ログイン | 新規登録

第48回目(2015年4月)の課題本


4月課題図書

 

時間資本主義の到来: あなたの時間価値はどこまで高められるか?

 

です

ここのところ強く感じているのが、21世紀は時間の価値がさらに高まる

時代になるという感触です。そんな感触をテーマにして書かれた本がこれ。時

間価値っていくつか切り口があって、あなたの時給というのもそのひとつ。会

社が払う時給(年俸制だろうが労働時間で割れば時給が計算出来ます)以上に

稼いでもらわなきゃクビになるんですよね。

もうひとつが1日24時間という時間を細分化して行った際の、ひとつのコマが

持つ価値。本書はこちらに軸足が置かれているのですが、両方の視点を持って

読むと深く理解出来ると思います。。

 

 

 【しょ~おんコメント】

月優秀賞

 
一次審査を突破した人を投稿順に書くと、「BruceLee」さん、「magurock」さん、

「sakurou」さん、「nkatani」さん、「tractoronly」さんとなりました。そして優秀賞

に選ばれたのは、「tractoronly」さんです。

この方、毎月毎月書き続けていたんですが、受賞からは縁が遠かったのです。それはひと

えに文章力が及第点に達していなかったからです。ところがここ数ヶ月でググッと力を付

けてきた感じがしていたんですよ。それが今月ドカンと花開いた感じですかね。というこ

とでおめでとうございます。

 

 

【頂いたコメント】

 
  投稿者 BruceLee 日時 2015年4月29日

例えば年収600万円のサラリーマンの時給は以下で算出可能だ。

600万円÷12ヶ月÷20日(1ヶ月の労働日数)÷8時間(1日の労働時間)=3,125円

つまり、この人は会社に対し1時間に3,125円以上の利益を生み出す義務がある。
尚、3,125円ではプラマイゼロでしかないので、それ以上の利益を出す他の社員
との比較上では評価は劣る事になる。これは売上げ数字を持つ営業メンバーだけ
の話ではない。所謂スタッフ系の人間は尚更この点が問われるようになってきて
おり、ある程度の規模の会社なら、何らかのKPIが設定され、常にそのパフォー
マンスは数字で評価される傾向がある。

結果、1時間という時間を如何に有効に使い、3,125円+αの利益を生み出すか?
が、この人を含む全サラリーマンが意識せねばならないテーマであり、その新たな
パラダムが「時間資本主義」というキーワードを掲げる本書なのだ!

・・・と、書いてて疲れてきてしまった(笑)。ふぅ、世知辛い世の中ですな~。

よし、ここで少し反論してみよう。

んな事は分かってるのだ。「時間資本主義」なんてキーワードを用いずとも、
「携帯情報端末」が登場しようがしまいが、「時間価値」という補助線を用い
ようが、トヨタのカンバン方式に代表されるように、昔から時間当たりの生産性は
常に問われてきたのだ。分かっちゃいる、分かっちゃいる、けどやめられない、
じゃなくて、そればかりでは、さもしい気がするのだ。と言うか、本書には人間
として何か大切な事が抜けているような印象を持ってしまったのだ。
それは何だろう?それはサラリーマンはロボットじゃなくて、

にんげんだもの(by みつを)

って事に行き着くのではなかろうか?例えば以下のケースはどうだろう?

ケース1
以前ネット上の記事でこんなの(↓)があった。
「落としたクリップを拾うコスト : 例えば、年収600万円の社員を例にとると、
年間2000時間働くとして1時間の人件費コストは約3000円になる。1分間の人件費
は50円。床に落としたクリップを拾う動作に約3秒かかれば、拾うコストは2円50銭
ということになる。クリップ一つの価格は1円もしないだろうから、1円のクリップ
を拾うために2円50銭以上かけてはいけないというのがそのコンサルタントの論理
なのだ」

計算上は確かにそうだろう。だが、個人的に感じたのは、自分で落としたクリップ
を拾わない選択肢って、そもそも倫理的に人としてのどうなのよ?って事である。


ケース2
こんな経験は無いだろうか?仕事が終わり、電車に乗って続きが楽しみだった読書
を始める。と、スマホのバイブでメール着信に気付く。あ、スキマ時間使ってメール
のチェックだけするか、と読み始めると、トラブル等の緊急案件では無いものの、
非常に不愉快な仕事のメールで、それを読んだ後は腹が立ち、読書どころでなく、
ムカムカしながら時間を徒に過ごしてしまった、という経験。が、翌日出社して
確認すると単なる相手の勘違いで全てクリアになり、あの自分のムカムカ時間は
何だったんだぁ!あの貴重な時間を返せぇ!的な。

