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第53回目(2015年10月)の課題本


10月課題図書

 

この世界が消えたあとの 科学文明のつくりかた

 

この本は、サイエンスの素養が無い人にはちょっと難しく感じるかも知れません。でも、

こういう本は読み方があって、科学の細かい手順や原理を全部追いかけて理解しようとし

なければ良いんです。ポイントはそこではなくて、そこで産み出されるモノと元の原料と

の関係性、それを人類が産み出すまでの経緯、産み出された結果人類に与えたインパクト、

そういう関係性を横串で俯瞰して見るのです。

そうすると科学が現代に生きる我々にどれだけ多くのものを与えてくれたのか、文明とは

科学知識の蓄積に過ぎないのだということに気付くのです。それを駆け足で、映画を早送

りで見るイメージで受け取ると、人間の歴史と叡智に鳥肌が立つはずなんです。そういう

感覚を感じてもらえたら嬉しいです。

 【しょ~おんコメント】

10月優秀賞

では早速10月度の課題図書、優秀賞を発表しましょう。今月は若干難易度の高い理系の本

ということで、いつもの月よりも投稿者が少なくて残念だったんですが、私の立場で言え

ば、楽に選考が出来ました。

一次通過を突破したのが、J.Sokudokuさん、andomanさん、BruceLeeさん、sakurouさんの

4名でした。さすがこういう骨のある本を読み切るだけあってグッと引き込まれる感想文

が多くて、みなさん甲乙付けがたい。その中で、ひとつ頭が飛び抜けていたのが

BruceLeeさんで、今月はこの方に差し上げようと思います。というか、この方、何回目の

受賞なんでしょうか?でも受賞は久しぶりですね。おめでとうございます。 

 

【頂いたコメント】

 
投稿者 akiko3 日時 2015年10月29日

「この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた」を読んで
  
  なにもなくなったら、生きていけるのか?昔、「好き嫌いをすると戦争になったらあんたはすぐに飢え死にするね」を諭された。留学する友人がご飯が食べたいからとお鍋でご飯を炊く練習をしていたっけ。普段、便利なものに囲まれてそれらがなければ何もできない自分に途方にくれるが、昨今の自然災害(自然災害も科学文明を知っていれば防げたかもしれない)、戦争(科学文明の悪用だが、引き金を引いたのは人間)ものの本を読むと、何もない状態がどれほど何もないのか、しかも、混乱の中で衣食住を整えなければならないこと。さらに衣食住を支える貨幣、技術、物質、人徳?を駆使し、生き続けなければいけない大変さを思い、真剣に読んだ。
  カルピス劇場で楽しみに見ていた無人島に流れ着いた一家がいろんなものを工夫して作り出したように、人は生きる為に知恵と工夫を駆使し、進化向上している先祖から受け継がれた土台の上にあるのが今の暮らしなのだと感心した。
  何事も基礎の上に応用があるシンプルなものの重なり、繋がりで成り立っている。それに気づけるか、使いこなせるか、人々が引き継いだ知識、物に自分の工夫、改善をし、進化させてきた。また、人間と物だけでなく、自然との関わりあい、自然物の変化で、偶然というか必然で新しいものが生み出されている。物事は循環していることで進化し、継続しているんだと改めてこの世の法則“循環”の神秘を思う。偶然も何らかの作用でもたらされた必然、何か大いなる存在を思ってしまうのは頭いかれとるんとちゃう?とは21世紀になって少なくなっているとは思うけど、この著者も書かされた?と思うぐらい、残しておきたい英知の結集を生み出したと感心するし、この本に意見や新たな知識を加えて、自由な議論をしようと呼びかけ、循環の仕組みを作っているのが素晴らしいと思った。
世の中が乱れてきたら、大破局がくると予言があったりするが、進化向上のプロセスに一旦振り出しに戻るような破壊も組み込まれているようにも感じる。でも、その破壊も必然であり、必要なのかもしれない。科学は自然との強い結びつきがあることを学んだが、例えば、植物の種が壊れ、新たな芽がでて、生長し、花を咲かせ、枯れ、種になり、またその種が壊れ…という自然のサイクルを思えば、壊れる=破壊が新たな多くの種を生み出しているではないかと希望が抱ける。
昔の技術はシンプルで古いと考えがちだが、メソポタミア時代に作られていたパンや文明も今と変わらない部分があることを思うと、あまり変わっていない?とも思うが、ピラミッドなど人間の能力が神業に近くなければできなかったのでは?と思うと、科学は進化したが能力は退化したのか?と唸ってしまった。
「科学と知識は中立、応用目的が善か悪か」先祖が生み出し進化させてきた科学と知識を手にし、次の世代に喜ばれる残すべきものと捨てるものを見極めたい。そして、機械に振り回されず、なぜ?なに?どうして?と仕組みを理解して“使える”ようになりたい。
この本は非常時に持ち出すのを忘れないようにしないと。最後は人ですね。ありがとうございました。

 

 

投稿者 satonaka 日時 2015年10月29日


「この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた」を読んで
 いかに自分が他力本願な世界で生きてきたかを思い知った。自分の身の回りにあるほとんどの物の仕組みや製造法、意味について知らないことばかりだったからだ。この本を読むまで、窒素の固定がどれほど人類の役に立つ技術なのかということも、当然知らなかったのである。
 ただ、この思考実験は面白い。大きな大惨事のあと、どのように生きていくか、ではなく、どのように科学文明を再構築していくかという、かなり難しい課題だからである。必要な技術については本書に細かく述べられているので、どのようにして技術そのものを引き継いでいくかを考えてみた。
 本書では多くの早く復活させるべき必要な技術・知識が述べられているが、実際にこれらのことをすべて覚えておくことは困難である。そのため、本書に記されていることを含め現在の技術・知識を継続するためにまず行うべきこととして、書籍の確保が重要であると私は考える。
 しかるべき場所として最も簡単なのは、図書館および書店そのものである。書籍を守るという観点で建物の維持管理することで、かなりの量の書籍を残すことができるであろう。建物の維持管理は風雨、小動物および書籍に価値を見出さない人間の浸入から守ることが目的となる。また、残す書籍の量はできる限り少なくすべきであると考える。全ての書籍を残す必要はないため、不要なものは燃料としてしまっても構わない。無駄な維持管理に労力を注ぐ必要はないからである。
 書籍をきちんと保管し、生活に落ち着きがある程度できてやっと、過去の技術を取り返そうという機運が生じてくる。ただ、実際にはそれなりの知識を書籍から得られたとしても、それを現実に行っていくのはかなりの困難を極めるものとなる。見たことがないものはなかなか想像できないからである。そのため科学文明のいくばくかでも再び作っていこうとするのであれば、大惨事が起きたときの一世代目の行動が重要である。より必要な技術は何かがわかるのは、やはり科学の恩恵を受けてきた世代であると思うからである。・・・。
 と、自分の中で思考実験を行ってみた。自分の持つ科学分野(私であれば土木建設関連)においてどのように復活させていくか、あるいは途絶えないようにしていくかを考えるだけでも面白い。実際に何人かの賢者たちが図書館に集って知識の収集を行うといった光景も浮かんできてはニヤニヤしてしまう。
 思考実験を行ってみて思ったのは、生活に必要なものや事柄であっても、生活しながらその技術を高めていくことは不可能であろうという考えである。自分がいかに他力本願で生きてきたかを思い知ったと同時に、科学文明の恩恵はすべて自分で生み出すことは不可能で、多分に細分化していかなくてはその恩恵はお互いに大きく受けることはできないということも感じた。自分が必要とするものすべてを自分ですべて作り出すことは出来ず、多くの人たちで分業化してこそ多くの人が多くの恩恵を受けることができる。科学文明の進歩とともに統制やコミュニケーションも向上してきたと思われるが、文明の再構築として考えたときには統制やコミュニケーションを確保することがまず重要である。
 どのようにして分業を統制していくか。どのようなコミュニケーションツールが必要か。それなら貨幣制度はやはり必要となってくるのか。・・。
秋の夜長は思考実験を外れて単なる妄想で更けていきそうである。

 

 

投稿者 dukka23 日時 2015年10月30日


ビバ理系!

