HNさん(男性、サラリーマン)
お金は、いつの間にかなくなっている給料日が待ち遠しい状態が続いていました。
人間関係は、いつも同じメンツとつるんでいて新しい人と関わるのが億劫でした。
困っていたことはたくさんあった気がするのですが、何分セミナーを受講したのは10年前なので、あまり覚えていないというのが正直なところです。
また、セミナーで教わった「ネガティブなことは翌日に持ち越さないようにする技」が効
いているのだと思います。
会社のせい、友人のせい、世の中のせいと自分の(幸せではない)状況を自分事として受け
入れず、自分以外の他者、環境のせいにしていました。
「いつか誰かが自分を幸せな場所に運んでくれるのでは?」という妄想を抱いていました。
他の自己啓発セミナーなどと比べてしまうと、中身の濃さ、解りやすさが桁違いです。
基準がないと凄さが伝わらないと思いますので、いくつか他のセミナーを受けられてから、
しょ~おんさんのセミナーを受講されることをお勧めします。
私は、他のセミナーに行くことはほぼなくなりました(笑)
(わざわざ外れかもしれないセミナーに行きたくないので。ただ視野を広げるためには、
他の方のセミナー等も受けようかなと思ってます)
ビジネスの話はもちろん大変有益な情報満載ですが、怪しい系の話がセミナーの半分以上
を占めます。(セミナーの内容によりますが)
科学で解明出来ていない事象、現象に懐疑的な方には、信じられないような話が多分にあ
ると思われます。
ただ一言言いたいのは、科学で説明出来ないことの方が、世の中圧倒的に多いという事で
す。
ここまで体系的に解りやすく、破格の値段で行われるセミナーを見たことがありません。
あったら教えてください。
MNさん(男性、サラリーマン)
TNさん(男性、サラリーマン)
兎に角、面倒な仕事や業務が廻ってくる事が多かったです。当時は何故自分ばかりこの様に辛い思いをしなくてはならないのかと、会社を恨んだり業務遂行出来ない先輩(給料高い人)達を蔑んでいました。運が悪いと不貞腐れる事が多かったです。
結果、2~3年で一通り解決は出来たのですが、その頃から体調を崩すようになり無気力でいい加減になりました。
それまでは順調に昇進もしてましたが、同期や後輩達にもどんどん追い抜かれ、それも不運だからと腐っていました。次第に重要な業務からも外されて子会社に出向にだされそうにもなったり。。。結婚もしてましたが、子供も居なかったせいもあり嫁さんに見放されて、離婚もされました。
再婚も考えましたが新しい出会いも上手く行かず、非常に悔しくて寂しい思いもしました。
暫くは酒色に溺れていました・・・。
顕在的な事やテクニック(特にお金の事)も教えてくれるので大変勉強になりますが、このセミナーは自分自身の潜在的意識を高め目覚めさせてくれる様なセミナーです。怪しい宗教勧誘系とは全然違いますのでご安心を(笑)。確かに怪しい話や能力開花の力も教わりますが、個人的には全然怪しさはありません。著者の佐藤さん自身が非科学的内容と述べてる時もありますが、半分ご愛嬌ですね(笑)
非常に深い見識、勉強・修練された方が語れる内容であり、むしろ先進的なセミナーと思います。
(最近、医学でも漢方とか東洋医学が見直されてますよね。イメージ沸きますかね)。
YKさん(女性、サラリーマン)
「おカネ」で悩んでいました。
一緒に暮らしている父と大喧嘩をしてしまいました。そのうち仲直りできると初めは気楽に考えていましたが、口を聞いてもらえなくなってから半年以上経ってから、本気で悩み始めました。
●しょうおん先生のセミナーを受けてから、自分なりに「怪しい系の世界」の勉強をして分かりましたが、父と娘の関係の悪化は、ほぼ「娘の交際相手が原因」だそうです。
当時、私が交際していた相手が良くない相手だと、父が潜在意識を通じて敏感に察知したのだと、今では分かります。
●ブログは独りよがりな内容で、「読者様の役に立つ情報を」という視点が欠如していました。
(注:しょうおん先生のセミナーでは「自分のためにも人のためにも、なぜ情報発信が必要なのか?」を体系的に解説してもらえます。「社会に価値を提供する」という確固たるマインドセットなしに情報を発信しても、人生が変わることはないと、今では分かりま
す。)
●「人生は努力が全て」であり、「自分は何事においても努力が足りない=ゆえにトップを目指せない」という思考のフレームにハマり、その既成概念をぶち壊そうとしませんでした。自己評価が低く、自分の限界を自分で決めていたことが、ブレイクスルーできなかった原因だと思います。
FOさん(男性、サラリーマン)
自分より下の世界ばかり見て優越感に浸っていたから。
大きな世界があるって分かってるのに、それをシャットダウンして自分から進んで井蛙になり、自分が知りたい情報だけを見聞きし、それこそが本当に必要な情報だと思い込むようにしていたから。
そして、その限られた中で人を小馬鹿にしてたからだと思います。
