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第83回目(2018年3月)の課題本

3月課題図書

 

バッタを倒しにアフリカへ


ポスドクという問題が提起されて久しいのですが、今の若手研究者がどんな苦労をして研

究をしているのかが良く分かります。それにしてもバッタを研究している学者や機関がこ

んなにあるとは知りませんでした。おまけに場所がアフリカなだけに、研究以外のところ

でたくさんのトラップに見舞われるわけですね。

これは仕事だから、おカネをもらえるからという理由では出来ませんね。ホントにその分

野の研究が好きで、それに使命感を持っていないと生半な覚悟では勤まりません。こうい

う学者にスポットが当たればと思って選びましたが、内容も非常に面白いですよ。

 【しょ~おんコメント】


3月優秀賞

 

今月もたくさんの人(といっても
39人ですから、5万人という読者数から考えたらものすごく少ないんですよね)に投稿頂
きました。今回は特に、新規の投稿者がたくさんいたのが良かったですね。逆に過去何度
も投稿していたのに、一向に優秀賞どころか、一次審査も通過しなくて諦めてしまった方
もいるようで、まさに人生の縮図を見ているようです。

何度投稿しても全く引っ掛からない人は、その投稿のどこかに問題があるということに気
付かなきゃダメですよ。だいたい2000文字程度と言っているのに、3行しか書かなければ
何度投稿してもダメですし、2000文字を大幅に超えていてもダメですし、要約文を繰り返
し投稿しても主旨が違うのでダメです。

課題図書を読んで、あなたが何を感じ、何をどう考えたのかを書くんですから。で、書か
れたモノがありきたりで、他の人も似たようなことを書いていたら、これまたあなたが選
ばれる理由はなくなるわけですよ。そういうのを戦略的に考えて書かなきゃダメですよ。

ちなみにこれって、アウトプットの良い訓練になりますからね。

では今回の一次通過者を発表すると、今回は、masa3843さん、kayopomさん、BruceLeeさ

ん、eiyouhokyuさんの4名で、この中からeiyouhokyuさんに差し上げる事にします。おめ

でとうございます。

 

【頂いたコメント】

投稿者 joyfull 日時 2018年3月29日


「バッタを倒しにアフリカへ」 を読んで

 この人変態だ!!文章の語り口から伝わる爽やかさと、書かれている出来事の深刻さ・非日常のギャップは、「グーグルを驚愕させた日本人の知らないニッポン企業」を思い出させた。もの凄い苦労や前途多難な状況が絶対あったはずなのに、その過程は1文で済ませて結果とヨタ話で終始していて、読んでいる時には悲壮感の欠片も伝えない。
 あらためて驚くのは、バッタ博士の人脈の成り立ちだろうか。『六本木のバーでたままた知り合った』(P298)が情報発信のプロフェッショナ集団のリーダーだったりするなんて、普通はありえない。何がこのバッタ博士に人運をもたらしているのだろうか?本書から読み取ってみる。
 まず感じるのは、バッタ博士のお気楽ぶり♪ バッタ研究に来たのにバッタがいないという状況でも、少年のように「研究者たるものこうあるべき」と勝って決めて、結果何とかなってしまう。博士の初動を見ていると、自分がいかに頭デッカチか、行動しない為に無駄に理由付けしていると痛切に感じる。苦労・失敗は尽きないが後悔はしていないどころか、その苦難こそ必要だったとまで言っている。なぜ、無給・無名の昆虫博士を皆応援したがるのだろうか?日頃から本気で「蝗害からアフリカを救いたい、自分にはそれが出来るかもしれないと」と言って、行動しているからではないだろうか?想いだけでは人は理解してくれず、口だけでは人は共感してくれない、身口意が整った人だから、他人は自分に出来ない夢に託して、援助したくなるのではないか。
 そして博士の著書の中での、感謝の言葉の多いこと。やはり感謝は人を幸せにするし、どんな状況でも目線を変えれば、感謝が出来ることを再認識させてくれた。こんな日本人がいると知っただけで私自身も嬉しくなる。
この本の最大のメッセージは『夢を叶える最大の秘訣は、夢を語ることだったのかなと、今気づく(p372)』にあるとおり、「はじめに言葉あり」。どんな想い・夢も言葉にしないと現実にならない。とういことを念を押された。

投稿者 akiko3 日時 2018年3月29日


「バッタを倒しにアフリカへ」を読んで
    
人生勝ち組の博士の本という先入観を最初からぶっ壊す自虐的な笑いも多い自己啓発本、はたまたバッタ問題をいかに世に知らしめるか、ついでに自分のポジション確保のマーケティング本、How to砂漠ライフ&フィールドワークと楽しい読書タイムだった。
そういえば、日本人でたったひとりチベット医になった人の本も、ウケ狙い的な表現があって人に読んでもらう工夫かなと思ったが、たった一人異国で暮らすのは、大人なのに幼児になったようなストレスがあるのだろう。その上、勉強なり仕事なりで結果を出さないといけないのに、日々の生活がひょえ~どうすりゃいいの?なんで??という失敗・困難の連続なので、客観視して受け入れないと精神病むんじゃないかと思った。会話もできない、娯楽もない中“笑”は自分で作るしかない、ネタはぼっちだから“自分”しかいない…そういう視点は自己防衛本能なのかも。
まぁ苦労や愚痴は語っても仕方がないっちゃない。語りたくてもぼっちだし…。身近な人達から給料倍取られる、騙されるなんてショックだけど、そこに怒りや愚痴を注ぎずっと囚われ続けてたら先に進めないし、ずっと自分が苦しいまま。これは日常にも取り入れたい心の動かし方、物の見方だ。愚痴や怒りを感じるなというのは難しいが、切り替える術はある。

無給の時こそ何か結果を出せるよう、手技で雄雌区別するとか真面目に論文になるのかと素人にはちょっと笑えたけど、優秀な研究者だから気づけた発見だ。何もできないと現状に甘んじず、そんな時こそできる努力を継続する、その姿勢がのちのブレークスルーになると気づかされ、日常の自分の言動、行動を振り返り身が引き締まった。こういうのが素人とプロの違いだな、ちゃんと専門知識のInputをしてプロとしての自分を確立していきたい。

自然に人生を委ねる職種の不安定さ!何事も行動してみないとわからないから、一歩踏みだして見えた現実に“無知ゆえに来た”とボー然とし、孤独な時間に後悔という誘惑に苛まれたこともあろう。そういう一旦停止時にちゃんと自分と対話し、本当にどうしたいか?原点に返る、不確定の未来を憂い悩むより、今何ができるかを問い続け、ハード面では弱者だからソフト面で“一発逆転狙う”強さを自分の中から引きだせた。ってか、それしか答えないじゃんっとそんなお試しを楽しむ陽転思考は、きっと子供の頃、虫を追いかけた自然から(厳しいけど優しさや恵み、無駄のない共存共栄的な仕組みがある)学でたのだろう。騙されたり、刺されたりしても必ず優しさも受け取っていたから、エコヒイキ組に入れて、絶妙な引き寄せに乗っかれたことにも唸った。

自分が選んできたようで、実は選ばれて歩かされていた?ように感じることって過去の課題本でもあったし、自分を振り返っても運ばれているなぁ~試されているな~と思うことはある。先が見えなかったり、絶対大丈夫という根拠は示せないが、今を幸せに感じることはできる。もっと幸せがあると基準値を変えないといけない部分もあるが、不幸にどっぷりつかるマインドはない(はず)。
著者がラマダンを体験し、厳しい自然環境に生きている人達の知恵、幸福センサーの感度を上げる為の訓練なのかもとはなかなか興味深い。平和で四季があって、便利な日本ってかなり幸せだと感謝するとともに、無宗教で自分を律する基準がしっかりないとゆるゆるになる危険を自覚しなくては!

たった一人で異国に飛び込んだのに、数年後にはネットワークができ、離れている日本にもファンやネットワークができた。一人で生きているのではない、Win-Winの智の道にそった生き方をしていきたいと再認識させてくれた。

しかし、バッタ好きが高じてアレルギーになって、アレルギーなのにバッタの群れに飛び込み恍惚に、大好きなのに倒そうとする…著者のこの矛盾につっこみつつ、懸命に生きる姿を応援したくなる神様以外にファンが多いのも納得だ。博士として楽しみながら研究を続け、新しく得た力を使う楽しさも合わせ発信し続けてほしい。
ありがとうございました。

投稿者 LifeCanBeRich 日時 2018年3月30日


 ~夢を叶える~

 まずは、ネットメディアについて。

 著者は、昆虫学者になるという夢を叶えて誰しもが憧れる

 “好きを仕事にする”

ということを体現している。

 著者は、ブログで日々の活動報告をすることで世間での認知度を上げることに成功した。この著者の姿を見て感じるのは、好きなコトに対する姿勢や本気度、それと見せ方次第では、世間から

 “一目置かれる人”

になり得、ご飯を食べていくことだって出来てしまうというネットメディア時代の本格的な到来である。
 もし仮に、ネットというメディアが無い時代に著者が夢を叶えることができたかを聞かれれば、頷くことは難しいだろう。

 ネット社会を覗き込めば、著者とは程度の差はあるけれど好きなことに打ち込み、世の中の興味を惹く自己のキャラクターを作り出し、ネット上でクオリティの高い情報を発信し、経験やスキルを売る人たちをたくさん見ることができる。たとえば、はあちゅうさんやイケハヤさんなどがまさにその代表例ではないだろうか。
 ネットメディアは正しく、上手に使うことで、夢を叶えたり、好きを仕事にしたりするための魔法の道具になると言えるだろう。
 

 さて、話題を本書の内容に持って行く。

 今月は、好きを仕事にしているバッタ博士から夢を叶えるための重要な考え方や、振る舞い方を色々と学ぶことができた。そのバッタと類似性という点で重なったのが、これまた好きを仕事にしている“この世で一番大事な『カネ』のはなし”のサイバラ女史である。そこで幾つかの類似点を上げてみる。

 ●絵描きの才能の有無など考慮に入れずに東京でイラストレーターになるという将来の姿を強く思い描いたサイバラ女史 V.S ファーブルに強烈に憧れて、勘違いとも取れるほど昆虫学者になって活躍する将来の姿を強く思い描いたバッタ博士。

 ●周囲の美大生が敬遠するアダルト誌だろうとなりふり構わず仕事したサイバラ女史 VS論文より広報活動に励むという掟破りになりふり構わず打って出たバッタ博士。

 ●絵が下手という致命傷を“ヘタウマのイラストレーター”というキャラクターに変えたサイバラ女史 V.S 研究をする上で致命的な無収入という不幸な自身の状況すらキャラクターに取り入れ人々を惹きつけるバッタ博士。

 一言で言えば、お二人とも常識破り、型破りな方なのである。一般的に言われる常識を破ることで、恵まれているとは全く言えない自身の状況を豹変させ夢を叶えてしまったのだ。ただ、上記のことを、私が夢を叶える手段としてそのまま真似るには具体的ケースであり過ぎてちょっと無理がある。

 では、夢を叶える手段としてバッタ博士とサイバラ女史から学べる本質的なコトはなんであろうか。


それが、今月の感想文のメインテーマである。

 “自分をよく知る”

このお二人は、兎にも角にも自身のことをよく知ろうとしていた。

 ●自分がどれほど絵描きになりたいか、どれほど昆虫学者になりたいか、自問自答を繰り返すことで自分の気持ちを確かめていた。

 ●自分の能力や状況を知ることで、自分はどこで、どのようにして戦うべきかを見出していた。

 ●自分の置かれる状況を知り、それを素直に受け入れることで自分のなるべきキャラクターを作りに励んでいた。

 自分をよく知ることで、本当に叶えたい夢を定め、弱き立場にいた自身に見合った戦い方を考え出し、実践していたのだ。

 私が、この自分をよく知ることの重要性に気づいたきっかけは、実は上でも挙げた著名インフルエンサーのはあちゅうさんの

 “夢を叶えた人たちは、自分をよく知っている”

というツィートを以前見かけたコトをこの感想文の構成を考えている時に、ふと思い出したからである。自身をよく知ることや状況を客観視することの重要性は、サイバラ女史は“この世で…”の中にも書いている。そして、バッタ博士に関して言えば、おそらくバッタの研究で鍛えたであろう持ち前の観察力を自身に向けることで、まずは正しく自己を認識し、そして次に自身という内部と他者や世間という外部を客観的に結びつけている。 

 「私はただバッタを見てニヤニヤしていただけなのだが、見る人によって魅力的な面を秘めており、見せ方を意識するだけで、その意義は飛躍的に高まる」(P.284)

 では、自分をよく知るためにどうするべきか?

 その答えをはあちゅうさん流に言うと

 “自分を取材すること”

である。自分を取材するとは、自身の内面に問いかけ、深く考え、分析するということだという。これを繰り返していると結果的に自身の客観視につながるのだという。

 そして、そういう観点を持って本書を読み返すと著者が自分を取材している場面が幾ヵ所もあることに気づく。ババ所長にアフリカで研究を続けたいという熱い思いを伝えた後に、自身の真意を確かめ、バッタ研究を続けるという覚悟を決める「試される無収入者」(P.267~P.271)が、その自分取材の最たる場面だろう。
 人は、本当に追い詰められた時に全身全霊をかけて自問自答するのだということがこの場面から見て取れる。


 そして覚悟について。

私が非常に不思議に思ったのが著者が覚悟を決めた後、運が向いてきたことである。著者が退路を断ち覚悟を決めた後、不思議とプレジデントの連載、白眉プロジェクト、バッタの大群の襲来、協力者との出会いなどのチャンスが舞い込んで来たというのは単なる偶然なのだろうか。まるで、神さまが著者の覚悟が決まるのを待っていたかのように感じるのは気のせいだろうか。

 “本気で覚悟を決める”

これも夢を叶える上での必要条件なのだろう。


最後に、夢を語ることについて。

「夢を叶える最大の秘訣は夢を語ること」(P.372)

と著者は言うが、まさにその通りなのだなと感想文を書き進めるに従いその思いは強くなった。夢を語るためには、まずは自分をよく知るコトが必要であるし、語ることで自分の中での覚悟も決まって行くのだろう。また、著者が言うように夢を語ることで周囲の人たちを引きつけることで、協力してもらえたり、相談にのってもらえたり、助けてもらえたりするかもしれないのだから。

 さぁ、そろそろ字数制限もあるので、たった今流れてきた来月の課題図書の著者の前田裕二さんのツィートで結びとしよう。

 “夢を持つのって、実は辛くて苦しいけど、人生を豊かにする魔法だなと”

来月もまた楽しくステキな時となりそうだなぁ。

~終わり~

投稿者 2345678 日時 2018年3月30日


「バッタを倒しにアフリカへ」

昆虫学の研究者がアフリカのフィールに飛び出して見つけた課題と

自分との課題に共通事項意があった。それは「教養」です。

自分が本当にやりたいことは何か? やらなくて後悔することは何か?