ということで、この本を読みながら、
「エセでも、高校の理系科目をやっといてよかった~」
としみじみ思いました。

書いてあることは、実践的で、
しかも幅広く「農業」から「物質」そのもの、「医薬品」や、「コミュニケーション」などの、
非常に具体的な復興の方法なのですが、
すべてにおいて、高校レベル(一部中学)の物理・化学・生物の知識がベースにあります。
(そこはタイトルにあるように”文明”ではなく、”科学文明”の作り方なので当たり前ですが)
逆にその知識がなければ、読んでいて楽しく無いのではないかと思います。

例えば、

・細かくは覚えていないけど、
 「ハーバー・ボッシュ法」と聞けば、
 なんと無く「そんなんあったなあ」と思える

そんなヒトは、この本は買いでしょう。
たぶん読んでいると
高校の授業の記憶が蘇りそれだけで脳が刺激されます。

そういった意味でこの本の一番の私の衝撃は、
高校の時にはそんなことを思いも寄らなかったこと、
=大破局後に最も役立つのは、理系科目の「知識である」ということです。

力学、流体力学、熱力学、等の物理法則から、
無機、有機化学等の化学的原則、
そして植物の組成や、生き物としてのメカニズムなど、
これらの知識が最低限なければ、
大破局後のDo It Myself状態では何もできないし、
やるとしても自分のみで試行錯誤しないと行けない、ということ。

人類が何千年もかけて発見してきた法則やメカニズムを
独りで試して発見するなんて、なんて気が遠くなることなんだと思ってしまいます。

こんなことを思いながら、
やっぱり、日本の教育要領(の知識の側面)はよく考えられているなあ、
と改めて水準の高さを実感しました。

一方で、「最大の発明」として著者が称えているのは

「科学的な手法」(その手法とは、奇妙な事象について、仮説をたて
批判的に分析し、だれもが客観的に判断できる材料を揃え、そして再現性をより高くしていく方法だが)

とありますが、その意見に対しては諸手を上げて賛成はできません。

なぜならば、現代の社会の大多数は、
この科学的な手法を履き違えていると思えるから。
超一流の科学者を除けば、
そもそも奇妙な事象が現代科学の知識範疇を超えている場合、
「これはインチキだ!」とか「ありえない」という反応になってしまうでしょう。

本来は、「今の科学では理解できないこと」に挑戦していくことこそが、
科学の発展には欠かせない姿勢であると思います。

イグ・ノーベル賞ではないですが、
「ノアとキャットファットのポークベリーサンドイッチはなぜ文明社会の頂点であると感じるか?」
みたいな、こんな命題に取り組む余裕のある懐の深い科学も
もう少し広まっても良いんじゃないかなと思います。

それでも、演繹的、帰納的にモノゴトを捉えて、
再現性のある形に仕上げていく”科学”という手法は素晴らしい。
そのことを改めて感じさせてくれる書でした。

大破局が実際に起こった時には、
著者の願い通りに、この本がまさに人類の「Knowledge」となるように、
厳重に保管されていますように。
(もちろん私は携帯して逃げ出しますが)

投稿者 J.Sokudoku 日時 2015年10月31日


「この世界が消えた後の科学文明のつくりかた」

1.知れば知るほど分からことが増える
 “知れば知るほど分からないことが増える”ということをこれ程までに体感させられた本は初めてである。自分がどんどん小さくなっていく、そして暗闇が広がっていく。読み進めて行けば行くほど、その感覚が大きくなって行った。その感覚をイメージに例えてみると、自分を取り囲む白く光る球体とその外側を覆う真っ黒な球体があり、白く光る球体は自己の認識範囲となる。今までの知識と経験からその本質・意義などが理解できる物事が認識範囲だ。外側の黒い球体は認知範囲で、知ってはいるが、本質・意義などは理解していない物事が含まれている領域だ。読めば読むほど大きくなる白く光る球体、但しそれ以上に猛烈なスピートで大きくなる黒い球体。仮に本書を読む前の白く光る球体と黒い球体の直径比率が1:3であったとすると、読み終えた後はその比率が1:100に広がったと言っても過言ではないのである。

2.背景を知れば見えてくる世界が変わってくる
 身の回りにある普段何気なく使用しているモノや起こる事象の“背景”(歴史、作られたプロセス)を意識するとワクワクした気持ちになるもの。これが本書から大きく学んだコトの1つである(著者の期待とは違うのでしょうが)。“何から何ができ、そのできた物が与える影響は何か” を意識して本書を読み進めた。知らないことばかりであった。「現代の農業は石油を農作物に変えるプロセス」である。この説明を受けて、なるほどと頷いたと同時に、今までの自分は本当に物事の表面しか見ていないことに気付かされた。身の回りにある殆どのモノをただ見て扱うだけで、背景を全く意識していないのだ。ロビンソン・クルーソーからの引用文が自分の愚かさを教えてくれた。
「だから僕達は自分の置かれた状況の本当の状態を、その逆の状況によって示されるまで決して見ないし、自分たちが楽しんでいるのものを、それが欠乏するまで大切にするすべを知らない」
あるモノ・事象があった時に、意識してその背景を理解すればするほど、見える世界が変わってくるのだなと確信した。

3.知識の広がり方
 本書を読み始めてから終わるまでの間に面白い“知識の広がり方”を体験した。それは、今月中頃に里帰りをした時のことである。実家の周りは畑が多く、その中に枝豆栽培の畑もあった。その畑は収穫が終わったのか茎は地上から15cm位を残し刈り取られていた。ただ、よく見ると(本書を読んでいなければこの行為もなかったろう)残り15cmの茎にも沢山の枝豆はついているのである。何でだろうか?明らかに意図的に収穫をせずにそこに残しているのだ。
【そこにいた自分と父親のやり取り】
枝豆畑の側に立ち、枝豆を観ながら考える自分。
(おぉ、そういえば「この世界が消えた後の科学文明のつくりかた」には豆類は土壌に窒素を戻す驚くべき食物であると書かれていたな。これは、将来的な土壌のことを考えて意図的に残して土に帰そうとしているのだろう)

自分:「ねぇ、何で枝豆は全部を収穫しないか知ってる?」

(豆類が土壌に窒素を与えることを、教えたろ♪全部を収穫しない理由を教えたろ♪)

父:「大豆になるのを待ってるだけだろ」
自分:「あっ、そうなの?」
一莢を手にとって中身を見ると見慣れた白い大豆が袋の中に入っていた。
“よく見て”、“考えを出して”、“それを確かめる”、自分の考えは正しくはなかったが、こうして知識が広がった。

4.進むべき道
本書を読んでいる最中は、今までの自分の無知、浅はかさ、愚かさを思い知らされて、ちょっとブルーになった時もあったが、最後にはこれからの自分の進むべき道を示してくれた1冊となった。現在、自分はガラス工芸品製造販売会社で営業を担当している。ガラス製造業に身を置きながら、製造プロセスよりも如何にして売るかに意識をフォーカスしている。ビジネス本を読み漁って、如何に売るかのテクニックや技だけを重点的に身に付けていたようだ。薄っぺらい営業人である。よく言われる“すぐに役に立つことは、すぐに役に立たなくなる”ことを必死に集めていたのだろう。恥ずかしながら本書にガラスの歴史と重要性、成分や製造方法を学ばされた次第である。表面的、小手先的なことではなくもっと核となるガラス製造の歴史や方法、また関係性の深い光学について時間を掛けて学んで行きたいと思った。そうすれば、もっと仕事が面白くなり、営業人としての奥深さも出てくるのだろう。

いつも良書のご紹介を頂きありがとうございます!

