マイクロメディアの時代がやって来た

日々進化し続けるIT環境ですが、この進化のおかげで一般人が劇的な力を持てるようになりました。その力とは情報発信です。マスコミの事を第4の権力と良く言うのですが、なぜ彼ら報道関係者が権力者なのかというと、それは情報発信によって世論を作れるからです。過去、この権力を持つことは個人には不可能でした。取材し、文章に起こし、媒体に編集して、これを販売する。こういう仕組みを個人が持つ事など出来なかったのですから当たり前です。

ところがIT環境の進化がこの状況を変えてくれました。

今やフェイスブック、ツイッター、ブログ、メールマガジン、ウェブサイトを使えば誰でも自分の思うところを、思うがままに発信出来るようになったのです。さらにこのうちウェブサイトを除けば、初期投資は完全にゼロ(パソコンやネット接続環境を用意する必要がありますが)なのです。つまり、誰でもが自分のメディアを持てるようになったという事です。

第4の権力と言われた情報発信が、誰でも自由に出来るようになった。これが革命的変化で無くてなんなんでしょう。この変化により、マスメディア(多くの人に情報を届ける存在)だけではなく、マイクロメディア(少数のコアな人に情報を届ける存在)が数多く生まれるようになったという事です。このブログもそのうちのひとつです。これがどういう事をもたらすかというと、情報の供給過剰と、受け手の取捨選択能力の二極化、さらには新しいビジネスの創造の3つです。(範囲を広げればもっと論じる事が出来るんですが、プレゼンに於けるテーゼの最大値である3つに絞りました)

ひとつずつ解説をします。

情報の供給過剰とは、フェイスブック、ツイッター、ブログ、メールマガジン、Youtube、ウェブサイト(これらをまとめて以下マイクロメディアと呼びます)という情報発信ツールが広まり、タダもしくは安価で情報を発信出来るようになると、ここに多くの人が集まってきます。そうすると誰でもが、極端に言えば、「情報発信をしたい」と思っている人の数だけのマイクロメディアが乱立、林立する事になります。これが情報の供給過剰状態を作ります。

ところがこれを受け取る側の人間の可処分時間は増えていません。つまり情報収集に掛けられる時間というのはゼロサムゲームなのです。過去、新聞、雑誌、テレビにラジオというマスメディアを使って何らかの情報収集をしていた人が、マイクロメディアが生まれた事によってさらに情報収集に掛ける時間を増やすという事は、もうこれ以上は起こりにくいんです。だって今よりもスキマ時間が増えたり、自由になる空き時間が増えることなんて想像出来ませんからね。その状態で、供給元がこのような形で激増すると、当然の帰結として過去の媒体つまりマスメディアと新興のマイクロメディアとの間で、お客さんの時間の奪い合いが起こるという事です。
私はこれがここ最近のテレビ離れ、雑誌離れ、新聞離れ(ラジオはずいぶん昔から右肩下がりになっています)の主原因だと考えています。つまり旧来のマスメディアは、マイクロメディアとの競争に敗れつつあると言うのは言い過ぎですが、もともとマスメディア100対マイクロメディアゼロだった関係が、マイクロメディアの広がりによって80対20くらいになって来たという事で、ここに加えてマスメディア側の失策(電子媒体へのシフトの遅れ、オンデマンド化の遅れ、コンテンツのマンネリ化、信憑性に対する信頼の失墜などなど)によってその差がさらに縮んで来たという事なんだと思います。この競争はこれからはゼロサムゲームですから、新しいモノが生まれて広がれば、当然既存のモノが食われるのは当たり前で、これこそが時代の変化そのものなのです。

ですからこれからも旧来のマスメディアにとっては辛く厳しい時代が来るのは容易に予想出来るわけで、特に雑誌はよほど際立った個性と、差別化がなされないと壊滅状態になると思われます。