本当に?絶対に?と問い続けると、あるような、無いような。

好きなこと、得意なことを仕事にし続けるにはワクワク感が必要。

流される人生は終わりにすると決めたときに、地元でもうすぐ創業百年の

企業と出会い、ここで過ごした4年間で自分力不足をものすごく感じた。

実践するスキルであったり、必要最低限の経済力とか。いろいろその中で

現場にいる人たちが持っている経験や知識が宝箱だと気付く。

それを開けるための鍵を自分が持っていない。

著者はフランス語という言語で私の場合は業務上のスキル(宅建・介護)が最初にあり、

共通していたのは、
地元の歴史・文化・伝統など教養的な部分を一から鍛えていかなければ、仕事にならないこと。

それがないと現場の人たちと心通じ合い信頼を得ることすらできない。

信頼を勝ち得て、直面する問題の解決や新たな業務上の問題点を見出していくことができる。

このような思いを改めて感じさせてくれた著者に感謝です。

投稿者 masa3843 日時 2018年3月30日


 読み終わって一番強く感じたことは、苦難を前向きに楽しみながら乗り越えることの大切さ、です。
 本の中で、筆者は常にふざけたような語り口をしており、それによって大した苦難でもないように思えるのですが、冷静に考えるとかなり厳しい状況ばかりであることは間違いありません。
単身モーリタニアに乗り込むことはもちろん、行った先では言葉が通じない(これは自業自得な面もありますが…)、研究対象のバッタがいない、無収入になる、などなど。
 ただ、こんな苦難を筆者は持ち前の(昔の前野さんおことは存じ上げませんが、何となく生来の気質であるように思いました)明るさと前向きさ、そして物事を楽しむ姿勢で乗り越えていきます。
この前向きさで次々と苦難を乗り越え、最終的に白眉プロジェクトに合格してしまうストーリーは痛快で、シンプルに心に響きました。自分ももっと全力で結果を出すべく仕事をしてみたいと思えましたし、もっと仕事を楽しんでもよいのでは、と思いました。
 他にもいくつか、本文から気付いた点を記してみたいと思います。

① 『基礎的な生態を知らずに、いくらハイテクを使った研究をしても真実は見えてこないと考えています。(中略)誰か一人くらい人生を捧げて本気で研究しなければ、バッタ問題はいつまで経っても解決されないと思います。』(P82)
どんな仕事であれ、問題は現場で起こっています。現場に行くことの重要性は自明なことです。
ただ一方で、日々の仕事を効率的に進めるためには、現場に行くことが面倒であったり非効率的であったりして、なかなか実際に足を運ぶことができないのが現状です。特に筆者が研究するバッタ問題のように、海外等物理的に離れた場所で起きている問題の場合にはさらに高いハードルが立ちふさがります。
そのような中、生活面の不安を乗り越えてモーリタニアに乗り込む決断をすることは常人には難しいことですし、その思いを継続して持ち続けて研究に取り組むことは、並大抵の思いではできないことだと思います。脱帽です。
② 「博士になったからといって、自動的に給料はもらえない。新米博士たちを待ち受けるのは命懸けのイス取りゲームだった。」(P106)
「皮肉なことに、『もう研究ができなくなる』という研究者にとって死に値する瀬戸際に追い込まれ、ようやく自分自身と真剣に向き合えた」(P268)
「見えた!自分自身が有名になってしまえばいいのだ。」(P269)
 私自身、ポスドクが抱える社会環境の過酷さは人より分かっていると思います。私の実兄が博士課程まで修了し、その後研究員として研究は続けていたものの、大学などのポストに就くことができず、悶々としていたのを間近で見ていたからです。
 博士課程まで修了するとなると、年齢も一定程度以上になり、家族からのプレッシャーも大きくなります。特に、かなりの金額の学費を投資してきた両親としては、定職がないことがどうにも気になるのでしょう。
 そのような内外のプレッシャーが様々ある中で、筆者は自分と向き合い、かつ普通の研究員が思いもつかないような打開策に打って出ます。それが、自分を世の中に売り込むことでバッタ研究の知名度を上げ、そこから研究できる環境を創造する、というものです。
 これは、マーケティングなどのビジネスの世界では当たり前のことなのかもしれませんが、研究職や大学教授の世界で自分自身の知名度を上げて、そこから道を切り開こうとしたことは、画期的なことなのではないでしょうか。
 これはつまり、SNSが普及した現代の世の中では、自分を売り込み情報を発信しつながっていくことの重要性が、どんな業界にでも当てはまるということだと思います。
 もしかすると、公務員や団体職員、また一企業の管理部門スタッフなど、一見市場原理と関係ない世界にいても、マーケティング思考や情報発信力が重要であるし、活用方法があるということの証左だと感じました。

③ 「『いいかコータロー。つらいときは自分よりも恵まれている人を見るな。みじめな思いをするだけだ。つらいときこそ自分よりも恵まれていない人を見て、自分がいかに恵まれているかに感謝するんだ。』」(P264)
辛い時や苦難に遭遇した時に人間の本性は出てくるものだと思います。そんな時に大事なのは、気持ちの持ち方。ババ所長のアドバイスは、辛く苦しい時間を過ごしていた筆者に、前に進む勇気を与えてくれた素晴らしいものだと思います。
 ポイントは、直面した困難を困難として捉えない工夫をすることではないでしょうか。悪いことを考えれば考えるほど、その悪い妄想が現実になります。とすれば、どんなに苦しい状況でも、成功する前向きなイメージを持ち続けることで道が開けることになります。
 ババ所長のアドバイスが秀逸なのでは、そんな前向きなメンタルを持つために、「下を向いて歩こう!」というアドバイスをしているところです。感謝は運を良くするために必須となる考え方だと思いますが、そのために普通とは違う表現で助言をしており、強く心に残りました。

投稿者 ishiaki 日時 2018年3月30日


「バッタを倒しにアフリカへ」 を読んで

 この人変態だ!!文章の語り口から伝わる爽やかさと、書かれている出来事の深刻さ・非日常のギャップは、「グーグルを驚愕させた日本人の知らないニッポン企業」を思い出させた。もの凄い苦労や前途多難な状況が絶対あったはずなのに、その過程は1文で済ませて結果とヨタ話で終始していて、読んでいる時には悲壮感の欠片も伝えない。
 あらためて驚くのは、バッタ博士の人脈の成り立ちだろうか。『六本木のバーでたままた知り合った』(P298)が情報発信のプロフェッショナ集団のリーダーだったりするなんて、普通はありえない。何がこのバッタ博士に人運をもたらしているのだろうか?本書から読み取ってみる。
 まず感じるのは、バッタ博士のお気楽ぶり♪ バッタ研究に来たのにバッタがいないという状況でも、少年のように「研究者たるものこうあるべき」と勝って決めて、結果何とかなってしまう。博士の初動を見ていると、自分がいかに頭デッカチか、行動しない為に無駄に理由付けしていると痛切に感じる。苦労・失敗は尽きないが後悔はしていないどころか、その苦難こそ必要だったとまで言っている。なぜ、無給・無名の昆虫博士を皆応援したがるのだろうか?日頃から本気で「蝗害からアフリカを救いたい、自分にはそれが出来るかもしれないと」と言って、行動しているからではないだろうか?想いだけでは人は理解してくれず、口だけでは人は共感してくれない、身口意が整った人だから、他人は自分に出来ない夢に託して、援助したくなるのではないか。
 そして博士の著書の中での、感謝の言葉の多いこと。やはり感謝は人を幸せにするし、どんな状況でも目線を変えれば、感謝が出来ることを再認識させてくれた。こんな日本人がいると知っただけで私自身も嬉しくなる。
この本の最大のメッセージは『夢を叶える最大の秘訣は、夢を語ることだったのかなと、今気づく(p372)』にあるとおり、「はじめに言葉あり」。どんな想い・夢も言葉にしないと現実にならない。とういことを念を押された。




「バッタを倒しにアフリカへ」 を読んで

私はバッタが大嫌いだ
バッタというより昆虫全体が大嫌いなので要所に出てくる虫の写真が気持ち悪くてしょうがなかった

私の弟はカマキリが大好きだ

ウルドさんはバッタに食べられたいと思ってアフリカに行ったが
小さい時の弟はカマキリになりたいと本気で思っていた

この人はよくバッタに食べられたいなんて気持ちで仕事が出来るなと感じたが
こんなに大好きバッタを退治しなければならなかったり
解剖したバッタをハリネズミにあげたりしているとこの人の気持は臨機応変なのだなと感じた

また、仕事(バッタ研究)に対する熱量が一般人は元より
他の昆虫学者よりもかなり強烈なんじゃないかと感じたが
本の表紙の格好を見ているとふざけてやってる感じがかなりあるが
ああいう行動も本気でやっていると感じた

あのくらいの熱い想いをもって仕事をこなしていきたい

投稿者 audreym0304 日時 2018年3月30日


感想-バッタを倒しにアフリカへ

 著者の現地の住まいに食べ物、躊躇なく馴染んでいく姿、現地への順応の早さに驚いた。日本人や他の外国人と接点のある人たちにとったら「変な日本人」と思われていたかもしれないけど、モーリタニアに馴染んでいく姿を見ても、著者は神の試練に耐えアフリカの現地でバッタと戦える唯一の人間だったのだと思う。

 著者の前野氏は非常に運がいい人だ。幼き日の夢をもち続けられたことや、かなえるチャンスを手に入れたことや助成金がもらえるプロジェクトの高倍率を勝ち抜いたことは確かに運がいい。自らの興味の対象と発生地域と著者の研究内容を必要とする地域が言葉も生活もなにもかもが違うアフリカであっても地球上に存在していたこともだ。
まさに前野氏がやってくる時をモーリタニアの地が待っていたようだ。確かにアフリカに渡った後は目的のバッタに遭えなかったり、装置が壊れたりという不遇な体験もするし、本人も「修羅の道」を歩むことにはなるけれど。
前野氏の運がいいというなによりの理由は、在留日本人が13人と言う知り合いもいない外国に渡ったにもかかわらず、同じようにバッタとの戦いに命を賭け、大発生に向けた準備を怠らないだけでなく、常に前野氏のよき理解者となり、落ち込む前野氏を「コータローならできると信じている」と明るく励ましてくれるババ所長と運転手兼料理人兼実験の助手兼現地のよきアドバイザーのティジャニ、信頼できるモーリタニア人に出会えたことだ。二人をはじめ研究所の仲間は前野氏にとって同志といってもいい。
国際協力の現場では、支援する側が、支援をうける側の状況や需要を何も考えず、支援を押し付けるだけ、傲慢で現地の人々を見下すということも大いにあるそうだ。
ババ所長もティジャニも初めから前野氏に気を許していただろうか。
ティジャニは給料を二重取りしようとして、成功していたし、ババ所長だって、過去に利用され、研究成果をごっそりと盗まれてしまったこともあるし、前野氏が信頼に足るとわかるまではしょせん現場の状況を理解しない外国人博士と思っていたかもしれない。
前野氏は現地の人やスタッフと現地の食事をともにしたり、現地のルールに馴染んで贈り物をしたり、偉ぶった態度も見せないし、成果を独り占めにせず論文を研究所との連名で出したりと現地の人々にとったら非常に好感の持てる研究者だ。それは、バッタ発生後に「コータローゾーン」と呼ばれるバッタの研究エリアを作ってもらえたことからもよくわかる。
前野氏の行動は当然とも思うかもしれないが、前野氏も経験されているように日本のルールが通じない、ましてや時間や物事の感覚が大幅にずれる現地の人々と行動したり、自分の意図を理解してもらったり、相手のことを理解したりすることはまだしも、現地で対等で良好な人間関係を築き上げたり、よき理解者、協力者を手に入れることは意外に難しい。前野氏は自分のルールを押し付けるのではなく現地のルールやアフリカの自然の掟を尊重し、相当な苦労しながらも馴染んでいったこと、前野氏は研究所では日本人はたった一人だったかもしれないが、研究所の仲間として認められたということだろう。その大変さは想像がつくし、京都大学での面接で思わず涙ぐむところでは私も涙ぐんでしまった。
前野氏が道半ばで倒れず、バッタの研究や関連する研究に打ち込み成しえたのは、バッタが相変異するように前野氏自身もアフリカに合うように、バッタの研究者たるように相変異していったからだろう。
聖書でもコーランでも出てくる蝗害、これはモーセの十戒に出てくる虫の大群がエジプトを襲ったという話だと思う。現地でのバッタとの戦いは人間がその土地に定住し始めたころから始まり、数千年数万年もの間続いているのだろう。ようやく人間が殺虫剤を手に入れ駆除を始めているが、殺虫剤に耐性を持つバッタが今後出てくる可能性もあるし、殺虫剤が人体や環境に及ぼす影響を考えるとバッタとの戦いは簡単には終わらないだろう。生き物はお互いに影響を与えるのだろうから、前野氏がバッタが発生しない時期に行ったゴミダマの研究も今後バッタとの戦いになにかの糸口をもたらしてくれるかもしれない。
神様は人間にその人が乗り越えることのできない試練は課さないという。ないないづくしの試練も全ての修羅の道は前野氏が乗り越えられるという前提で神様から課されたものという気がしてならない。神様から課された試練を乗り越え、バッタと戦うにふさわしいと認められたからこそ、サバクトビバッタの生態や行動なども含めて研究が前進し、ただ殺虫剤で駆除するだけでないバッタと人間の戦いに今までと違った局面に入ったといえるだろう。
日本人に出会ったときにきっとこう言うモーリタニア人がいるだろう。
「前野ウルド浩太郎を知っているか?彼はモーリタニアが誰よりも尊敬し誇りに思う日本人だ」と。
前野氏は自身が取ったバッタのデータに5億円もの学術的価値があるといっているが、自ら足を踏み入れた修羅の道を越えた前野氏自身が日本とモーリタニアの関係や世界のバッタとの戦いにもたらした功績はそれをはるかに上回はずだ。

投稿者 roman10yanadi 日時 2018年3月30日


バッタ博士から考える人生の過不足

速読でサラッと読んでみたところ、著者には「お笑いのセンス」が多少あるようで、しかも笑いの神様のご加護を適度に受けていると感じました。新聞のラテ欄には小保方さんの記事と一緒の枠に収まってます。十中八九、小保方さんの方が気になりますが、このような形で紹介されるとは「おいしい」に尽きます。
また、文章のところどころに笑いをとりにきてると見受けられました。面白いか否かはともかく、ガリ勉とは違った印象をもったため、今回の課題本は教訓や気づきを得るのとは違うのかなと思った次第です。しかし2度3度と読み返すうちに、その思いは徐々に変わっていきました。
・旅立ちの決意に至る経緯は、「人生の勝負に」と強いメッセージを感じました。平穏な日常を送ってる身としてはちょっと憧れます。もし20年くらい若かったらと思うことはよくありますが、思うだけでなく、実際に行動する人が偉い人なんでしょう。
ついでに言うと、前野氏の世代は就活氷河期だったので、「(大学)院に逃げる」という選択肢はありふれたものです。この著作からそのようなマイナスイメージはありませんでしたが、年の近い者から見ればそんな穿った見方もあります。
・現地の子供におこずかいでバッタを集める話では、富が争いを生む、貧しさが原因であると著者は気づきます。この著作ではスルーしても良さそうですが、やはり触れないわけにはいかないテーマです。
・ファーブル博士の故郷を訪ねる件はとても重要な行事でした。奮い立たせるに有効な一手です。そういう私には誰が存在するでしょうか?今の仕事はただこなすだけの状態、憧れであり目標になる人物がいないから、つまらない仕事と見られてしまう、仕事を盛り上げないといけないと気づきました。
こんな時はライブ等に行って盛り上がってくるだけでも翌日からの仕事は良いテンションのはず、でも現実は休みなく、燃費効率の悪い働き方をしてます。
・無収入が見えてきた状況で悩んでいる著者を現地の所長が諭す場面があります。「下を向いて歩こう」とはコペルニクス的転換と感じました。上を向いたら幸せな人を見続けてかえって惨めになる。下を向くと自分より辛い立場の人たちが映り、自分の幸せな境遇を再認識して贅沢な思いを反省する。そういえば私も常に上ばかり気にしてたかもしれません。
・有名人になるところは、先日学んだ「10年後に後悔しない生き方セミナー」に通じるものがあります。バッタ博士と有名人の2つの顔をもつことの戦略を認識しました。有機的に絡み合って雪崩を起こす、課題本にタイムリーな話が見つかって参考になりました。
・神の罰についての話は、この本であまり触れられないバッタの研究があります。大雨と大干ばつの関連性からバッタだけが大量発生する推察は、この著者の才能を見た瞬間です。そのあとにサソリに刺されるとは、しっかりオチをもってきた印象です。
・最後の章では夢について語ります。やはり憧れの人の存在が大切です。また夢を探すことが重要で、夢中になると人生が充実します。更には周りからの思いもよらない助けを受けるラッキーがあるのです。

以上です。面白い本をありがとうございます。

投稿者 satoyuji 日時 2018年3月31日


『バッタを倒しにアフリカへ』感想

最近ケッタイなタイトルの本が流行っているな。会社近くの三省堂書店で見かけたグリーンの男が網を構えている表紙。それが本書を知ったきっかけだった。その後、家の近くの本屋でも平積みで発見。それなのに買おうとするどころかめくって見ようともしなかった。売れている以上は手にとってみる好奇心が大切だと思っていたのにである。今回課題図書に指定されて読む機会を得た。

非常にリズムよく読めた。読みやすさだけでなく経験、血の通った言葉で書かれている。読了した時に昔読んだ本の一節を思い出した。

知性とはあらゆることを笑いに変えることである。

この本と知性にどんな関係があるのか。全く関係のない組み合わせに思えるかもしれない。しかしこの本には事実を笑いに変える解釈が溢れている、と私は思う。なぜなら事実を面白おかしく解釈するには知性が必要だからである。本書を通して事実を笑いに変える知性を考えてみる。