人間はロボットでなく感情の動物であるから、何でも事務処理的に物事を片付け
られる訳でもなく、効率化を求めるあまり逆に時間を無駄にするケースも有り得る
と思うのだ。

ケース3
スキマ時間と言えば、最近確かに電車内でスマホを見てる人は多いし、人それぞれ
の時間だから何に使っても勿論その人の自由だ。が、酷いのになるとスマホを見な
がら歩いたり、階段を上り下りしてる輩もいる。当然他の客と比べて歩調はユルイ
から後に続く人間の動きは遅くなる。また、仮に階段でその輩が転んだらどうか?
怪我するのが本人だけなら自業自得だが、周囲の人にも被害が及ぶ可能性も高い
(駅には子供や老人も歩いているのだ)。

スキマ時間があるからと言って公共の場を個人の自宅とするような感覚自体が
どこか違うのでは?と思ってしまう。

個人的に総じて言えるのは、つまりこうだ。なるほど時にはスキマ時間の活用も
重要だろう。が、それは最後は「個人の価値観」に依存するものであり、その状況
において何が重要かが分かる人なのであり、逆に言えば「何が重要でないか」も
分かる人だと思うのだ。帰りの電車は読書しながら心を落ち着ける時、と決めたなら
メールチェックなどしない、という選択肢を取るべきだし、階段を上り下りする際、
安全性とスマホを見続けるのと、どちらが重要かの価値判断が出来ないなら、
そもそもスマホなど持ってはイカンのだ。

スキマ時間があるから、携帯情報端末があるから、時間は大事だから、という上辺の
価値観で行動するのは、さもしいだけで、人間としてどこか違うと感じる。本書にも
その辺を含め「時間の快適化」という言葉でその重要性も書かれてはいるのだが、
どうも全体的には「時間の効率化」の方が全面に出てる印象を受けてしまい、上記の
印象を強く受けてしまったのが正直なところである。

以上


。。。で終わっては、「言いたい事は分かったけど、時間価値についてはどうなん?」
とツッコミが入りそうなのでこちらも考えてみたい。実はこの点、本書に大いなる
ヒントがあるな~と感じたのだが、それは次の一文である。

「俯瞰的に見ると、、時間資本主義の時代においては、全ての商品・サービスが、
ジャンルを問わず他のすべての商品・サービスと競合すると言える。それぞれが
奪い合うものが同じだからだ。それは、消費者一人ひとりの24時間という時間
である」(P68)

つまり今後の競争相手は同業他社に限らない。そして我々には求められるのは、
自分の顧客が24時間を何にどう使いたいという価値観の持ち主ですか?を見極
める能力となってくる気がする。でも、それはある意味チャンスで、今の我々
の仕事がB to BであろうがB to Cであろうが関係なく、最終的には個人個人の
価値基準に落としこめるだろうし、その際キーワードとなるのが、

User Experience

という言葉でないかと感じている。つまり顧客に物やサービスを売って終わり、
でなく、その経験そのものに価値を感じて貰う視点である。自販機で買うコーラ
は誰も120円しか払わない。が、ホテルでは1000円払うのは何故か?その際
売られているのはコーラだけでなく、ホテルの空間そのものを楽しむ環境・経験
だからだろう。これなら我々も日々お店で飲食や、買い物した時はお客である訳で、
その時の対応や雰囲気を思い出せば新たなアイディアがひらめくかも知れない。
それを今拡充しようとしてるのだが大手コンビニを中心としたリテール業界であり、
昨今ネット上を騒がす「オムニチャネル」という言葉だろう。極端かも知れないが、
下手な遊園地に行くくらいならコンビニやデパートで新しい買い物体験した方が
ずっと楽しい、と言う人も出現する可能性もあり、つまりコンビニと遊園地が競合
するケースもある、と言う事だ。一人一人が自分の仕事や作業をより良くさせる
視点で新しいサービスを考えると意外と面白い事になり、結果的に一人一人の
生産性が上がるビジネスを生む可能性もあるのだ。つまり、これとて個人個人の
視点の話なのである。

「時間の効率化」だけの視点なら最初の時給+α云々の話にしかならないが、
我々は考える脳を持つ人間である。時間価値以上の思考をしてより良い
アイディアを出していきたいものである。

最後になるが、この投稿を書きつつ「あれ?」っと気付いたので触れておきたい。
それは、

「時間があるのを当たり前と思ってないか、自分?」

と言う事である。どう有効に?どう快適に?も大事だが、明日出勤途中、歩いて
たら、看板が落ちてきてポックリ逝ってしまう可能性もあるのだ。グチャグチャ
考える前に「時間がある事、それはつまり生きている証」という事を認識して、
感謝する事も大事なのでは?と思った次第。そう思うと実は時間の使い方など
自然とプライオリティが付けられるような気もするのだがどうだろう?