~終~

投稿者 ktera1123 日時 2015年10月31日


「この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた」を読んで

本を読み進めていて、実はこの内容は「鉄腕ダッシュ」でDASH村等の企画につながるものがある、本で書いてあることを重機の手伝いや、知識の宝庫の先達の手伝いはあるが実践している。バラエティ番組としてみるのも楽しいのですが、本を読んでいる中で、作者は本に残しているが、映像付で記録に残していたのではないかと感じました。

機械が使えなくなったあとどのように科学文明を再興させるかの視点もありますが、完全な自給自足の人もいなくはありませんが、今の文明世界が世界的な分業体制で成り立っていることを改めて感じていました。つまりは全てのことを少数の人のみで再現するにはかなりの困難がともなうではないでしょうか。

文明が崩壊した後は、日本では江戸時代に戻るような形になるのでしょうか。

昔、測量の勉強をしていた時に先生から課題がでました。
課題の内容は、「どのようにして中点から直角線を引くか。」
答えは
1.「ひも」を長短2本用意して、中点に印をつけます。
2.短い「ひも」を固定して、長い「ひも」を短い「ひも」の両端にあわせます。
3.長い「ひも」の中点をもって、適宜引っ張ります。
4.短い「ひも」と長い「ひも」の中点を結ぶと直角線が引けます。

よく考えてみると「日能研(関東地方の小学生向けの進学塾です)」の中づり広告にでてくるような問題のような気もしますが、機械がでてくる前はどのようにやっていたのかを考えさせられたことを思い出しました。

レオナルド・ダビンチがアイデアを出して、実現出来たものがいくつあるかを考えてみると、アイデアはあったとしても実現するのが困難なものを1つ1つ具現化してきたのが人類の進化、科学技術の発展なのでしょうか。人類は進化しているのは確かなようです。それが智の道か悪の道かは、時代が経過しないとわからないのでしょうが。

以上

投稿者 magurock 日時 2015年10月31日


 『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』を読みながら、子どものころに読んだ、さいとうたかを氏のマンガ『サバイバル』を思い出していた。しかし、『この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた』は『サバイバル』よりもっと現実に即した内容で、しかももっと高度な技術を私たちに求めている。『サバイバル』より、かなりアグレッシブなのだ。

「ムリだ。こんなの覚えられないよ」
平和な現代を生きる私にはそう感じられた。
 今まで、もし大地震が起こった場合に生き残ることができたら、と想像したときに、救助の手が届くまでの長くて一週間くらいを生き延びればいいのだと、漠然と思っていた。なんとかその期間をやり過ごせば、誰かが救いの手を差し伸べてくれるのだろうと。

 でも、本書の「大破局」はまさしく大破局で、その先も自分たちで(あるいは自分だけで)生きていかなければならないのだ。しかも残されたものを最大限利用しながら、今までの科学を無駄にしない形で。
 それはとても高度なことのように思えるが、一番効率の良い考え方なのだ。
文明に慣れきった私たちが、一から原始的な生活を始めるより、知識を使って科学文明をつくっていく。
考えれば考えるほど、最悪な事態の中での理想的な立ち上がり方だ。

 しかし、やはり必死さが足りない今、この本の内容をすべて頭にインプットすることなど、到底できそうにない(きっと私の脳味噌は、大破局が起こることなど考えたくないのだ)。
 だから本書は、非常持ち出し袋に入れておこうかと思う。本当に大破局がきた際には、今よりも必死になってこの本を読み、この本を頼りに生きるだろう。
 もし大破局の際に生き残ることができたとしたら、せっかくだから大破局後も生き延びて、新たな科学文明がつくられる様子をこの目でいきたい。そして、この本を手使って、私もそれに貢献できたら、と思う。絶望するだけなら、生き残った意味がないのだから。

投稿者 6339861 日時 2015年10月31日


「この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた」を読んで

昔読んだ「北斗の拳」や「マッドマックス」のような世紀末大破局が実際に
起こったら人類はどのように再出発していくか、という再起動マニュアルでした。

読んで思ったのは、やはり人類の英知はものすごいなということです。
ここまで、自然法則をよく観察して、理解しそれを生活に応用できる生物は他にはいません。
自分もその人類の一人であることを改めて考えてみると、日々の生活の中でもっと知恵を
絞れば、よりよく生きることができるのではないかと反省しました。
【もっと、もっと頭を使わなければ。。。】

この本に描かれるような大破局が起こってほしくはないのですが、実際に原発事故
や大規模な伝染病の流行は起こっているわけで、こういったときに生き抜くための
知識は持っていればたしかに強いなと感じます。

最終的には、いかに自分一人で、周りに何もなくなっても明日から生きていける
能力を身に着けるのか、それさえできれば、かなり不安は軽減されるのだなと思います。
大規模地震や災害のあとは、緊急避難用グッズがよく売れますが、それ以上にもっとゼロベースから
やり直すためのマニュアルですね。

しかしこの本には、再出発に絶対必要な知識が詳細に記述されていますが、実際にこの本を
手にそれを実行してみようという人は少ないと思うし、この本に書いてあることを
書いてあるとおりに実行することは、何の知識もない人にとってはかなり困難なように思います。
まず、動機がわいてこないし、マニュアルといっても文章中心で言葉も専門的ですから
一般の人がこれだけを見て、実行することはまず不可能と思います。
そもそも、この本も結局大破局時代には、消失しているわけですから。

では、この本の目的は何なんだろう、【この本の目的は思考実験なんだ】と考えました。
科学文明のある世界と、ない世界の違いがどのようなものか思考し、
科学文明がいかに重要なものであるかを再認識し、科学文明をいかにを守るのか。
それを考えるきっかけを与え、考えさせるのが目的なんだと思います。

この本を読んだおかげで、空を見上げて星を見るだけでも、ここから人類はとてつもない情報を得て、
それを日々の暮らしに応用するに至っているのだなと、今までは及ぶことのなかった思考に至ることができました。

たまには、身の回りの科学文明について、これはいったいどういう仕組みで成立しているのかを考えるようにし、「自分の中で産業革命を起こさなければ!」そう思わせてくれた本でした。

投稿者 andoman 日時 2015年10月31日


「この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた」を読んで

「僕らの知っていた世界は終わりを告げた。」
序章でいきなり小説の完結の様なセリフに、ちょっと笑ってしまった。。。
(もちろん、内容の導入に必要な事は十分承知していたけれど。)
人類がそう簡単に滅亡の危機に陥る事は無いと思うが、決してあり得ない事ではない。
もし自分が、その様な状態になった時に、どの様な行動を取るべきか?
なんとなく妄想した事はあるが、深くは考えた事は無かった。
実際、自分が生き残った少数のうちに入った場合、どうするか…。
きっと、缶詰を求める旅人になっているのではないだろうか?
サバイバル技術を持ち合わせている訳でもないので、現文明が残し利用できるものを消費し続けて、その生涯を終える。
もうちょっとマシかもしれないが、そんな気がする。

本書では、そうならない様に、ある程度の文明に戻れる様に具体的なレシピを提供してくれている。
中でも、興味深かったのが、「原料や材料・素材」についてだ。
何かを作ったり修理する為に、使えるパーツを集めてコンパチすれば、ある程度は物を作り、文明の継続は出来るだろう。
しかし、ただそれを繰り返しているだけでは、いずれパーツは尽きてしまう。
どこかのタイミングで、地球から提供されている原料や材料・素材を使用しなければならない。
これらをどう入手し、どう加工すれば、金属や物を製造出来るかを、ドラマチックで感動的な物語を入れる事なく、淡々とシンプルかつ簡潔に示してくれている。