−事実の記述してみる− 
事実を書き出してみる。本書は博士号までとった著者が日本で就職できなかった著者が活路を見出すためにアフリカまでバッタ研究に来た話。著者は滞在地モーリタニアの公用語が話せない。バッタの研究をするつもりが見つからず、一時他の研究をしなければならなくなった。ドライバーに騙されて高い給料を要求される。サソリに刺される。食習慣が異なり、お酒を自由に飲めない。お金をもっとも投じた実験道具が使うまでもなく使用不能に。

思い浮かぶままに書き出してみた。著者は散々な目に遭っている。日本と気候も言語も習慣も違う国で生活することは容易ではない。自然の脅威と外国人故の不条理にも遇っている。それなのに本書からは・モーリタニアでの生活を楽しんでいるのがわかる。食事が美味しいと感動し、アフリカの夕日に心打たれている。思い込みではなく、目の前にあることをそのまま体感しているから感動できるのだ。このあるがままに受け入れる態度は、本書で終始一貫されている。あるがままに物事を観られるから、目の前のことに対して自然と疑問が湧く。疑問が湧くから考える。考えるから仮説を立てて行動を起こせる。そして行動した分だけ自分の知らない世界を見ることができる。知らない世界は新しい経験と生きた知識を与えてくれる。

生きた知識が増えると、人と共感できることが増える。
生きた知識が増えると、災害などのどうにもならないことを受け入れることができる。その結果として変えられることと変えられないことの分別がつくようになる。分別がつくと自分ができることがわかってくる。それが現状を変えるための行動を起こし続ける力になる。

バッタが見つからないなら、手元にあるゴミダマを研究してみる。研究器具がないなら容器を代用して作ってみる。語学に堪能でないならジェスチャー、片言のフランス語と英語を総動員して意思疎通ができるように考えてみる。

著者は今持っているものに着目して様々な問題を解決している。

行動し続けることで自分の先入観と距離を置けるようになる。あるがままに事実を視つめ行動することは、自分と異なる価値観や自分が理解できないことへの寛容さを生む。事実を多様に解釈する想像力を育んでくれる。この多様な解釈を生む想像力こそ、知性である。

著者が知性をどう活用かしているのか。自分の常識が通用しない場合でも思考停止に陥らないで想像力を働かしている。そして「~があればできるのに」と考えるのではなく、「~するにはどうしたらいいのか」を逆算して一歩の行動を起こしている。目標を定めて考えるから、やることが毎回変わってもぶれることがない。目的があるから新しいことに抵抗なく挑戦できる。


数年先をわかる必要はないが、明日明後日を作ってく想像力。

この本を読んでいて、そうした想像力が自分で未来を作る力になるのだと思った。

笑いのための知性とは、物事を自分の常識だけで観ることを少しやめてみる。
自分が望んだ未来を想像し、そのために今できることを考えて小さな一歩を出し続ける。そうした態度のことである。

私が本書から学んだのは、喜劇化して事実を解釈し、最終的にはどうにかしてしまう行動力だ。


今回も面白い本をありがとうございました。楽しい間接体験と思考の時間を過ごせました。

投稿者 BruceLee 日時 2018年3月31日


夢に挑むのは素晴らしい。でも、その裏には多くの苦労がある事を本書は教えてくれる。そして私は本書はこれから夢に挑む人々に以下の問い掛けをしてくれているようにも感じた。

【問い1】
昆虫好きの男の子が「将来昆虫学者になりたい!」と夢を持つのは実に微笑ましい。特に男の子は昆虫が大好きだからねえ。。。って、チョット待て。冷静に考えると、この著者は外国で女性観光客が緑色の服を食われたことを「羨ましい」と言う。あの~、この時点でこの人、フツーの人と違くない?

昆虫学者になりたい=虫に食べられたい

って、全然イコールじゃないから!だって昆虫学者になりたい人が皆「食べられたい」と望む訳じゃないでしょう?つまり著者は独特の価値観(というか性癖?)を持っているのだ。でも、その価値観(性癖)があるからこそ、カネとか出世とか名誉等の理屈ではなく、「上手く説明出来ないけど、虫が兎に角大好き!」レベルのフェチであり、だからこそ著者は夢を追い続けられたのではなかろうか?

【あなたは自分の夢に「○○フェチです!」と公言出来るくらい、理屈抜きの想いを持っていますか?】


【問い2】
私もそうだが本書を読んだ人の多くは著者に好印象を持ち、応援したくなったのではないか?実際、著者の周囲にも応援してくれる人が多いがそれは何故だろう?夢に挑む人には必ず周囲が応援してくれる訳でもなかろう。私が強く感じたのは著者が、

笑いのセンス

を持っている点だ。バッタ研究というニッチな領域に挑む著者は、生き物=自然が相手であるため、時に先の見えない苦境に襲われる。でも、著者はどんな事にも笑いを見つけ、苦境を笑いに変える。そしてそれが周囲や読者にも伝わり、一方、周囲や読者は著者の苦境の中での頑張りが分かるから、著者を「健気で可愛いヤツ」と感じ応援したくなるのではなかろうか。著者は言う。

「喜んでもらえるのなら不幸に陥るのも悪くない」
「無収入は今や自分の武器になっていた」

こんな著者だからモーリタニアでも日本でも、周囲の人が声掛けしてくれるのではなかろうか。夢実現には自身の力に加え、周囲の支えも必要である事を考えれば、苦境を笑いに変えられるのは重要なスキルだ。著者の魅力はこのスキルに基づく人間性にあると思うのだ。

【あなたは夢のために、どんな苦境も笑いに変えられますか?】

【問い3】
著者はバッタというニッチな領域を研究するが、その一方、モーリタニアで生活するなら話せた方が良いであろうフランス語を学ぼうとしない。自分もモロッコを旅した事があるから分かるが、旧フランス植民地の両国ではアラビア語とフランス語以外はマジで全く通じない。そんな生活は不安だし不便だろう。であれば、学びやすい環境にいるのだから、少しはやっておけば良いと思うのだが、著者は全く学ぼうとしない。そして経済的余裕は無いのに通訳に金を払い、行動を共にするティジャニとは独自の手段を用いて意思疎通してしまう。だが、これは見方を変えると著者の中で「やるべき事とやらなくてよい事が明確になっている」という事ではないか?全てをバッタ研究に注ぎたい、それ以外(フランス語)には時間も脳みそも使いたくない、という著者の思いではないか?だとしたら、この割り切りは非常に大切だ。何故なら限られた自分のリソースを何処にどう配分すべきかを理解しているという事だから。

【あなたは、やるべき事とやらなくてよい事が明確ですか?やるべき事のみに全力を注げますか?】

私が本書で最も感動したのは、著者が京都大学の白眉プロジェクトからメールを受け取った場面だ。先の見えなかった活動に成果が出て、著者そして我々読者も喜び、安堵する場面。この後、著者は振り返る。

「バッタを研究したいという想いは苦境の中でもぶれることはなかった」

夢に挑む過程で重要なのは途中で「ぶれない」事なのだ。夢が叶うか否かは実力だけでなく運も左右する。そしてどんなに力強い覚悟を持って夢に挑む決意をしても、その時点では苦境未体験者であり、どんな苦境と遭遇するかは挑戦を始めてみないと分からない。つまり夢に挑むとは、未体験の苦境と遭遇した際に、自分の本気度を随時試されるプロセスなのだ。だから勿論、夢が叶えば素晴らしいが、仮に叶わなくとも人間的には大きく成長すると想う。何故なら夢に挑まなければ味わえなかった体験が出来、それ自体が大きな糧となるからだ。実際、著者も多くの体験をし、多くの人と出会った。これも夢自体とは別の貴重な財産だろう。そして、そういう体験をした人はきっとまた新たにやりたい事が湧き出てくる。そしてそれはどんな領域でもいい。どんなニッチな領域の夢もアリだよ、と著者が証明してくれているのだから。

結果、一番勿体無いのは夢に挑まない人生だよ、というのが著者のもう一つのメッセージのような気がするのだ。

投稿者 tsubaki.yuki1229 日時 2018年3月31日


「バッタを倒しにアフリカへ」を読んで考えた3つのこと

(1)世界が自分に求めていること

 本書全体から感じたのは、著者・前野氏の人生や思考回路の「バランスの良さ」である。
 「好きなことを仕事にすべきか?」と、よく議論される。この議論の際、

●好きなことができて幸せだが、お給料が安い
●大して好きな仕事ではないが、給料は良い

と、なぜか、ものすごく両極端な二択で議論されることが少なくない。
 だが前野氏は、「好きな仕事をやりつつ、安定した収入を得る」ことを、苦労しながら最終的に実現している。これはなぜかというと、

1)世界が自分に何を求めているか
2)そのために自分が得意分野を活かして貢献できることは何か

の二点を、常に熟考分析しているからだと思う。
 「バッタが好き」-それだけでは、ただのバッタオタクになり、世の中の役に立てない。
だが「バッタの大量発生により、アフリカの農園で作物が被害にあっており、バッタの駆除をしてほしい。そのために、バッタの生態を熟知したスペシャリストが必要だ」というニーズが存在する。このために全力を尽くすことは社会貢献になる。社会のニーズと自分の得意分野を結びつける道を模索し、彼は見事にそれを見つけたのだ。
 だからこそ、東日本大震災の直後に「自分の研究費を震災の支援に回した方が、有効活用されるのでは・・・」と葛藤しても、彼は予定通りモーリタニアに飛び立った。また、研究費が尽き果てて「年収ゼロ」状態になっても、バッタ研究者としてモーリタニアに踏みとどまることを決意した。
これは前野氏が「今自分がやっていることは他の誰にも実現できず、世界中で唯一人、自分だけが打ち込めること」だと、断固たる決意で臨んでいたからである。この決意に学ばされることが多かった。

 また、昆虫を研究する学者だけあり、彼は「生態系/世界の中で生かされている自分」という、自分の立ち位置を冷静に把握していると唸ってしまった。
前野氏にとって大好きなバッタ。しかし農場の人々の生活に被害を及ぼすなら、バッタ達を駆除せざるを得ない。といっても、もしバッタを全滅させたら生態系のバランスが崩れてしまう。それは巡りに巡って人類にも被害をもたらすだろう。だからこそ、人類とバッタのバランスのとれた共存が必要だ。
 ハリネズミを飼ってあげるエピソードからも分かるが、前野氏の生き物に対する慈しみ・尊敬の気持ちが伝わってくる。彼が人類とバッタの共存できる自然環境を目指しているように、自分も周囲の人との関係を見直したいと思うし、広く考えると宗教紛争をしている人々も互の共存の道を探してほしいと願うようになった。

(2)コミュニケーションのスキル

 本書は異文化交流記としても学びになる。
フランス語が全くできないのに、運転手ティジャニ氏と意思疎通のために独自のフランス語会話を発明。
現地の民族衣装を身に付け、必要とあれば賄賂の山羊を送って人脈を築く。現地の子供達にバッタ捕獲を要請した時は、一度目は指示が徹底していなくて苦労するも、二度目は失敗から学んでいた。現地の人々の輪にどんどん入っていく彼の勇気が眩しい。 

 所長から「ウルド」の名前をもらったこと。また、クリスマスの日に所長がチキンの差し入れを持ってきてくれたこと。イスラム教徒の人が、日本人の習慣を調べ、自分の宗教と関係のない宗教のお祭りのために、ごちそうを用意してくれる。サラっと述べられていたが、これは大変なことだと感じる。それほど前野氏がモーリタニアの人々に好かれ、信頼されていたのは、彼の誠実で人懐こい人柄のためだろう。
 周りから親切にされるのを待つのではなく、自分から相手を好きになろうとする努力する所が、前野氏の人脈作りの秘訣とも思った。

(3)自分をいかにして見せるか

 (1)と重なるが、前野氏の文の書き方やブログ、試験での面接の演出の仕方を見ていても、相手の気持ちを相手の立場になって、よく考えている。
読者や試験官の立場になり、「どうすればバッタに興味を持ってもらえるか?/どうすれば相手に強烈な印象を残せるか?相手を退屈させず、楽しませられるか?」を客観的に分析し、自分を演出。この視点は大いに参考になった。

 今回も良い図書を課題にしていただき、ありがとうございました。

投稿者 H.J 日時 2018年3月31日


バッタを倒しにアフリカへ

本書で前野さんという昆虫学者がいる事を初めて知った私が前野さんに持った印象は2つだ。

1つは純粋。
どんな時も前向きで、周りへの配慮や感謝を忘れない人であり、そして何よりも昆虫が好きなことが伝わってきた。
読んでいて、とても気持ちの良い本だった。

2つ目は、まるで ”水” の様な人だ。
水は、黒田官兵衛の説く水五訓の中にもある様に、
自ら活動することで他を動かし、
どんな環境でも常に己の進路を止まらずに進む。
時に障害があったとしても、勢力を100倍にする。
そして、水は自然の理に沿って変化する。

これを前野さんに置き換えると、
夢のために自らアフリカへと渡り、持ち前のコミュニケーション能力とお金で現地の人を動かし、
戸惑うようなアフリカ文化や環境をも楽しみながら、前へと進み、
過酷な状況下でも夢を諦めず、工夫で乗り越えた。
また、見ず知らずの地での環境への浸透力や ”変化への対応力” も前野さんを語る上で外せないだろう。

自然の理に沿って変化することは、フィールドワークで大切なことだ。
ババ所長の言う様に『自然は単なる数字じゃ説明できない(P188)』
だからこそ、自然を知って、変化に対応する。
これは、フィールドワークだけではなく、人生に於いて大切な事だ。

では、前野さんの変化への対応力の原点にあるものは何だろうか?
それは、 ”楽観的な性格” ではないか。

楽観的に物事を捉えられるからこそ、変化も受け入れられる。
これが悲観的な性格だったら、変化を受け入れられないし、
そもそもアフリカに行ってもいなかっただろう。
『進むべき道(P116)』で安定をとっていただろう。
楽観的な性格だからこそ、文化の違う国で起こる未知の事を楽しめている様に思えた。

さらに、前野さんはこの楽観的な性格を応用している。

それは
 ”視点変化”
だ。

当たり前の生活に不満を感じたら、なんちゃってラマダンをしてみたり、
無収入の時もババ所長のアドバイスを基に乗り越えた。
ババ所長の助言が大きいかもしれないが、
楽観的な性格が故に、ババ所長のアドバイスを素直に受け入れる事で結果に繋げた様に思える。

”視点変化”
普段何気ない事でも視点を変えてみる事で数倍楽しくなる。
ツラい事でも視点を変えてみれば、勝手にツラいと思い込んでるだけだったりする。

逆に言えば、悲観的思考の人にとっては、この ”視点変化” こそ、楽観的思考の入り口とも言える。

悲観的になっても自分の傷口を舐める事しかできないが、
楽観的思考になってしまえば、人の数倍人生を楽しめる。

だからと言って、何でもない事でも楽しそうにしてれば、人からはバカだと思われるかもしれない。
それでも、人生を楽しめるなら喜んでバカになろう。
そう考えれば、むしろ褒め言葉ではないか。

バカって言葉も、当たり前に悪口として受け入れていたが、
視点を変えれば褒め言葉になる。
実際に釣りバカとか野球バカとか、一つのことを極めて
他のことが疎かになってる(と思われてるだけ)人への愛称としても用いられている。
そういう人たちがプロとして一線で大活躍をしていたり、大きな功績を残している。

そういう意味ではバッタを倒しにアフリカに行く前野さんはバカだな。

バッタバカ。

他方で、この言葉は ”好きなことへの情熱” とも変換できる。

「バッタの研究のためにわざわざアフリカへと行く。」
これだけ聞けば、バカだと思われるだろう。
なぜ、先進国からわざわざアフリカへ… と。
しかし、裏を返せば、それだけ ”好きなことへの情熱” があるという事だ。

この点は、ナイキの創立者であるフィル・ナイト氏とも共通する部分だ。
スポーツ(走る事)が好きなナイト氏は、自ら「バカげたアイデア」という”日本メーカーの靴をアメリカで売る。”という夢のため、
家族の反対を押し切り、リスクを背負って戦後間もない日本へと単身で渡っている。
その後、前野さん以上に色々あったが、結果はご存知の通り世界No.1のスポーツブランドへと成長している。

そして、ナイト氏は著書でこう記している。
「自分を信じろ。そして信念を貫けと。他人が決める信念ではない。自分で決める信念だ。心の中でこうと決めたことに対して信念を貫くのだ。」
と。

この信念を貫ける人こそが偉大な事を成し遂げるのだろう。
前野さんに置き換えると、
心の中でこうと決めた事が夢であり、
夢を叶えるために ”信念” を貫き続けている。

