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第68回目(2016年12月)の課題本


12月課題図書

 

この世でいちばん大事な「カネ」の話


マンガ家西原理恵子画伯が語る「おカネと現実」についての真面目な話です。読んでいる
と非常に身につまされるわけですが、オトナになってここに書かれている事を初めて知っ
たよ、なんて人はローンでモノを買ったり、投資をしたり、人におカネを貸したりしちゃ
ダメですよ。この本はホントは高校生あたりが読むべき本なんですから。っていうか、我
が家では年末年始に読ませる予定です。

人生でカネ絡みのトラブルから逃れられたら、それだけで極上の人生になれちゃうんです。
ところがほとんどの人はそんなおカネで失敗をし、背負わなくても良い苦労を背負って、
その負の感情を他者にぶつけるわけです。いつの間にか被害者が加害者になって人を傷つ
け、その被害者が次世代の加害者になって、という無限ループが作られちゃうんですね。
そんなループから抜け出したければ、この本を読むべきなんですよ。

 【しょ~おんコメント】

12月優秀賞

 

今月はなんだかなぁの投稿が多くて困りました。こういう身近なテーマの本になるといき

なりこういう投稿が増えるんですね。おカネについてあなたの意見を開帳する場じゃない

んですよ、この課題図書って。あなたがどう考えているかや、どんな体験をしたのかを述

べられても、それが課題図書とリンクしないのであればタダの独り言ですから。

今月一次通過をしたのが、andomanさん、Valentinaさん、BruceLeeさんで、今月は文句無

BruceLeeさんに差し上げることにします。

 

【頂いたコメント】

投稿者 SuccessorOfShimizumuneharu 日時 2016年12月19日


西原理恵子(サイバラ)は週刊誌を読むとき真っ先に見てしまう大好きな漫画家。
ラノベでは有川浩が好きなので、土佐のハチキンさん達の描く物は皆、刺激的で楽しい。
サイバラは「無頼派」と呼ばれる男勝りな女傑、その生き様には非常に刺激を受けた。
この世でいちばん大事な「カネ」の話に加えて、『生きる悪知恵』も読んでしまった。
以下、サイバラ流の生きる知恵、人生指南を列挙する。
①絶対諦めない、努力し続けるモチベーション
 貧困を知っていることによる常に強力な上昇志向、勤労意欲を持ち続けている。
 程々で良いじゃんなどど思ってしまう自分は最初から躓いていると感じた。
 高知で一番のお嬢様校である私立土佐女子にいて、日本二位の美大である武蔵美に合
 格し、普通ならかなりのリア充環境と思われるのに、このハングリー精神は凄まじい。
 編集者に狂犬と評されたこのチャレンジスピリッツは、まず見習う点だと考える。
②高い目的設定
 明確には書かれていないが、実はサイバラは最低食って行ければ良い、中堅どころで
 満足など考えていないように感じた。
 常にトップないしはトップクラスになることをいつも視野に入れている。
 武蔵美に入った時も「しょもない美大に無事受かってしまった」と漏らしていたとの
 こと、目的としていたのは芸大だったみたいだ。(Wikipedia「西原理恵子」参照)
 現状に甘んじ得ない高い理想を持つ精神性は見習いたい。
③客観的で正確な自己評価
 予備校の評価、顧客からの評価、自己ではなく他者評価をきちんと受け入れている。
 ついつい人は「やれば出来る人間なんだ」と甘い自己評価に溺れがちだか、そうでは
 なくたとえ最下位評価でもキッチリとそれを受け入れて、次に繋げようとしている。
 この客観的に過不足なく現状把握をきちんとする点は人生の必修項目だと考える。
④具体的数値による目標設定
 月に30万円稼ぐというリアルな数値目標を立て、最初5万円から始まり、約3年後
 約1000日後に、宮本武蔵の千日鍛錬の如く、着実に進歩し見事に達成している。
 目標に向かって段階的にステップアップして着実に実現する点も人生の必修項目だ。
⑤戦略的思考
 普通の人なら「もっと長く努力しよう」「もっと密度高く努力しよう」など戦術的な
 レベルで終わるところを、「ニッチ分野を狙おう」「差別化しよう」「色々と実際に
 試行してみて、自分の能力適性を判断しよう」と戦略的思考でもって行動計画を作成
 している。
 今では当たり前となっているランチェスター戦略、ブルーオーシャン戦略、セブン
 イレブンの仮説検証戦略を、独力で30年前に実現している。
 執筆に能って多少の脚色はあるとしても、当時の世の中になかった戦略を思いつき、
 実施してしまったサイバラ、実は私にとってここの部分が一番驚愕したところだ。
 このように新しい戦略は編み出せないが、有効な既知戦略を利用して、最も効果的に
 自己戦力を割り振ることは心がけるべき内容であるため、必ずやっていきたい。
⑥投資対効果を考える
 十年で5000万円を擦ったギャンブル依存症、と言いつつその執筆活動で億円超は
 稼ぎ出していたと想定されるが、心身的、金銭的な影響が大きいと結婚を機に止めた。
 代わって仕事場兼自宅を1億4000万円のローンで豪邸に作り替え、借金返済を
 あえて自分に課して、執筆活動のモチベーションとしているとのこと。
 ギャンブルで消えるより、物として残る投資をしているのは、確かに健全なやり方だ
 と感じる。
 行動を定期的に投資対効果を基準に見直し、止めるべきはスッパリと切るという決断
 力についても見習う点だと考える。
⑦自分が楽しいと思える分野で頑張る
 絵、漫画を描いてそれが人に喜ばれるのがサイバラの生き甲斐とのこと。
 執筆を続けるモチベーション維持のため敢えて多額のローンを組むことも厭わない。
 最初はカネのため仕事をしていたのに、今は人に喜んでもらうため仕事をする境涯に
 達している。
 ここまで出来る天職を創り上げたサイバラ、ファンとして拍手を贈りたい。
 この多額の借金を持つまではやり過ぎのように思うが、ある意味自利と他利のバラン
 スを取る「智の道」の一例として、長く仕事を続けていく心髄として見習いたい。
  
追記
 サイバラの大学生時代の貧困生活が書かれているが、何故に今どきでは珍しくもない
 勤労学生であることを、体験談として恨みがましく書いてあるのが不思議であった。
 統計を見てようやく理解したが、30年前は4年生大学に行く女性が12%程度で、
 基本的に裕福な家庭が子供のカネを全額負担して行くのが当たり前だったようだ。
 今では男性55%、女性50%弱の進学率なので、勤労する学生も普通となっている。
 アインシュタイン曰く「常識とは、18歳までに身につけた偏見のコレクション」で
 時代背景ごとに少しずつ常識は変わるので、本を読むにも注意が必要だ。

 ちなみに45年前に小池百合子がカイロ大学に行くと決めた際に、裕福なはずの両親
 からは1000ドル、当時の為替レートで30万円のみ餞別に与えられ、「仕送りは
 しないので自力で稼げ、また卒業するまで日本に戻るな」と約束させられたそうだ。
 しかもエジプトは戦争地帯、学生も全員が軍事教練をさせられる生活だったとのこと。
 上には上がいるものだと、修羅場をくぐり抜けた女傑達の体験談は本当に凄く、まず
 この生き抜く逞しさを、小人たる私は見習うべきなんだなぁと感じている。

投稿者 akiko3 日時 2016年12月23日


「この世でいちばん大事な「カネ」の話」を読んで
  
いわゆる中流家庭で育った自分には別世界、ワイルドすぎる。サイバラさんは、ラジオ番組にゲストででてて、学校を休ませてでも貧しいアジアに子連れて旅行し、子供に世界を見せているという話をしていた。個性的な漫画家として競争社会で生き残っている成功者の意外な一面に感じ、興味深かく聞いた。成功者でも這い上がってきた成功者だったのかとまたトーク内容を振り返っている。時流のボランティア的なノリで貧しい現実を見せ、考えさせたいのかと思っていたから。生き抜く力を、しっかり生活を見せたい、どんな状況にあっても自分で這い上がるんだよとのメッセージも説得力が増した。母親から全財産140万のうち、100万もを託された18歳の自分が這い上がるしかないと歩んできたからこそだろう。

嫌いなことは“憎むこと”とあった。どうしてこんなにも辛い現実を背負うのに憎まないでいられるのか?不思議だ。父親にしてもアル中の夫にしても、ダメなところがあるけど優しいところ、尊敬できるところもあるってそこもちゃんと忘れないでいられる。それがこの方の優しさ、平等にみるってことなのかな?自分の主観でいい悪いとジャッジしない、ジャッジしたところで何にもならない。自分の(心と体の)空腹は自分で満たさないと長年身にしみている価値観があるから感情に引きずられないのか?
  “人のせいにしない”=人に依存しない。働かざる者食うべからずを骨の髄まで染み込ませている肝の据わった人なのだ。
 
  しかし、なのになぜにギャンブルに依存してしまうのか!もうー。ギャンブルに追いつめられた父親の姿を思い出せなかったのか?それとも見てきた風景だからある意味違和感がなかったのか、負の価値観を拒絶できなかったのか?師匠に出会い、そこに父性に対するような自分よりはるかに大きな存在を身近で感じていたかったのかもしれない。

  サイバラがおもわずサバイバルからの派生語かと思うぐらいの人生だが、おじいちゃんと海を見て暮らした頃、貧しい時代だったのにこの本の中で唯一のほっこりする風景がイメージできたのは、食べることに困らない、何か仕事(手伝えること)がある環境がとても大切なようにも思った。貧しい漁村や農家でも一家総出で生命と向き合い、人と日常を共存する。常に何かしら用事をこなし、分かち合う暮らしは、各人に役割がある必要とされている暮らしが、心を貧相にしないのかもしれない。現実から逃げるように何かに依存しなくても済むのかもしれない。
「どんな時でも、働くこと」と書かれているが、自分に与えられる役割にまずは一生懸命取り組んでみる。心がそれを喜べば続ければいいし、違和感があれば別の役割を探してみればいい。ただ自分を生きようとすること。人に依存せず、自分で自分を満たそうとすること。

  金は満たしてくれないよ、気を付けてね。私の授業料はとっても高くついたから自分一人だけの学びだともったいない。本を読む多くの人の知恵にもしてもらわなきゃ、元がとれないよ!