また、シンプルかつ簡潔に説明されているが故に、これまでの人類の発展の偉大さについても、文章から感じる事が出来た。
先人たちは、本書の様な科学発展のヒントとなる参考書や技術書も無く、手探りの状態で原料から素材への加工方法を発明し、そして物を発明して生産し、より便利なものに性能を向上させ続けてくれた。
わずか1行の中にも、何十年、何百年単位での時間の流れと、発明家や職人の創意工夫があったのかと思うと、何とも言えない溜息が出てくる…。
筆者の「おわりに」を読むと、筆者が最もその事を感じていたのではないかと感じた。
巻末の参考文献は、200冊を超えており、参考文献だけでもその数というのに、参考文献としては入らなかった本や資料、協力者からの情報もかなりあると思う。
本書を執筆する為に必要だったこれらの情報の中では、その技術を生み出すためにどれほどの人が関わり、どの様な挫折や苦労・努力があって、その技術が世に放たれたか。(中には当然、命を失った人もいるかと思う)
そういった話も、資料に記されていたと思う。
それゆえ、「おわりに」にあった『本書のための調査のなかで僕が感謝したように、読者の方々もありがたく思うようになってくれたらと僕は期待している』という一説に訴えが含まれていると感じた。
私も、筆者の想いと同様に、これまでの文明を築き上げてくれた、偉大な先人たちに感謝したい。
今月も素晴らしい課題図書をありがとうございました。

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投稿者 BruceLee 日時 2015年10月31日
本書を読んで感じた2点について述べてみたい。

1)我々は先人の叡智の積み重ねの上に生きている
本書で語られる数々の科学的・技術的な情報。よ~く理解出来たのは、そのどれもが
私立文系の営業職という、本書の世界から最も疎遠なエリアに生息している自分に
とっては非常に難しい世界!という事(笑)。その意味、読み始めは苦痛を伴ったのが
正直なところなのだが、ページを進めるうちに捉え方に変化が生じてきた。

本書は「大破局」が発生したと仮定し、その後の限られた環境の中で「今日の科学文明」
をどう再生していくか?が主題である(ポイントは、今日のレベルに達するのが目的
であり、今日以上の新しい発見をしろ等とは全く言っていない点)。各項目において、
それらの方法が理路整然とドライに語られ、その一つ一つに専門的な知識が必要である事
が読み手に伝わってくるのだが、面白いのは、それは見方を変えれば、今日我々が当たり前
に感じ、特に意識もしない日々の生活環境やインフラが構築されて来たこれまでの道程が
どれ程大変であったか、を想像させ、改めて学び、感じる事が出来る点である。

結果的に、それは今日存在している事物に対する有難みと、それを作り上げてきた先人たち
への畏敬の念を自然と抱かせる姿勢へと我々を導く。何故といえば、その先人たちがの試行
錯誤や発見・発明が無ければ、我々の今日の当たり前は当たり前では無かったからだ。
つまり、「存在している事物への有難さ」を感じるには、もってこいの思考実験なのだ。

「You never miss the water till the well runs dry」
(井戸がかれるまでは、水のありがたさはわからない)

という格言ではカッコ良過ぎるか?では、発毛促進剤の昔のCMにあった「抜け始めて分かる、
髪は長~い友達」ではどうだろう?多くの男性は深く頷けるのではなかろうか(笑)。存在
してる時はその有難みはなかなか気付かないものだ。無くなって初めて気付くという人間の
習性を活用し、「大破局」後という思考実験の数々で、我々にそれを気付かせてくれる。
更に本書にもあるように、人間の知識は「人びとのあいだに広く拡張した集合的なもの」
である。それは今でもそうだし、先人たちにとても同じだったろう。つまり誰か一人の
発明・発見で事足りる訳ではなく、あるものを作り上げようとすればそれ相当数の頭脳や熟練
が必要になるのだ。それこそこれまで人類の歴史が成し遂げてきた成果であり、今日時点の
集大成が、今日我々が享受してる環境なのではなかろうか?

我々は兎角「あれが無い、これが足りない」と無いものに目を向けがちである。そして時に
「それでも日本人は幸せなんだよ、アフリカの難民を想像してごらん」と諭され、一瞬
分かった気になったとしてもそれも長くは続かない。実感が伴わないからだ。でも、この
「今日当たり前にあるものがある日無くなったら?そして自らの手で同じ環境を作り上げねば
ならないとしたら?」と問われる事で、たとえその方法が述べられたとしても、その困難度合い
は本書に記載あるように実感として沸く事から、今日「存在してること」の有難みに容易に実感
する事が出来るのではなかろうか。だとすれば、これも本書の思考実験の大いなる効果の一つ
であると思うのだ。


2)本書の知識が役立つ時までに必要なことは?
本書を読みながら個人的な思考実験を巡らせてしまったのだが、それは、「大破局」発生後
から「科学文明をつくる」時点に至る経過である。本書にも出てくる「マッドマックス」や
「アイ・アム・レジェンド」もそうだが、どちらも「大破局」後の環境下で生き残るのが
精一杯な状態で、本書で言う科学文明をつくる段階、つまり「再建」段階では全くない。
という事は大破局後に本書で語られる知識や技術が活きる「再建」が実際に始まるのは、
短くても数十年、いやもしかすると数百年後を想定するのが現実的なのではなかろうか?

類似した状況を我々日本人はリアルに見ている。今この瞬間では当たり前の日常がある日
突然止まってしまい、以降は限られた物資で生きねばならない状況。そう、東日本大震災
や先月の関東・東北豪雨である。仮にあのクラスの自然災害が日本全土、いや世界全土で
発生し、国からの支援物資も、民間のボランティアも、仮設住宅もなく、つまり外部
サポートが一切無く、生き残った被災者だけの力で再建せねばならないのが「大破局」
後直後の状態だろう。だとすれば、例えば今日「大破局」が発生したと仮定して、実際に
再建に立ち上がる世代は、実は我々現代人ではなく、早くても我々の子や孫の世代になる
かもしれない。だとすれば、本書では触れられてないが、再建がスタートするまでに、
生き残った被災者が考慮すべき事があると強く感じたのだ。それは「教育」である。

本書の原題は「Knowledge」だが、そのKnowledgeを理解するためのバックグラウンドとして
の基礎教育がなければ本書の情報も無駄になる。基礎教育とは、これも先人の教えが残って
いるように我々が当たり前に持っている能力、「読み書きそろばん(計算能力)」である。
我々は読み書きそろばんが出来る前提で今を生きており、それらが出来るから文字を読み
(情報を入手理解し)、計算し(考え)、書いて伝える(アウトプットする)事ができる。
だが、大破局後、それを学ぶシステムがない環境下で育つ我々の子孫はどこでそれを習得
するのか?そのシステムがなければ、数十年後、数百年後の人間は口頭のコミュニケーション
は継承されるとしても、文字や計算能力は失われるだろう。そんな時に本書があっても全く
意味をなさない。

ここで大事なのは自分の世代で完成を見ないにしても「次へ繋げる」姿勢だ。出来る範囲
での再建は勿論着手すべきだが、それが現実的に難しい場合は、現代人と同レベルの知識
を持つ人間を育成するための環境作り、そこにプライオリティを置くべきではないか、と
思考実験してみた結果である。