最初は「あっ、これ ”好き” かも」と気付いた小さな事が、 ”情熱” を生み、いつの間にか大きな ”夢” になり、 ”信念” を生み出す。
”信念” を貫き徹せば、時に逆境に陥り、自分の思い通りにならない事もあるだろう。
それでも、”楽観的思考” と “視点変化” があれば、なんとかなる。

読んだ人も前向きに出来る本を書けるって、本当に前野さんの人柄なんだろうなと思った。

投稿者 ktera1123 日時 2018年3月31日


「バッタを倒しにアフリカへ」

1.三つ子の魂、百まで

冒頭に「小学生の時呼んだ科学雑誌の記事」と「ファーブル昆虫記」に感銘を受けて心に誓ったとある。学習まんがで「ファーブル」の伝記は読んだのだけど、そこまでの感銘を受けていないが、それは人それぞれの育った環境や感受性の違いであって、別の分野で感銘を受け、どちらかというと幼少期になりたいと思った仕事のうちの1つについて、ある程度は生計がなりたっていることは、ある意味幸せなのかもしれない。

2.アフリカ(モーリタニア)へ

「事件は会議室で起きているんじゃない、現場で起きているんだ。」との名言もありますが、ババ所長さんも「現場と実験室との間に大きな溝があり求められていることと実際にやられていることに大きな食い違いがある。」とおっしゃられています。昨年のゴールデンウィークに名古屋の「トヨタ産業技術記念館」に行った際に「三現主義」という問題解決するときの1つの姿勢の展示がありました。三現主義とは「『現地』に出向いて『現物』に直接触れ『現実』をとらえることを重視する。」とあり、「百聞は一見に如かず」ともあるとおり、実際に現地に行って、現地を五感で感じて、状況を把握することが大切なのに、現場に行かないのはなぜなのでしょうか。
そういえば、仕事で最近現地調査に出かけていないな。これもある意味ネット社会の弊害かな。

3.覚悟

とあるセミナーで覚悟の話がありました。「最悪の状態を想定できれば問題ない」との要旨でしたが、「路頭に迷う」か「やりたいことをやって死ぬんなら本望だべ」および「未練は私の人生を暗くし、後悔は私の一生を曇らせるだろう」とありましたが、所属している研究所のババ所長は「辛いときこそ自分より恵まれていない人を見て、自分が如何にめぐまれているか感謝するんだ。嫉妬は人を狂わす。私はお前が成功すると確信している。ただちょっと時間がかかっているだけだ。」とありましたが、実際に同じような境遇にあってみると、時間は刻々と過ぎていく。そして焦りの境地となっていく。この時を如何に乗り越えていくのかが、実際の本心からのものか、本当の覚悟を決めたものなのかを問われているのではないでしょうか。「ぶつかる困難が大きければ大きいほど、甘えは削り取られ内なる光が輝きを放つはずだ。」とありましたが、「自分で解決可能な困難しかあらわれない。」とも言われるように、自己の成長に困難、試練は必要なのでしょうか。

4.ネット活用

本の記載から
1.近況を報告するためのブログを書くことにより、文章のトレーニングをする。
2.読者に好まれる文章や内容の感覚がつかめてくる。
3.まとめやすいものから順に形にしていき、完成の喜びを味わい、調子に乗ったところで次にもっと時間のかかるものにチャレンジしていく。
4.論文を記述し、査読期間中の空いている時間で一冊目の本を執筆する。
5.出版記念のサイン会を兼ねたトークショーをする。
6.なぜか雑誌の連載を依頼される。(編集者の調査能力および承諾させる能力および準備がすごい)
7.仕事に対する責任とこだわりが変わっていった。
8.ニコニコ超会議のニコニコ学会βに登壇のためにクラウドファウンディングを活用
とあります。

とある機会(塾生のつながりによるイベント出席のお誘い)と、そのつながりによる出版記念のサイン会を兼ねたトークショーイベントへ出席していることもあり、本を出版されている著者さんや編集者と知り合う機会に恵まれるようになりました。出版業界も大変なようで、著者さん自ら書店めぐりをされるなど、付加価値向上に勤められているようです。

また、見出しにはネット活用と書きましたが、自分自身はネットが今ほど普及以前だったので
1.ある認定試験の初回を受験する。
2.業界誌の取材をうけインタビュー記事が掲載される。
3.朝の情報番組の取材を受け、放映される。
4.認定試験の過去問題集に、体験記を記載する。
5.主催団体の開催したイベントに出席し、関連団体の関係者との交流をもてた。
位まではなりました。

最後に
「夢を叶える最大の秘訣は、夢を語ることだったのかな。」とありますが、今はネット上でFacebookやTwitterなどいろいろ夢について表明する場所はありますし、受講者のみなさんには夢を叶えるための「最終手段」も毎年頂けますので、皆さんの夢が叶う日がくることを楽しみにしております。

投稿者 kayopom 日時 2018年3月31日

 

「バッタを倒しにアフリカへ」を読んで


この本の冒頭と後半で、フォーカスが「昆虫研究」から「困窮研究」に変わっているように感じた。
困窮というより、自分マーケティング、まさに自分を売り込む方法を、自身の体験や周囲のアドバイスから発見していく過程が見事である。
必要は発明の母なのか、アフリカへの予備知識も乏しいまま現地入りした昆虫オタクの青年の無知ぶりからは、後半の行動力は想像できないたくましさと戦略的なものだった。
(高野さんの「ソマリランド」プレゼントしたい)

彼が行き着いた結論は、「無収入が武器」。自分の弱みを武器に転化する。
ネットでの売名行為は、後々の研究者として認められるためには逆に障害になることを知りつつも、あえてその道に走る。

彼がとった手段はしょうおん先生がセミナーやメールで話している極意あり、またインターネットを使い資金や注目を集めていく手法は、キンコンの西野氏の手管のようであった。ここで我々もこのたくましさを学ばなければならない。

ポイントは、著者の前野氏がなぜ目的を達成しつつあるのか。これは彼が自分の夢にひたすらピュアであったことに起因すると思う。

前野氏の夢は「バッタに食べられたい」であった。
この下位の概念が、自分の夢を実現するために、上位概念へと移っていく。
・バッタに食べられたい
・昆虫に常に触れていたい
・昆虫に関わる仕事をしたい
・昆虫学者になりたい
・昆虫学者になるために、論文で認められたい
・昆虫学者になるために、安定したポストについて研究を続けたい
・昆虫学者になったら、バッタを倒し、アフリカの飢饉を救いたい

バッタに食われたいという夢が、アフリカでの調査研究になるのだから、
はたから見ると荒唐無稽。
だが根っこにあるものが「食われたい」だから、こちらも「本当に食われるのだろうか?」と期待感もますし、訳も分からず応援したくなる。
ここで役立つのがインターネットというツールだ。ニッチな世界で際立つ、そこでファンがつく、ブログやクラウドファンディングで資金を集め、注目を集める。

これによって上位に移るほど、応援する人が増えていっている。
研究所のババ所長、元プレジデントの石井編集長etc (そしてこれまたお二人の励まし方やの人心のつかみ方はそのままコピー実践したいほどに素晴らしい。)

「夢✖︎弱み✖︎笑い」=バッタ博士

この方程式は応用可能だ。自分の夢と、実現できない切なさを訴えて、山頂に立つと決め目標に向かっていけば、
そして笑いを誘えるくらいピュアならばなおさら、応援者が現れて実現可能性が高くなる。
さて、自分のピュアな夢とは何だったか??そして弱みは何だったか??何の世界で「山頂に立ちたいか」改めて立ち返ればならない。
バッタ博士のピュアな魂に感化されながら。

投稿者 sakurou 日時 2018年3月31日


~「バッタを倒しにアフリカへ」を読んで~

本書のテーマは何だろう、と思った。「バッタの研究を続けて、ついに無収入から抜け出し就職できました」という、様々な意味でのサバイバル生活からのサクセスストーリー。
たしかにそれは間違っていない。読み終わった時はとても爽快な気分になった。

しかし、感想文を書くにあたって非常に悩んだ。(感想文を書かなかったらここまで深く悩まなかっただろう)先日、ポスドクでやっと就職できた知り合いがいて、彼曰く、ポスドクは「高学歴フリーター」と自虐的に言っていたことと思い出した。将棋の3段リーグから抜けてプロになるのと、ポスドクが研究で仕事を得るのは同じことであり、「泣き虫しょったんの奇跡」で3段リーグを巡る戦いと仲間意識、抜けていくもの、そして消えていく者と切ないストーリが展開されていたが、まさに本書にある前野氏のような境遇に置かれている研究者が非常に多いということに改めて気付かされた。

以下、感想文を述べる。

1.「研究者として生きる」ということ

研究者として生きるのは非常に大変で、大学の研究者に比べればサラリーマンは楽勝、とまではいかないが、それぐらいの差がある。採用されても有期契約で、その間に成果(論文)を上げないと契約が打ち切られて無収入となってしまう。成果を上げ、無期契約(テニュア)を取得できるまで、安定的な生活は保証されない。(だいたい准教授あたりからのようだ。)だいたい30代からということになるので、それまでは不安定でプレッシャーのかかる生活が続くと思うと、非常にやりきれないというか、何とも言えない気持ちになる。

冒頭の彼のように何とか就職(しかも彼は研究との掛け持ちOKという非常に恵まれた会社!)できればよいが、それこそフリーターのような生活で食いつないでいる人も多い。学校教員のポジションを得るのも大変だし、ここにも出てきた研究的資金の獲得も非常に競争が激しい上に最近は削減されている状況である。そう言えば、京大のiPS研究所での論文不正もあった。京大という恵まれたポジションにいながら、成果が出せないプレッシャーからそういうことに手を染める人も出てきている。

今の時代、精一杯の生活をしながら、自らの研究で人生を立てようとしている人がいる。今や研究者として生きること自体、非常に強いメンタルを求められることを改めて実感する。彼らを見習わなければ。

2.つらいときは下を見ていい

一番心を揺さぶられたのが、お金が底を尽きてババ所長に相談した時のシーン。ペットボトルのサンダルしか履けない人とアディダスの靴の絵を対比させて、「つらいときこそ自分より恵まれていない人を見て、自分がいかに恵まれているかに感謝するんだ」と励ますシーン。しょ~おん塾お約束の「夜と霧」や、某監督の「下を見ろ。俺がいる」を思い出す。人間、下を見るというと、何か見下したような感じがしてしまうが、そうではない。下を見るということと、向上心を持つ持たないは別で、前向きな時は上を見て、後ろ向きな時は下を見る、ということになるのかもしれない。

人は常に前向きに生きられるわけではないが、一方で後ろ向きだけでもいけない。常に前向きを意識するが、時には下を見ても良い。下を見ることで自分のポジションを再認識して、再び上に行くためにはどうするか、ということを考える。

3.がむしゃらに、したたかに生きる

本書を通じて私が一番得たことは「がむしゃらに生きれば誰かが見ていてくれる」ということだ。モーリタニアで最初は見向きもされないところから、成果を上げ、みんなやババ所長からの信頼を得た。そのババ所長に励まされ、無収入のバッタ研究者という肩書を武器にニコ動、プレジデントオンライン等、様々なメディアに出ることで、自らをアピールするとともに、知り合いから知った京大白眉プロジェクトに応募、厳しい面接を経て勝ち取ったのはまさにがむしゃらに、かつしたたかに行動した結果だろう。

もちろん、前野氏が優秀だったというのもあるだろうが、それ以上に自虐的に振る舞い、ババ所長が前野氏にしてくれたように、前野氏もバッタの魅力を広めながら、無収入の自分だからみんなも頑張れ、というエールが人々に通じて、今に繋がっているのだと思う。

フィールドワークにこだわり単身モーリタニアに渡り、苦労を重ね、無収入を経験しつつも、諦めずにバッタで飯を食う生活を続けられるようになったのだから、自分も頑張らないと、と勇気が湧いてくる。がむしゃらな行動がプレジデントオンラインの石井氏の目に止まったし、また、前野氏が面接で京大総長から「3年間もモーリタニアでの苦しい研究生活に感謝します」という言葉がふと出たのは、まさに前野氏の行動が総長の心を動かした結果だろう。見ている人はいる。

前野氏のがむしゃら度合いに比べれば私はまだまだだ。

以上、感想を纏めた。

本書は(年齢がバレる表現だが(笑))一粒で二度も三度も美味しい本だった。痛快ノンフィクションと思わせつつ、前野氏の生き方を通じて、メンタルの保ち方、人とのつながり、自分の売り込み方等、人生論に通じるものがある。モーリタニアという厳しい土地で無収入生活という、文字通りサバイバル生活を送った前野氏がどうなるのか、というのも気にしつつ、自分がより充実した人生を送れるよう、がむしゃらに動いてみたい。

今月も良い本が読めました。ありがとうございました。

投稿者 diego 日時 2018年3月31日


どこまでも笑い飛ばそう

自分の夢を実現しながら、どうやってこの世界で生きていくかを考えると、
どのように夢を実現していくのか、どうやってこの世界をよりよくしていくのか、
そんなことを考えるのは当然として、それで生計が成り立つのか、
それで自分も、家族や友人も困らないのかを考えることになる。

どれだけお金が必要になるのか、それが足りなさそうと考えるだけでなく
理解や協力が得られるか、自分もみんなも幸せでいられるのか、
そして自分やみんなが健康で、いつまでどこまで、どの程度の活動が続けられるのか。

そんなことはもちろん時々考えてきた。
これまでと今の自分たちを振り返り、
これからの可能性を思ってみる。

以前の課題図書の「LIFE SHIFT」を初めて読んだ時は
軽くうつ状態になったようで、理解力が低下したのか、
自分のことを振り返ろうとしても、将来について考えようとしても
しんどいばかりで、思いつかなかった。

今回の著書は、自分の夢に向かうと同時に、現代社会で生活していくために
どう奮闘してきたかについての記録でもある。
モーリタニアで研究し、自然環境の厳しさを知っていく。
知り合いもいない中で、言語もあまり通じなくて、通信手段も限定された状態である。
イスラム圏で、生活習慣も異なるし、好きなお酒もあまり飲めない。
しかも、2年間という限定された時間の中で、結果を出さなければ、
自分の夢も絶たれてしまうかもしれない。

この、全く逃げ場のない状況の中で、
圧倒的で過酷な自然環境に居て、
ものすごくしんどかっただろうと思う。
私にはできなかっただろう、と思う。

でも、この著者は
逃げたくとも逃げられない中で
夢の実現のために、
こんなふうに考えたり適応したり工夫したりしたのだ。

お金のこと、人とのつながりのこと、
リスクの高い自然の中にいてこそ起こる健康への不安など
この3つに日々直面しながら、
子供の頃からの憧れの、
「ファーブルならばどうしたのか?」という問いからぶれないで
日々考え、行動している。

時間が無ければ、忙しいことを言い訳にして
何もできないと愚痴を言ってみたりする。
そんな人は、時間があっても、何もできないし、しない。

たくさん時間があるから、何かできる訳ではなく
たくさん時間があっても、夢の実現から逃げたり、
大変な状況かもしれないのに、見ないふりをして
ぬるま湯につかって無為に過ごしたりすることも多い。

だから、常に夢を持つことで
自分という存在が定まっていくことが
よくわかって、そこに最も感銘を受けた。
すべては、ファーブルのような昆虫学者になるという夢に
集約されている。


そして、もうひとつ、強く感銘を受けたことがある。
人は、他の人の不幸が好き、ということを理解して、
自分を売り物にして、ポスドクという存在についてのこと、
更にはバッタや昆虫のことをもっと知ってもらおうとしたことだ。

そのために、自分が過酷な状態に居ることを
おもしろく書いて、笑ってもらって、
そして昆虫について楽しく理解してもらおう、としたことである。

人は、人の不幸が好き。
でも、笑ってもらって、理解してもらえたら、助けてくれる人も、応援してくれる人も出てくる。
自ら過酷な道を選んで生きてきたことに対して、感謝してくれて、認めてくれる人も出てくる。

そのことに、著者が深く感謝している。
そしてこの本が世に出たのだと思った。

初めて読んだとき、本当にこの人は文章がうまい、この人ホントに理系なの?と思った。
自分の思いがあっても、まずは理解してもらうために、言葉で伝える必要がある。
そのための言葉が、的確に精確に選ばれている。
それがまず、すごいと思った。
それについても本書に登場し、更に支えてくれた人と出会ったんだと思った。