  破天荒な生き方のサイバラさんとは、人種違うから価値観も違うと浅はかに捉えていましたが、楽天的な人間性、著書からにじみ出る優しさ、素直さを感じファンになりました。理解不能だった某熟年恋愛もそんな方が魅かれる人間性があるんだろうなと考えが変わりました。余計なお世話でしょうが…。

  一年間継続できたのは、この場と読んでよかったと思える良書を提供して頂いたおかげです。1か月課題本だけで手いっぱいだったのに、+αの本が読めた(まだ猿ですが…)のも継続のおかげでしょう。どうもありがとうございました。

投稿者 matsuhiro 日時 2016年12月26日


「カネ」は、単なる通貨ではない。「カネ」ほど千変万化にヒトの幸せを変えてしまうものはない。本書を読みながら昨今の経済状況(所得格差拡大、貧困の拡大、金融市場の資本主義システムの行き詰まり感、など)を頭の中に浮かべると、なおさら著者が言うように「カネ」というものを軸にさまざまに絡み合うこと、「生き方」ということを考えることが「リアル」なのだと思う。しあわせ、いきがい、などを考えるのもいいが、著者の「カネ」と向き合った生き方、人生観から多くの気づきを得ることができた。

本書を読みながら、私はかつてより自分の中にあった、ある指標を取り出していた。それは「ビジネスパーソン人生のVSOP」というキャリア設計の考え方だが、20代から50代以降に至るキャリア・パスを、まるで、ブランデーVSOPのように成熟していく姿を表現しており、非常にしっくりくる指標である (* VSOPとは、「V」(Vitality:活力)、「S」(Specialty:専門性)、「O」(Originality:独自性)、「P」(Personality:人間力)。なお、Googleで「ビジネスパーソン人生のVSOP」を検索するとヒットしますので、更なる解説、説明は割愛します)。この指標を当てはめながら、著者の生き方、キャリア、そして「カネ」をみるととても面白い。

著者が何度も何度も語る「貧困」とは、蟻地獄のように抜け出せない恐怖であり、「カネ」が生み出す貧困と差別は、暴力も生み出す、絶望そのものだった。著者が「逃げ出したい」といっていた場所は、まさに「貧困」の世界であり、貧困の隣には「死」がみえた。簡単に「貧困」というループから抜け出せない。親、友人など周りの環境によってすぐに「貧困」に吸い込まれてしまう。何度も何度も押しつぶされそうになる中、著者を支えたのは、母親への「恩」であった。どん底のなか、全財産140万円のうち、100万円を著者に渡してくれた「恩」だった。「みっともない」しか言えないへたくそな母親の愛情をいっぱい感じた。「貧困」から抜け出そうとう「活力」はそこから生まれている。「活力」というのは、何度でも立ち上がり、食いしばって這い上がっていく力であるが、その源は母親への「恩」だった。ヒトは誰かのために生きている、誰かのために頑張れる、それが強い力、負けない力となる。

そんな著者が勝負している世界、ゲージュツというのは、才能がぶつかりあう世界で、稼げる人、生けていける人はごくわずか。ここで生けていくには、行き続けていくには何が必要なのだろうか。才能?経験? 著者は、「商品の差別化」という言葉で、人と違うところをやる、尖がったなにかを作り出すことが道を切り開くカギであることを、丁寧に教えてくれている。

著者には幼少時代、映画館で自分の心に「しっくり」くる体験があった。この「しっくり」くる世界で稼ぎたい、仕事がしたいと想い続けてきた。漠然と、あいまいながら、それでいて、具体的に、自分が勝負する場所(=ヘタウマの世界)を想い続けてきた。著者には、他に勝負できるものがなかった。これしかなかった。「しっくり」くるという世界だったからこそ、どんなことがあってもブレずに勝負できた世界だったのだ。この世界を想う気持ち、想い続ける感情と、著者の「活力」と、半端ない相当な努力によって、著者おのヘタウマという得意技(専門性)を作り上げた。

また、努力を続けられる重要な要素として、著者は自己効力感が相当高い。決して背伸びしない。現実をみて、自分自身を(客観的に)よく知り、努力を積み重ね、自分という差別化商品を作り上げた。ちなみに、著者の代表作である「毎日かあさん」を調べてみると、連載スタートは30代後半だった。さらに、40代には活躍の幅を広げており、ファンとして、今後の活躍がとても楽しみである。

ここで、父親、母親にも触れておきたい。なぜ著者はギャンブルにのめりこんでしまい、5,000万も損をしてしまったのだろうか? 著者は、よくわからないと書かれているが、うまく説明できないだけで、感覚的には「わかっている」のだと思う。

学校を退学になるとき、孤立無援なとき支えてくれたのは父親であり、『「お前はまちがっていない。お父さんはお前が大好きだ」って何度も言いつづけてくれた父親の言葉は、今でも、忘れない』大切な思い出である。どんな親でも、親なのだから、いいところも悪いところもいっぱい知っているから、心底嫌いになれない。だから、ギャンブルをしているとき、いつも父親のことが浮かんでは消え、実体験を通じて、父親を「感じて」いたのだと思う。人々の心の奥底にある無意識な領域で、父親をみているので、嫌な記憶しかないはずのギャンブルを通して父親を「感じて」いたのだと思う。興味深いのは、母親は今でも父親のギャンブルのことを思い出すとたまらなく腹が立つということ。これが、親子、夫婦が感じる違いなのだろう。繰り返すが、だからこそ、親から受け継いだ「貧困」というループも抜け出すことは相当難しいのだと言えよう。

さて、私は、現在39歳、父親を目標とし、「40歳で1,000万」を目指し、勝負してきた。何度か転職し、あと数十万というところまできたが、40歳ではぎりぎり達成しないかもしれない。ただ、「カネ」「ストレス」「やりがい」の中でもがきながら、自分なりのポジションを作り出すことができたと考えている。仕事人間だった父親を反面教師に、幸せな家族、ワークライフバランスを追求しつつも、父親が早く亡くなった原因である「酒」は大好きで一生うまく付き合っていきたいと考えている。私なりには「いいとこ取り」のつもりだったが、そんな私は、いまだに生まれた環境を乗り越えることはできていないのだと改めて気づかされた。

人生の最後まで「仕事」と「カネ」は生きることそのものであり、機軸となる。本書から、「カネ」を通じて、凄まじい貧困、過酷な世界、生きること、そして想像することについて学ぶことができた。来年40歳を迎える私がこのタイミングでこの本に出会えたことに感謝したい。

投稿者 J.Sokudoku 日時 2016年12月28日


“人生においてお金ってどのくらい重要なのか?”
“道を間違えないためのお金との関わり方は?”
あまりにも身近で当たり前な存在であるお金。しかし、様々な側面を持っているが故に分かっているようで、実はよく分かっていないだろうお金のこと。今月は、そんなお金について自分史を振り返りながら考えを深める良い機会となった。本書からは、今後の人生でお金との関わり方を決める上で指針となる2つのことを学んだ。
1つは、“お金の持つ恐ろしい側面”をしっかりと認識、理解すること。
もう1つが、“お金に対するルール”を決めることである。

1.“お金の持つ恐ろしい側面”をしっかりと認識、理解する

 「誰がいちばん好きですか?」「たくさんあります。」
これは、本書の最後に「谷川俊太郎さんからの4つの質問への西原理恵子さんのこたえ」からの抜粋である。
誰が好きですか?という問いに、「たくさん“あり”ます」は日本語的には明らかに変である。
 “なぜこのような答え方をしたのか?”
きっと、そこに西原さんの重要な思いが込められているからではないだろうか。その思いとは、多分
 “お金は人を狂わせることがあるよ”
ということではないだろうか。例えば、西原さんは、お父さんやお母さんのことが大好きである。だけど、嫌いになってしまった時もあった。お父さんとお母さんについて大好きな時の想い出があると同時に嫌いな時の想い出もある。そして、その大好きな想い出と嫌な想い出とを隔てさせているのがお金なのである。お金は好きな人を嫌いにもさせてしまう。そんな思いが「たくさんあります」という答えに込められているように感じた。
 
“お金は人を狂わせることがある”ことは、決して他人事ではなく自分のごく身近にも起きていた。それは、祖母が亡くなった後の財産分与時に叔父が豹変した時のことだ。まるで別人のように分与方法についての不平不満を怒鳴りまくし立て、最後は兄である自分の父親に掴みかかってきた。自分が知っている温和な叔父とは全く違う別人格の叔父がそこにいた。お金って、一番強い絆で結ばれているように見える家族までも分断してしまう恐ろしいモノだと、その時感じたことを覚えている。

では、
 “お金によって狂ってしまうことは自分には絶対起こらないと言い切れるか?”
現時点では、否である。
お金の持つ人を狂わせる魔力って、分かっていて避けられそうなのだが、実はその状況に実際に置かれないと分からないのかもしれない。お金は大きな、大きな力を持っている。欲しいモノを手に入れることができるし、楽しいコトをすることだってお金を持っていれば叶えることができる。または、ピンチを救ってくれたり、成功の可能性を広げたりもしてくれる。お金は大きな力を持ち、また重要なものである。でも、その大きな力に焦点を当て過ぎて、大切な人達との人間関係を壊してしまうようなお金との関わりは避けなくてはいけない。
では、どうすれば良いのか?それは、お金の持つ力だけではなく、
 “お金を如何にして得るか”
という方法や過程にも焦点を当てることだと思う。

2.“お金に対するルール”を決める

結論から書く。
 “働くことで手にする以外のお金からは距離を取る”
という生き方も1つの道なのではないだろうか。ある意味この生き方は、お金を得るチャンスを逃すことにもなるだろう。ただ、それ以上にお金という呪縛からある程度逃れられるという点で気楽な生き方ができるのではないだろうか。本書を読んでふとそんな思いが立ち上がった。今までは全く無かったこの働いて得たお金だけと関わるという考え方が何となくしっくりとくる。

そもそも、
 “日本の現代社会はお金に翻弄され過ぎではないだろうか?”
それこそ世の中を見渡せば、お金がらみの犯罪事件、またはお金がらみの甘い話しって本当に多いことに気づく。お金にまつわる殺人、詐欺、窃盗、企業の不正会計などの犯罪事件は、本来はお金を操るはずの主体である人間が、逆にお金に靡いてしまった結果に見える。
また、インターネット、新聞や雑誌などのメディア広告に載る株やFX等の金融取引や、その他投資の儲けノウハウ関連商材や書籍の多いこと。甘い話に誘われ、気づいたら「負のループ」に入っていたなんてことは、そんなに珍しい話ではないのかもしれない。
投資でお金を儲けることを悪いこととは思わない。
だが、そこに人を狂わす、人の理性を吹き飛ばしてしまう魔力が潜んでいることを自覚し覚悟を持って臨むべきなのだろう。それが出来ないのであれば、働いて得たお金とだけ関わるというルールを持って生きて行くこともありなのではと思った次第である。お金の魅力ってあるけれども、やはりその“お金の背景“をしっかりと考えるべきなのだろう。働くことに裏打ちされたお金とだけ関わる。そんなルールも悪くないなと本書を読んで考え出した自分である(毎年暮れの恒例行事である有馬記念に全然興味が沸かず馬券を買わなかった自分には驚いた)。