ここに雑誌の販売動向が出ていますが、月刊誌は10年で33%、週刊誌に至っては10年で46%も落ち込んでいます。

もちろん新聞もヤバい状態になっています。

新聞の推定購読者数の推移と今後予想

確実に減っていますね。この要因のひとつとして人口減が挙げられるのですが、人口減だけが原因ではありません。

10代4%足らず、20代でも新聞購読率9%…主要メディアの利用状況

これを見ると、新聞は10代で3.6%、20代で9.2%しか読まれていません。さらに新聞離れでは40代でマイナス11.1%、50代でマイナス8.4%、60代でもマイナス7.1%とこちらは中高年の新聞離れが際立っています。つまり、若者についてはそもそも新聞を読まなくなり、さらに過去新聞や雑誌を情報のソースとしていた中高年層が確実にネットへとシフトしているというダブルパンチに見舞われているという事です。これら若年層がこれから中年層、高年層になって行く時に、突然変異のように新聞を読み始めるという事は極めて考えにくいので、新聞というメディアも時代が進めば進むほど厳しい状態になるかと思われます。

このネットへのシフトのうち、どれくらいがマイクロメディアに流れているのかを示すデータは見つかりませんでした。マスメディアのほとんどがウェブサイトを持っている現状から推測するに、マスメディアが持つ電子媒体にも相応の流入があるはずなのですが、これらの有料読者数が紙媒体の減少を補っているという報道は目にしたことがありませんから、やはり一定数はマイクロメディアに流れている(つまり食われている)と考えて良いでしょう。

対するマイクロメディアも、

総務省調査、国内ブログ数は1690万。アクティブブログは約300万

日本の主要なSNSのアクティブユーザー数を調べてみた

を見るとまさに林立状態。これだけの数があると1日24時間全てを使っても追いかける事が出来ません。つまり、今という時代は情報と名の付くものが世界中に溢れかえっているという事です。

これらのマイクロメディアと旧来の紙媒体を中心とするマスメディアの大きな違いは、マイクロメディアが基本的に無料であるというところです。同じ情報を手に出来て、片や有料、片や無料となれば当然後者に人は集まります。テレビというのはNHKを除けば一見無料に見えますから、マスメディアの中でテレビの減少幅が小さいのもうなずけます。
さて、このように大量の情報が、いつでもどこでも手の届くところにあるという状況になると何が起こるのかというと、皮肉な事に情報の受け手が二極化するようになるのです。情報源が乱立、林立すると、当然ですが情報の質差は広がります。特に無料のマイクロメディアでは、取材力に雲泥の差がある上に、自らがメディアを運営しているという矜恃を持たない人が大多数ですから、ここには殴り書き、デマ、事実誤認という便所の落書き状態のものが多数混じってきます。だってそんな情報だって発信するのはタダなんですから。それ以外にも、主婦の書いているブログのように、日常のどうでも良いこと(今日はどこに行った、何を食べた、誰に会った、どこで買い物をしたなど)ばかりを公開している、どうにも「情報」というカテゴリに入れるのは憚られるようなものも存在しています。

ところがこうなると質が高いモノ「だけ」が生き残り、他は淘汰されるのかというとそうではないのです。悪貨が良貨を駆逐するの譬えよろしく、悪貨である質の低い情報もまた一定の規模で拡大し、再生産を繰り返すようになるのです。実はこれ、旧来のマスメディアの時代から変わっていないんです。正しいモノ、良いモノ、質の高いモノだけが生き残るというのならば、東●ス●ーツなんて新聞はとっくに駆逐されていなきゃおかしいですし、名誉毀損裁判でしょっちゅう敗訴している一部のゴシップ週刊誌なんて何十年も前に廃刊になってなきゃおかしいのです。ところがこういうモノが消えることはありませんし、いつの時代にも一定の比率を維持して存在するんです。

そしてこれだけマイクロメディアが乱立しているという事は、「メディア」というパイが拡大しているという事で、その結果、パイの拡大に伴って質の低いメディアもまた数的拡大を果たす事になるんです。

