔い改め、その思索の結論として獄死することを決意した人です。彼は現在20数年を獄中で暮らしているのですが、その間に知り合ったというか同囚になった犯罪者を見、そして会話をした結果、同囚の99%は自らの罪を悔いることなく、ただひたすら仮釈放になる日を待ちわびているだけだというのが本書を読んだ衝撃の一つでした。

性犯罪者などはこれはもう病気ですから、出所してもまた同じ犯行をやるのです。

”強姦殺人を犯す者に理由を問うと、以前に強姦罪や強制猥褻で服役した際に、被害者に自分の顔を覚えられていたことが逮捕の決め手になったから、といいます。窃盗・放火・強姦は、薬物と同じように習慣性が強く、自身でさえ「病気ですから」という者が散見されます。「出たら、また、やるだろう?」と訊きますと、微笑みを浮かべて頷きます。”

これは本書のP20からの引用ですが、これのどこに反省や罪を悔い改める姿勢があるのでしょうか。こういう人は出所すれば遅かれ早かれまた同じ犯罪を犯すのです。それはつまりさらに被害者を増やすことであり、被害者家族を増やすということでもあるのです。

殺人だけでなく、窃盗のような財産罪であっても、被害者の苦悩は深く、消えないのです。なぜ自分がこのような目にという自らの不遇を嘆くところから始まり、私がもっと注意していればという自責の念にかられ、重症になると心神喪失、鬱状態になることも稀ではありません。それなのに、そんな犯罪を犯した側は、脳天気に刑務所の中で仮釈放の日を指折り数えて待っているという構図は、どう考えてもフェアな(対等な)釣り合いの取れるものではありません。

我々は刑務所というと、辛く厳しい生活なのだろうと想像しますが、実はこれがそうでも無いということを、ホリエモンの書いた『刑務所なう』という本で知りました。これは無期懲役のような人も同じで、「10年や15年はあっという間」だそうです。今は法律も変わって、書籍の購入も自由に出来、テレビも好きな番組が見られる、体調が悪ければ診察も受けられ、雨露をしのぐ心配もなく、毎日3食ご飯が食べられ、楽な作業を同囚と冗談を言い合いながら和気藹々と出来る、刑務所には笑い声が絶えることがないとなれば、それは10年や15年くらいあっという間に過ぎるでしょう。むしろホームレスになって寝る場所や食事にも不自由している人よりも真っ当な生活をしている状態です。つまり、彼らは身体の自由を奪われているということ以外には、何も不自由は無いのです。その状態に馴致してしまえば、人によっては快適だと思えるくらいの生活が出来るのです。これのどこが刑罰なのでしょうか?

そんな彼らが待ち望むのが仮釈放の日です。この仮釈放という希望が有期刑、無期刑ともにあるから(無期懲役の場合30年以上)、刑務所内の秩序が保たれ、治安が維持されているのです。海外の刑務所関係者が日本の刑務所を見て驚くのは、刑務官のあまりの少なさと、装備の貧弱さだそうです。日本では刑務官が銃で武装していることはありませんが、海外ではそれが当たり前です。それくらい刑務所の中は荒れていて、刑務官自身も命の心配をしなければならない状態なのでしょう。しかし日本の刑務所ではそのような事故(囚人同士のケンカや、刑務官への暴行)はほとんど無いのです。これがなぜかと言うと、そのような事故を起こすと仮釈放の日が遠ざかるからです。ところがいま世間で議論されている終身刑(仮釈放の可能性がなく、死ぬまで刑務所にいるという刑罰)を導入したら、刑務所内の風紀は一変するでしょう。どうせ仮釈放されないんだから、問題を起こそうが関係無いや、と自暴自棄になってもおかしくありません。

死刑が非人道的だという人がいますが、終身刑もまた(死刑以上に)非人道的です。問題はどちらの刑罰の方が、自らが犯した罪を反省し、悔い改め、被害者に償いをしようと考えるかだと思うのです。彼ら犯罪者は死刑を宣告されて、日々いつ執行されるかと怯えることで、初めて生命に真摯に向き合うことが出来るようです。その段階になってようやく自らが犯した殺人によって命を奪われた被害者や、残された家族の気持ちに共感出来る、というのが死刑囚の多くに起こることです。これは終身刑では起こりえません。

そんな犯罪者の心理については、同じ著者の

という小説をお薦めします。被害者がどのような苦悩を背負うのか、親族を殺されるとはどういうことか、さらに殺人犯の家族がどのような社会的制裁を受け、彼らの人生もまた大きく変わってしまうということが丁寧に描かれています。これを読むと、犯罪と刑罰のあり方、そして被害者救済について深く考えさせられます。

日本は治安が良い国として知られていますが、実は悪化の一途を辿っていて刑務所の収容定員は平成13年の64,000人から平成22年には90,000人に増えているんですね。(ソースはここ)人口が減少するのに犯罪が増えるという事は、我々がこれに巻き込まれたり、裁判員として関与する確率も高くなるという事です。その意味では、このジャンルについての知見を深めておくという事がこれから必要になるのかも知れません。

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