最後に、「谷川俊太郎さんからの4つの質問への西原理恵子さんのこたえ」の中でもう1つ気になった
 「死んだらどこへ行きますか?」「あの花のむこう」
について。
 “お金とはいつから関わり始めたのだろうか?”
思い出してみると自分が自由に使えるお金をお小遣いとして貰い始めたのは小学校1年生の時。その時から自分はお金との関わりを本格的にスタートしたのだと思う。
“自分のお金を持つ”ことを境にお金のことで心配する必要のない「むこう側」から、否応なしにお金と関わる今居る「こっち側」にやって来た。
お金を通して自分と友達との比較から始まり、自分の親と友達の親との比較、持っている人と持っていない人との比較、そしてその中に自分を加えた比較。お金で手に入れることができたモノ、または諦めたモノ。大人になればなるほどお金との関わりが増えてきた。そうやってお金が自分の人生の中にどんどん入ってくる。そして、現在もお金の事を日々考えている自分がいる。
お金は、困難な状況を救ってくれる、新たな道を拓いてくれる有難い側面がある、その一方でお金は悩みや苦しみを人に与える側面もある。持っていなければ、その工面に心悩まされ、時にはそれが憎しみや暴力となってしまうこともある。たとえ持っていても、それを増やすこと、減らさないことに心悩まされ、人を疲弊させる。
総じてお金は難しい。生きている間は、誰しもがお金について考える。
でも、人は死んだらお金の「むこう側」にまた帰って行く。お金に関わる全く必要が無い「むこう側」とは、それこそ果たしなく続くお花畑の中にいるような気分で居られる場所なのかもしれない。
「あの花のむこう」には、そんな西原さんの切な願いが込められているのではないだろうか。

~終わり~
今年1年間、つたない感想文にお付き合いを頂きありがとうございました。自分にとって課題図書を通して得たものは甚大でした。また、来年もお付き合いのほど、どうぞよろしくお願い申し上げますm_ _m

投稿者 Innocentius8 日時 2016年12月29日


愛と分身

「最下位には最下位の戦い方がある」
「負けたときにどう切りかえすか」・・・
絶対的なピンチや一見勝ち目のなさそうな所から這い上がってくるこの底力とは、いったいどこから来るのだろうか?
ショックや恐怖で委縮してしまいそうな瞬間に、どうして発想の転換ができるのか?
今までも、苦労を乗り越えてきた人の話を聞いていて、「すごい人ってどうしてその時点で、こんな発想の転換とか底力が出てくるの?」と思うことがよくあったが、
今回、この西原さんの本を読んでいてふと気づいたのが、愛と信頼の存在とその強さである。
色々な葛藤もあったようだけれども、西原さんは、ご両親から普通とはちょっと違う愛情をかけられており、さらに、心底から信頼されているように思える。
プレッシャーもあったかもしれないが、それが単なる親の見栄とか表面的なものではなかったのだろう。
そして、西原さん自身も、ご自分の家族に対してはもちろん、全般に情愛の深いひとなのだ、という事が、この本の語り口を通しても感じるのである。

ところで、「この世でいちばん大事な「カネ」の話」というタイトル。
「カネ」とは何か?
この本の中では「「カネ」とは〇〇である」のような押しつけがましい定義はされていないが、おカネの使い方やおカネへの態度でその人の人となりが見えてくる、というかその人の生き様そのものを映し出している、ということは、いろんなエピソードを読んでいくうちに感じてくる。
おカネはその人の生き様、一側面を物語っている、というようなことはよく言われることだが、
ただ、今回は、本書を読み進めていくうちに、そういった受け止め方ではしっくりこない感じがしてきて、どちらかというと、一側面なんて弱いものではなくて、本当は「分身」なのではないか、というイメージが湧いてきた。

おカネの使い方やおカネに対する態度、考え方、それら全てが、実は自分の分身、ということである。

分身、なんて何だかちょっと突拍子もない飛躍かもしれないなぁ、と思っていたのだが、この本の後に読んだ別の本の一節を読んで、そんな考え方もあながちおかしくないのかもしれないと思うことがあった。
その本曰く、モノとしての貨幣と貨幣形式(だったかな?)は別物であり、貨幣形式は人類の歴史と共に古いという話で、モノとしての金があろうがなかろうが、社会の中における交流、人のかかわり(貨幣形式)というのは存続し続けることになる。
たまたま今の時代、お金という形で具現化しているだけで、その根本は人間社会における個々人の間の関係であり、それは人間社会そのものと切り離せない、というような話だった。

おカネは実は社会における交流を見ているということで、そう考えると、社会の中で自己実現したり自由を得るということは、社会の中での交流に自分が深く投影されるわけで、必然的にたくさんおカネが関わってくることになるのかな、などと想像してみたりすると、モノとしての金だけを追い続けるのは実は不毛なんじゃないかという気さえしてきた。

まだ今一つ自分でもぼんやりした感覚でしかないが、
結局のところ、いつも自分が悩んでいる「カネ」が実はモノでなくて、もっと社会の根底に流れる人の交流の一つであれば、西原さんの人生から垣間見える情愛というのも、それと大きく関係しているような気がしてならない。

投稿者 str 日時 2016年12月29日


“この世でいちばん大事な「カネ」の話“を読んで

お金というものの価値や大切さ。そして過去の自分がどれほど無意味なムダ遣いをしてきたのかを痛感させてくれた一冊だった。
自分は決して貧しい家庭で育ったわけでもなく、どちらかと言えば恵まれた家庭で育ったのにも関わらず、高校生活の後半あたりから実に約10年間、ギャンブルに嵌った時期があった。始めたきっかけは覚えていないが、依存した理由は簡単で「勝ち」を知ってしまったから。人って単純だと思う。知人には「やってみたけど勝てなかったからやらない」という人もいる。自分も勝てなければ少し違っていたのかもしれない。最初の頃は少ないバイト代が少し増える程度の勝ちでも嬉しかったものだ。ギャンブルを続けていくうちに、当初の目的だった筈の「お金を増やす」という名目から徐々に逸脱していくもので、ギャンブル自体が目的となっていく。高校を出て就職し、安定した収入が得られるようになってからも通い続けていた当時の自分を思い返してみるとそうだった。張った大物手を一発でツモった時の快感。大量のドル箱を積み上げた時の優越感。ギャンブルする事に「楽しみ」を覚えていた。たまたまの偶然が重なっていくうちに「俺って博才あるな」という勘違いを生み出し、仕事帰りや休日は決まってギャンブルに向かう生活だった。

自分がそんな生活を続けていたのは“人生の楽しみ方“のようなものを知らなかったから。生活に困っておらず危機感もなく、将来の事を考える事もせずにただその時を生きていたから。周囲の友人たちが次々と結婚し、家庭を持っていく様子を見ながら、「このままじゃマズい」と思い始めた。自分は依存症ではないと思い続けていたが、自分を客観視した時に立派な依存症だという事に気付く。そこで初めて「結婚する予定もないけど毎月○万円は貯金しておこう」と決めた。自分はたったそれだけ。それだけの事で徐々に足を運ぶ回数が減り、目標額を増やしていくうちに気付いたらスッパリと辞めることが出来た。麻雀は今でも友人と年に数回は卓を囲むが、同窓会程度の感覚。不思議なもので「ギャンブルくらいしか楽しみもないしな・・」と思っていたが、旅行だったり読書だったりといくらでも楽しみ方は見つかった。”豊かな生活”というのはお金だけでは得られないものだ。
過去の自分を振り返ると「退屈」と「願望を持たない」という事はとても怖いものだと思った。「計画性がない」とも言える。そこに「お金」が加わるとアウトだ。際限なく続けてしまっていたかもしれない。

『働くこと』とそうして得る事が出来たお金。「遣い方」だけでなく「稼ぎ方」にも自身の中で境界線を引いておく事って大事だと思う。ギャンブル全てを否定するわけではないが、「ギャンブルで稼いだお金でギャンブルに行く」のはやはりちょっとおかしい。働いて得たお金との重みというものを大切にしていきたい。西原さんの言う『ベースとなる金銭感覚』だけは今後も設定し、それを崩さないように遣り繰りしていこう。そしてなにより楽しむこと。退屈からの逃げのツールにお金を遣わなくとも、楽しみはいくらでも見つけることが出来る。仕事だってもちろん同じだ。『働くことが希望になる』『誰かに喜んでもらえたことの報酬』捉え方をちょっと変えるだけでこんなに素敵なこともない。
「衣食住」には欠かせない、一生関わりを持っていくお金。
手にする金額は年齢と共に増えてきたが、初めてアルバイトをした時と根底の部分は変わらない「自分で稼いだお金」をどう活かしていくか。

現在の自分は大丈夫だと思いたいが、過去の自分と失敗を見つめ直すことができ、より一層強く再認識させてもらった。ちょうど本年も終わりになる頃、財布の紐が緩くなると言われる時期。働いて得たお金で得られるモノが何なのか?それを良く考えた上で過ごしていこう。

本年もメルマガの配信・良書の紹介と、たくさんの事を学ばせていただきました。
ありがとうございます!

投稿者 tsubaki.yuki1229 日時 2016年12月31日


『この世でいちばん大事な「カネ」の話』(西原理恵子)を読んで

 私事になるが、2016年最後の月を迎え、自分のお金の使い方を見直して、大ショックな事実が発覚した。
 これまで働いて頑張ってこつこつ貯めてきた、貴重な尊いお金を、いかに自分勝手な理由で馬鹿なことに浪費をしてきたかを見せつけられ、自分の愚かさを思い知らされたのだ。
 具体的な原因は、ショッピングに行き「仕事のストレス解消」などと言い訳しながら「爆買い」をする(ひどい時は月10万円)、自分でお弁当を作れば良いのに、高いお店で外食する…等々、些細な生活習慣に過ぎないが、このような生活を続けていると「塵も積もれば何とやら」で、浪費したお金は莫大な額になっていた。
 そんな時期に本書が課題図書とされ、何と象徴的なのだろう、ありがたい、ごめんなさい…と様々な気持ちを抱えながら、自分への反省をこめて読み始めた。

 貧しい子供時代を描いた小説やノンフィクションなら、他に多数あるが、本書が特徴的なのは、著者が「人を人でなくしてしまうものは何か?」という問いに、これまでの人生で常に真摯に向き合ってきた点であろう。
 「想像力の欠如」「ギャンブル」など、鋭い答えが提示されていたが、私が印象に残ったのは「貧富の差」に関する指摘だ。
 著者が幼少時代を過ごした最初の村は「皆が貧乏だったから、のんびりしていた」という。ところが、同じ県内にもかかわらず、2番目の村に引っ越してから、環境が狂い始める。「大人は怒ってばかり。子供たちは居場所がなくて非行に走る」という。自分と他者を比べて見栄を張り、優越感を感じようとして、「自分ではない何か」に変身しようとした結果、破滅。…この無限の悪循環にハマっているように思える。
 人がギャンブルにはまる理由も、これと根本的には同じではないか?と気付いた。例えば自分のすぐ近くに、賭けに大当たりし、大儲けをして喜んでいる人がいたとする。「自分もちょっと頑張れば、あんな風になれるのでは?」と思い、無理をして破産…というありがちな行動パターンだ。もし賭博場に行って、参加者全員が大して成功せず、全員が貧乏だったら、「見栄を張って無理して頑張る」ことなど、誰もしないであろう。
 「貧富の差が、人から幸福感を奪う」というTEDのプレゼンを見たことがある。本当にそうなのだろう。現に貧富の差が拡大しつつある昨今の世の中で、生き残るためには、「自分より上の生活をしている人を見て、羨ましい」という気持ちを持ち、「自分も頑張ろう!」と前向きに努力するのが正しい方向だと思う。ところが、劣等感に押しつぶされ、上辺だけ成功者であるかのように取り繕ってしまうこと。「見栄を張る」というのは、実は非常に恐ろしい行為だと感じた。
 確かに、自分を「自分以上の存在」に見せようとし、それが良い方向に働いて、本当に成長できることも、人生にはあるだろう。しかし、本当に怖いのは、「無意識のうちに」表面だけ取り繕ってしまう場合だ。自分はすごいと錯覚しているだけで、真実ある中身を伴っていないため、余計なエネルギーを使ってボロボロになり、最後にはボロが出て破滅するのだから…。
 かく言う自分も、他人事ではない。ギャンブルはしたことがないが、何しろ、優等生の「ふり」(演技)だけは上手いのだ…。