そうすると読者つまり情報収集をしている側というのは、有料無料に拘わらず質の高い情報を、適切なタイミングで入手出来る上位層と、どうでも良いような情報ばかりを手にして人生を振り回されてしまう下位層に分かれる事になるのです。というか、すでにこの現象は起こっているのです。ここ数年、誰が言い出したのか分かりませんが、「情報弱者」なる表現が市民権を得たようで、まさにここでいう情報弱者が下位層に分類されるべき人たちなのです。これが受け手の取捨選択能力の二極化という現象です。

ここで下位層にフラグされる人は、流されてきた情報を咀嚼、検証する事無く、他者を性善説で受け止め、さらにちょっとした善意も併せ持つというタイプの人で、街で出逢えば決して悪意を感じる事は無い人たちなのですが、無邪気というか無知というか、直接顔の見えないIT環境を使った情報社会ではでっぷりと太った牙も角も持たないジューシーなヒツジになる可能性が高いのです。かつてもこういうタイプの人たちは一定数存在していたのですが、既存のマスメディアには自制心も良心も、そして規制もあるのでこういう人たちを食い物にするという事は無かったのです。そういう時代が長く続いた結果、彼らに警戒心が芽生える事も無く、無防備且つ無邪気に時には自らの善意を拡散させる役割を担い、また時には自らが餌食となりお金を詐取されるという状況が生まれたのです。

そのような人たちが増加し、彼らへのアクセスが誰にでも簡単に出来るようになると、これをビジネスにしようという人たちが生まれるのは、古くからの習わしのようなものです。フィッシングサイトやニセモノサイトでの買い物被害、、LINEやフェイスブックの乗っ取り詐欺、宝くじや馬券が当たるというニセモノ情報商材の被害、やたら高額なセミナーの類の、アングラビジネスの氾濫と言って良い状況は、実はマイクロメディアの拡大と歩調を合わせているのです。

これが3つめの項目である、新しいビジネスの創造にも繋がるのですが、今紹介したのは下位層向けの、ほとんど犯罪と言っても良いようなアングラビジネスです。私がここでお伝えしたいビジネスの創造とは、これとは反対に位置している上位層向けの話です。

上位層に所属している人たちは、目的に合致した情報を自らのスキルで見つけ出し、これを精査し、バイアスの修正作業を行い、この情報を血肉に変える事が出来る人たちです。こういう人たちは、複数のソースを持つ事で複眼的な眼で情報を鳥瞰出来るため、情報を鵜呑みにする事がありません。つまり情報によって自らが操作されるというリスクを減らす事が出来るのです。彼らはネットに出ている情報つまりマイクロメディアが発信した情報に対して、情報の真偽、書き手が無意識に持っている価値観が影響を与えるバイアスの度合い、引用するソースの信頼度などを確認し、総合点を付ける事でその情報を取り込むかどうかの判断をしています。

そしてまた、必要な情報、役に立つ情報のためには時間を割く(その代わりに彼らは総合点が低いメディアを脱落させる事で、前述したゼロサムゲームのバランスを取っています)という姿勢を持っている上、自分という軸をしっかりと確立させた状態で情報の評価が出来るので、自分にとって新しいマイクロメディアに対する心的抵抗が低く、使えそうな情報は躊躇なく取り込んでくれます。逆に言えば、入り口を開けてもらうのは簡単ですが、すぐに追い出されてしまう可能性もあるという事です。彼らはこういう情報ソースの入れ替えを定期的にやる事で鮮度と確度を高めているとも言えます。これを具体的に言うと、「お、なかなか良さげじゃん」と思われれば、読者なり、フォロワーなり、場合によってはお客様になってくれる事もあり、そこまでの時間軸が比較的早いのです。ところが数回この情報に接してみて、評価を付けて総合点が低いと判断したら、あっという間に情け容赦なく切り捨てられるという事です。だってそこには無限と言えるくらいのマイクロメディアが氾濫しているんですから。