あくまで個人的思考の域を超えないが、このような新たな読み方・思考経験をさせて頂いた
という意味では興味深い読書体験が出来たと思う。感謝したい。

以上

投稿者 nkatani 日時 2015年10月31日


■「この世界が消えた後の科学文明の作り方」を読んで。
この本を読むまでは、科学(及び化学)にはアカデミック(学問的)なものであるという印象がありましたが、
全然そうではなくて、切実な問題を解決するために探求され、発達してきたということが見てたのには驚きました。
実験は楽しかったですが、それを応用したことやする必要がありませんでしたし。

 ところで、この本には破滅後の世界をを想定した思考実験として書かれていますが、
見方によっては驚く程実用的な本だなと思いました。
この本には過去の道具を再現したり、
現代文明の遺産から部品を拝借したりして自分で装置や道具を作る方法が描かれています。
いわゆるDIYといものです。
これについては、破滅後などといわず、破滅前の今に実戦してしまってもいいじゃないかと思えます。

 例えば、自分の人生をよりよくする方向に。
過疎地に安く家と土地を借りて、自分で作物を作ってしまえば、自給自足も可能だと思います。
足りない食料や現代の技術の恩恵を受けたいもの(例えば携帯電話など)にだけお金を払うようにすれば、
人生におけるお金の依存度というのは減らす事ができると思います。
そこでできた余剰は、さらにお金を稼ぐなり自由を謳歌するなり、
自分の人生をよりよく過ごすことに使えばいいと思います。

上のように考えると、人の仕事をより詳細に分業化し、残りをお金に依存するということは、
効率を追求するうえではベストかもしれませんが、生きづらさを生んでいると考えます。
農家なら話は別かもしれませんが、お金が無くなれば食べていくことができなくなるということですから。

 また、発展途上国に応用してしまってもいいのではないかと思います。。
現在のような便利なシステムがないという意味では、発展途上国も条件は近いですから。
基本的には本で書かれている内容にそって応用して、食べ物を他国に依存しないようにして、
農耕から解放された人たちは文明を発達させていけばいいんです。
現代文明から拝借する必要があるものについては、買ってしまえばいいんですから。

こう考えると、今回の本で学べる事を、発展途上国に応用しない手はないと思えてきました。
下手をすれば、彼らを救うことはおろか、その過程で別の発明が生まれ、
現代の文明に進歩をもたらすことになるかもしれないからです。

上のような用法はあくまで一部で、応用範囲はもっとほかにもあると思います。

 過去の人たちが積み上げてきた叡智には頭が下がる思いがしました。
自分たちも恩恵を受けるだけでなく、さらなる叡智の蓄積を、と思いました。

投稿者 gizumo 日時 2015年10月31日


「この世界が消えた後の科学文明のつくりかた」を読んで

「科学」という表現にどこか疑問を感じつつ、また「復興」が現状に戻ることを意味していることにも疑問を感じつつ読み進めることとなった。
 映画などで語られる「“世紀末”の形相にまた、ふたたび同じ環境が必要だろうか?」と思っていたのである。どうせなら(?!)まるっきり違う世界、たとえば海に住む等を考えたわけである。しかし、考えてみると一部の人間が残るという前提なのでそれはないな・・・と。
 全くの0から”文明”を創り上げる方法ではないのである。「科学的理解を実用化することが技術の基本である」と述べられているように人類発生からの長い歴史の中で、人が観察によって事実から発見し科学となり技術が進歩し知識を生み出すというサイクルの中で、人類がもがき苦しんで犠牲をも払ってきた出来事をショートカットできるのである。
 今現在の暮らしを分解していくと、ここまで多くの技術に支えられているのか驚きでしかない。当たり前の1分や1グラムがどういった基準なのか、思いをはせたこともなかった。
 膨大な、技術が細かく説明してある本書であるが、実際の場面ではやはりまだまだ心もとない部分もあるのかもしれない。自分が安易に自分自身の力だけで生きているつもりになっているが、とんでもないことなんだと改めて実感した。当然、あらゆるものに感謝がわいてきた。
 こういった状況が来ないことを切に希望する次第だが、自分がその状況の時に残れるのか?また残った場合に周りの足を引っ張るだけでないのか不安の部分もある。共同作業や協働も必要となり、今後はサバイバルも可能な心づもりと知識を深めて行かなければと考えさせられた。

投稿者 mekiryoku 日時 2015年10月31日


「この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた」を読んで

文明と文化の違いは何だろうか。目に映るもの(バス、ビル、花壇、寺院、パソコン、窓など)を文化か文明か振り分けたり、読書期間中ずっと考えた結果次の考えが自分の言葉で出てきました。
「文明とは、人間が合理的かつ豊かに社会生活を営むために必要な枠組みやしくみ、物質的な道具。文化とは文明の枠組みの中で生活や習慣に合わせて育ち、内面を豊かにするもの」です。なぜこんな面倒な作業をしたかというと、自分の中で文明という定義をはっきり認識出来ていませんでした。そしてそれが解れば、再建のため必要なモノは何か理解が進むと考えたからです。

人間がよりよい生活を目指して発展させてきたはずの現在の文明生活と、人類はぴったり合っているのでしょうか。
地球が破壊されたり文明が崩壊する大ヒット映画や、現代の文明とは全くちがう世界を描いた物語は数多く存在します。そして、それらは多くの人々に受け入れられてきました。それはつまり今の文明が、それを作ってきたはずの人類に少しずつ合わない部分があるという無意識の現れではないかと考えていました。
本書の設定も、まずこの世界が終焉を迎えなければいけません。そして本書の内容に従えば、これまで人類が発見してきた様々な物質を違う物質へと変化させるという魔法のような技術を瞬く間に取り戻すことができます。この本はそういった技術が凝縮されてまとめてある、とても興味深い内容でした。
しかし、この通りに本書の技術を全て忠実に活かすには、かなり限られた条件で終焉を迎えなければなりません。現在の文明の資源は無事にそのままで、人類の数だけが極端に減少する場合です。
放射能汚染、人間が存在できない程の外気の急激な変化、資源の急激な減少等による終わりを迎えた場合や、長期間にわたって地表面での生活が不可能になったとき、人類はこれまでの科学を駆使して生きていけるのでしょうか。限られた条件の終焉を迎えた場合のみでしか役に立たない本であれば、こんなに興味をもって読むことができなかったと思います。しかし如何なる場合でも、本書の科学が足がかりになるのは間違いないと思います。
なぜかというと、文明を再建するために最も必要なのは、周りにある物質を生活を便利にするために都合の良いように変化させたり、法則を見出すことであり、その能力やセンスであると思ったからです。
人類が作った文明(生活様式)に、なんとなく違和感を感じている人類が多くいるということは、この文明を発達させること、つまり考えることをしなくなった人類の数も増えてきたということだと思います。

古代の文明では、奴隷を使って生活を楽にしてきました。そして生活へ費やすはずの労力を、哲学や数学や天文学など様々なことを考えることに使うことができました。そして文明は発達しました。
文明の発達→時間、脳内にゆとりができる→文明の発達というサイクルが理想です。生活に追われてスケジュールを詰め込み、それで満足しているということは文明を発達させている事とは別物です。頭と体を使っているというだけで、考えてはいないため、能力もセンスも磨かれていません。そのため、違和感を感じてしまう場合が多いのではないでしょうか。人類は考え続けてこの時代まで命を繋げてきたのだから、考えるという行為は個人が生きるうえでも重要な事です。そして文明・文化を通して人生を豊かにすることが生きる目的の一つだと考えています。
今の文明がリセットされたとして、本書のような再建の道筋を手にしたとしても、同じ流れには向かわず違う流れへ方向転換するはずです。そして、ゼロからすごい速さで再建できたとしたら、その加速度も活きて、全ての人類が心身ともに豊かで暮らせる、思いもよらない文明が猛スピードで出来あがるかもしれません。そんな楽しい空想の時間をもたらせてくれる1冊でした。