要するに最後は個人の価値観なのだ。

以上
 
投稿者 morgensonne 日時 2015年4月29日

「時間資本主義の到来」を読んで

 時間は、人間に平等にあたえられたものであり限りのあるものである。これからはその時間を売買する時代であるという。
 忙しいビジネスマンにとっては時間を短縮し、効率化することは日常的に行っているであろう。自分自身も仕事や私生活でもいかに時間を短縮し効率化するかは常に考えていることである。それに時間を節約する道具やアプリケーション、考え方は世間にあふれている。そして次から次へと増えてきており、どれが自分にあっているかを選ぶのに時間をかけていることもある。また様々な本でもすきま時間の有効的な活用術、方法などが論じられている。この本ではそのすきま時間を切り売りすることも述べられている。その場合にはネットの環境があればどこでも取引ができるが、時間と空間を取引するとなると場所が限定されてくる。そういう場合は人が集まる場所が有利な条件になってくる。この本ではそれが東京であるという。
「ワークシフト」という本にはバーチャルな世界でビジネスも私生活も成り立っている世界が描かれていたが、やはり人と人が直接会うということが一番コミュニケーションがうまくいく手段であると思う。そういう意味でも人が直接会える場所、都心に人が集まるというのは理解出来る。一人で黙々と考えるよりも、人と会話をしながらいろいろな人の意見を聞いた方がより良い考えが浮かんでくることを誰でも経験したことがあると思う。しかし現在は情報が世界中に一瞬で広まる時代であり、個人がどんな情報を持って発信するかが問われていると思う。
個人が価値ある情報を発信するためには日々時間に追われるだけではなく、人とあったり、新しいアイディアを考えたりする必要があるのであろう。
そして人と会うことが創造的に時間を過ごすことでもあり、心を豊かにすることでもあると思う。個人的は今まではいかに時間を短縮、節約するかを中心に考えてきた。その中には人に会うことも効率化の対象として考え用件だけをすますことを中心にしてきたように思う。当たり前のことではあるが、人との時間を大切にする、人とのつながりを大切にすることをもっと意識していきたいと思う。

ありがとうございます。 

 

 
投稿者 kd1036 日時 2015年4月30日

今回の課題図書を読んで、一番強く思ったのは、人に伝えるにはこういう方法を取ればいいんだな、という事でした。
全てを鵜呑みにという訳ではありませんが、ここ数年何となく感じているような事象の説明として、身近な例を分析の材料として用い平易な言葉で著すという点は大いに参考になりました。

今更言うことでもありませんが、やはりかかっていた梯子はいつの間にか外されてしまっていたんですね。年功序列の終身雇用制度を永続して維持できる会社はほぼ皆無に近くなっており、公的年金制度は実質崩壊しているのは明らかにされていますが、もうすぐ定年(10年以内位でしょうか)といった層であっても必ずしも逃げ切れるものではないという所まできている事は、認識しきれていない部分でした。(おおよそは大丈夫ではあると思いますが)

何でもかんでも一括りにする事は現実的ではありませんので、これからという視点で私なりに、全然イケる人・ヤバい人の境界を考えてみました。これは会社の中で生き残るという部分のみですが。
・イケる人
パーソナルパワーで生きている人
過去を踏襲することに重きを置かない人
自分で時間を使える人
・ヤバい人
ポジションパワーで生きている人(パーソナルパワーが不足)
やり方を変える事が出来ない人
誰かの時間に合わせて時を送る人