かつてのマスメディア全盛時代は、メディアの数が限定されていたのでとっかえひっかえソースを切り替える事が出来ませんでした。そもそも地方ではテレビでさえチャンネル数が少ないという時代が長く続いたんですから。そのためメディアには数少ない情報のソースとしての権威があったのです。マスメディアが、IT時代になってもかつての権威にふんぞり返っている間に、全く権威を持たないマイクロメディアが、情報の質と量だけを武器に切り込みをかけて来たというのが21世紀という時代なのです。しかもこのマイクロメディアが発信する情報は、幅が非常に狭くて深さがとてつもないという性質を持っていて、浅く広く出来るだけ多くの顧客を、テキトーなレベルで満足させるという生き方しか知らなかったマスメディアとは正反対の方向で勝負をしています。

狭くて深いというのは、ほとんどの人には見向きもされないが、ごくごく一部のニッチな指向性を持っている人には熱烈大歓迎状態になるという結果を生み出します。そしてマイクロメディアが数が増えてくれば当初は「範囲が狭くてニッチ」だったものも、マイクロメディア全体としてみれば、「広くて深い」という理想型を作る事が出来るのです。これはつまり、ネットのどこかをほじくればどこかに答えがあるはずだ(つまり範囲が広い)という事で、しかもここで見つかった答えがディープなものだと、もうマスメディアは要らないじゃないかという感情を持っても不思議ではありません。譬えていえば、家で食べるカレーがバーモンドカレーだけで育った子供が大人になって、カレー専門店にハマるようなものでしょうか。

これが即ちビジネスの創造に直結します。マイクロメディアという池では、ニッチだけどディープで役に立つ情報を欲しがっている人たちが釣り竿を持って糸を垂らしています。この釣り人が釣りたいと思っている魚の種類はほぼ無限です。人の数だけニッチの領域が存在すると言っても過言ではありません。ある人は鉄道に関する情報という釣り糸を垂れているかも知れません。その横では30年前の旧車の整備に関する情報を求めて糸を垂らしている人がいます。池の向こう側では、舅や姑との関係を良くしたいと思っているお嫁さんが竿を持ってウロウロしています。この状況を理解出来れば、彼らが欲しいと思っている情報を提供出来ればビジネスになると気付く人がいても不思議ではありません。

これが検索エンジンとはどこが違うのか。検索エンジンとマイクロメディアは親戚のような関係ですが、良く見ると別個の存在です。検索エンジンとはその都度、必要になる情報(魚)をウェブサイトを中心にしたマイクロメディアという池の中から探し出してくれる存在です。これは21世紀の最初の10年で極大化しピークを迎えました。このピークの直後に生まれたのがSNSを初めとするマイクロメディアです。これは新たな池で、ここにはある特定の種類の魚だけが泳いでいます。ここに行けばこのひとつの種類の魚しかありません。でもこの種類に関しては大きさや産地はどこよりも幅広く、数多くいるんですよという池なんです。人々がこの池には、この種類の魚だけがいると認識すると、この魚だけを求めて人が集まって来ます。ここに来る人は皆同じ種類の魚だけを獲りに来るという状況が生まれます。この池にどんな種類の魚がいるのかを調べるのに検索エンジンが使われるかも知れませんが、一度この池の存在が認識されれば翌日からは釣り人やギャラリーが自らの足で通って来てくれます。これが検索エンジンとマイクロメディアの違いなのです。

そしてこの池で何が起こっているかというと、自分の趣味、嗜好、価値観という特定の種類の魚に関する情報を捜し求めている人たちが釣り竿を持って集まって来たり、そんな釣りの様子を見に来るギャラリーが集まって来ているのです。彼らはそんな特定の種類の魚を共有、共感してくれる人々であり、ここでは彼ら独自のお付き合いが始まったりしています。検索エンジンとの違いを別な例で譬えると、検索エンジンは見知らぬ街に行った際にどこでお酒を飲むのが良いのかを教えてくれるツールです。たしかに美味しくて雰囲気の良いお店を紹介してくれるかも知れませんが、地元に帰ればもう行く事はありませんし、ましてや通う事などありません。SNSを初めとするマイクロメディアは、行きつけの馴染みのお寿司屋さんのようなもので、そこで食べるお寿司も目当てのひとつですが、常連さんたちとの交流もまた目的のひとつなんです。