 そんな自分が、著者の西原さんから学ばなければ、と思ったのは、何を隠そう「最下位からの戦い方」である。
 彼女は自分の絵の実力を良く分かって、戦略的に行動していた。一方、絵が上手い優等生は、プライドだけ高く、「高尚な仕事しか引き受けない」という態度を貫き、生産的な行動をしていなかった。
 絵画芸術を見る目が全くない自分が偉そうなことを言う立場ではないが、例えば西原さんの「まいにちかあさん」の絵と、クリスチャン・ラッセンのイラストを並べてみて、「どちらが上手いですか?」と道行く人に質問したとする。(そんな質問ナンセンスだが…。)「西原さんの絵の方が上手いです!」と即答する人は、恐らく少ないと思う。(西原さん自身、漫画で描いていたが、ある時、息子さんの保育園のお遊戯会の看板を彼女がボランティアで描いてあげたのに、先生方も保護者も誰一人「プロの漫画家の仕事」とは気づかなかったので、落ち込んだそうだ。)
 しかし、西原さんの漫画「まいにちかあさん」は、独特の存在感と味がある。「良いことだけではなく、時々つらいこともあって、忙しくて、でも温かい日常生活」を描いている。きらびやかな世界だけ切り取らず、素直に、ありのままを描いているから、現実味があってほろりとさせられる。こんな漫画は、クリスチャン・ラッセンや、その他絵の上手な画家を含めて、他の誰にも描けないだろう。

 見栄を張っている場合ではない。自分の実力を見極め、自分の戦い方を決める。お金との向き合い方以上に、人生への向き合い方を教えられた一冊であった。
 ありがとうございました。

稿者 onsen33 日時 2016年12月31日


なぜ、こんなに大切なことなのに
『この世でいちばん大事な「カネ」の話』なのに
まともに教育されないまま大人になるんだろう。

『この世でいちばん大事な「カネ」の話』を読んで。

私はケチです。損しないことがイイことだと思っていました。振り返れば、見栄をはって、ズルしてきたことも多いし。
私はみっともない人間でした。私のズルは知恵なんかじゃありませんでした。

初めて就職した会社は、会社の利益ではなく、一握りの人たちの私利追求のためになくなってしまいました。
みんな「カネ」に困っていて、安いパーマをあてて毎日怒っているおばさんとその家族の集まりのような環境でした。
社員はもちろんのこと、きっとその家族も辛い思いをしていたことでしょう。
「カネ」のせいでたくさんの人の生活が変わっていきました。

そんな中、最後まで面倒を見てくれた上司は、パーマのおばさんではありませんでした。
最後の最後まで、自分のことでも会社のことでもなく、部下のこと、お客様のことを真剣に考えていました。
お客様から笑顔でありがとうと言われることの、言葉には表せない、嬉しさ、今ここに自分がいられて良かったという、
光が満ちてくるような気持ちを気づかせてくれました。
誰かに喜んでもらうために仕事をすること。
お客様に喜ばれることの喜びを知ったことは、本当に幸せで、それを忘れなければどこででもやっていける。
誰かに喜んでもらえたことの報酬である、自分で稼いだ「カネ」のことを教えてもらいました。

しかし今、私は、人の「カネ」をアテにして生きています。
まだ、みっともない人間です。
でも、戦います。
今死んでも、自分の人生に満足できるように。

人の「カネ」に頼りながらも、おかげさまでこの一年、自分の知らなかった「カネ」について、いくつもの本に出会ってきました。
「カネ」が与える様々な影響、「カネ」とは何なのか、なぜ人は「カネ」を求めるのか。
『この世でいちばん大事な「カネ」の話』なのに。
まともに教育されない理由は、きっと、どうしても弱者が必要だから。
でも、なんだって自分で戦って気づかなければ、たとえ教育されたとしても、ダメなんでしょう。

こんなに学ばせてもらって、学んだことに気付いたはずなのに、またいつの間にか忘れてしまう。
まだまだ努力が足りません。
また近いうちに、もう一度読み返したいと思います。

ありがとうございました。

投稿者 akirancho0923 日時 2016年12月31日


『この世でいちばん大事な「カネ」の話』を読んで

この本を読み終わったとき、神様は、人を不完全な生き物として創造したがゆえに
おカネの価値観が生まれるようになったのかな、と思いました。

というのも、おカネは汚いもの、とか、あまり口に出してはいけないものという風に
聞くことがありますが、所詮それはその人の色眼鏡で見ている価値観なんではないかと。
そうではないんだと。

少なくとも私は、私の人生の上で出会う人たちが無限にいて
どれだけつながれるのか、というゲームのツールなのだ、おカネは。
という気づきを得られて本当に有難く感じました。

つまりは、おカネという価値観を通して、どれだけたくさんの人達を幸せにすることができるか
そういう修行をさせる為に、人を不完全に創った、とも言えるかと。

話を戻しますが、
何故、私はそういう気づきを得られた、と感じたのかを考えました。

たぶんそれは副業が関わっているだろうと。

実は私は、副業を考え始め、行動に移せず、数年が経つのですが、恥ずかしながら。。
副業について考えれば考えるほど、関係図書を読み込めば読み込むほど
何をすれば、たくさんの人達に提供できるものが生まれるのかわからなくなっていました。

最初は、まず行動を起こせばというのはよく聞きますし、わかってはいるのです。。

しかしながら、自分の中で腹に落ちる理念といいますか、例えば毎日口ぐせになるような
信念が生まれないまま行動しても、継続できずに中途半端になりそうという考えに
縛られている自分がずっといるのでした。

そして出会うことができた言葉。

「自分はそれでどうやって稼ぐのか?」

を本気で考える。というか、ゲーム感覚で本気で楽しむ。
これだ!と思いました。

ただ、この言葉はよく聞くありふれた言葉だと思い直しました。
何故今になって、引っかかったのだろうと。

3回ほど読み直してまた考えました。

今の答えとしては、最近ずっと考えている、自分の資産作りに早く取り掛からねば
時間がかかる資産作りに早く取り組みたい、と考えているからだろう。でした。

なので、早速、この年末から自分の棚卸として提供できそうなものを
書き出し始めました。

短い文章や長い文章、
まだどのような形になるホントわかってないのですが、それでも

「自分はそれでどうやって稼ぐのか?」

この言葉を常に忘れずに歩み続ければ、副業にすぐには届かずとも
自分人生に彩りや変化が訪れるような気がします。

やはり自分自身が楽しみ、変化しないと、たくさんの方々に提供できるものは
生まれないだろうし、おカネになって返ってこないですよね!

なんか、よいお年玉を頂けた気分です。笑

この今感じている勢いに乗って、来年は、自分が変化して3年経ったと、
胸を張って生きていく自分と出会う想像を夢見て
ニヤケながら、コツコツ書き溜めていきます。ゆっくり休むつもりが
あっという間に休暇が過ぎそうです。^^;


P.S.この場をお借りしまして。
今年もこの課題図書を書き込む場を提供して頂き本当にありがとうございました。
継続してからの投稿回数はまだ9回目ですが、
来年も続けていきたいので、引き続きどうぞよろしくお願いします。


しょ~おん様及びお家族の皆様が、よいお年を迎えられますよう、心よりお祈りいたします。

ありがとうございました。

投稿者 andoman 日時 2016年12月31日


『この世でいちばん大事な「カネ」の話』を読んで

本書の題名を見た時に、ちょっと尖った題名だと感じたが、読み終えた後、何故この題名としたのかが、理解できた。
筆者のこれまでの経験談や海外での「ヒト」の命の相場と軽さ⋯。
これらの事を踏まえると、確かに「この世でいちばん大事」という表現に辿り着く。
また、「お金」では無く「カネ」と、やや雑な表現したのにも、筆者なりの「認めたくは無いけど、そうなんだ。」という気持ちが反映されているかと思う。
大事だけど、好きじゃ無い。
認めたくは無いけれど、認めざるを得ない。
そんな気持が、題名からジワジワと伝わって来た。。。

私はお金について、以前は心の奥底では嫌っていて「悪」と思っていた。
地球上のリソース(資源)は限られており、それをお金によって交換している。
よって、少数の人間が富を支配する事で貧困が生まれ、お金が無い人は貧困故に罪を犯し(本書の貧困と暴力は仲良し、心の風邪の話がこれに近い)、更に1部の人間が、よりお金や資源といった富を求めるが為に戦争が起きるのだと…。
だから、お金は必要最低限だけあればいい。自分が得る富が低ければその分、地球上のリソースは他国の貧しい人達に届くだろう。
そう、考えていた。
しかし、そうでは無い事に気付いた。いや、気付かせてもらえた。
金運編を2度受け、2度目に、とあるフレーズとその理論を聞いたによって、その価値感はドカンとひっくり返った。

お金は求めてもいいんだ…。

だが、やみくもで過剰に求めるのではなく、自分の叶えたい事を実現する為に必要な範囲で求める分には、大いに求めるべき。ということである。
(本書の「自分で「カネ」を稼ぐことは、自由を手に入れることだった。(・8・)」というタイトルフレーズに強く共感)
それからは、給与交渉や転職時の年収交渉では、以前よりはるかに強気で攻める様になることが出来た。
しかも、ただやみくもに交渉するのではなく、この期間でこのくらいの実績を上げて、どう貢献したか。また、どういった事で会社に貢献が出来るか。をきっちりと相手に伝える事にまで及んだ。
その結果、以前よりかは収入が増える事で、以前より質の高い良いものを食べ、より高い知識を得る為にセミナーに積極的に参加したり、自分がより高みに成長するためにお金を使う様になった。

また、お金を得るための「仕事」についても、筆者は素晴らしい事を記していた。
やりたい事を仕事にする。
前へ前へと動く事で道は拓ける。
やりたい仕事が見つからない時には「カネとストレス」「カネとやりがい」のバランスで仕事を選んでみる。
人に喜ばれるという視点で仕事を探す。
という内容だ。
仕事というものはその人の魂の表現や体現だと、私は考えている。
人がその人生で、学ぶべき課題。
それを「仕事」というツールを通じて学んだり、表現するのではないかと考えている。
だから、人それぞれしっくり来る仕事、来ない仕事。があるのだと思う。
以前は私も、やりたい事が出来ずに、只々その日その日を何も考えずに生活する、人○製造機だったが、今は自分がやりたい仕事に就けている。
その結果、今は「自分の人生を生きている」と、胸を張って言えている。

本書を読んだ後、ふとそんな事を思い出し、自分の考えと行動が、正しい方向で動けているのではないかと、確認する機会になった。
今年の最後に、これまでの自分を振り返る事が出来た本に出逢わせて下さり、ありがとうございました。
来年も素敵な本との出逢える事を楽しみにしております。