何も目新しいこともないですね(笑)
スキル等の話もあるかと思いますが、無いよりは何でもあったほうがいいのでしょうが、何かが絶対無くてはいけない訳でも廃れつつあるのでこれからは全く不要な訳でもないはずです。人それぞれ必要不可欠なものもあるでしょうし、自分に無いものは他者に補ってもらえば済む部分も多分にあります。
ただ一つ、人に強いこと、が誰にとっても必要だと考えます。これはコミュニケーションとかではなく、まず自己を確立させる事がスタートです。その上で自己実現のために必要なスキルを備えている事と言ったらいいでしょうか。
例えば、伝統工芸品を作る職人がいたとします。その人に本当に必要なのは、誰の目にも明らかな素晴らしい製品を作り出す事です。その他のマーケティングやセールス等は出来ればいいけど、誰かにやってもらう事は可能です。仕入れは自分の目利きで、という部分もあるかもしれません。とすると、製品を作る力とその他の事を何とかしてくれる人を配置できる力の二つがあれば、この人は何とかなります。人に強いとは、その人が生き易いように他者と関わる事の出来る能力で、その必要とされる要素は個々人によって異なるもの、というように私は考えます。すごく簡略化した言い方ですが。
本文に書かれている、ますます人と会う事が重要になっていくという部分は、ツールが増えたために対面以外のコミュニケーションの場面が膨大になったというだけで、元々最終的には人と人がやっていた事に大差はないと思います。対面とそれ以外のコミュニケーションを同列に考えているとイタイ事になってしまいますが。最近はどうか分かりませんが、ちょっと前はメールで外部とのやり取りの全てを済ませてOKだと大真面目に考えているような人もよく見かけました。自分の取引先の人達でしたが。
会えば何とかなる、という事はよく言いますが、これからは、会って何とか出来る事がマストになるかもと少し思いました。
今後の社会の欲求に関しては、効率化(時間短縮)と快適化(時間の有効活用)の2点を大きな軸として語られていたかと思います。対面しないことによる効率化と効率化する事による快適化等、組み合わせの仕方は相当膨大になるので、何がよくて何が駄目かといった価値判断自体意味をなさなくなるような気がします。

時間という切り口は、まさに今風だなと思います。ちょうど転換点にあるタイミングなのでしょう。もう少しすると、当たり前すぎて誰も議論のテーブルにも乗せないような事かもしれません。という位に遷移していますね。生まれた時からスマホがあった世代とそれ以前の世代のような事は、何も今に始まった事ではありません。人間の歴史の中には常にそういったものが含まれてきてはいますが、今はかなり急激な変化をしている過程なのかもしれません。
本文に出てくる「かたまり時間」と「すきま時間」という概念は個人的には、行動をする上で物凄く大きな要因なのではないかと思います。かたまり時間は、一気に集中して処理するときや作業として使う部分で重要であります。逆にすきま時間は、長さにもよりますがその量がどのタイミングでどの位かで出来る事が限られます。簡単に考えると、かたまり時間は一定の到達点まで何かを持っていくために使う時間、すきま時間は到達点は設けずちょこっと手を出せる時間という区分が出来そうです。オフィスでちょっとした空白時間でも何か一生懸命真面目にやっている風にしないといけないという思考は不要なんですね。実際、そういう感じの人が何かの成果を残しているを目にした事もありませんし。その時間をいかに有意義に使えるか、瞑想しててもいいと個人的には思うんですよね。

本文中に出てくる、公私混同の部分の記載には、なるほどそういう説明の仕方があったのかと気付かされました。実際、最近特に感じている事は、仕事中(オフィスで他者がいる場合)に、仕事しながら携帯もいじるしネットも見てるし、携帯にも出る人もいれば、前述のような事はほとんどせず黙々と仕事をしている人もいます。これは、組織によりけりなので一元的には言えませんが、私の見る限り、前者は仕事が出来て周囲から期待されている層・後者はあまり期待されていない層、に見えます。
前者は、もしその行動をいつ何時咎められたとしても、これこれこういう事でこれをしてるんです、結果としてこういう成果が出てますよと、サラっと言える素地があり、周囲から認められて特に何か言われる事もなくなります。後者は、咎められます、何故か、同じ事をしてても何の成果もなくただ仕事中にプライベートの事をしていると認識されてしまうからです。もっと突っ込んで言うと、真面目風に仕事してるみたいだけど、結局その真面目にやっている成果に誰も満足していないのです。
ただし、これは本書に書かれている今風な行動を取る事を奨励している訳ではなく、もう少し根本的な話なのかもしれません。今ある資源を有効に使いながら最大の成果を求める事が重要であり、ネットワークやコミュニケーションのツールを有効活用するのも一手ですし、スマホとかにはついていけないという世代でも現状と今後の展望を自分の頭で処理できて最低限必要なアップグレードを施しながらやるというのも一手でしょう。NGなのは、何も変えられない・マッチアップをしていかない事だと思います。成功体験、今や神話になりつつありますが、終身雇用の年功序列型雇用制度が未だに現実だと認識しているんだろうなあ、と見ていて思わされる人はかなり頻繁に目にしますね。

