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メールマガジン 第15号

  成長を目指す若手サラリーマンの家庭教師 -------------------------------
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  メールマガジン:「サラリーマンで年収1000万円を目指せ」
  第15号
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  こんにちは、佐藤正遠(さとうしょうおん)です。

  
  このメールマガジンは、高卒、派遣社員、IT歴ほとんど無しという負け組から、
  たったの6年で年収1000万を突破する勝ち組へとキャリアアップした、わたくし
  佐藤正遠(さとうしょうおん)が、その秘訣を余すところ無く伝える、「成長
  を目指す若手サラリーマン」のためのメールマガジンです。
  

  
  自宅のパソコンのハードディスクが一杯になりそうなので、ネットで購入しま
  した。500ギガで、12500円でした。本当にこんなに必要なのかわかりませんが、
  「大は小を兼ねる」で、まぁ良いのかなぁと思っています。
  

  それにしても今は、ほとんどのモノがネットで購入でき、昔のように秋葉原に
  通って物色する、という必要性が無くなってきました。便利にはなったんです
  が、私のような出不精は、ますます自宅にこもるようになりそうです^^;
  

  それでは、本日は42名の方に、力一杯お送りします。
  
  

  ☆ 私的空海論

  
  今日はいつもとちょっと違ったスタイルで話をしたいと思います。
  

  皆さんは、「空海」って人を知っていますか?
  この人は、日本史上最大の天才とも言われているんですが、歴史の教科書では、
  
  

  「最澄と共に仏教を日本に広めた人」
  

  として紹介されています。
  

  確かにこれはこれで事実なんですが、この人は、仏教の中でも、「密教」とい
  う宗派を日本に根付かせたんですよ。
  

  ところがこの人の人生というのが実に壮絶なんですね。
  
  

  ☆ 遣唐使の真実
  

  同じく、歴史の授業を思い出すと、「遣唐使」という制度があったのを憶えて
  いますか?
  

  これは、当時日本よりすぐれていた唐の国(今の中国ですね)に、日本から留
  学生を送り込んで、唐の文化を吸収させ、日本に活かすという制度だったわけ
  です。
  

  この制度を利用して空海は、今風に言うと中国に留学に行ったわけなんです。
  
  

  ところがこの制度というのは、今の留学よりも格段に厳しいものだったんです。
  なんと言っても、
  

    ■ 一回行ったら、日本には20年は帰って来られない
  

    ■ 中国での生活費は自分で賄う
  

    ■ 帰りの旅費も自分でどうにかする
  

  と言うもので、つまりは、「行きの旅費と、当面の授業料だけは国が払ってや
  る。でもあとの事は自分で頑張ってね」ということです。
  

  今このような留学生を募集しても誰も行かないでしょうねぇ・・・。
  

  実際にこの当時でも、ちゃんと日本に帰る事が出来た人は、100人にひとりもい
  なかったようです。
  
  

  ☆ 空海のすごさ
  

  100人にひとりくらいしか帰国出来なかった遣唐使の歴史に於いて、空海はなん
  とたったの2年で、日本に帰ってきてしまうんですね。なんで彼が帰れたかとい
  うと、「やることを全てやってしまったから」なんです。
  

  つまり、
  

    ■ 普通の人が20年かかることを、彼はたったの2年で終わらせてしまった。
  
  

  ということです。
  
  

  そもそも空海は、唐に行く際にも、船が途中で難破してしまい、当初の目的と
  全く違うところに着いちゃったんですよ。

  
  今も昔も中国というのは、町によって言語が違うんですね。戦後、中国に於い
  て、共通語(一般には北京語と言われていますが、正確には普通話(プートン
  ホア)と呼ばれる言語)の使用がマスコミ、学校を中心になかば強制されたの
  で、今はどこの土地に行っても同じ言語でコミュニケーションが可能ですが、
  当時はそうは行きません。
  

  町が異なれば、全く会話は通じません。空海の場合にも、同行していた通訳の
  人が全く話しが通じなくて、船の上で1ヶ月以上も缶詰にされたんです。
  

  そして、船に乗っていたみんなが途方に暮れた頃、
  

  「私が話をしてきましょう」と空海が言って、なんとそこで、誰も通じなかっ
  た現地語を流ちょうに使って入国を許されてしまうんです。
  

  つまり、
  

    ■ 通訳でさえ話せない言葉を、空海はどこかで勉強していた
  

  ということです。
  

  これを見ると空海は、
  

    ●● 留学前に相当勉強していたに違いない!
  

  ということがわかるんですね。
  

  さらに、留学先の青龍寺では、並み居る現地人の弟子達をさしおいて、空海だ
  けがお師匠さんである恵果から密教の伝法をさずかることが出来たんです。
  

  当時このお寺には2000人のお坊さん(お弟子さん)が、この恵果和尚から、密
  教の秘儀を教えてもらおうと修行していたんです。
  

  ところが、日本から来た名もない留学生である空海だけが、恵果和尚に選ばれ
  て秘儀を教えてもらったという事です。
  (ちなみに当時の密教は、マンガの北斗神拳と同じく、「一子相伝」で、秘儀
  を教えてもらえるのは一人だけなんですね)
  

  これって他の弟子から見たら、「お~い、ちょっと待てや。なんで日本から来
  たわけのわからないヤツに秘儀を教えてるんだよ。しかもこいつは日本に帰っ
  ちゃうし。」って事になりますよねぇ・・・。
  

  ってことは、
  

    ●● 空海は他の弟子よりももっともっと勉強していたに違いない!
  

  ってことになりませんか?
  

  そう言う事を、空海自身がまとめた本があるんです。「三教指教(さんごうし
  いき、と読みます)」と言うんですが、この中で空海が自分の事を説明してい
  る部分があるんです。
  
  

  じつは今日は、この彼の話を紹介したかったんですよ。
  

  彼は留学前に、当時日本で一つしかなかった大学に入って勉強をしていたんで
  すが、これはその当時の話です。
  
  
  

  『18歳で、都にのみ、しかもただ一つしかない大学に入学を許され、講義を聴
  きました。昔から、貧しくて灯油が買えないために蛍の光や窓の雪明かりで学
  んだという故事や、読書中の眠気を払うために首に縄をかけたり、股を錐で突
  っついたりしたという故事がありますが、それさえまだ不十分だと思うくらい
  の気持ちで熱心に勉強しました』
  

  おいおい、ちょっと待て。眠気を払うために、
  

    ■ 首に縄をかけたり
   

    ■ 股を錐で突っついたりした???
  

  しかも、「それさえまだ不十分だと思うくらいの気持ちで勉強をした」???
  
  

  そんな人間が本当にいるのか?
  

  「天才とは、努力を継続出来る人の事である」
  

  と言う格言がありますが、空海の生き様はまさにそう言ったものだったんでしょ
  うね。
  

  これを知った時、自分の努力の量の少なさに、
  
  

  『甘かった!!』
  
  

  と反省しましたので、あえて今日ご紹介している次第です。
  

  たまには、歴史に名を残す人と自分を比べてみる、というのも大事ですね。
  
    
  
  

  ご意見、ご感想は以下メールアドレスにて、大歓迎致します。

  
  
  佐藤正遠(さとうしょうおん)
  
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  ☆発行責任者:佐藤正遠(さとうしょうおん)
  ☆お問い合わせ:melma@bc.iij4u.or.jp
  ☆発行システム:『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/
  ☆配信中止はこちら :http://www.mag2.com/m/0000258149.html
  

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