投稿者 Valentina 日時 2016年12月31日


「この世でいちばん大事な『カネ』の話」を読んで

『人って、生まれた環境を乗り越えることって、本当にできるんだろうか。(p.10)』この問いに対して、“乗り越えた”かに見えるサイバラさんが『わたしにもわからない』と書いていたのが意外だった。「おわりに」の中で、『わたしが“抜け出せた”』と言っているにも関わらず。「乗り越える」と「抜け出せる」は違うのか?本書を読み終わってからも、私はこの2つの言葉の定義について考え続けていた。

昨日、ふとこの意味がわかった気がした。サイバラさんは抜け出せた。でも、それは汎用性のある方法ではない。サイバラさんが抜け出すために取ってきた数々の手段、くぐり抜けてきた数々の修羅場は、並大抵の人間にできること、乗り越えられることではない。だから一概に「人は生まれた環境を乗り越えることができる」とは言えない、そういうことではないだろうか。

私は本書を読みながら、「抜け出すための条件って何だろう?」と考えた。そして私が達した結論は、まず、条件①教育と、条件②自分に与えられた選択肢を認識しているかどうか、この2つだった。②は、サイバラさんにとっては、映画の影響が絶大だったように思う。自分が生きている日常の外に、全く違った大きな世界があることを子どもの頃から知っていた。①の教育に関しては、サイバラさんの場合は、授けられたというより自ら体当たりで掴みにいったという感じだろう。掴む過程で、更に自分のスキルを活かせる選択肢を見付け、抜け出すための条件を強固にしていった。

しかし、①の教育にはカネがいる。そして、生まれた環境によっては、町に学校すらない場合だってある。私は最近、グアテマラ人のスペイン語講師と、先進国が欲しい植物や鉱物を手に入れるためにグアテマラの農民や鉱山労働者の土地を奪い、働かせ、搾取する現状についてよく話をする。労働者やその家族のほとんどはスペイン語を話さない。政府は先進国からカネがもらえるので、この現状を打開しようとしない。当然、学校なんて作ろうともしない。カネをくれる方の言いなりになる。言葉が通じないから、JICAのボランティアも来ない。改めてp.10を見直すと、まず先に『生まれる場所を、人は選ぶことができない。』と書いてある。私はグアテマラの現状を知り、『人って、生まれた環境を乗り越えることって、本当にできるんだろうか。』に対する答えは残念ながらNoだ、と思った。サイバラさんも、お子さんを連れて極貧国を渡り歩いてきたから、このような言葉が出たのだろう。

日本の場合は、貧しくても日本語はみんな話せるし、中学までは義務教育だ。だが、そこまでの教育だけじゃ貧困から抜け出せるわけがない。教育に投資できるカネがギリギリのとき、極貧の中、それでも歯を食いしばって頑張れるかどうかの境目は何だろう?それが、上記の2つに加えてもう1つの満たすべき条件③絶対に譲れない夢を持てるかどうか、これではないかと思う。

私自身、この本を読んだのは、まさに抜け出そうともがいている最中だった。来年で40歳。今まで勤めたどんな会社も長続きせず、未だ月収は大学の新卒並み。ボーナス無し。一度も結婚したことがなく、予定もない。実家に帰る度に「いい人はいないの?」と言われるので、大好きだった祖母に会うのが苦痛になってしまった。こんな現状から抜け出したい。そうだ、日本語の先生になって日本から出よう!海外で働こう!2年ほど前に、そう決めた。

幸い条件①教育は満たしている。勉強そのものが好きで、方向性を考えずいろいろ手出ししてきたから“高学歴低収入”になってしまったけど、ここに来てやっと学んでいることとやりたいことが結びついた。次は条件②の、選択肢。これは日本語教師に関しては申し分ない。東南アジアを中心に様々な国で需要が伸び、人手不足が起こっている。オンラインでも教えられる。そして③絶対に譲れない夢、これもあったからこそ、この1年睡眠時間と遊びを削って、本業と副業と学業すべてをこなすことができた。この歳になってこんなにまでして日本を抜け出そうとする人も、そんなに多くはいないだろう。(むしろ変わり者だろう。)サイバラ式も私式も、汎用性は全くない。

昨日、日本語学校から内定をいただいた。私は抜け出せたのだ!!4月から、タイに行くことに決まった。3年5ヶ月前に初めてしょ~おんセミナーを受講したとき、フリーターだった私が、十数年越しの夢への片道切符をついに掴んだ。それでも、“抜け出せた”というだけで、カネへの心配がなくなったわけではない。サイバラさんの言うとおり、仕事を大切にしよう。だって、仕事が私に夢への切符を運んで来てくれたのだから。さあ、働いて引越資金を稼がなければ!!

投稿者 vastos2000 日時 2016年12月31日


自宅の書棚の奥のほうから久しぶりに取り出したる1冊。
初回の感想は、「サイバラはギャンブルでだいぶ溶かされたな」程度のものだったと記憶している。

今回は、生々しくやり取りされるカネや、世間一般で考えられるお金について、いろいろと思いを巡らせた。

前回読んだ時と大きく違うのは、親になったこと。状況が変わった中で読んだが、特に印象に残ったのは2点。

一つは第1章の高知でのエピソード。

自分は幸い、カネに関しての苦労はさしてしなかった。周囲にも、際立って貧乏な同級生などはいなかった。
地方なので高校は私立に行く必要はなく、小中高とずっと公立で済んだ。さらには大学進学時には自宅を出て一人暮らしをさせてもらえてた。あらためて親や祖父母に感謝。
自分は我が子に同じように、大学を選択の幅を与えたいので、およそ10年後を見据え、今から進学資金を積み立てている。
『「貧しさ」は連鎖する』がその連鎖の外にいれば、大きな失敗をしなければ、そうそうその輪のなかに巻き込まれないはず。現状ではそうならないようにどうすれば良いか、注意していればよさそうだ。


印象に残ったもう一つは第3章のギャンブルと借金に関する章。
体験談が書かれているのだけど、よくこんな人ごとのように書けるなぁと感じた。

麻雀の場合、ハコ下ありだと、際限なく負ける。競馬や競艇の場合は、通常オケラになった時点で終了するので、マイナスまでは行かない。(負けがこんでいるやつを狙った金貸しがいるかもしれないが)
幸い、私は高校生の時に本家『麻雀放浪記』など、阿佐田哲也氏の主だった著作を読んでいたので、それが転ばぬ先の杖となり、負けた時のダメージが大きい勝負に手を出すことはなかった。(今にして思えば、これらの本を買えるだけのこずかいを親から与えてもらっていた)
やはり若い時に「知って」おくと、体験しなくても学ぶことができる。自分も結構熱くなると、手持ちの資金をツッコミがちなところがあると自覚があるので、ギャンブルには手を出していない。

『大手の企業なんかだと、「赤字がこのくらい出たら、その部門は撤退」というマニュアル』があるそうだが、確かに引き際を見極めるのは難しい。
我がことと考えても、今の職場に、現在の延長線上にはどう考えても黒字の目はない部門があるが、その部門を無くすなんてことになると、余剰人員も出てくる。情に流されて全滅への道をたどりつつあるという実感があるが、当の余剰人員たちの反発が激しく、なかなか今後の道筋が見えない。
もっとも、10年後、自助努力ではどうにもならない状況になっている可能性もあるので、今は社会人としての実力を蓄えることを考えねばならない。


さて、本書からの教訓が役立つような場面に遭遇した経験はないが、我が子の将来はどうだろうか、今後は硬貨や紙幣の形をとらないカネを扱う機会が増えていくことは確実。
魚の臭いがするカネを手にする機会はほとんどないだろう。
PC画面上でやり取りされるカネに翻弄されることが無きよう、親が手本を見せたいところだが、我が子に対するカネの教育はうまく行っていないかもしれない。
子どもは「お仕事すればお金がもらえる」と思っている。
だが、利益が出なければ給料が出ないこともあるかもしれないし、自営業であればもろにそれを経験することになる。

自分自身、カネの本質をつかめていないが、いまのところ「人の役に立つことの対価として金銭でリターンがある」と考えている。
マネーゲームなど、人の役に立たずとも得られるカネもあるが、私は、金額の多寡は別として、人の役に立つことでカネを稼いでいくことを実践し、それを子どもに見てもらいたいと考えている。
この点、これからお年玉をあげる時期になるが、どうやってあげることにするかを考える良いキッカケとなった。

今月の課題図書は、本棚で眠っていた本を再読する機会となり、時間をおいて読むことでまた違った感想を得られることを体験でき、来年も積読本を消化しつつ、「これは」という本を再読する契機になった。

投稿者 diego 日時 2016年12月31日


限界を超える

人が人でなくなるとは、どういうことか。
人が人らしくいられるということは、どういうことなのか。
それが、お金という軸から、著者と周囲の人たちの人生という時間と空間から
徹底的に追求されていた。

人は、自分の環境から逃れることができないかもしれない。
それでも、希望を持って、動き出す。それが「働く」ということだ。
ああ、今わかりました。
にんべん、人が動けば「働く」になるんだ。

私もまた、自分の気力、能力、環境、状況を
おそらくは、自らで選んで、今を生きている。

たったひとりではどうしようもないときに
本当は、本当にはひとりではないことがわかって
少しずつでも動き出すことができれば
必ず、誰かが、何かが私を助けてくれる。

差しのべられた手に気付いたら
今度は、手を離さないでいよう。

それは、反対に
誰かに手を差しのべているのかもしれない。
応えてもらえなくて、わかってもらえなくても
それでも、ここに居るよと、何度でも言おう。

とにかく動き続けること。
夢を持ち、希望を持ち続けること。
これがやりたいことだと、しっかりとした思いを抱いて
とにかく、続けていくこと。

そうすれば、何かが、誰かが必ず助けてくれて
自分ひとりの力ではない何かが起こって
いつの間にか、自分の限界を超えて
新しいところに来たことに気付く。

自分の環境を越えて
自分が求めていた世界に、新しいステージに
すでに居ることに気付く。

もちろん、すぐにはうまくいかないこともあるけれど
家族や、大切な人たちとのつながりの中で
新しいステージを感じるとき
もう二度と、元には戻らないでよくて
新しい世界でこれからは生きていくのだと感じられるとき
もっともっと、すばらしいところに行けるのだと感じられるとき
それは
本当に、日々がとても幸せなものだと感じて
ありがとうと言いたくなるのだ。

お金を軸に考えてもそこに行きつく。
人は人でいて、限界を超えて幸せになれる存在なのだと思う。
常識にとらわれることなく
これからも、少しずつでもいいから
限界を超えていこうと思う。

年の瀬に、今年を振り返ると、本当にたくさんのことがあって
これまで生きてきた中で一番すばらしい幸せな年でした。

課題図書の投稿を続けて
本の読み込みが深まったと同時に
自分や、大切な人たちの人生に対する読み込みも
深まったように感じられます。
今月もありがとうございました。