そして12章に紹介されていた、宇宙の星の動きを読み、暦を作るということ。常に動いている星々だけど、人類の命の時間という定規でみると、ほとんど動いていない。その膨大な時間という概念だけでも圧倒されたのに、さらにその中に様々な物質が混在する宇宙という存在の大きさを感じてしまいました。文明は宇宙の法則に則ったものが発達していく、自然なことなのだと思いました。

投稿者 sakurou 日時 2015年10月31日


「この世界が消えた後の科学文明のつくりかた」を読んで

本書は世界規模の戦争、パンデミック、恐竜を絶滅させたような世界的気候変動をもたらす大規模隕石衝突等により世界が崩壊した時に、科学技術を軸に文明を再構築する方法について、農業、工業、医学等、生きるために必要な科学技術全般が取り上げられており、改めてルイス・ダートネル氏の幅広い知識に驚かされる。

読み始めると冒頭から世界が消える、とは?というところから頭を揺さぶられるように読み進められ、そのスケールの大きさを感じ、思考実験の題材としては非常に深いものであった。

本書を読んで感じたことを以下にまとめる。

1.物の原理、基本を押さえれば何とかなる

どの分野でも基本中の基本、例えば農業であれば肥料の(窒素、リン酸、カリ)、化学であれば酸とアルカリ、加水分解など、押さえるべきポイントがある。逆にそのポイントを押さえないと苦労するし、押さえれば楽に次のステップに進める。
本書の内容も個々に読みこめば非常に難しいところはあるが、高校の理科レベルの知識である程度カバーできる。つまり、突き詰めれば本書と高校理科の教科書で、再構築の取っ掛かりはつかめるように思われる。もちろん、再構築過程でも試行錯誤は避けられないだろうが、基本を知ると知らぬでは大きな違いが出るのは間違いない。

2.2割で8割の生活が成り立つ

前項と若干関連するが、かなり極端かもしれないが、本書を通じて感じたのは、パレートの法則ではないが「世の中を形成している科学技術のうち、2割の技術を使えば8割の生活は成り立つのではないか?」という思いである。

例えば加水分解で石鹸を作るのは比較的簡単である。石鹸を作ることで感染症を予防できる等、快適な生活を送るのに絶大な効果が得られる。土を起こす農機具を作るだけで桑で耕すよりもはるかに広い耕作地が作れる。このように知恵を使えば再構築できることが分かるし、そういう目で世の中を見返すと、比較的単純な原理で成り立っているように見えるし、今の改善はその残り2割をより良くするために起こっているようにも思える。

3.現代の爆発的進化

本書全体を概観すると、様々な分野で技術革新が進んでいるが、当たり前であるが、その時期が分野により異なっていることに気づく。例えば本書で取り上げられているコークス製鉄法が一般的になったのは産業革命の時期、すなわち約300年前だし、医学でペニシリンが実用化されたのは第二次世界大戦中である。さらにインターネットの商用化や携帯電話の普及はこの約20年である。

最古の文明については諸説あるようだが、紀元前3500万年前のメソポタミア文明、また数万年前を文明の発祥とすると、そこから数千年、数万年という途方も無い昔から文明がある。にもかかわらず、本書で取り上げられている内容はたかだか数百年、また数十年という、そのスケールからするとあっと言う間の時代に生まれたもので今の生活が成り立っており、その進化のスピードからすると、さらに爆発的、加速度的に技術革新が進んでいることが分かる。実際、バイオテクノロジーにより、遺伝子組み換えが可能となり、さらにAI等、人間は人間の枠組みを超え、あるいみ神の領域に確実に近づきつつある。
また、インターネット、スマートフォン、IoTに代表されるように、これだけ世界の遍く人々やモノが瞬時に情報をやり取りできるという人類史上全く考えられなかった世界が開かれようとしている。こういう世界に生きていることに喜びを感じるし、期待が膨らむ。


本書の前提となる大破局という世界は、あるとすれば非常に悲惨なものであることには間違いない。しかし、どう生き抜くか、という視点で捉えれば、一筋の確固たる光明が見える。

どんな状況になっても未来のつくり方が分かれば不安が無くなる、という意味では、たとえ目が見えなくなくなっても悲観しない、むしろそうなったことで楽しい人生が送れることを教えてくれた「目の見えない人は…」に通じるものがある。また、以前読んだ「2100年の科学ライフ」はこれから技術開発により、エネルギー問題、環境問題等の諸課題をどう解決していくかという視点で書かれていて、読んでワクワクした本だった。

本書は大破局からの再構築という一見暗いトーンに思えるが、じっくり考えると根底には現代技術の再構築だけでなく(一度構築しているので以前よりは比較的容易)、更にそのスピードで新たな科学文明を構築するかというテーマを与えられているように感じる。ダイナマイトの戦争への応用等、技術開発には負の面もあるものの、私は技術開発は人を幸せにするものと信じている。これからの技術開発がどういう世界を開き、私の生活をどう変えてくれるのか、期待に胸が膨らむ思いである。

投稿者 morgensonne 日時 2015年10月31日


「この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた」を読んで

まず今まで生きてきたこの本にあるような大破局の世界で暮らすようなことを想像したことはなかった。その意味でも自分にとっては新鮮で興味深く読むことができる内容である。しかし、文系人間であるため難しいところも多かった。日本の学校教育もこのような、本書では生き残るために文明を一から作るというようなストーリーを取り入れて実施されれば、もっと面白くなるのではないかと思った。
少し本書の趣旨とはずれるかもしれないが、日本でも震災後には災害への備えということで家庭では災害キットを置いたり、企業ではBCPを策定したりするようになってきている。災害時への備えでは備蓄をどれだけできるかが重視されているように思うが、この本にあるような知識も重要であるのは間違いないだろう。このような知識、技術をどのように残していくかも考えておかなくてはいけないだろう。
いずれにしてもこの本のことをすぐに実践することはないことを願うが、もしもの時のためにすぐに取り出せるところに置いておきたいと思う。
またこのような思考実験のようなことをすることで、自分の脳も鍛えられるような気がする。

いつも面白い本をご紹介いただき、ありがとうございます。

投稿者 2l5pda7E 日時 2015年10月31日


「この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた」を読んで。

私の頭で考える限りでも、核戦争が起こって、粉塵で真っ暗な世界が訪れるかもしれない。
現在の様に人間が安定して暮らせる自然環境がこのまま安定しているかわからない。
最善の終わり方としているパンデミックによるものも起こる可能性がある。
しかし、終焉の可能性におびえていても社会生活に頼っている今の私は生きてゆく事が出来ない事は分かっている。
備えあれば憂いなし、山に籠って自給自足の生活ができたらいいなと思うが、現状から遠くかけ離れている。

著者は本書で定義ている終焉の状況を頭の中で思い描き、文明のつくり方を模索している。
かなり詳しく調べ上げている。もし終焉後に著者が生き残っていれば、目的である文明を再起する事が出来るだろう。
私の様に実際に行動せず、本書を1回読んだだけでは生き残る事が出来ないだろう。
終焉後に、その術を運よく知っていたり、知ることができても模索しなければならない。
本書やその他文献が残っていなければ、遠い記憶の断片から再現できる方法を探すしかない。
もし本当に文明を再起するには、その術を実際に身体に沁み付かせておく事が必要だ。

本書の目的である文明の再起に限らず、願望達成は本書を書く時の著者の考え方で挑まないといけないと感じた。
ふと自分自身に問いかけると、まだそんな尊いレベルじゃないなと思う。
逆にこのような考え方が必要な事も認識できた。