テッパンビジネスの部分はなるほどな、と思います。ただし、気をつけたほうがいいなと感じたのは、自分にとって本当に面白いことって何なのかをしっかり認識しておく必要があるという事でした。思考を停止しても、遊興のフレームを使える世の中で、自らの選択だと思っていても何かに流されている事が当たり前なので、もっと裸の心の声に従える能力を磨くことが、より楽しく生きる道かななんて思います。

本書では、細かな分析のうえで今後の方向性を指し示していますが、私はもう少しフレキシブルでもいいのかなとも思います。ニーズの多様化と細分化・世界のどこの地域にいてもある程度フラットな情報アクセス可能性・移動の容易化等、時間を短縮する事・時間を快適に使う事は当たり前に進行して行く事です。その中でこうしなければいけない、これをしたら駄目だと、大衆の中にどっぷり浸かるのではなく、一歩引いて冷静にその人なりのライフを構築していいと私は考えます。ライフにはワークも当然含んで使いました。

 

 
投稿者 munetaku 日時 2015年4月30日

選択を間違えたくないからテッパンを選ぶ、というのが紹介されていたが、口コミなどの評価からテッパンを選ぶのは思考を停止してしまっている。仮に自分の選択がイマイチだったとしてもそれでいい。次はもっと良い選択をしようと頭を使って選択眼が磨かれる。また、テッパンでないものを選ぶことは、大多数とは違う体験をすることになり、違った考え方、価値観を手にすることが出来る。創造性はそういうところからも生まれる。創造性には他の人と異なる視点からの切り口で物事を考える力も必要で、そのためには人と異なる体験が重要である。

効率化によって創造的でない仕事は誰にでも出来るようになり、人件費の安い地域、国にアウトソーシングされていく。創造的であるためにはどうすればいいか?一つのものにどれだけ時間を投資したか、熱中したか、自分の頭で考えて創意工夫を凝らしたか、ではないだろうか。スキマ時間をインプットで埋めてばかりいてはダメで、創造力、思考力が鍛えられることに時間を使う。また、インプットするにしても、目的なくニュースを眺めるだけでは、スキマ時間はだだの消費になる。希少な情報に触れるよう意識すること、何のための情報収集なのか意識することで、スキマ時間は消費されず蓄積される。この小さな蓄積が大きな成果を生む。

時間の効率化には反対しないが、効率化それ自体が目的になっていないだろうか?時間の効率化が重要なのは分かるが、効率ばかりを追いすぎると心に余裕がなくなる気がする。
スマホを持つようになって、スキマ時間が出来るとすぐさまスマホを取り出していじり始める。無駄になっていた時間で情報収集したりして効率的に時間を使える反面、今までなら周囲を観察して、今日は富士山が見えるなとか、新しい店が出来たなとか変化を感じたりする心の余裕がなくなってしまって、感性が失われていく感じがする。スキマ時間をなんとか有効に使おうと焦るあまり、スキマ時間を埋めるのに必死になってしまって、ぼんやりと物思いにふけったりする時間が減っている。効率化に夢中で人間らしさが失われる感じがして、これは幸せなんだろうか? と疑問に思うことがある。スキマ時間を効率的に使うことに懸命になるのもいいが、人間的であることを忘れたくない。さらには、時間の効率化に執心するよりも、ゆっくりと考えるための固まり時間を如何に作るかを考えたい。

 

 
投稿者 dukka23 日時 2015年4月30日

冨山和彦氏(株式会社経営共創基盤代表取締役CEO)といい、
小城武彦氏 (前丸善CHIホールディングス 代表取締役社長)といい、
この著者といい、産業再生機構出身者は、
「メメント・モリ」が好きだなあ、と。

言葉自体はポジティブなのに、
当時の主要メンバーかつ、現在は各方面で経営者として活躍している方々が口をそろえて

「死ぬことを忘れるな!今を楽しめ」

みたいなことを言っていると、
よほど、産業再生機構時代に嫌なことがあったのか、
皆で共有した苦しみがあったのか、と邪推してしまいます。

「まあ、従来型エリートのボスであるコンサルが書いたらこんな感じだよね」
という超論理的で、報告書チックな文章で書かれています。
これまでの何十年かそれだけを叩きこまれてきたので仕方ない
(これはこれで価値が高い場面もある)のですが、
書かれている内容が面白い着眼点なだけに、お固い文章がもったいないと感じます。