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投稿者 BruceLee 日時 2016年12月31日


本書を読んで私が強く感じたのは以下3点である。

1)日本には「カネ」の教育が無い
カネの話はキレイ事だけでは済まされず、良い話よりも嫌な話が多くなるからなのか、日本には「カネ」の教育が無い。そしてカネの知識が無いが故に人生誤る人は少なくない。だから自ら学ぶしかない。何故なら、修練・修行目的ならともかく、望んで貧困になりたい人間など皆無な筈だから。その意味で、本書はカネついて学べる入門書でもある。著者の子供時代の極貧生活は生々しく、その体験がベースとなっている言葉の数々は格言レベル。「お金に余裕がないと、日常のささいなことがぜんぶ衝突のタネになる」、「『貧困』と『暴力』って仲良しなんだよ」、「人は将来に希望が見えなくなると、自分のことをちゃんと大事にしてあげることさえできなくなってしまう」、「お金って、つまり『人間関係』のことでもあるんだよ」等々の言葉の裏側にある深い貧困の悲しみ。壊れた窓を修理するカネも無いみすぼらしい家、カネが無い故に悪事に手を染め不良化する子供達、その子供達が成長してもカネが無いため貧困は連鎖し繰り返される。そして大人になると金銭の貸し借りで友情を無くす悲しみ。幸い私にはこれまでの人生において著者レベルの貧困経験は無く、よって我が子供達にも無い。が故に、私は子供たちに学んで欲しい。カネが無いために、こういう人達がいて、こういう人生がある事を。その事実を知り、学び、感じ、そして自分たちの人生に活かして欲しい。それが実体験が無くとも擬似的に学ぶ事が出来る読書の大きな利点でもある。著者のように自分自身で体験して身に付けた方が本物だろうし、重みはあると思う。が、やはり私は子供達に貧困を味わわせたくない。貧困に良い話は少なく、本書でも僅かな蓄えから著者を大学へ送ってくれた母親の愛情くらいで、その他殆んどは嫌な話だ。が、だからこそカネが無いというのはどういう事なのか?カネが無いと人はどうなるのか?逆に、ある程度のカネがあれば人生は楽しいものに出来るのだ、という事を学んで欲しい。その結果、カネにコントロールされる人生ではなく、カネをコントロールする人生を送って欲しい。だから私は本書を読んだ直後から子供達へ声を掛けて紹介し、読む事を薦めているのだが、多少反抗期でもある彼らは未だ読んだ形跡は無い(泣)。が、今はそれでも良いと思っている。近いうち、特に長男は読みたくなる時が来るだろうから。そのためにも彼らへのリマインダーとして、この正月にでも再度薦めてみたいと考えている。

2)「アルバイトと世界放浪は、男の子の必修科目だからね!」に禿同!
私は大学生活が期待した程面白く無かったため、19歳の時に一人エジプトに旅し、貧乏旅行の醍醐味を覚えてしまったクチだ。それ以降、通常生活ではアルバイトで稼ぎ、夏休みや冬休みには1-2ヶ月で各国を放浪する生活を送った。カネの観点で言えばアルバイトは収入の場であり、世界放浪は支出の場である。日本でのアルバイトではひたすら稼ぐのだが、世界放浪では自分の所持金が全財産であり、それを守るのも、日々どこに幾ら使うかを決めるのも全て自分次第だ。何も考えず使えば資金不足になるし、ケチり過ぎると良い体験を逃す。そして日本と違いぼったくられる危険も多い。よって人に頼ることは出来ず信じらるのは自分のみ、というある意味良い環境に身を置く事にもなり、その中でのトライ&エラーで人間は成長する。が、私が思うにアルバイトと世界放浪で学べる最大のもの、それは「世間」である。家庭と学校で教える事が出来る躾、知識等は限られていてタカが知れている。自分が社会人になってからの半生の方が多くなってきたから強く思うのだが、人が社会に出る前に学んでおかねばならない事、それは「世間」だ。そして「世間」を学ぶには「世間」に飛び込むしかない。アルバイトは仕事自体は勿論、仕事場の仲間やお客とのコミュニケーションで人間を学べるだろう。世界放浪では各国の人々や文化や風習だけでなく、見知らぬ土地に身を置いた自己管理も学べるだろう。実はうちの長男は現在高校一年なのだが、夏からアルバイトを始めた。運動系の部活には興味が持てなく、文科系に属し空いた時間はアルバイトに専念している。私の母親(長男の祖母)は「学生の本分は勉強!」とアルバイトに反対なのだが、同じく高校時代にアルバイトした私自身はそう考えておらず、本人が「アルバイトしたいんだけど」と言って来た時には喜んで許可した。始めてもう数ヶ月経ち、多少心配していたが上手くやってるらしい。同級生の中には、人と上手くコミュニケート出来ず、面接で不採用になる子もいたようなので、長男は恵まれており、とても良い経験をさせて貰っていると思う。そのアルバイトの報酬で先日プレステ4を買っていたが、自分で稼いだカネで、小遣いでは届かなかった高価なものを手にする喜びも味わっている筈だ。上記1)の最後に「特に長男は読みたくなる時が来るだろう」と書いたが、これがその理由である。今、長男にとってカネはより身近なものなった頃だと思うのだ。カネへの興味は膨らんでいるだろうし、本書の内容が実感として、より深く分かる時期でないかと思うのだ。一方、今後長男が世界放浪に出たい、と言い出だすかは分からないが、もし言ってきたら、私は「必ず帰ってくる」事を条件に大いに応援したい。そしていずれ社会に出て世間と戦う日々が来るだろう。本書には「最下位の人間には、最下位なりの戦い方があるんだって言うの!」という名言も出てくるが、最下位でなくても人には人それぞれのレベルでの戦い方がある。その戦場である世間を学生時代のうちに大いに学んで欲しいと思うのだ。

3)貧困にならないために最も大切なこと
上記1)に「幸い私にはこれまでの人生において著者レベルの貧困経験は無く」と書いた。が、それは何故か?と、改めて自分を振り返り考えてみた。勿論、自分の両親が、裕福ではなくともある程度の経済環境下で育ててくれた、という土台はある。特に勉学に関しては出費を惜しまれた記憶は無く、参考書を買いたい、塾に行きたい、と言えば叶えてくれ、高校も大学も当たり前のように入学させてくれた。自分が親になった今、その点は非常に感謝している。が、それ以降の社会人になってからも、貧困を味わう自体に陥ってないのは何故か?例えば自分にもギャンブルに嵌る可能性も、キャバクラや風俗で放蕩する可能性も、身分不相応の買物に明け暮れる可能性もあった。それが起きなかったのは何故か?単に興味が無かったのかもしれ無いが、根底には「自分が手にした以上のカネは使わない」というルールを持っていたからでは?と感じている。私はカネとの付き合い方は、それ程難しい話では無く「自分が手にした中で、ドコにドレだけ使うかを選択する」だけの極めて簡単な話だと考えている。反面、このルールを容易く打ち壊すシステムも世の中に存在する。そう、借金だ。消費者金融でカネを借りずとも、殆んどの人が使っているクレジットカードでの買物、あれも支払いが完了するまでは借金だ。そして現代は金融屋が借金イメージの浄化に成功し、あの手この手のニコニコ顔で誘ってくる。それだけ借金が身近になっている世界であり、だから本書のような貧困を知らない人には非常に危険な時代でもあるのだ。安易に借金する人は多いが、借金とは「自分の実力以上の身分不相応なカネ」である。数年前から過払い金の弁護士事務所のCMをやたらと耳にするが、つまりそれだけ借金をする人が多い証であり、その過払い金回収ビジネスで弁護士がCMをバンバン流せる程、儲かっている証拠でもある。私自身の場合、これまでの大きな借金は住宅購入時のローンのみで、車等含め全て現金購入が前提だ。また日常の買物は基本クレジットカードを使用するが、全て金利不要の一括払い清算が前提である。それは何故かと言えば、私は借金が怖いのだ(カネは怖くないが、借金は怖いのだ)。借金は「身分不相応なカネ」でしかなく、自分でコントロールできるカネではないため、逆にコントロールされる事を意味するからだ。そして借金そのもの以上に怖いもの、それは「いつでも借りられる、という安直な気持ちを自分の中に備え付け、我慢する、自分で何とかする、という気持ちを失う事」なのだ。私はこの気持ちを失う事が貧困のスタート地点ではなかろうかと考えている。だから私には本書に出てくる借金でのギャンブルなどは全く考えられない。安易に頼らない、借金をしない、という自分の中のルールが大切であり、うちの子供達にもそのルールを自ら持って欲しいと思っている。私自身、このルールをどこで持ち始めたのか、正直覚えていないのだが、恐らく日々の両親の言動であったり、背中を見てであったり、加えて今まで自分が世間で見たり聞いたりした中で自然と身に付いたのだろうと想像している。だからまず両親に感謝したい。恐らく私の両親も「この子達に貧困を味わわせたくない」という気持ちがあったのだろうと思う。だから教育には力を入れてくれたのだろう。その事に心から感謝したい。タイミング的にお正月である。僅かではあるがその感謝の気持ちを両親へ包んでみたい、と考えている。

以上

追伸:今年も毎月この課題図書にて良書をご紹介頂き、誠に有難うございました。来年も引き続き宜しくお願い致します。

投稿者 sakurou 日時 2016年12月31日


~「この世でいちばん大事な「カネ」の話」を読んで~

カネというのはいろいろな面があり、未だによく分からない。本書を読んで、西原さん、また勝間さんの解説を読んで思うのは、日々のお金をきちんと回るようにすることの大切さである。そのバランスを保ち続けること、また、そのバランスが崩れるといずれは家庭、友人との人間関係があっけなく壊れてしまうことの怖さを改めて認識した。収入と支出のバランス。これから子育てでお金がかかるので、きちんとバランスさせないといけないとの思いを強くした。

以下、感じたことを述べる。

1.自分らしく働くことが自分らしい生き方につながる

全編を通じて一番感じるのは、西原さんの、絵が大好きで絵で生計を立てるためにはどんな絵でも書いて売り込んだ、がむしゃらな姿勢だし、その中から自分が好きなことを続け、働くことで人生はきっと良くなるというブレない考え方だ。がむしゃらに絵を書きづづけることで、その中で独特のあのセリフ多数の画風を生み出し、「差別化」に成功したというのは本当に興味深い。また、印象的だったのは89ページの 「才能は人から教えられるもの」という一節だ。客観的視点を学んだというのも多数の絵を描く中で磨かれたものだし、自分が認識している才能なんてものはないのかもしれない。西原さんは多数の他流試合を通じて、自分を磨き、目標としていた月30万円を得るにまでなる。それはまさに「最下位からの戦い」である。

じゃあ、好きなものをやるだけでいいのかというとそれも違う。161ページにキャリア戦略として手探りするより、「カネとストレス」「カネとやりがい」のバランスが良いと説く。更に先月の課題図書「USJを劇的に変えた、たった1つの考え方.」にあった「需要の高いスキルをできるだけ早く身につける」という視点を加えると、実は自分らしいい生き方を見極めるのは難しくないのかもしれない。ただ1つ重要なのは「それを見極めるだけの時間や心の余裕」が必要ということだ。じっくり未来を見通せる力が求められるということだろう。逆にその選択が正しければ、自分らしく働け、自分らしい生き方につながると言える。それほどうまくは行かないのかもしれないが、西原さん的に言えば、それもまた人生の楽しみということだろう。人生のどん底を味わった西原さんだから言えることだと思う。