生きるためには食糧、農業が必要だ。
農業を軌道に乗せる事が出来たら、ちょっと欲張りだがお酒を造りたい。

生きるためなら暴力をふるわれる時があるだろう。
本書には書かれていないが、それに対する考え方や方法が必要だと感じた。

良い書をご紹介いただき、誠にありがとうございました。

投稿者 ken2 日時 2015年10月31日


「この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた」を読んで

いきなり、無人島に放り出されたら自分は生きていけるだろうか?
火も起こせないかもしれないし、食べられるものとそうでないものも判別できないかもしれない。
文明のかけら(ライターや缶詰)が残っていたら、それを利用しつくすまでの命かもしれない。

科学技術に支えられた現代の便利で快適な生活に慣れ切った自分がそんなサバイバル状況に直面したらどうなるのだろう?想像するとあまりの何もできなさに、空恐ろしさを感じる。

大破局が起きて、生き残りの人々の中に自分がいると仮定して、いったい自分には何ができるだろうかと思う。自分はIT系の仕事に携わっているが、電気や通信網が機能していないなかでは何も意味をなさない。

五感をフルに働かせて肉体を使い、知恵を絞ってサバイバルするしかない。
しかし、著者も本書の序章で、「おそらく歴史上で最も感銘深い一足飛びの離れ業をやってのけたのは十九世紀の日本だろう」と明治維新のことを指摘している。
その後、関東大震災や戦後の復興、高度経済成長を経験している日本は、いざとなればやれる、と精神論では思う。東日本大震災以降、再認識したきずなも大事になってくると思う。

有史以来の営々と築きあげられてきた技術やルネッサンスや産業革命以降の科学技術の進歩の恩恵を存分に受けている我々だが、それらの素晴らしさに感謝しつつ、原理や原則に立ち返って、考えてみる、といったことが重要だと気づかされた。

便利になることで、忘れてしまっていること、退化してしまっていることも多いと思う。
卑近な例だが、レトルトカレーじゃなくて、カレールウから作るカレーじゃなくて、香辛料からカレーをつくる、みたいにさまざまことにおいて、原理や原則に立ち返ってみる、というトレーニングをしていくことが必要だと感じた。
小学校から高校までの理科系の教科書を読み返すことも役に立つかもしれない。

今月もありがとうございました!

投稿者 chaccha64 日時 2015年10月31日


「この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた」を読んで

現代社会は科学技術で支えられている。さまざまな科学技術が複雑に絡み合っていることをあらためて思い起こさせてくれました。
人間がしていた作業を軽減するための機械でも、クランク、カムの科学、内燃機関の科学技術が使われている。機械の材料、鉄、プラスチック、ガラスを作るためにも科学技術が必要だ。材料、機械を作るためにエネルギー、電力も科学技術が必要だ。
本当に科学技術がなければ、現代の生活は成り立たない。しかし、現代の科学技術は複雑で、多岐にわたるため、一人(少数)の人間では対応できない。

大破局が起これば、人がいなくなる。そのために、これらのこれらの科学技術がなくなる、忘れ去れてしまう。現代の生活ができなくなる。
それをできるだけ早く現代の文明へ復興するために最低限必要な科学、技術を指南してくれている。
内容は難しい箇所が多かったですが、これらの科学、技術があればかなりのレベルまで復興できるという感じは受けました。しかし、これらを簡単に理解できる人は少ないのかなという印象を受けます。ただし、この本にも書かれていますが、必要な科学技術はそれを必要とする環境的な要求と、土台となる技術があれば発見、発明されるものです。少し遅くなったとしても。この本があった方がよいのでしょうが、大破局が起こっても、人間はまた新しく文明を作っていくと信じます。

投稿者 vastos2000 日時 2015年10月31日


巨人の肩の上に立っていることを実感


『この世界が消えた後の科学文明のつくりかた』を読み、現代を生きる我々は、過去に生きた膨大な数の人々の知恵や発明の恩恵を受けていることを実感した。
そして、やはり自分にはサイエンスの素養が足りないことも改めて感じた。
もし、この本に書かれているような大破局が訪れ、自分が生き残ったとしても、この本に書かれているKnowledgeはほとんど生かせないだろう。
なぜならベースになる知識が欠けているし、生命の維持で精いっぱいになるであろうから。

読前は、この本は比較的新しい(20世紀に発展してきた)科学技術にフォーカスされているのかと思っていたが、まずは食料の確保にページが割かれていた。当たり前の話だが、命を維持するために最低限の栄養をとらなければ、技術も何もあったものではない。人口の多くが農場での労働から解放されなければ、文明は進歩しない。科学技術が発展するためにはいくつかの条件が必要であることが感じられ、産業革命期のイギリスでは発展の条件が整っており、今の中国地域ではその条件が整っていなかったことを知ることができた。高校で習った世界史では、多少の因果関係は習い、かつ、実際に成功した産業革命については学ぶが、なぜそれまで火薬や羅針盤などの発明がされていた中国では産業革命が起きなかったのかは全く教わらない。

多くの科学者やいわゆる理系オタクが科学文明を進歩させてきたのだなあと感じた。これらの人たちは、その生まれた時代・環境において、最先端の科学を追究する姿勢を持っている。

いまさら微分積分や複雑な化学式を勉強する気は起きないが、物事の発展のプロセスやその考え方、どの部分がすでに明らかになっていたことで、どこからが新しいアイデアなのかを見極める感覚を身につけたい。それがますます科学の発展が加速する現代で、うまみにありつける方法ではないかと思う。
この本の冒頭に書かれているような大破局が起こらない限りは、今日の文明(知識・技術)をベースに新しい発見や技術の開発が続いていく。それをどう自分にとって役立つものにするかを考えたい。さしあたり、比較的新しい分野だと思っている相対性理論と量子力学の入門書を注文したので、まずはここから着手したい。

投稿者 jawakuma 日時 2015年10月31日


この世界が消えたあとの科学文明のつくりかたを読んで

この思考実験には驚かされました。私たちが毎日の生活の中で、使用しているものが何一つ自分では作り出すことができないとは!その場合、いきなり今の生活の技術を再現するのではなく、ちょうどよい中間技術をめざすことになる。私はバリバリの文系人間なので正直、化学のところなんかは・・・となってしまいましたが、万が一そんな状況になったとしても一からの手探りよりはかなりのショートカットが期待できそうです。

食べ物
我が家は祖父の代まで農家でした。私が子供の頃は肥溜めがまだ敷地内にあり、ふつうに肥しに使っていましたから。それが原因か兄弟たちはピロリ菌が見つかったらしく、私も診察を促されていますが、『寄生虫なき病』を読んでからもうちょっと放っておこうと思っている次第です。明治生まれの祖父の時代なので、トラクターなどは使わずすべて人力。本書を読むと改めて頭が下がります。それに引き換え私たち世代は自分の食べるものを生産することができません。しょ~おん先生みたいに田舎暮らしを実践されている人はちがいますが。輪作の基本的なところさえ本書でようやく理解できたほどです。


動力
蒸気機関の背後にある中心的な概念、吸引ポンプは水を約10メートル以上は汲み上げることができないという事実があるそうです。そんな基本的な事実すら知りませんでした。これを知るとエスパー伊東の宴会芸、11メートルのストローでジュースを飲み切るというのがいかに大変か、そしてなぜできるのかが???となってしまいました(笑)
そして動力といえばエンジンですね。4ストロークサイクルのところは中学校での技術の時間を思い出しました。最近復活を宣言している、マツダのロータリーエンジンは動力源からピストンではなく回転の力を生み出すところが革命的なのだと再認識させられました。

電力
セルビア人武装勢力に電力供給を止められたコラジュデの町の写真が印象的でした。河川で電力発電をしている脇を毛皮に身を包んだ夫人が何食わぬ顔で闊歩しているのがいいですね。いつの時代かと思いきや1990年代、結構最近ですものね。日本のエネルギー問題もちょっと頭をよぎりました。

印刷
私は印刷会社の企画部門に所属しているのですが、恥ずかしながら活版印刷のグーテンベルグの核心的な技術をはじめて知りました。ただただテキストを金属のハンコで並べたもので平版印刷してたんだなーという漠然とした認識が、その金属のテキストを作成するのには本来どれだけの手間暇が必要で、オリジナルを作成したところで銅に打ち込みそれを鋳型として利用するところがいかに革命的だったかが理解できました。そして漢字圏ではなくアルファベットを利用する文化圏から印刷技術がスタートしたという単純な話も改めて聞いてガッテンガッテン!でした。明日からも「文明の営業」を頑張りたいです。


医療
これまさに現代の医者が幕末にタイムスリップしてしまう「仁」の世界ですね。偶然発見されたペニシリンの重要性を再認識しました。あと出産で使用されている赤子ハサミにはビックリ!( ゚Д゚)そんなアナログな工夫だけで成功率が飛躍的に良くなるとは!