しかも、もともとキュートである。
自分の大変さを、いろいろな存在の一生懸命さを、ちゃんと見ていて
愛を持って表現している。
こういう人、存在は、本当に神様が愛してやまない存在なのだろうと、
そんなふうに思ってしまう。

この本に出会って、大変なこと、不運だなと思うことに
自分が出会っても、愛を持って笑えるようになった。
無茶振りされても、「ムリでーす」とか「むずかしいでーす」とか
笑顔で言えるようになったし、
自分が大変な状態のまっただ中でも、
ケラケラ笑えるようになった。

なぜか、そのほうがうまくいくし
周囲の人たちも私の大変さをよく理解してくれるようになってきている。


まだ分析しきれていませんが、
しんどい状況でも、生きていること自体が
すごいことであるように感じられるのです。

今月も、素晴らしい本をありがとうございました。

投稿者 tadanobuueno 日時 2018年3月31日


今月の課題図書を読んで自分の得た気付き・それを自分の行動にどう活かしていくかを4点書かせて戴きます。

1.好きなことで動くこと、発信すること。
何よりもまず好きなことに取組む。でも、それを周りが知らなければ他人にとって自分の存在はない。自分の想いを込めて発信を続けることで、プレジデントでの連載、ニコ動等、より多くの人の目に触れる機会につながり得ることも教えもらった。

私自身、子供が生まれたことで育児に興味を持ち、そこから得た気付き等をブログで発信している。過去から挫折を繰り返してきたが1月の読書感想文で週3更新を宣言してからは継続できている。まずは興味ある事を続け発信し続けること、これを継続していきたい。

2.周りの声を聞いて自分の見せ方を変える。
著者は1を受け、更に周りの声に耳を傾け、自分の好きと他人の必要が一致する可能性に気付き、実際にコンテンツとして昆虫の世界と関係のない人に受け入れられた。そこから今度はもう一歩踏み込み、より人を巻き込むため、人に刺さることを意識して発信を行った。

今の自分にとって必要なのはこの点と思っている。
過去からしょうおんさんが言っている、「人にとって役に立つ・必要とされている情報の発信」を意識しているが、やはり説教臭い部分が多いと感じている。もっと書いている内容への読者の方の客観的な意見を聞く、自分の経験・考え方が、どの切り口であれば他人の役に立つのかを探っていくことで、見せ方を変えていきたい。

3.他人に必要とされるから楽しく生きられる。
著者は様々な人に支えられ、助けられ、生きていることが分かる。一方で、著者の連載・露出が増えていることで明らかなように、著者の言葉で多くの人も支えられ、助けられている。

私自身、「完全な自給自足をしない限り人間は1人では生きられない、他人との関係を持たざるを得ない。それなら、価値観の合う人との関係を積極的につくり、役割分担をして、お互いが必要となる関係にすればよい」と考え、動いている。
他人に必要とされるから楽しく生きられる。著書の生き方を見ていてこの思いを強くした。この考えを基礎に今後も自分の行動・発信をしていこうと思う。

4.個性の追求と相互依存の深化の両輪
著者の行動に対しての周囲の積極的な反応が大きく2つあることに気付いた。
1つは著者のマニアな経験を汎用化する動き。
著者の生き方から、夢に・好きなことに取組む姿勢、自分の想いをどう社会に伝えるかの教訓を引き出す等。
もう1つが、著者の好きを貫く姿勢に共感、その過程・経験を共有する動き。クラウドファンディングでの支援等。

SNSの発展で1.2.3に基づき「自分が主役」となって行動していくこともできる。これだけでも、今までつぶされてきた多くの尖った個性を救う可能性を秘めている。
ただもっと重要なことは、今の世の中は、「自分が主役はは荷が重いという人」にとっても、自分が主役で発信する部分は小さく(または発信せず)、それを翻訳する、サポートする、プロデュースする、共感して支えていく、という様々な選択肢を与えていける可能性を秘めていることではないか。

この「個性の追求」とそれを支える人々の「相互依存」が進化して、3でも書いたお互いがお互いを必要とする関係が幅広く張り巡らされれば、生き心地の良い「コミュニティーを作り得る」し、それが社会にまで広がり得る可能性もある。

社会にまで広がり得るかは様々な思惑が絡むため、正直よく分からない。ただ、はっきり言えることは、この考えを使っていけば多くの考えの人を巻き込んだコミュニティーが作り得ること。

本書を通して学んだことを早速自分が考えるパパ子向けコミュニティーに活かせないかを考え、活動に積極的な人、なんとなく興味のある人等、様々な立ち位置を網羅するためのメニュー・仕掛け作りに活かしていけないか検討してみようと思う。

今回も様々な気付きを戴きました。
ありがとうございました。

投稿者 sunao929 日時 2018年3月31日


「バッタを倒しにアフリカへ」を読んで

本書は、信念を持ってあきらめずに事に当たれば、神様が見ていて助舟をだしてくれて、願いが叶うということを教えてくれる。

表紙から、バッタのコスプレ、夢はバッタに食べられたいという。怪しさ満点のスタート。
アレルギーが発症するほどのバッタ好きが、サバクトビバッタを追ってアフリカへ単身旅立つ。
本では面白おかしく書かれてあるが、3年にわたる異国の砂漠での生活は、肉体的にも精神的にも非常に過酷であろうことは、想像に難くない。夢の美談に焦点が当てられがちであるが、夢を叶えるために裏側に隠された大変な苦労がある。
このところ、春の足音が聞こえ、三寒四温程度で体調を崩しかけるやわさだが、いかに日本での生活が恵まれているかのありがたみを感じる。

① 熱い思い(信念)
たとえ言葉が通じなくても、伝えよう伝えたいという気持ちが大切である。思いは熱くなければ、人には伝わらない。本気になれば何でもできるモーリタニア人にも伝わる。
単語を強弱の副詞を組み合わせ使うことでの意思の伝達は参考になる。
 何でも賄賂を取ろうとする人に対して躓きを覚える。そんな時は、より良い面に意識を向ける。モーリタニアには、賄賂を取ろうとする人間もいるが、困っている人には手を差し伸べる文化もある。物事の一面だけを見て、悲嘆にくれるのではなく、別の角度から考えてみることで、こういう一面もあるのかという気付きにつながる。
夢を持つことの大切さ、真摯に取り組むことが当人にとって重要な価値を生みだす。他者評価は気にしない。
バッタに食べられたいという夢が、いつの間にか世界の農林水産業の問題解決に貢献できている。こんな幸せがあろうか。

② 継続的な行動
ただ考え、思い描いているだけでは、当然、夢は叶わない。
好奇心を持って、のめり込める何かを大切にする。命の危険を顧みず、地雷原に飛び込みそうになるくらい。
いろいろな体験や経験を通じてしか、本当の意味で目指すものの理解にはつながらない。
 考えたら、実際に行動に移す。トライアンドエラーを繰り返すことで道が開けてくる。さらにそこから人との出会いにつながる。
日々努力を継続するために、夢が叶った時の喜びの大きさ、夢を持つことで喜びや楽しみが増えて気分がよくなり努力できる。そのために自分をご機嫌にする仕掛けが必要なのだ。
日常のありがたさを、当たり前で感謝することを忘れていることを感じる。なんちゃってラマダンで幸せのハードルを下げてみるのもよい。

③ 神様からのご褒美
 京大総長の一人に人として感謝するとの言葉を受ける面接の場面には、涙が出そうになった。世界をわが身のごとく捉える大きな感性には魔術が隠されている。
就職先がなく資金が尽きかけそうになっても、何とかあがいてあきらめずに努力すると、思わぬところからの支援の手が差し伸べられる。
 フランス、プレジデント元編集長、白眉プロジェクト、ババ所長など、仕事に対する責任とこだわりを持つと引き寄せがある。人間は人と支え合いながら生きているのだと感じる。
 何かをやると決めて、努力を怠りなく続けていくと、思わぬところから支援の手が差し伸べられる。神様からのご褒美である。やはり、少なくとも3年間は頑張ることは必須と感じた。

人として生きる限りは、人生を楽しむだけでなく、自分は何者なのか?人の役に立てることはないか?死ぬ間際に、生き切ったと思える人生か?
いろいろな経験や体験が人を強くする。好奇心をヒントにやれることは何でもやって、悔いを残さないようにやり切ったと胸を張って堂々としていられるようにしたい。
死ぬまでに自分が学んだことを、次世代に繋げるようにしたいという思いを持ちました。

本書を紹介していただき感謝申し上げます。ショッコラーン

投稿者 ws0103 日時 2018年3月31日


一言でいえば、ポスドクの悪戦苦闘の体験記だと思うが、読後にはなんとも言えない爽快感をもたらしてくれた。それは、ポスドク生活の大変な精神的・経済的プレッシャーの苦労に対しても、その苦労を読み手に悲壮感を漂わせることなく、不幸を笑いに転換し軽妙に語る著者の文章力によるものだと思う。
 最短ルートでも27歳で博士号を取得してから、その後に任期付きのポストを高い競争率の中で探すのは、好きなことを突き進むとはいえなんとも厳しい道だ。横並びが主流である日本で、30歳目前にして無収入に陥るという状況は精神的にもかなり追い込まれると思うが、それでも夢を実現する道を突き進む著者についついエールを送りたくなり、白眉プロジェクトのメンバーに選ばれた時には、不覚にも涙が出てしまった。
 以下のとおり、今回の読書で得た教訓を記載したい。

1.夢を叶えるコツ
 本書を読みながら、頭の中では、将棋の世界で一度敗れた夢を再度実現した瀬川晶司さんの姿がオーバーラップしていた。
 前野氏と瀬川氏が語るところの共通点は、①夢はもたなければ決してかなうことはない、②夢を口に出して、それが周囲の共感を得ると実現するということだと思う。
 1点目は当然のことながら、2点目については夢というのは、決して本人だけがやりたいという独りよがりの夢だけでは実現しにくく、それを応援してくれる人がいてこそ実現可能性が一気に高まるということだ。
 瀬川氏においては、自分自身がプロ棋士になるということ背景に、奨励会員以外からの道を開拓してほしいという周囲の応援があったと思う。
 また、前野氏においても、サバクトビバッタの大量発生がもたらす災害から人類を救うために人生を捧げる決意をしているという姿勢に多くの人が共感したからこそ、夢が実現したのではないか。お二人とも、まさに智の道を王道で進んだからこその結果だと感じた。
 あと、やはり前野氏においては、ブログなどのメディアを通じて情報発信をしてこそ、周囲の人が認知できた点が大きいと思う。夢を叶えるためには、その大義名分と情報の見せ方を、特に考慮する必要があるのだろう。

2.読了後の行動
 この本の読了後に、自分にできることは何か。まずは夢を明確に描くこと、そしてそれを口に出していう(情報発信する)ことだと思った。
 さしあたってすぐの短期目標(1年以内)は設定済で、目下それに向けて努力を続けている。ただし、その目標は(相当の努力は必要ながら)達成できそうなものであるが、それが自分の夢に直結しているかといわれると少し違和感があった。この本を読んで、虚心坦懐に自分が本当にしたいこと、想像しただけでワクワクするようなもの、そしてその根底には社会のためになるという類の夢をもっと真剣に考えねばならないと思い、自問自答を繰り返した。
 P371に「夢を追うのは代償が伴うので心臓に悪いけれど、かなった時の喜びは病みつきになってしまう」「夢の数だけ喜びは増えるから、大小構わず夢探しの日々だ」とある。
 本書を読了後、実現したらと想像するだけで、ワクワクする夢を大小構わず紙に書きだしてみた。これからは、これを手帳に書いて昼夜暇があれば見直し、そしてそれを実現するために積極的に情報発信していく。この気持ちにしてくれただけでもこの本を読んだ意味が十分にあったと思う。
 
 今月も、本当に面白い本を紹介していただいて有難うございました。

投稿者 shinwa511 日時 2018年3月31日


理想や夢として憧れていることと、理想としていることを実際に自分で行ってみるのとでは、大きな差があります。実際に行ってみると見当違いなことをしていたり、自分の考えが十分に足りていなかったり、行ってみたら軽率に行動してしまったりと、一人で行動すると必ず失敗をして挫折を味わいます。

大切なのは、失敗をして挫折を味わった後に、どう考えてどのような行動を取るかです。
実際に行動をして、失敗した直後は受けた衝撃で、すぐに落ち着いて考えて、冷静に行動することは非常に困難です。

自身も仕事で失敗したとき、順調に行かなかったときには、失敗したこと、できなかったことへの後悔と、この先も上手くいくのかという不安感に襲われ、一人だけで考え込み、すぐにどうすれば良いのかを考えて行動することに、躊躇してしまうことがありました。

しかし本書を読んで感じたのは、まず自分を見つめて、それから周囲を見つめて、自身をより良くしていく変化を促す考え方を、取り入れていく必要があるということでした。

今後自分も失敗して落ち込んだときには、今の自分が置かれた状況よりも苦しい状況に置かれた人達に比べて、自身が仕事をできるという状況が、どれだけ幸せなことかを認識し、甘えた考えを持つ自分を捨てて、今の不幸な現状から抜け出すためには、自分はどう行動すればいいのかをしっかり考えられる強さが必要だと思いました。

その強さを得るためには、自身の周囲を見渡していつも自分を気づかってくれる人達がいる、その人達の協力で今の自分がいてくれて、周囲の人達の協力がある、自分は一人ではないと認識することが、失敗で落ち込んだときには必要だと気づきました。

さらに他の人達に頼ることで、自分では思いつかなかった方法や考え方があると認識し、自分では無理だ、できないと思っていたことでも、できるのだという自信を与えてくれます。他の人達からの意見や考え方を取り入れることで、自身を理想の方向に変えていくことができると分かりました。

そして常に自身に協力してくれる人達や、関わってくれる人達に感謝を伝え、関係を維持していくことが一番大切だと思いました。自分の職場では特に実践していくようにします。

投稿者 maruchan 日時 2018年3月31日


バッタを倒しにアフリカへ を読んで

「好き」を貫くには何が大事か、を考えてみました。
① 何か物事を始めたら、好きでも、好きでなくても、困難が必ずやってくる。
そこで、本当に好きかどうか、自分に分かるし、再考するチャンスになるでしょう。
金網のケージが朽ち果てたあたりで、一旦は筆者も精神的に朽ち果てたのではないでしょうか?しかし、筆者はバッタが大好きだから、その後も気持ちを持ち直し研究をつづけます。
やってくる困難は、自分への問いかけです。
お前はそれが本当に好き?好きなら乗り越えて!と。

② お金との関わり方を考える機会がやってくる。
しかし、いくら好きでも趣味ではないので、筆者の場合、研究を続けるにはどうしても経済的援助が必要です。奨学金なり、研究所からの資金なり、自分の好きなことが世の中に役にたつことを証明しなくては、それをやっていいよ、と免罪符をもらえません。
また研究する際にも、移動や雇用や材料や全部自分で考えて、お金を使わなくてはいけません。入ってきたり、出て行ったり、お金というものを肌で考える必要が出てきます。
お金が入ってきてくれるほど、お前は、好きな対象物を適切に理解し、ちゃんと人にわかってもらうように努力している?そして、入ってきたお金はきちんと出ていっている?

③ 人との関わり方を考える機会がやってくる。
いくら好きでも一人でできることには限界があるので、いろいろな人の助けが必要になります。自分の好きなことを理解してもらい、してほしいことを理解してもらい、なおかつ自分の好きなことへの情熱も理解してもらう必要があります。
情熱まで理解してもらえると、筆者のように同業でない一般の方にもファンが増えて、応援してもらえるようになり、好きなことがやりがいに変化できます。
お前は情熱を持って好きなことに対峙している?