2.欲望をコントロールする

収入がいくらあっても、支出が多かったらどうにもならない。本書では父と西原さん本人のギャンブル体験を通じてギャンブルの怖さを説く。5千万円損したとあるが、一般サラリーマンでは家計が破綻しているだろう。ギャンブルをやる以上「負けても笑える余裕がなければ」とあった。私もかつてはパチンコや競馬を少々やったことがあるが、負けると悔しいし、殆ど当たったことが無かったので、今はギャンブルはやらない(宝くじ等を少々やる程度)。私の家族もギャンブルをする人がいなかったというのもあるのかもしれない。ただ、もしかしたら大勝ちした経験がなかったから良かったのかもしれない。自分でもハマりやすい方なので、もし大勝ちしていたらと思うと、少々冷や汗が走る。

ただ、むしろ自分としては物欲の方かもしれない。昔から車やガジェットが好きだし、また最近は昔やっていたカメラ欲が復活し、一眼レフを購入したところである。カメラマニアによくあるレンズ沼(交換レンズのレパートリーを増やしてしまうこと)にハマらないよう、注意しているところであるが、良いレンズだと美しい写真が撮れるので非常に悩ましい。言うまでもなく、ギャンブルに限らず、この世は欲望を刺激するものに溢れている。自分がハマりかけているのは、以前読んだ「物欲なき世界」と真逆の世界である。趣味に多少は使わないと自分の世界がシュリンクしてしまうような気がする。使い方にメリハリを付けるしか無いのだろうが、なかなか良い解は無い。ただ、前述した「差別化」という視点からすると、「自分を差別化する、自分らしく生きる、自分しかできない経験」だとしたら、それには、これだ!と思うものにはお金を使うべきだ、それぐらいは貯金しておけ、ということなんだろう。つくづく投資と浪費は紙一重だと思う。出費をコントローすることも大事なのだが、むしろこれから大事なのは、何かにお金を使いたいと思った時に、突き詰めると、それが自分を差別化するための投資かどうかを見極める見識眼なのかもしれない。

3.アイデアとネットで稼げる時代

本書は一般的にはマネーリテラシーに関する本だと思うが、他のマネーリテラシー本にはない、西原さんらしい一節だなと思ったのが後半のグラミン銀行への期待である。アイデアのある人が、グラミン銀行からの融資でビジネスを興す。なぜグラミン銀行は高い返済率なのか自分なりに考えてみた。ビジネスモデルや返済プランがはっきりしているというのはあるのかもしれない。起業で失敗するのは初期投資額が大きすぎて回収できないからとよく聞く。先進国でもこういうマイクロファイナンスが流行ればと思う。ただ、近年はクラウドファンディングがそれに代わっているのかもしれない。先日、「この世界の片隅に」という映画を見たのだが、この映画はクラウドファンディングで資金調達して製作に漕ぎ着けた。アイデア、やりたいことが人々の理解を得られば、銀行がお金を貸してくれなくても資金援助してくれる人がいる。まさにネット様様である。

他の人が真似出来ない絵を書き続け、西原さん自身が貧困を抜け出せたように、多数のYoutuberがいることを考えると、お金がなくても、スマホと独自のアイデアで貧困を抜け出すのは可能なのかも知れない。

そのためには、独自の発想がないとためで、そのためには、本を読んだり、本書にあるようにいろんな人と交流し、手足を動かして、もがき続けて、心で感じたりして、自分を客観視して、自分の売りを考えながら、何らかの形でそれを表現できれば、それがお金になり、やりがいにつながる世界になると考える。もちろん世の中はそんなに甘くはないのだが、クラウドファンディング等、独自のアイデアで低リスクで資金調達できる世の中なってきている。今私がクラウドファンディングをするわけではないので、他人行儀な言い方をするつもりはないが、個人の思いを大切にし、援助してくれる世の中であって欲しい。

以上、本書の感想を纏めた。ちょうどこれからの家計プランを考えていたところなので、家計のバランスを見極める重要性を再認識した。
これからも幸せに暮らせるよう、きちんと考えていきたい。

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今年も一年、課題図書を通じて、様々な世界に触れることができ、また、感想文を書くことで、自分の思考を纏める訓練ができました。

しょ~おんさん、花さん、ご家族の皆様、一緒に感想文を書いている皆様、(もしいらっしゃれば)感想文を読んでくださっている皆様への感謝を込めて、今年の感想文を締めたいと思います。

来年も宜しくお願い致します。

投稿者 dukka23 日時 2016年12月31日


お金にまつわる感覚、
特に肌感覚に近いモノを醸成するのが、
如何に大事かが分かる本です。

このお金に対する感覚って、
自分の子供に若いうちから経験させ理解させたいと思うのですが、
逆にこんな苦労をさせたくないと考え、
あえて遠ざける人も居ると思います。

男子は一人暮らしなどで、
一度は「貧乏」を経験する確率が高いので、
結局自分で学習することも多いのですが、
特に女の子には、お金に対する感覚って、
卑しいとか下品とかで、あまり積極的に教育している家庭は少ないような気がしますし、
女の子には特に苦労させたくないということで
そこそこの生活をさせるべく親もがんばるんじゃないでしょうか。

ですが、大人になってから、
お金に敏感なのは(統計とか無いですが)女性のほうが多いような気がします。
また、家計をコントロールしているのも女性の方が多いんじゃないでしょうか?

逆に、無駄遣いというか、後先考えなしにうっかり使ってしまうのは
男性が多いような気がします。

こうやって男女別の一般論を見ると、
子供の時の教育と、大人になってからのお金の使い方に逆転現象があります。
またギャンブルにのめり込む人も、一般的には男性の方が多いとなると、
結局、お金に対する感覚って、どう教育するんだろうと思ってしまいます。

ということを考えると、
やっぱり若い頃からギャンブルや貧乏をさせて、
お金に関する痛い目に合わせておくというのは定石なんではないでしょうか。
また、お金を稼ぐこと、貯めること、使うこと、といった
基本的なリテラシーについても親が勉強して、
子どもに伝え、教える機会を作ることが大事なんだろうな、と思います。

投稿者 ishiaki 日時 2016年12月31日


『この世でいちばん大事な「カネ」の話』を読んで

私は今まで、お金に対して真剣に考えてみたことはありませんでした。
ただ、漠然といくら欲しいと願うだけでした。
この本と出会いお金を増やすのがいかに大変でまた、お金が減ると危険になるという事がわかりこれからの生活に緊張感が出てきました。

投稿者 ktera1123 日時 2016年12月31日


まあようあるはなしって感じでよんでいたのだけど、何故か最後になって「頑張ろって」気になったのは気のせいかな。なんとなく親近感をおぼえるのはなぜかな。体を張って生きているひとから勇気をもらったことがあったのでそのせいかな。
リアルで西原さんより過酷な人生を送ってきた人と知り合えているからこそ、いまここにいる自分が恵まれているって感じているし、たわいのないことでもりあがれる知り合いがいるってことが幸せって思えることが大切なんだなと忘年会がよくある12月に感謝し感じていました。

投稿者 hira1223 日時 2016年12月31日


この本を読んで思ったことは、多々あります。
が、一番印象的だったところは、
`こんな悲しい、割に合わないとこはないよ。困っている友だちにお金を貸したら、そのせいで、友達が「友だち」じゃなくなっちゃうんだからね。`
皆さんにとって友だちって、親友ってなんですか?学生時代、先生から
`いざとなったら何でもしてくれる、何でもしてやれる親友って呼べる人はいるか?`
`いません。`
って答えたら、
お前は寂しい奴だって言われたことがあります。
そのときは、あまり考えていませんでしたが、その後、世の中に出てお金で人間関係が壊れていく人を沢山みました。
親友ってなんでしょうか?友達って?
まだ、私は答えが出せていません。
今、わかっていることはお金で信じていた人から裏切られるってことです。
来年、高校を卒業して社会に出る姪っ子にこの本を送りたいと思います。彼女がこれからどんな答えを出してくれるのか楽しみです。

投稿者 6339861 日時 2016年12月31日


幼少期から現在までの人生を通してお金に関する考え方が
論じられている。
自分と全く異なる人生だけに、自分の引き出しが広がるようだ。
特に共感を得たのは、お金を稼げるようになることが自由を得ると
いうことだということ。
彼女は、大学のうちから自分で稼ぐということを意識してきた。
つまり、自由になる術を懸命に探してきた。
自分は、もうすぐ50代になるが、自分で稼ぐことを考えないまま
サラリーマンとして、生きてきてしまった。
その分、自由であるようでいて、自由でないことをひしひしと感じている。
今は自由というより、会社に守られている範囲(実は大きな世の中の小さな
塀に囲まれているように感じる)でしか活動できない、もどかしさを感じる。
自分で十分なお金を稼いだときに、本当の自由を感じることができるのだろう。
もう定年も見えてきた中で、残りの人生でどうやって本当の自由を得るのか
また考えさせられてしまう。
ギャンブルについても、彼女の実体験から生々しい世界が描かれており
ギャンブルをやらない自分には、とても参考になった。
ただ、ギャンブルに強い人にはなんとなくあこがれる部分もある。
ギャンブルをする上での人との駆け引きや、ヒリヒリする緊張感の中で
先を読む目を養ったり、ギャンブルで得られるメリットの部分も
描いてほしかった。
最後は、やはり人に役に立つお金の使い方をしたいと思った。
ビルゲイツや、ウォーレンバフェットのように世の中のためにお金を使えるように
なったとき、自分にどのようなことが起こるのだろうかと思う。
日本に生まれた我々は、ほんとうに恵まれた環境にあることがこの本でも実感できる。
今は、コンビニ貯金くらいしかできないが、できる範囲で誰かを幸せにするために
お金を使えるようになろう。

投稿者 magurock 日時 2016年12月31日


お金の話は、あまり公にできないというか、なんだか憚られますよね。家庭や学校でも、お小遣い帳のつけかたは教わったものの、お金との付き合い方を学んだことはなかったのではないでしょうか。

子どものころ、我が家は「貧しい」というイメージしかなく、母はいつもお金に困っていて、子どもらしいおねだりなどできない雰囲気でした。「貧困」と「暴力」って仲良し、とはよく言ったものです。我が家にも暴力があふれていて、末っ子の私はもろかぶりでした。
でも、父は大企業に勤めていて、普通に暮らしていればお金に困ることはなかったはずです。あとから聞いたことでは、父は「社会勉強」と称して夜のお店によく行っていたようなのです。しかも、ちょくちょく「同伴出勤」をしていたとのこと。これでは、いくら稼いでもすぐになくなってしまうでしょう。

思春期のころにはそんな父を憎みましたが、おかげでお金がなくても楽しく過ごす術を身に着けることができるようになり、大人になってからは、それはそれでよかったのかな、とは思っていました。

でも、『この世でいちばん大事な「カネ」の話』を読んで、こんな意識では一丁前の大人になりきれていないのだ、と感じました。私はぜんぜんお金のことをわかっていませんでした。というか、ここまで深く考るほど追い詰められてもいなかった……。
お金の話は不幸の種、というイメージだけが植え付けられていて、私はお金の怖さから逃げていただけなのかも知れません。もっとしっかりお金と向き合って、自分が幸せになりつつ誰かを幸せにできるお金の稼ぎ方・使い方を、じっくり考えていかなくては。

この本が、副教材として全国の中学校・高校に配られたらいいのにな、と思いました。そうなったら、きっと日本の未来は明るくなるのに!