いずれにせよ自分の持っている知識、スキル、ノウハウなどは今の時代のほんの狭い分野に特化したもので本書のような大破局後や、そうでなくても前後100年、いや数十年タイムスリップしただけでも全く使い物にならないものだということに唖然としました。本当の意味での『知識』すなわち、生活力・対応力とは何かというものを考えさせられる一冊でした。
今月も良書をありがとうございました。

投稿者 tractoronly 日時 2015年11月1日


この世界が消えたあとの 科学文明のつくりかた を読んで

現代の豊かな世の中が先人たちの様々なノウハウの蓄積の上に成り立っていることはぼんやりとは理解していたものの、本著を読むと改めてその気の遠くなるような歴史とともに積み重ねられてきたのだと認識できた。

ただ、ふと疑問に感じたのが「文明」ってなんだろうということだった。
Wikipediaによると「人間が作り出した高度な文化あるいは社会を包括的に指す」ものとあります。

では、高度な文化が発展するためには何が必要か。
おそらくそれは分業を可能とする社会構造ではないかと思う。
本著で言えば、「第4章 食料と衣服」から「第5章 物質」段階に進めるかが文明が発展するかどうかのラインではないだろうか。
その観点に立って現代の身の回りを見渡してみると、人が集まる都市部などは分業化が進み、文明を謳歌しているように映る。対して過疎地など人口の少ないところなどは(都市部から流入してきたものはあるものの)ほぼ分業などなく、どこの家庭でも各々で食料や衣服の生産をしたりしている。
都市部でないところは文明的でないというつもりはない(むしろ色濃い文化があると思う)が、少なくとも「科学文明」が発生するためには衣食住のためにすべてを費やしていてはままならないということがいえると思う。
ただし、本著のテーマに戻ってみると現代の都市部の人々が生き残っても皮肉なことに分業化が進みすぎてて新たな文明創造にはそれほど寄与しないのではないかとも考えてしまう。やはりちょっとしたサバイバルはこなせる人種の方が文明の発展には適しているように思う。大破局後の世界には「ちょうどよい中間技術」も必要だが「ちょうどよい人材」も必要なのだと考える。

投稿者 diego 日時 2015年11月1日


化学・理科系ともにバックボーンがありません。
むしろ以前、毛嫌いしていたところがありました。
ですが、本書を読み進め、しかも面白いと思いました。
これはどうしてだろう?

本書で幾度も繰り返される「大破局」という言葉があります。
この世界が消え、さてこれからどうして生きていこう。
必要なものをそろえよう。
この前提が何度も繰り返されます。

これは、見事なスイッチ・オンです。
小学校の授業でグループになって、実験させられたのとは次元が違う。
すでにサバイバルモードに放り込まれ、
こちらは必死で読み、かつ実行しようとする体勢です。
しかも、本書は非常に前向きにてきぱきと書かれています。
さあ、やってみよう!と、まるで励まされているようです。


「ローテク」と著者が示している技術は
今すでに、試してみたいと思っているものもいくつかあります。
そして、過去にやらされただけのコイルの実験など、
あれは大事なことだったんだと思い直しました。
経験があるっていうだけで、想像力が要らない分、理解が早くなりますから。

規模が大きくなると、面白いな~と思うけど、まだよく分からない。
それでも、面白いと思えるのが、理解できるようになりたいと思えるのが、本書の凄さでしょう。
ローテクならまだついていけるけど、
ハイテクになったらついていけないというのは、
おかしな喩えではありますが、
買い物するときに1万円~100円単位ならできるけど
1千万~10銭ではムリ、という感じに近いかもしれない、と思いました。
ということは、ある次元を越えれば、私にも理解できるかもしれない。
意欲が出ます。


また、歴史の資料集で見た農業器具や織機・印刷機、
そんな発見や技術革新がどんな意味を持ってきたのか
今になってようやく、リアルに感じています。

人は労働から解放され、別のことへエネルギーを向けることができるようになったんですね。
そして、人の生き方が変化し、時代が変化していったんですね。
そして、分業が起こり、知識や技術が高度化する。

分業化がどれ程重要か、本書を読むと、身につまされます。
それと共に、全般的な知識、教養と呼ばれるものが、どれ程重要かも、身につまされます。

再び、変な喩えですが、
昇進して、部下を使っている状態を思い出しました。「あと、やっといて~」ですね。
で、別のことをするようになったので
それまでやっていたことが、ハイスピードでは出来なくなる。
やがて、やり方を忘れる。更に進むと、指示出しのみで、理解すらしなくなる。

…別にそれでも成り立つかもしれませんが、
それだけではダメなんじゃないか?と一方では思います。
そんな感じを持っている人のほうが多いのではないでしょうか。
本書のような本が、望まれていたのではないでしょうか。
そんなふうに思います。


最後になりますが、
本書のこの言葉に、頭を殴られたような衝撃を受けました。

「科学の本質は、間違っていたことを繰り返し認め、
新しいより包括的なモデルを受け入れることにある。」

本書は、理系や化学という話ではなく、
生きる姿勢がテーマになっていたのか、と。
だからこんなにも面白いのか!

投稿者 dandandaniel 日時 2015年11月1日


「この世界が消えたあとの科学文明のつくりかた」を読んで

締切を過ぎているため選考対象外かもしれませんが、自己成長の記録として書き込みます。

本書を読み進める中でまず感じたことは、偉大な先人達の努力と、日々この社会を支えてくれている人々への「感謝」でした。電車に乗って会社に行けることや、コンビニで好きな時間に好きな物を買うことができるといったことなどが、奇跡的で素晴らしいことなどだと改めて感じました。

それと同時に、現在の生活環境が急変した際に、有形無形問わず自分が生存するために何を持っているだろうかと改めて考える機会になりました。

実際に私が生きていられるであろう今後50~60年の間に地球環境が激変し、本書で述べられている状況になった時、現在私が持っている知識、能力を駆使して果たして近代的な生活レベルを保てるかと問われれば、その自信はほとんどないです。そこまで極端な状況ではないにしろ、首都直下型地震で都市機能がマヒしたした時に、自分はどうやって生きていくのだろうか?

東京周辺は地盤沈下で生活できなくなったとして、関東周辺で新たに職を探すだろうか?停滞する経済状況では非常に困難な状況が予想されます。可能であれば何とか他国に脱出して職を見つけ、現在と同程度以上の生活レベルを保ちたいと考えました。そのためには、自身の職能の普遍化を目指した資格取得、その後の語学学習への移行計画はやはり必要だと自覚しました。

多少空想も混じっていますが、世界の成り立ちについての新たな視点と、自身の今後を考える機会を与えてくれた良書だと思います。