・なんと言ってもリーズナブル。
値段が上がっていますが、あの内容であの値段はバーゲンセール。だから、逆に怪しまれるのかもしれません。
・姿勢、考え方、自分がやるしか無いんだぞって所から入ります。
たまにセミナーの大半が結果を得るための努力の仕方の話で実行すべく必死にノート取ってたら、最後の最後に物理的な努力を超える裏技が出てきてひっくり返っちゃう事があるくらいです。
本来、セミナー講師にしたら、その場だけで分かった気にさせて日頃は何もしない、セミナーがあるごとに何度も足を運ぶお客様を作った方が美味しいはずですが、そうせず自力の学び方からしっかり教えてくれます。
なので、他のセミナーだと見受けられる怪しいグッズの会場販売をすることなどありません。安心して下さい。
・コンテンツが豊富です。
・「意識高い系の人が言う人脈」とは全く違う本当の仲間に会えます。
NMさん(男性、サラリーマン)
自分なりに仕事で努力をし、成果を挙げた結果として、会社ではそれなりの良い評価だったように思います。
それでも、自分より能力が劣ると思われる人が年齢順で先に出世していくのを見て、憤りを感じたり、むなしさや諦めを感じたりしていました。
智の道の考え方が全然足りなかったのかもしれません。
当時は、自分が大切にする人間関係や仕事の範囲が今よりもかなり狭くて、他人の成功や幸せを想う気持ちが薄いことが表情として出ていたのかもしれません。
もっと視野を広く長い目で全体を俯瞰することと、仲間の成功を手助けしたりすることが必要だったと思います。
KYさん(男性、サラリーマン)
あまり困った事はありませんでしたが、如いて言えば「人間関係」でしょうか?
40歳前に転職した今の会社は実力第一主義が顕著な業種です。
入社後3年程頑張り実力もトップクラスになりましたが、自身の性格も捻くれました。
「仕事が出来れば良いでしょ!」と考えていて、冷酷で付き合い辛く評判も良くないので、廻りの人々との連携が無く、何をするにも「1人」の時が多かったです。
がむしゃらに仕事に邁進し、それなりの数字も残して来た自負があり、「やり方に誤りは無い」と確信していました。
とにかく「自分は実力がある」との自惚れがあり、上から目線の意識がありました。
「自分だけ良ければ良い」とも思っていたので、他人の気持ち等は全く考えませんでした。
「自身の考え方がおかしい」と思っていなかった事に非常に問題がありました。
SYさん(男性、サラリーマン)
・普通にマイナスも悩みもあったと思うのですが、しょうおんセミナーをきっかけにエネルギーを扱えるようになったお陰か過去のネガティブを思い出せません。
あ、1つだけありました。
・10年付き合っていた彼女を鬱病でなくし、もう彼女以上の人とは巡り会えないだろうと思っていた。
・そんな時に、テレビにも出ている有名占い師に鑑定してもらえる機会があり、「あなたは結婚できません。一生独りで生きてください」と言われショックを受けた。
・主観と客観、ロジカルとスピリチュアル、表と裏、陰陽のバランス良く、幸せになる方法を伝授してくれます。
・しょうおんセミナーの本質は、価値観(主観)と世界観(客観)の両軸を進化させ、自分が幸せになることで世界も豊かになっていく事を実現できる場であると思います。
・手っ取り早く魔法の杖を求める人ではなく、効果を求めず淡々と学びを実践し継続する人に向いています。
KYさん(男性、サラリーマン)
食事の時間帯が不規則で、眠気が突然襲うこともしばしばあり、会議途中でも眠ることもあった。
会社の資金繰り上、経理責任者として私的な不正を働いたのではないかと問い詰められ、調査された時は、お先真っ暗な状態。
相談することをしなかった。なぜか? トップからパワハラを受けると内にこもってしまう。
特に故先代社長の恩恵を感じて仕事をしており、当時のトップが私へ暴力行為を行った最初の時に、初めて人に恨みを持ち当時トップを真にリスペクトしていなかった。
原理原則を知りたければ、しょ~おんセミナーがもっともおすすめです。
YTさん(男性、サラリーマン)
全て自業自得です。無計画に人生を進め、他人の評価について文句ばかりを言っていたツケを払っていたのだと思います。
ビジネスにも私生活にも通じる怪しくないノウハウと、怪しい系の話を両方教えてくださるので、最初怪しい話は理解できなくてもそうでないノウハウですぐに結果が現れるので、その事実によって段々と価値観が変わるにしたがい、怪しい系の話も次々に腑に落ちるようになります。
そうなれば次々に自分を悩ませていた問題が解決したり、勝手にどこかへ行ってしまうので、加速度的に人生が良くなっていきます。
STさん(男性、経営者)
私が12歳の時に生母が病気で亡くなり、14の時に継母を迎えました。なじむこと出来ませんでした。
すでに40年以上経つのですが、ギクシャクした関係でした。
「母親はかくあるべし!」との、固い殻のような自分の思い込み。