投稿者 kawa5emon 日時 2016年12月31日


書評 この世でいちばん大事な「カネ」の話 西原理恵子 著

この世でいちばん大事な「カネ」? カネが一番大事なのか?
タイトルからそんな想像をし本書を読み進めるうちに、
確かに現代社会で、「カネ」と無縁で生きていこうなんて、
相当難しい芸当であろうし、まずもって不可能だろうなと思い返した。

あらゆる価値交換に「カネ」が介在していて、モノによっては、
その付いた価値自体に非常に疑い深いものもあるし、場合によっては
それらに容易に振り回され、最悪の場合、人生を「カネ」だけで
ダメにしてしまう場合もある。それらの具体例が本書にはあって、
その事象解説が非常にわかりやすく、また客観的である。
自身が知る中で「カネ」というものをこのように親身な態度で、
やさしくも厳しく解説してくれた本は本書が一番かもしれない。

本書にて特に新たな気付きを与えてくれたのは2点ある。
まずは、スモーキーマウンテンの子供達のエピソード。
自身も東南アジアで数年過ごした経験から、そのような住環境、
またそのような環境で子供が家庭のために働く姿を知っているつもりだった。
しかし一つの視点が抜けていた。
それは、その子供達は、そこに生まれることを選んだ訳ではないということだ。
スモーキーマウンテンでしか収入口が無い場合、
他の働き口を選べる選択肢など彼らにはあるはずもない。

この点に於いて、日本は格別である。
別途のセミナー音声にて心に刺さった一言、
「日本で願望実現できない人はどこに行っても願望実現できない」
これを本当の意味で実感させてくれたのは、
このスモーキーマウンテンの子供達のエピソードであった。

つまり現代日本に於ける日本人ほど、市民としての選択肢の多さ、
またその選択の自由さという意味で恵まれた人々は、
この人類世界に於いて居ないであろうということである。

「やりたいことが見つからない」
スモーキーマウンテンのエピソードからこれらの発言を鑑みると、
それは単なる甘えであり、見つからなくてもいい環境があることを
暗示していると思われる。チャンスは至る所にあるにも拘らず。


もう1点は、最後の著者のメッセージ、唯一の「説法」、
「働くことが、生きることなんだよ」

本書の最後にこのメッセージを受け取った時、
自分は、著者の言う働き方はしていないなと感じた。
著者の言う働くとは、全てを自己責任で自立して働くということであり、
自身がそうでないと感じた、会社に依存するような
ネガティブサラリーマン的な働き方とは、全く違うということである。
この意味に於いて、自身も「カネ」に対して正しい姿勢を持っていない
人間なんだと感じざるを得なかった。

つまり正しい姿勢とは、「カネ」に対してバランスを保った位置を持つことで、
それは依存したり、他人の意見を咀嚼なく鵜呑みにしたりしないことである。
あらゆるモノが「カネ」とリンクしている現代、正しくない姿勢、
つまり自分の判断を他人任せにしている状況では、
「カネ」から振り回される状況から抜け出せないと、
本書を通じて、「カネ」と日常生活の関係性を学びました。

まずは日々の小さな事から、判断を蔑ろにせず、自身で判断し
責任を取っていくことから、再度やり直そうと自省することが出来ました。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

投稿者 2l5pda7E 日時 2016年12月31日


この世で一番大事な「カネ」の話 を読んで。

お金に関する、感情の負の部分を知る為には必要である。
もし子供が産まれたら、この本を読ませようと思った。
西原さんが経験した苦労をから、お金を介した幸せな考えに繋がると思った。

手にしたことが無い見えないお金で借金してしまう。
お金イコール人間関係は、確かにその通りだ。
報酬は、誰かを喜ばせたこと、もっともっと喜ばせたいと思います。

良書をありがとうございました。

投稿者 chaccha64 日時 2016年12月31日


『この世でいちばん大事な「カネ」の話』を読んで

「人って、生まれた環境を乗り越えることって本当にできるのだろうか」

この問いに対する答えを求めて著者は人生を生きてきた、働いてきた。

日本は昭和30年代から40年代前半まではまだ貧しかった。いなかでは、給食には牛乳などなく脱脂粉乳が代わりに出ていた。肉などもなくクジラが代わりに出た。着るものも簡単には手に入らない。やぶれを繕って着ていた。(著者の環境ほどひどくはなかったですが)
周りがすべて同じなので疑問にも思わない。人間は知らないものに対しては想像すらできない。そういう世界があることさえ知らない。そのため、何世代も同じ環境の再生産が起こってしまう。

想像できないものにはなれない。だから、そういう世界があることを教えることが大事だ。そして、援助するのではなく、働ける環境を作ってあげること。それが、グラミン銀行、マイクロファイナンスだ。まさに、今と違う世界があることを、そして自分でその世界を手に入れることができることを教えている。そして、その環境を提供している。ここに新しい援助の形がある。
最低限の生活、幸せのためには、お金は必要だ。しかし、それは与えられるものではなく、自分で稼ぐものだ。稼ぐ喜びを知ること。

著者は先の問いに対して「わからない」、「できる人も、できない人もいる」と言う。しかし、働くことが希望になると言っている。疲れたら休んでもいいが、働くことが生きること。生きることが働くこと。その通りだと思う。働くことが喜びだと思います。

しかし、著者の人生、そして、鴨ちゃんの人生を見ていると負のループに入った人は、そこから抜け出すのは大変だ。抜け出せたと思っても、まだそのループの中にいたり、そこに戻ってしまおうとしてしまう。業というのだろうか。しかし、二人ともあきらめない。
それをただ単に嘆くでなく、あきらめるでもなく、漫画のネタ、仕事のネタにしている著者の姿勢には脱帽です。その強さ、見習いたいものです。

投稿者 19750311 日時 2016年12月31日


『この世でいちばん大事な「カネ」の話』(西原理恵子)

本の表紙のイラストや目次を見た段階では、実体験には基づく内容ながら、エッセイなどの様に軽い内容で面白おかしく読み進められるかと軽く考えていましたが、第1章で全てがひっくり返る実体験だけにリアリティ溢れ一気に彼女の経験した世界に引き込まれました。

特に今の私の状況に響いたメッセージは、以下2点でした。
①働くという事は自由を得る事
②才能とは他人から求められる事によって決まり、自分で決めつけるものではない

①のメッセージでは、しょ〜おんさんがセミナーの中でも仰っている内容と重なり、身体の芯に染み入ります。仮に一昔前には定年退職まで安心出来ると言われた上場会社で平均以上の年収で働いていたとしても、発展し続けるインターネットビジネスの影響により5年10年後は分かりません。また基本的には自分の意志では決められていない9時出社や、12時から13時までに決まってオフィスを出て行く昼休みはもちろん、週5日月曜〜金曜に会社出社するのも自分の意志で行なっている様でも、実は本当の意味での自由裁量はないのが本来の解釈でしょう。

②について、グループ内企業再編により、現在は本来自分の強みとして認識し希望している業務内容とは少しズレがあると感じながら与えられた業務にベストを尽くしている、ここ数ヶ月でした。経理でもルーティン作業の質の仕事は少なくなり、著者のメッセージは分かっているつもりでも、実は心の底から喜んで与えられた業務を迎え入れている自分とは少し開きがあるので、新年は自分の希望は心の底に持ちながらも、与えられた業務については大きな声での感謝と共に承る事を実践します。

簡単ですが、以上のです。ありがとうございました。

投稿者 gizumo 日時 2016年12月31日


『この世で一番大事な「カネ」の話』西原理恵子を読んで

 「一番大事」とわかっていてつい、目をそむけてしまう「カネ」。結構、独特のキャラの作者(画風にも表れてますが・・・)のお話、大変は実にリアルで生々しい。想像以上にヘビーでした。
正直、「お金に困っているか?いないか?」と言われてどれだけの人が、即答できるのだろう?問題は即答できるかどうかでその人のお金に対する客観性が解ると思う。自分に振り返れば、決して即答はできないだろう。今後の課題だととらえている。
 特に、考えさせられたのは「負の連鎖」である。今年2016年は特に、「貧困の連鎖」が叫ばれたように思う。貧困が教育機会を奪い、そこからさらに貧困が連鎖していくという内容である
それがそのまま、西原さんの地元高知では起こっていたわけである。おそらく、ずっと昔からこの状況は変わっておらず、それこそ皆が目を背けていた点だったのかもしれない。経済環境だけでなく、予測のできない自然災害等で起こりうることでもありやはり問題の根は深くなっていると思われた。
 なぜ、人はこうも「カネ」に振り回されるのか?セミナーでよく言われる「¥27」の紙切れである。それが、便利な魔法が使え、敵にも味方にもなる“道具”である。その道具をたくさん集めることを目標にしているわけであるが、時にそれができないと、「カネがすべてじゃない」と強がってみる。でも
「たくさんあると便利なんだよな・・・」とどなたかもおっしゃってました。来年2017年は「カネ」ともっともっと仲良くなって、使いこなして、楽しい経験をたくさんしたいなと思う年末でありました。

投稿者 satoyuji 日時 2017年1月1日
『この世でいちばん大事な「カネ」の話』 感想

以前読んだ事がある本でしたが改めて読み返しました。
以前読んだときは『よりみちパン!』というシリーズの1冊として出版されていました。私たちは日々お金を使いながらもお金が何なのかを考えることがないように思います。大切なのにそれがどんなものかを考えることはあまりないように思えます。たくさんあればいい、安く買えるならそれに越したことはない。その程度にしか考えないことがほとんどなのではないかと思います。今回数年ぶりに本書を手にとって出てきた疑問がありました。『この世でいちばん大事な「カネ」の話』とはこの世で一番大事ものである「お金」関する話なのか。それともこの世で一番大事な「話」の中でお金に関するものなのかということです。読了して思ったのは、そのどちらでもあるということです。最初の方では作者の経験を通じてお金がどれほど人間を卑屈にして人間関係を壊していくのかが書かれています。ですが後半に読み進めるにつれて人間関係やギャンブル、自分探しの話が出てきます。最期まで読むと大切な人を大切にしたり、よりよい人生を生きるためにお金があるということです。お金が一番大切と言えば、それ以外のものを犠牲にしてもお金を優先しなければいけないように聞こえます。しかし本書はこの世でいちばん大事なものである「カネ」に関する話であると同時に、この世でいちばん大事な「話」に関するカネの話でもあるのだからこの本の題名は『この世でいちばん大事な「カネ」の話』であっているのだと思います。
 最期に、もし私がこの本に題名をつけるとするならば、『社会に出ていく君たちに送る手紙➖人生で大切なこと』とでもつけるかもしれません。本書に通底するのはこれからを生きる子供たちにより豊かな人生を歩んでほしいという「愛」のように思えます。それを感じて心温まると同時にお金の大切さを改めて考えさせられる1冊でした。