自分の周りにもポスドクの方がおり、あきらめずに研究を続けている方が数人います。
本書によって、改めてその大変さを確認させられました。
ポスドクの彼らを応援するとともに、自分の「好き」も何とか羽ばたかせたい、と思わせてくれる一冊でした。

投稿者 penfire2501 日時 2018年3月31日


本書を読んで自分への問いかけたい言葉を見つけることができた。それは「本物の道を選んでいるか?」である。著者は自分がなりたいと思うバッタ研究者になるために、不安要素は抱えながらも、アフリカの現地でバッタ研究する以外に求める研究の実現はないと覚悟を決めて、アフリカに行く。一般的に人は安定した道と本物の道(=厳しい道)では、えてして安定した道を選びがちであるが、本書を読んで本物の道を選ぶことの強み(下記)を読み進めていくになかで強く感じた。
①逆境への耐性
著者はアフリカに行ったその年にいきなり大干ばつに当たる、捕獲したバッタが全滅する、サソリに刺されるなどの苦労話を面白おかしく書いているので、深刻さはあまり伝わってこないが、その当時はかなり堪える出来事であったと思う。ただ、本物の道を行くという覚悟ができているので、逆境がきても当たり前と思えて、乗り越えられるのだろう。
②不確定要素が成功の可能性を高める
本物の道は一見、不確定要素が多く成功確率は低そうに思える。しかし、その不確定要素の中に偶然の導きや不確定要素そのものが成功につながることがある。本書では人徳者であるババ所長に出会え、その協力と励ましによって著者は窮地を救われている。また無収入で不安定な研究生活に苦労していたのが、最後には無収入が研究への情熱と本気さを訴える武器となり、競争倍率の高い京大の研究費助成を見事勝ち取っている。
③実力がつく
当たり前のことではあるが、本物を選ぶことは自分にとって未知の世界を入り込むことなので、始める前には想像もしていなかった経験や知識を獲得することできる。本書ではゴミダマムシの雄雌の見分け方の新発見や、バッタが木の上で休むのは低体温で動けないときに木から落ちることで敵からの逃げるためであるといった、現地でなければ得られなかった知識を獲得に成功している。
本書を軽く読むと、アフリカで様々な苦労にあったがプラス思考で乗り切り、最後はバッタ研究を続けられることになった、めでたし、めでたしといった感想になるだろう。私自身は、本書で本物を目指すことの意義の確認とそれに対する執念をひしひしと感じた。それと同時に自分はどうなのだろうか?という問いが浮かんできた。今の仕事は特に問題もなくこなしているが、それは無意識に安定の道を行っているからであって、本物の道ではないからではないか?では、本物の道をいくにはどうすればいいか?それへの自分の答えはまだないが、「本物の道を進んでいるか?」はこれからも
問い続けたい言葉である。
本書を推薦図書にしていただき、ありがとうございました。

投稿者 toshi121 日時 2018年3月31日


「バッタを倒しにアフリカへ」を読んで

単身アフリカのモーリタニアに渡り、過酷な環境、厳しい状況下で、バッタの研究に没頭した三年間を面白おかしく紹介しているが、その熱意とバイタリティーに心を打たれた。
また外国での体験の紹介は新鮮で興味深いものが多いが、加えてバッタの研究というまったく馴染みのない分野でもあり、想像を超える世界の一端に触れることができ、楽しみながら一気に読了した。

 最も強く印象に残っているのは、アフリカで二年が経ち、無収入になり、先行きに悩む著者に対するアフリカ人の所長から励ましの言葉と、著者の決断だ。
「つらいときは自分より恵まれている人を見るな。みじめな思いをするだけだ。つらい時こそ自分より恵まれていない人を見て、自分がいかに恵まれているかを感謝するんだ。嫉妬は人を狂わす」
「鳴かず飛ばずの惰性でいくよりも、わめき散らしながらの一年に全てをかけてみよう。惜しむことなど何がある。出せるものはなんでもさらけ出し、思いつくことは何でもやってやれ。」
そして、著者はブログでの情報発信や、多くのイベント、パフォーマンスなどにより、自らの知名度を高め、多くの人とのつながりを得て、道を切り開いていった。

 最近、先行きに心配することが多く、何をすべきかを悩み、今やっていることに本当に意味があるのかと感じてしまうことが少なからずある。悩んでいても仕方がないし、やりたいことに全力を尽くし続けるしかないとわかっていながら、つい不安に駆られてしまう自分がいる。そんな自らの弱さに打ち勝つ勇気を与えてくれる熱い一冊であった。「バッタ博士」に負けないよう、改めて自らの道を全力で歩み続けることを決意した。

投稿者 hujitossy 日時 2018年3月31日


 この本は前半はポスドクの奮闘記、後半は夢を叶える極意が書かれている。読み終わった後、読者に「こりゃあこの人、そのうち夢を叶えちゃうな」と思わせる説得力がある。
 夢をかなえる極意は、夢を周りに打ち明け発信し続けること。その人の状況に世間の人が惹きつけられる不幸な状況(蜜)があるとなお良い。そしていつか後押しをしてくれる人が現れるのを待つ。後押しをしてくれることで取り組みがレベルアップし、さらに取り組みが進む。やがて努力が沸点に達すると夢が叶う。

 会社でたまに上司から「あなたがやり遂げたいことは何か」を聞かれる。会社としては社員にリーダーシップを持ってもらい、何か新しいことをやり遂げてほしいという思いで聞いているんだろうけど、答えられない。実は心の底にはやりたいことがある。それを打ち明けても会社が本気で応援してくれるとも思えないし、打ち明けても本気にしてくれなかったり、やらせてくれたとしてもやり遂げられなかったらと思うと不安で怖い。だから言えない。しかしこの本を読んでその考えが間違っていたことに気づいた。

 別にやり遂げたいことを会社の中の枠組みでやる必要はない。自分が好きなこと、こうありたいと信じていること、それについて考えていることを読み手に役立つ情報として発信し、会社の外で応援してもらって取り組めばいいじゃないか。その一部が会社の利益につながるものは会社でやればいい。そう考えてますます自分も情報発信をしたくなって別の本【「好き」と「ネット」を接続すると、あなたに「お金」が降ってくる(立花岳志(著)】を買って読んだ。それを読んでメールマガジンやブログなどストック型コンテンツによる威力はとんでもないと理解した。まだブログやSNSを情報収集や交流に使っている人が99.99%で、情報発信に使っている人はほとんど居ないという。まだまだ先行者利益があり、発信し続けたら絶対に実現できるという。しょ~おん先生も普段から「情報発信したほうがいいよ~」とおっしゃっていた言葉のありがたさを初めて実感した。自分も情報発信をすることを決めた。良書との出会いに感謝します。そして世の中の人が一人でも多くインターネットでやりたいことを実現できますように。

投稿者 AKIRASATOU 日時 2018年3月31日


「バッタを倒しにアフリカへ」を読んで

後悔しない人生を送るためには、本当に自分がやりたい事をみつけて、それに打ち込めばいい。それはこれまでに読んだ良書リストに入ってる本や課題図書からも学んできた。でも残念なことに多くの人にはそれができないのだ。わかっているつもり、でも失敗が怖かったり、何か理由をつけたり、本当に自分がやりたいことが何か見つかって(わかって)いなかったり・・・・理由はどうであれ、わかっているつもりだけどできない人が大多数であり、だからこそ著者のように自分がやりたい事をみつけ、一生懸命やっている人を応援したくなり、感動するのだ。(「死ぬときに後悔する25のこと」みたいなもので、「やりたいと思ったことをやっておけばよかった」「もっと色んな事に挑戦すれば良かった」といった内容があがるのも、上述の理由によるものだろう)
そして、バッタに食べられたいという夢を追いかけてモーリタニアまで行った著者ですら、無収入がすぐそこまで迫ってきて金(生活)を取るか、やりたい事取るかという瀬戸際に追い込まれて初めて以下のように言っている

『この最後の手は、もってあと一年。鳴かず飛ばずの惰性でいくよりも、わめき散らしながらの一年に全てを賭けてみよう。惜しむことなど何がある。出せるものは何でもさらけ出し、思いつくことは何でもやってやれ。それだけが悔いを残さず、昆虫学者になる夢を諦める唯一の方法だ。一片たりとも未練を残さない。たとえダメでも堂々と胸を張って路頭に迷い、せめて鮮やかにこの身を終えよう。(P268)』

私が本書から得た一番大きな学びは上記部分である。夢や目標、やりたいことがあるのならやれる事・思いついた事をを全部やってしまうのだ。覚悟を決めて、未練が残らないようやれることは全部やると決めてやる。後悔しないで生きていくために必要なのはたったそれだけの事なのだということ。著者が瀬戸際まで追い込まれてやっと自分自身と真剣に向き合ったからこそ気づけた良い人生をおくるためのヒントを千円程度の出費で知ることができ、読書のありがたみを改めて感じました。


余談ですが、本書を読んで感動したもう一つの場面、それは白眉プロジェクトの面接にて京大総長が『私は一人の人間として、あなたに感謝します(P299)』と言ったシーン。ここに至るまでの著者の苦労、苦悩、乗り越えてきた困難の数々、その全てが報われたと感じた一読者の自分も泣いてしまいそうだった。私も数十年後にはあのような器の大きな人間になることを目指して、日々の修行や読書を行ないます。

投稿者 3ju3 日時 2018年3月31日


嗚呼、自分も好きな事をしたい。仕事にしなくてもいいから、いますぐに仕事に出来なくていいから好きな勉強をしたい。今月の課題図書を読んでまず思ったことはこの事でした。
いつの頃からか勉強といえば仕事の質をあげる事、あるいはプロとして一人前である事を客観的に証明するための資格を取得する為の事になっていました。それはそれで必要不可欠な事ですが、せめて平行して自分の好きな勉強や研究もしたらいい、その為の時間を作ったらいいのではないかと思いました。
それならば、ということで卒業を目指して入学するのはまた今後検討するとして、働きながら修士科目の単位を取るべくこの4月から久し振りに学生の身分も持つことになりました。4月から大変になりますが、今月の課題本に出会ったからこその決断と喜んでいます。

次に思った事は、文章の力は大きいという事でした。自分の身の回りに起きていることなどを書いて読み手を楽しませることができる人は、よい機会に恵まれるようになるという実例を示してくれたのだと思います。その意味では作文が出来るようになる事への意欲が多少なりとも喚起されたのかも知れません。現状ではこの感想文も絞り出す様に書いている様な段階でしかないので、今後まずは何をどうしたら書けるようになるのかを学んでいかなければなりませんが。別にタイトルがパロディのようになっていなくてもいいから、せめて一定の分量の文章が書けるようになりたいです。

さらには、著者の前野氏のお人好しとも言えるような心の広さに脱帽しました。自分だったら恐らく嘘をつかれたと知った後は信頼関係が損なわれたとして一緒に活動する事はできないとなるでしょう。返還請求もするかも知れません。けれども実利を取らざるを得ない環境なのでしょうか、それでも一緒に活動し続けるというのは驚きでした。自分も同じ境遇に置かれたら同じ選択をするのでしょうか。ひょっとしたらそうするのかも知れません。とは言え自分の場合は変える事での労力を考えたらこのままでいいという理由になるのでしょう。

『私は一人の人間として、あなたに感謝します』(P.299-300)
最後に上記のスケールの大きい感謝を紹介してもらえた事に感謝しなければいけないと思いました。大きな視野を持ち、数多くの困難を経験していればこその一言を聞けるというのは本当に幸せな事だろうと思いますし、自分もそんな感謝をされるような困難を乗り越える必要のあることをしていく事が出来ればいいなと思います。また、自分の発する感謝の言葉が少しは重みがあるものになるようになるには、やはり大きな視野を持ち、困難から逃げずに乗り越えていくことが必要なのでしょう。大きな視野も持たず、困難を避けている自分への大きな反省を促す言葉として深く重く受け止めなくてはならないと思います。自分に言い訳をして面倒に思う事はしようともせず困難を突きつけられるような環境に身を置こうとしていないことを反省し、広い視野を持って世の中の為になる事をしていきたいと思います。

投稿者 gizumo 日時 2018年3月31日


「バッタを倒しにアフリカへ」前野ウルド浩太郎著を読んで

 興味を引くタイトルと何より“二度見”してしまうカバー写真。 週末の新聞「書評」欄で何度か見かけ、また本屋でも平積みにされていた本書。 あまり興味はないものの(現にタイトルを「バッタを“探しに”アフリカへ」と間違えていた・・・)、これだけみかけるとは「もしかしたら、 “課題図書”になるのでは・・・」という漠然とした予想は見事に的中した。
 課題図書となり、「新種のバッタでもアフリカで探すのかしらん・・・」と読み始め(まだ、タイトルの間違いに気づいていない・・・)、実にテンポよく読みやすかった。 確かに、バッタの研究は地味で直接自分のの生活に悪影響が出ることは想像できない。また、 どうしても「退治」はかわいそう…と考えていた自分。神様は世の中に必要のないものはお創りにならないと言うし、何か共存の手はないものかと、甘い考えでした。
 しかし、現実に現場では、その数たるやハンパない。そう言えば、虫の大発生で植物が食い尽くされ、見る影のない状態になった荒野のドキュメンタリーを見たなぁと、また昔の映画で蟻の大行進を見てゾッとしたのを思いだし、あぁこの本はバッタを"倒す"んだと認識した。

 平行して展開するのは一人の男性の「就職活動」。街で見かけるお揃いのリクルートファッションやカフェで一人ブツブツと小声でシミュレーションしているのとは違うタイプ。正直、大学で教授や研究所で勤める事がこんなに複雑なプロセスで過酷なのだとは知らず、後半の白眉受験記の部分は自然と力が入り、学長の言葉には一緒に涙した。

 また、あらためて思ったのは"人"との繋がりの重要性。バッタとの出会い、進路決定、アフリカへ行く過程、行ってから、研究中、本の出版、その後…。人は決して一人で生きていけるものではないと。

 しかし、その出会いを生むのもいかすのも、当たり前だが、その人の人格と行動である。前野氏のバッタへの思いと研究者になる夢、実現に向けての数々の行動の実践があってこそ手がさしのべられた訳である。

 頑張ってる若者がいるなぁと思いながらも夢の叶え方のヒントを教えてもらった本書との出会いでした。

投稿者 str 日時 2018年3月31日


バッタを倒しにアフリカへ

タイトル・表紙からして何とな~く察することは出来たが、想像以上にぶっ飛んだ内容とキャラクターだった。車オタクが自動車関係の仕事に就くことが別に不思議だとは思わないのと同様に、バッタオタクがバッタの研究をしていくのも別に不思議なことではない。むしろジャンルが異なるだけでそれが普通なのだろう。違いがあるとすればオタクとしてのレベルというか“変人っぷり“がケタ違いだった。

・変わらぬ夢
子供の頃に抱いた夢を、変わらず追い求め続けている人が一体どれくらいいるのだろう。
自分が子供の頃はあれこれ感化され、あちこちに脱線し、結局何がやりたかったのかイマイチ覚えていない(漫画家とか警察官だったような気がする)そのうち“簡単なことではない“という現実を知り、あっさり諦めたのだろう。自分の中でブームが去ったとか、世間体とかそういったものも影響して徐々に変わっていったのだと思う。自分もそこそこの田舎で育ち、ムシ採りには毎週のように行っていたが、仮に「将来昆虫博士になる」なんて豪語したとしてもすぐ別のモノに興味が移っただろう。何より今はムシに触るのすら躊躇する。今では「将来こうなっていたい」という未来像をようやく思い描けるようになってきたが、子供の頃から真っ直ぐ進んできた前野さんと、脇道に逸れまくったブレブレの自分。私は現在33歳だが、ちょうど前野さんがバッタと闘っていた頃とほぼ同じ歳になってしまっているのだ。年齢なんて関係ないとは思いつつも、既に”バッタを倒す(喰われる)”という夢に大接近している前野さんとのスタート地点に大きな差を感じて少々ショックを受けた。まぁ脱線しまくりとはいえ、当時の自分は趣味程度だが好きで楽しんでいたことは間違いない。楽しかったのならヨシとしよう。

・夢は叶ったから“幸せ“ということではない
過酷な状況・劣悪な環境であろうと楽しむことが出来なければきっと誰でも続かないだろう。現に前野さんは様々なトラブルにも遭いながらどこか笑わせにくるセンスを持っている。元々の性格もあるだろうが“夢を叶える為の試練、どうせなら楽しもう“といった姿勢が感じられる。

『バッタ研究を問答無用で楽しんでやれている』
『どこに行っても虫さえいればハッピーになれる幸せ体質』

こう語られていたように、夢までの道中も含めてさぞ楽しみ・幸せだったのだろう。もし叶わなくても不幸なのでは決してないと思う。夢を持つことが大切なのだ。

・運を味方につける
前野さんは変人(褒め言葉)である。だけどそれはバッタに対する想いに限った話だ。自分の夢・願望に正直なだけで、本来はユーモアもあり、お酒も好きな普通の人だろう。むしろ変人だと言われるくらいのエネルギーを持っていないといけないのかもしれない。自分の心に嘘をつかず、愚直に努力してきた前野さんには強運が備わっていると感じた。でなければティジャニやババ所長をはじめ、あれほど素晴らしい仲間に出逢えることは難しいだろう。ババ所長に至ってはまるで聖人のようだ。(有名になってからは利用しようとする人もいたみたいだけど)

前野さんが抱いた夢は“偶々誰もやっておらず”“偶々アフリカの人々の役に立つ”ものだった。この偶然もまた運によるものだと思うし、前野さんの強い想いや行動によって引き寄せられたものなのだろう。

“自分の夢=誰かの助けにもなる“とは、なんてラッキーな人なんだ!