つまり、このマイクロメディア時代では、自らが自分のカラーを前面に出したお寿司屋さんを開店出来るという事です。しかもほぼ無料で。あなたのお寿司屋さんで出すお寿司がユニークで、美味しければそれを目当てにお客さんが集まって来てくれる。場合によっては常連さんになってくれるという事です。問題は周りに無限と言えるくらいの競合がいるという事です。美味しく無かったり、ありきたりのネタだったりしたらあっという間に他のお店にお客さんを持って行かれちゃいますし、食中毒を出した日には店を閉じなきゃならないはめになります。

ところがここで生き残れるとステキな事が起こります。そもそも発信している情報(つまりあなたの池にいる魚の種類)はあなたの趣味、嗜好、価値観に沿っているわけですから、やっていて楽しいのです。仕事というと苦痛が伴うものですが、マイクロメディアを使った情報発信は、自分の好きな事をひたすらほじくってこれを発信していたら、知らぬ間に自分の周りに同じような趣味を持っている人たちが集まってしまったという事なんですから。いわゆる仕事の苦痛はここには存在しません。もうひとつのステキな事は、彼ら釣り人やギャラリー(寿司屋の例で言えば常連さん)が様々な形でマネタイズに貢献してくれるという事です。メディアでは書けないディープな情報を有料セミナーという形で購入してくれる人がいるかも知れませんし、アフィリエイトという形で応援してくれるかも知れません。人が多く集まり、その人たちの指向性が明確になればここには広告というビジネスが成立します。場合によっては本を出版するなんて事も可能でしょう。これを狙ってやっているのがプロのブロガーと言われる人たちで、中にはこれだけで生計を立てている人たちがいます。そこまで行かなくても、一定レベルの収入になればこれは事業ですから、確定申告をする事で経費参入、損益通算が出来る可能性があります。

ではここまでのハードルが高いのかというと、実はこれがそうでは無いのです。ハッキリ言えば、生き残るのはそれほど難しくありません。だって所詮はマイクロメディアなんですから。マイクロというのは、対象にしている人数が少ないという事です。あなたの作る池の性質にもよりますが、3000人程度のギャラリーが集まれば歯車が動き始めます。なんと言ってもディープでコアな情報を発信しているのですから、ここには冷やかしのギャラリーは集まらないのです。それなりに興味や関心を持っている人が集まって来るというところが、既存のマスメディアとは違うところなのです。マスメディアは特定の目的を持たずに、広く浅く情報を集める手段で、マイクロメディアは逆に徹底的に深掘りをした情報を集める手段なのです。ですからここに1000人とか2000人が集まればこれは大変な事なのです。そしてさらに、このギャラリーもあなた同様のオタクですから、彼らが感心するような情報をあなたが提供出来れば、これは口コミによって拡散し、放っておいてもギャラリーは増えていきます。

もし増えないとすれば、それはあなたが発信した情報が、ありきたりだったか、ギャラリーのこころを掴むレベルでは無かったか、あなた以外の誰かがすでに発信していたか、そのどれかなのです。つまりここでのキーポイントは、ユニークで、ギャラリーを喜ばせるコンテンツを最初に発信出来るかという事なのです。自分の人生でこの要素に合致するものが無いかをじっくりと考えてみると、たいていひとつやふたつは見つかるモノです。しかもこれ、自分の趣味、嗜好、価値観の範囲内にあるんですから。あなたが好きな物事、ハマっている事、人に負けないものを選び出してみたら良いと思うんです。これが見つかれば初期投資はほとんどゼロで、あなたの将来を変えるチャンスを手に入れる事が出来ます。

なんたってこのマイクロメディアという時代は始まったばかりで、これからさらに面白い変化が起こる世界なんですから。早くこの世界に飛び込んで、自分の池を作った方が良いのではないかというのが今の私の想いなのです。

 

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