バッタ博士・バッタオタクというインパクトが強すぎたが、さらっと著書まで書き上げているのだから、一時は無収入という危機に陥ったとしても”夢“という大博打に全てを賭けて見事に勝ったと言える。“夢”は予想外のオマケをプレゼントしてくれるのだろう。

まさに『アフリカンドリーム』を見せつけてもらった。

投稿者 jawakuma 日時 2018年3月31日


バッタを倒しにアフリカへを読んで

抱腹絶倒、バッタを追い求める冒険ノンフィクション!
こんなにおもしろく読みやすい新書は初めて読みました!
筆者と世代が近かったので、ちょいちょい差し込まれるアニメや邦楽のパロディがかなり笑えました!これもプレジデント編集担当の石井氏の赤ペン先生の賜物なのでしょうか⁉

不勉強な私はアフリカでバッタ大発生の被害がこんなにもヤバいものだということや、ポスドクと呼ばれる博士号を持つ高学歴の人達が就職難であること、アフリカでは太った女がモテることなど知らないことだらけでした。

本著のポイントはココ
自分の好きなことをやり続け、それでご飯をたべるには覚悟がいる。覚悟を決め真摯にその道に打ち込むと不思議と道は開けてくる。著者である前野ウルド浩太朗の凄いところは、岐路に立たされたそのタイミングでその状況を客観的に受け止め、悔いを残さないために思いつくことは何でもやってみた点です。覚悟を決めた後からのストーリーはわらしべ長者さながら奇跡の連続でした。
・フランスに行きその前に申し込んだ200万円の研究費を獲得
・閉館日に訪れたファーブルの施設と自宅に入れる
・本を執筆しトークショーに登壇
・編集者に見初められ雑誌への連載し筆力がUP
・ニコニコ学会βのむしむし生放送にクラウドファインディングで集めた交通費で登壇し知名度が上がる
・IT企業の社長と国の中枢機関にバッタ問題を紹介
・支援の物資やあたたかなメッセージをもらえる
・自らの不幸はネタとして逞しく情報発信
・自分の立ち位置を冷静に判断し白眉プロジェクトの選考試験で奇策“リアル白眉”を実行(爆)
・面接では無収入ながらアフリカに残り研究を続ける状況をアピールし学長にも感謝される
・見事白眉プロジェクトに友人と揃って合格し京都大学に採用される
・裏ヤギを駆使し人気を得ながらバッタを確保
・バッタの大群に誰よりも早く遭遇し、緑の衣で砂の大地に降り立つ(笑)
・ナショナルジオグラフィックのツアーガイドに就任
・日本へ帰って母校で講演会、サプライズで校長先生にプレゼントを渡す
・秋田県の学術奨励金100万円をもらう
・筑波大学の研究員に採用される

このうちの1つだけでも大変なことだと思いますが、本人曰くあまり頭の良くない筆者でも、バッタへの情熱と不転退の覚悟だけで連続して奇跡を起こし続けたわけです。これリアル版ワンピースですね。「海賊王にオレはなる!」と言い続けて仲間を集めて奇跡をおこし続けるあの漫画を地で行っています。
夢を持ちそれを口に出して行動することで、思わぬ形で助けてもらえたり、いい方へ流れが向いていく。これは真実なんですね。まずは人生を賭して情熱を傾けたい対象を持ち、覚悟を決めて努力を継続する、夢のハードルが高くて恥ずかしくても口に出して行動し続ける。ピンチの時もあきらめず、持てるものや人脈を何でも使い工夫する、勝ち抜く戦略を練ってから事にあたる、この継続で夢叶っちゃうんですね。これ、いただきました!早速実践していきたいと思います。モーリタニアに3年は住めないけど(笑)この覚悟が難しいんですよね。家族やら何やらいまの私では背負うものが多すぎる。。それでも時間をつくり自分の時間で将来のよき未来を作り出す努力を続けていきたいと思います。

本書を開いたときに、まずしおりが目につきました、そこには“知は現場にある”の文字が書かれていました。
アフリカはモーリタニアでのフィールドワークを綴った本著になんと相応しいしおりなのだろうか!と思って読み進めてみると、あとがきで筆者も触れていました。光文社新書のキャッチコピーだったのですが、あたかも本著のために作られたオリジナルしおりのようでした。これもまた奇跡の一環ですね。

小学生のうちの息子と、虫が大好きで博士のあだ名を持つ上司の息子にも読ませてあげたいと思います。

今月も良書をありがとうございました!

投稿者 sikakaka2005 日時 2018年3月31日


人の不幸を笑ってはいけない、なんて言われますけれども、著者の苦労話しはホント笑えました。
日本から持ち込んだ機材やアイデアはほとんど失敗に終わり、バッタにすら会えない日々を送っていて途方に暮れるんです。

でも、筆者は諦めない!

始めて体験する困難に対してもその場その場で思いついたアイデアで乗り越えてしまう。
そして、目の前に起きてしまった不幸を、不幸のままにせず、次のステップの生かすチャンスに変える前向きな思考を持っていることに驚かされもしました。

いつのまにかノンフィクションのドキュメンタリー番組を見ているような錯覚に落ちてしまっていて、最後に合格通知をもらったときは、涙が出るほど感動してしまいました。感動ともに学びの多い内容でした。

学びをまとめると2つです。

1.お金では買えない価値があるのが夢!

なぜそこまでバッタに拘るのさ?とツッコミを入れたくなるほど研究に熱中していて、しかも生活の見通しが立ってないのに、ま~だ研究に没頭している姿はこちらが冷や冷やさせられました。

就活をちゃんとしたら、それなりのところで働けるでしょ~よと思ったのですが、筆者はそんな中途半端なことは選びません笑。

こんなバカ正直に自分の夢を追いかけていく姿勢は、私にない要素だな~と思ったのです。

別にバッタを研究してほしいなんて誰から言われていないのです。
とにかくバッタの事が知りたい!バッタに苦しめられている人を救いたい!という思いだけでやっているとしか思えない。
生活の保証なんてないし、将来の見通しが立ってないけど好き!というものを優先したことは、私の人生にありません!

私の辞書にはありません。

同じ人間なのに、どうしてそこまで好きとか夢だけで先の人生のイメージが描けてないに本気で追いかけ続けられるのさ!!

正直その姿が人として素敵だな~と思ったのです。

筆者の眩しい背中を見て、ぬくぬくとサラリーマンをしている自分にこんなことを言われているように感じました。

「お金とか利益とか度外視して、もっと好きなものに打ち込んでみなさい!」

背筋が伸びました。


2.問題が起きたって諦めない!

最前線の研究をしているわけですから、どうやってアプローチしていけば、最短で成果が出せるなんてことはわからないわけです。

サラリーマン体質の私はもうその時点でムズムズしてきてしました。

「やり方が分からないのにとりあえずやってみるだけで現地まで行くってどういう神経しているの?」と思う自分が浮かび上がってきて、そんな自分にかっこ悪いと思いました。。

筆者と私との心根が全然違うんだな~と思いしらされました。

いかに打算的に功利的に仕事やお金を稼ぐことを考えているか、ということばかり考える自分が見えてきてしまって、なんか人としての差を感じたのです。

正直言って成功するか分からないことに時間とお金をつぎ込むことにアレルギー反応がある自分が見えました。

ここからまとめていくのですが、やっぱりバランスだと思ったのです。

筆者はこんだけ頑張ったのだから合格通知は神様からのご褒美でもうらべくしてもらった、という解釈もできますし、ただラッキーだったという解釈もできます。

だから、夢に真っ直ぐになることも大切だし、功利的になることも大切で、人生を生きていく上で両方が必要なんだな~と思ったのです。

従って、もっと筆者のように結果うんぬんは関係なく自分が信じたことをきにせずやってみる、という時間だったり活動を増やすことで、私の人生がより豊かになっていくのではないかと思ったのです。

最後に。言い方はアレですけども、こんな魅力的なアホがいるんですね!ホント感動しました。

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投稿者 eiyouhokyu 日時 2018年3月31日


「バッタを倒しにアフリカへ」を読んで

 結論から先に書くと、この本から学んだことは下記の3点です。
1.観察力
2.感謝の気持ち
3.行動力
 
 まず一つ目の観察力は、研究者なのであって当然のスキルですが、バッタに限らず人の観察も鋭い視点で描かれていたのがとても興味深かったです。言葉の通じない国へ行っても、相手をよく観察し、信頼できる人とそうでない人を見分けることができていました。状況を察し、押さえるべきキーマンを把握し、気に入られたり、仕事の相棒と目的を共有し、パフォーマンスを発揮することができたり、著者の誠実な態度と、ひたむきな努力があったからこそですが、周りの人を味方に付けることができるには、相手の見極めができることも必要なスキルなのだと感じました。
 
 今まで観察するというスキルを意識してこなかったので、相手の気持ちが分からないということが多々あり、仕事関係では長く付き合えるが、友人関係では悩むということがありました。人に注意を払い、萎縮することなく、厚かましくなることなく、私情を挟まずに、冷静に観察する、こんな視点を持てると自分はどう変わるのか、考え、行動に移してみました。
 観察による良い結果としては、いつも人と比べて落ち込むことが悩みのパターンでしたが、人の良いところを冷静に受け止め、自分と比べるという思考を切り離すことができました。自分が落ち込むパターンも見えてきたので、必要以上に感情の浮き沈みがなくなりました。
 観察から相手の特徴を理解し、良い・悪いという主観的な判断ではなく、ありのままの相手を受け入れることで、自分の心に余裕を持つ事ができたと思います。苦手だった人からされたことも、今思えばとても役に立つことだったと気づき、あのお陰で私はこれができるようになったということをいくつか思いつきました。

 二つ目に、これは絶対真似したいと思ったのが感謝の気持ちをもつことです。著者の成功の理由は、この気持ちがとても強い方だからこそだと確信しています。本文中には要所要所で、環境に感謝をしている言葉が見られました。異国の地でトラブルがあっても、バッタが見つからない問題があっても、無収入の問題があっても、環境や人のせいにせず、“じゃあどうしようか”と考えていました。常に、自分の問題として考えていたところに、私との違いを見た気がします。
 感謝の気持ちをもてる人とそうでない人は、周りの協力も、チャンスも得られないのではないかと思いました。努力して個人のスキルを磨いても限界があって、最後の差が出る決め手は、どれくらい人の助けが得られるか、助けたいと思わせられる人物であるかが鍵のような気がします。その点、お恥ずかしながら私は常々仲間がいない、協力してくれる人がいないと嘆いていたので、突き抜けることができなかったのだと思います。
 本を読んで1か月、意識をしてみたら、夫婦喧嘩が少し減ったのと、花瓶の花がいつもより長く状態を保てるようになった気がします。通勤で利用している駅を出ると、プランターに花がきれいに咲いているのですが、“手入れしてくれている人がいるから、こんなにきれいな状態なんだな”と、気づくこともでき、自然と感謝の気持ちが内からあふれてくるようになりました。そして、平日のメルマガと、最近始めたTwitterからはお金を払っても良いくらいの成長の種をいただいています。

 三つ目は、行動力です。ニコニコ学会βで委員長の江渡さんが、メレ子さんにバースデーサプライズをしたことに感嘆した著書が、母校の講演会で校長にサプライズを行ったエピソードから、自分がいいなと思ったことを人にできる行動力を“素敵だな”と感じました。
  あと、本文中にさらりと書いてあって、著者の苦労したエピソードでもないのですが、英語が話せることと論文を書けるという研究者の基礎力をしっかり身に付けていたということが、私にとっては参考になりました。行き当たりばったり風に本文は書かれていましたが、基礎力をつけ、準備をしているからこそ、力を発揮できたのだと思います。例えば、筋トレをしたり、ブログを書いたり、本を書いたり、面接を受けたり、バッタがいなければ、ゴミダマを調査すればいいと思考を切り替えたり、フランスに行ったり。
 夢達成のためには、ルートが変わっても、行動し続けることが夢につながる、そのように感じました。そして、夢を追うには基礎体力となる力をつける必要があり、まず自分には何が必要かを見つけ、コツコツと続けることころがスタートラインなのだと思います。私は、業界最高峰の資格取得に挑戦中です。Twitterは論文を書く力につながりそうですし、専門の会に参加することで、刺激を受けることができます。さらに上のパフォーマンスを発揮する準備を、今から取り組んでいきたいです。

今月も素晴らしい課題図書に出会えたことを、感謝しています。

投稿者 hanaoka111 日時 2018年3月31日


「夢を叶える最大の秘訣は、夢を語ること」

この本の読み取り方はいろいろある。
バッタを退治しようとする日本の青年の物語であるし、アフリカのモーリタニアという国の情勢が書かれているし、今わかっているバッタの生態であったり、京都大学が若手の研究者を支援している活動についてだったり、読み手の知識や経験で何通りも読み方があると思う。
私はこの本は、自分が強く願っている夢を叶える方法を書いている本だと考えている。
著者はバッタの生態を研究することに生涯をかける夢を持っている。しかしその夢を叶えるまでに、さまざまな壁や、アクシデントに遭遇してしまう。これはテレビゲームに例えると、自分の行く道に敵キャラが道を塞いでいる状況だったり強力なボスキャラと戦う羽目になってしまうような状況である。
自分の夢を叶えるために試されているのであるが、その壁やアクシデントを超えることができたのは、著者常々周りの人に自分の夢を熱意を持って語っていたからであろう。このため研究所のババ所長をはじめ、多くの人を自分の夢に巻き込むことができた。そして直接会える人以外にも、ブログで自分の夢を発信し続けていたことで、普通なら知り合えなかった編集者の石井氏に出会えることができた。石井氏の力を得たことで、今まで以上に自分の夢をリアルとネットの場の両方で語り続けることで、バッタの研究者になるという夢を叶えられた。
自分の周りの人に自分の夢を熱意を持って語り、それと同時に今の時代ならインターネットがあるので、そのネットの世界でも自分の夢を語ると、夢が叶う可能性が高くなる。そしてもう1つ大事なことは、その夢が自分のことだけではなく、周りの人を良くする夢でないと、周りの人をまきこむことができない。この本の著者は、バッタの生態を解明し、モーリタニアの人の生活を良くしたいと思っていたから、周りの人を巻き込めたのだと思う。
普段の生活や仕事も同じことであり、自分だけでなく周りの人も良くなることを考え実行すると、周りの人の力を借りながら、どんどん素晴らしい結果につながると改めて感じた。 以上

投稿者 kokchamp 日時 2018年3月31日


バッタを倒しにアフリカへを読んで

幼い頃に夢を見つけ、その夢を実現することが出来る著者の生き様、思考から人生を豊かにするヒントを見つける。
幼少期に昆虫学者を目指すまでの経緯を読むと、決して簡単にたどり着いたわけではないということがわかる。夢に出会うまでには友人との遊びにうまく馴染めない、体力的についていけないという挫折があった。
挫折から、昆虫を観察するようになり、興味を持っている様子をみて、母が「ファーブル昆虫記」を図書館から借りて著者に与えたタイミングもちょうど良かったのかもしれない。昆虫を観察していると「なぜがたまりにたまった」状態となっていたところでのファーブル昆虫記との出会いである。「求めていた答えが、そこにはあった」のだ。
彼の中でファーブルは、「どんなヒーローよりもその姿に憧れを抱き、将来は自分も昆虫学者になって昆虫の謎を解きまくろうと決心した」のだ。
夢を実現するには、夢見ているだけでは実現できない、じゃあ具体的にどういう経路をたどっていけば夢が現実のものとなるのか、その点をしっかりと考えなければならない。著者も高校時代に、「『自称』ではなく正式な昆虫学者になるためには、大学で学位を取得し、博士になる必要」があることを知った。夢の実現方法を知ったら、その階段を少しづつ登り、浪人時代をへて晴れて大学院を卒業し博士となった。この本の内容はここからの話となるが、その前提をしっかりとこなしているとが私にとって、得るものがあった。大学進学先を決める際も、オープンキャンパスに参加し大学教授と出会い、実験室まで覗いている。本人もここまで「意識が高い者は私だけではないか」と思っている様に、大学進学先を自分のやりたいことから選ぶことができるのはわずかではないだろうか自分自身を振り返っても高校時代にどのような職業につきたいかということを具体的にイメージできていたかというと、お恥ずかしながらもっと漠然としていた。
夢を実現するには、長い時間軸でその実現への道を具体的に描けるかどうかが鍵だというのはいつもしょうおんさんのメルマガでも繰り返し触れられている。そのことも思い出した。
夢を実現するには、一足飛びにというわけには行かず途中で挫折や壁にぶち当たることもある。著者もアフリカで研究期間が終わり無収入となることがわかると、色々と塞ぎ込んだり考え込んだりしていたが、その時のババ所長がスライドショーを見せてくれて「つらいときこそ自分よりも恵まれていない人を見て、自分がいかに恵めれているかに感謝するんだ。嫉妬は人を狂わす。」といった言葉で励まされた。
夢の実現に立ち往生している時には、「下を向き自分の幸せを噛みしめること」が大事で、そういったポジティブイメージが必要なのだと学びを得た。
話は逸れるが、著者が京大の白眉プロジェクトでの面接で、総長からかけられた言葉「過酷な環境で生活し、研究するのは困難なことだと思います。私は1人の人間としてあなたに感謝します。」は、幸せになるためにはスケールの大きな事柄に対して願いをかけるといいというものに通じるなと感じた。
話は夢の実現についてにもどるが、著者は白眉センターの研究員に合格した時にこう言っている。
「思えばこの一年で、私はずいぶん変わった。無収入を通じ、貧しさの痛みを知った
。つらいときに手を差し伸べてくれる人の優しを知った。バッタを研究したいという想いは、苦境の中でもぶれることはなかった。」
このようなものの感じ方、自身の信念の貫き方ができてこそ夢は叶うのだ。
サバクトビバッタとの最終決戦の際ものの感じ方が同じように記されている。「少しは自分
努力のおかげもあるが、それよりも大勢の人たちに支えてもらえたからこそ、今ここにいられるのだ。」「なんと私は恵まれてきたことか」
また、夢を持つことの効果について「叶う、叶わない置いといて、夢を持つと、喜びや楽しみが増えて、気分よく努力ができる。」「夢を語るのは恥ずかしいけど、夢を周りに打ち明けると、思わぬ形で助けてもらえたりして流れが良い方向に向かっていく気がする。夢を叶える最大の秘訣は、夢を語ることだったのかなと、今気づく。」と述べており、夢を持つと気分良く努力ができて夢を周りに打ち明けると流れが良くなるのだ。これもどこかできいた話である。
ものの感じ方を変えるにはラマダンがいいとあとがきで述べている。ラマダンをすると「明らかに幸せのハードルが下がり」、「ほんの些細なことでも幸せを感じる体質になっていた」のである。
ものの感じ方を変えるには、厳しい環境に自らを追い込むことが必要なんだなと改めて気づきを得た。

投稿者 vastos2000 日時 2018年3月31日


バッタを倒しにアフリカへ


著者はなかなか変わった人物のようだ。派遣先が東南アジアだったら、以前の課題図書だった「放っておいても明日は来る」に登場していてもおかしくない。
そんな著者の書いた本書は、一見ライトな読み物のようだが、著者の死闘の日々を通じて学べる自己啓発書でありビジネス書であると感じた。

なぜならば、自己啓発本ではよく目にする項目が書かれている。
例えば、
●目標をハッキリと定めること(任期のない研究職に就く)
●実行すること(モーリタニアでの日々)
●多少の失敗があってもあきらめず継続すること(各種の研究費獲得のため活動や、再度モーリタニアへ渡ること)
といったところ。

また、ところどころに織り込まれるユーモアにあふれた表現が、SNS時代にマッチした文章力だと感じた。(例:刃渡り20センチの手刀、「え」と「ん」を書き間違えた。よりによってそれが~)
付箋をはる箇所も多く、感想を書き込むページも多くあった一冊だった。

具体的には以下のようなことになる。

●考え方や物事のとらえ方は幸せになるためには重要なものである。
博士号を持つ人や、文系の修士はなかなか民間企業に就職できない。そして大学も国立大学の法人化や大学設置基準がゆるめられたことによる私立大学の増加で、競争環境が激しくなり、非常勤講師で多くの授業を埋めることになった。
その結果、常勤講師というポストは非常に貴重なものになった。
仕事柄、大学教員と接する機会が多いが、確かに常勤講師のポストを得るのは大変だ。今年は派遣法改正もあり、今まで教えていた大学から契約の更新をしないと言われた非常勤も多くいることだろう。
著者はそのような厳しい環境下にあったポスドクであるが、他の多くのポスドクとは違った。「高学歴ワーキングプア」や「ホームレス博士」(いずれも水月昭道著)に詳しいが、「学部(四大)時代の指導教員にだまされた」や「国の制度が悪い」「研究者を大事にしない日本という国が悪い」などと他人のせいにするポスドクも多い。しかし、著者は他人への恨み言を言うことなく、自分の意志で道を切り開く決断を下す。ここが重要なのではないだろうか。

●あるものに目を向ける。「有難い」と「当たりまえ」
そして、先月の課題図書が仏教に関するものだったからか、以下の箇所の前後が気になった。
『無収入なんか悩みのうちに入らない気になってきた。むしろ、私の悲惨な姿をさらけ出し、社会的底辺の男がいることを知ってもらえたら、多くの人が幸せを感じてくれるに違いない。(p266)』、『私はただバッタを見てニヤニヤしていただけだが、見る人によっては魅力的な面を見ており(~中略~)バッタ研究の中身に変わりはないが、見せ方を一つ変えるだけで、社会での重要性を簡単にアピールできる。(~中略~)私が研究者として生き延びるためには、私自身も相変異を発現し、たくさんの「人相」を持つことが活路を切り開くカギとなりそうだ。』(p283-284)
著者は、“収入”という無いモノではなく、“仲間や研究ができる場”という在るモノに目を向けている。


●視座を上げてみる
著者は、俯瞰して自分と自分を取り巻く環境、自分を見る他者を見ている。これはいわば、人称を上げていることにならないだろうか。
さらには、『この発想に至ってからというもの、不幸が訪れるたびに話のネタができて、「オイシイ」と思うようになってきた。考え方ひとつで、不幸の味わい方がこんなにも変わるものなのか。』(p286)と、不幸をポジティブに変換してしまうまでに至る。
もちろん、感謝も忘れない。『それにしても、この不具合が多い博士が、よくぞここまで続けてこられたものだ。(~中略~)なんと私は恵まれてきたことか。』(p348)

●弱者は正攻法で強者と戦っては勝てない
そして著者はマーケティングセンスも身につけたようだった。最初の2年間の380万円の研究費を勝ち取る際も20倍ほどの競争率の中を勝ち抜いているので、著者の基本能力は決して低くはないはずだ。
だが、白眉プロジェクトに採用されるには、研究者としての能力が高いことは当たり前なので、他者との違いがなければ採用されなかっただろう。自分の研究成果(論文)だけで勝負しては勝てないと見込み、知名度上げることに取り組んだことや、無収入であることまでのアピール材料にする。「文学部唯野教授」が書かれたころから、大学や研究所という世界は、『売名行為は研究者の掟に反するものだった。私の経験によれば、研究者が研究以外のことをしていると、遊んでいるとみなされ、不真面目の烙印を押される』(p269)世界であるから、ニコ生やブログをアピールすることは両刃の剣だったのではないか。


以上のようなことを学んだが、これを私の人生にどう活かせばよいだろうか?
今のところ、私には大義がある人生の目標が定まっていない。とりあえずは身近な家族と幸せに暮らしたいと思う程度だ。「幸せの宝地図」の中心も家族の写真が貼られている。仕事も少なくとも現在は安定しており、明日や一年後の生活の心配はない。
だが、しかし、もしも今の安定した生活をなげうってでもやりたいことが見つかった時、「本気で取り組めば何とかなる」というマインドが本書によって強化されたのではないだろうか。
最近のメルマガでも書かれていたが、「問い」に対する「解」は必ず存在していて、セッティングをちゃんとやれば、「解」の方からやってくる。
私は、まだその本気で取り組むものに気付いていないだけで、今回の課題図書を通じて、本気で取り組むものに気づいた時の「その後のこと」を先行して学ぶことができたとして結びたい。

投稿者 chaccha64 日時 2018年3月31日


「バッタを倒しにアフリカへ」を読んで

ポストドクターのバッタ学者のアフリカ、モーリタニアでの研究生活。最後の1年は無給で研究することになる。今はやりの高学歴ワーキングプアの典型。しかし、なぜか明るい。
著者は研究の成果を出そうと努力し(バッタという自然が相手なのでうまくは行かないですが)、職を得るためにバッタの広報活動をしたり、白眉プロジェクトに応募したりと努力している。本人はその都度悩んだりしているのだが、なぜか暗い感じがしない。
なぜだろう? それは、フィールでの活動をしたことと、周りの人達ではないか。

モーリタニアに行くまでフィールドでの研究経験がないのにフィールドにこだわっている。手っ取り早く成果を出すには研究室の方が有利なはずだ。それに、バッタが現れないし。それなのに著者はフィールドの研究にこだわる。夢のために。
そして、自然と対峙することで暗くなるという要素も減るのではないか。砂漠の太陽、暗くなるはずがない。いろいろな問題も発生する。そういうことで、自然と自然が癒してくれるのではないか。

また、何より大きかったのは周りの人達だろう。ドライバーのティジャニ、ドライバーだけでなく研究助手であり、現地での通訳、交渉人で、なくてはならない相棒。ババ所長、良き相談相手であり、無給の一年面倒を見てくれた。「プレジデント」担当編集者の石井さんには最強の赤ペン先生で、良き理解者。京大総長も良き理解者だ。著者も書いているが、「過酷な環境で生活し、研究するのは本当に困難なことだと思います。私は一人の人間として、あなたに感謝します。」の言葉には涙が出るでしょうね。こういう教育者がいらっしゃるので日本はまだまだ大丈夫だと安心できます。
良い人たちが集まっている。しかし、どうしてだろう。著者には偏見がない。そして、おおらかさがあり、人を赦せる。そして、人を信頼している。最初のフィールド調査で、学生を助手にするがそこで給料をぼられてします。その後もティジャニとの給料交渉もある。日本人の感覚からすると「おかしい」となるのに、赦している。その上、ティジャニにはその後も色々な仕事で報酬を与えている。本当に信頼しているのだ。それがわかるからこそ、ティジャニも信頼してくれている。フランスに研究に行った時も「絶対に戻って来る」と信じてくれていたし。また、バッタの大発生の時は、防除部隊にヤギの贈り物をして調査に協力してもらうという「郷に入りては郷に従え」の精神を発揮している。
そして、真摯にフィールド研究に取り組んでいる。言葉だけでない、その態度が、ババ所長の信頼を勝ち取ったのだろう。
相手の信頼を勝ち取り、良き関係を持つには、まず自分の考え方を改め、態度を変えること、これが大事だということですね。

最後に。しかし、自分にはどうしても著者の夢「バッタに食べられたい」を理解することはできない。ホラー映画のようでどうにも耐えられません。

投稿者 truthharp1208 日時 2018年3月31日


「バッタを倒しにアフリカへ」を読んで。

本課題図書を手に取った時、バッタになりきった著者 前野ウルド浩太郎氏の写真はネットで見かけた記憶があった。その時は単なるコスプレかおふざけの認識しかなかったが、ページをめくる度に前野氏の真剣な思いに引き込まれていった。

前野氏は子供のころ、『ファーブル昆虫記』に感銘を受け、昆虫学者になることを夢見た。外国で発生したバッタを見学していた女性観光客がバッタの大群に巻き込まれて、緑色の服を喰われてしまったことを知って羨ましいと思い、自分がバッタに食べられたいなんて被害に遭われた方に失礼だと感じたが、アフリカで大発生しているバッタが農作物を喰い荒らし、深刻な飢饉を引き起こしているのを解決するためにモーリタニアに渡った。
現地では実験室にとどまるよりも砂漠のど真ん中という厳しい状況下でバッタの生態を解明して、論文を発表することにより、ババ所長やティジャニ氏から厚い信頼と絆を得ることが出来たことに加えて、雑誌『プレジデント』連載が決まったり、京都大学の『白眉プロジェクト』に合格するなど、数々のチャンスを得てきた。

前野氏は自分の叶えたい夢を声高にアピールしながらも、多くの方に慕われ、支持されてきたのは、モーリタニア人のご馳走であるヤギを仲間に振舞ったりする他者貢献、ピンチに遭いながらも「どうしたら出来るのか」というアンテナを立てているからだろう。

今月も素敵な課題図書をありがとうこざいました。

投稿者 haruharu 日時 2018年3月31日


「バッタを倒しにアフリカへ」を読んで

ここまで面白可笑しく笑わせる研究者ばかりだったらいろんな知識が入ってきやすくていいなぁと思いながら読み終えた。
バッタに憑りつかれ現実問題も抱えながらも研究し続けたい一心で前へ前へ進む姿は逞しく、枠や型を突き抜けていく感じで気持ちがいいと思った。
研究資金を得るために京都大学の白眉プロジェクトの最後の面接での総長の言葉には思わず涙してしまった。
すごい人たちというのは、世界地図が心の中にあるかの如くとてつもなく広い上に隅々まで把握してるかのようだ。必要以上に話さなくても裏の苦悩などを理解している。

また、今までの手段が参考にならず、時代を捉えて伝え方を変えていかなければならないのは、研究者に限らず誰でも持ち合わせてる課題だなと思うし、行動していかなければいけないなと思いました。

投稿者 wasyoi 日時 2018年4月1日


#バッタを倒しにアフリカへ
本書は、人類を救うため、そして、自身の夢を叶えるために、若い博士が単身サハラ砂漠に乗り込み、バッタと大人の事情を相手に繰り広げた死闘の日々を綴った一冊。
軽妙な筆致と展開で、最後まで飽きずに読み進めることができました。


今回読んで学んだことは、
p109 『論文は研究者の命そのものであり、分身と言っても過言ではない。出版できぬ者は消え去る運命にあり、「publishe or perish(出版せよ、さもなくば消えよ)」』
研究者って、研究をしてれば良いかのような錯覚をしてしまってましたが、想像以上に厳しい世界なんだと感じました。


p112 『バッタの翅には独特の模様があり、古代エジプト人は、その模様はヘブライ語で「神の罰」と刻まれていると言い伝えた。』
はるか昔から人びとに恐れられていた群れなすバッタ。掲載された写真を見るとそのあまりの規模に吃驚してしまいました。


p188 『以前の自分も含め、大勢の若い研究者はパソコンの前で、オフィスの中で研究している。自然を理解せずに生物学を勉強することが、どれだけ多くの危険に満ちていることか。』
これ、自然をお客様と置き換えると、ビジネスの世界でも同じことが言えますね!実際に現場にいて判断をくだすように意識を高めます。現場に知恵あり、です。


p285『私が研究者として生き延びるためには、私自身も相変異を発現し、たくさんの「人相」を持つことが活路を切り開くカギとなりそうだ』
有言実行で、研究者としての姿だけでなく、さまざまな活動を著者はされております。これからの時代は、こういう風にサラリーマンでも相変異して行かなければと痛感しております。


p371 夢を追うのは代償が伴うので心臓に悪いけど、叶った時の喜びは病みつきになってしまう。叶う、叶わないは置いといて、夢を持つと、喜びや楽しみが増えて、気分良く努力できる。
夢を持つことの大切さを説く、良い言葉だと感じました。夢を持ち、叶うことで得る喜びに病みつきになり、また夢を持ちたくなる、の良いスパイラルですね。こういう経験をしないと、夢を持っても何にならないという感情が想起されるのでしょう。いつまで経っても夢が叶わない人が生まれます。一度は叶うところまで行くことが肝要だと感じました。


p374ラマダンとは、物や人に頼らずとも幸せを感じるために編み出された、知恵の結晶なのではなかろうか。
なるほど、ただ食事や水を摂取しないだけで、その後の食事が大変美味しく感じられ、幸せに感じられる。
結局、幸せを感じるとは本当に感覚的で、本人のある種の勘違いに過ぎないんだろうな、と思いました。
そこが自分でコントロールできないと、人生がしんどいことになりそうです。
そういう意味では、厳しい環境でのラマダンは大変合理的なのかもしれないですね。
日本でもやったら良いのに。


今後も研究に邁進し、また楽しい本を書いてくれることを期待しております。
今回も良い本に出会わせていただきありがとうございます。