私が、唯一「ここは著者の魂が篭ってるなあ」と感じた、
コンサルっぽくない文章の箇所は「自分の時間で、印象派の絵を描いていく」といパラグラフ。

今でこそ、
「自分の絵はそこそこ綺麗な色が出ているドットで、絵らしくなってきました」
と私は言えますが、
日本の労働人口の大多数を占めるサラリーマンの何割がこんなことを堂々と言えるか?
と考えこんでしまいます。

例えば、マクドナルドの残業問題訴訟のときにもありましたが、「名ばかり管理職」。
管理職とは名目上なっているものの、自分で時間管理を到底出来ない状態で、
毎日働いていました。

他の例では、伝統的なメーカー企業。
朝は8:30から朝礼と体操をやって、17:30には終礼し、
上長の許可がなければ残業もできない。

そもそも「自分で時間管理して、生産性・創造性を上げる」なんて教えをまったく受けていないので、
「時間きっちり働くのが当たり前」という価値観以外を知らない状態です。

サラリーマンとは逆の立場である自営で働いている人々は
「自分で時間管理」することなんて当たり前でしょう。
役所手続き行くのに、有休使うなんてことはしませんが、
その分、どこかにその時間のしわ寄せはくると分かっていて
細かく時間を刻んで、遅れを取り戻すタイムマネジメントをしています。

「サラリーマンが良い!」となったのは主に戦後のベビーブーム以降ですから、
つまり公私混同や、スキマ時間を使う、職住近接なんて、
ほんのこの50年ぐらいに廃れた価値観だったとわかります。

サラリーマンをやっていると、「自営業者の方々のお金の稼ぎ方」
というものがよく分からず、恐怖心さえ覚えます。
さらに分からないだけであれば良いものを、時には蔑む対象にしたりします。

でも、「自営業者のお金の稼ぎ方」をリアルに考えたり体験すると、
会社から給料をもらうことよりも、一番身近なビジネスであることに気づきますし、
お金の大切さもより身に染みて分かります。

こういった価値観を身につけた上で、
スマホなどのIT機器や、時間資本を使った新サービスを利用しないと、
単なる暇つぶしか、従来型エリートの延長=時間効率化にしかならないということなのでしょう。

ということで、サラリーマンの人も単なる「サボり」ではなく、
「この時間ゆっくり休んだから、次の2時間頑張れる!最高クオリティの仕事をする!」
という、時間資本主義的な「サボり」を覚えていきましょう、という、
自分への言い訳に近い主張で締めくくります(笑)。 

 

 
投稿者 6339861 日時 2015年4月30日

これだけ、インターネットの利便性が高まり、すきま時間も有用になってくると
私が思うのはますますネットビジネスがやりやすくなるということである
スマホや、タブレット、ノートPC等により、ますます端末携帯がしやすくなり、
インターネットへのアクセス回線モバイルルータ、テザリング、
FreeWifiの広域化などにより、ネット接続が容易になる一方である
これからは、通勤・通学バスにもWifiをつけてもらいたいものだ。


今までもネットビジネスは、ローリスクで始められるビジネスとして
発展してきたが、今後はたとえば、これを本業にしている人以外の
サラリーマンや主婦でも、すきま時間を使ってビジネスを行うことが
もっともっと容易になると考えられる。

そう考えると、やはりITに関するリテラシーは一定程度高く
しておく必要がある。一概にリテラシーといっても幅は広く
ネットビジネスの場合は、SEに求められるような高度な知識ではなく
作業をするためにいかに便利な環境を整えるか、具体的には
ディスプレイを2つ設置したり、モバイル用のバッテリー、キーボードなどの
各種グッズを使いこなし、無料で便利なツールをいかに
知っていて使いこなせるかといったところである。

そして、そういった基盤をベースに自分のアイディアひとつで
ビジネスを始める人が一層増えるだろう。

ただし、このような意識を持つ人と持たない人で、
そこにビジネスのチャンスをつかむ人と全く縁のない人に
2極化すると思う。

すきま時間のIT活用はビジネスだけでなく、学習にも効果がある
現在でも紙媒体のほうがデジタル媒体より便利な点も確かにある
さっと出せる迅速性や全体を見渡せる網羅瀬など
しかし、検索性や容量、重さ、携帯性などデジタル媒体の優れる部分は
今後も拡大することは間違いなく、意識して学習にITを取り入れたモノは
すきま時間を有効に活用できる
とにかく、スマホは便利である。歩きスマホは危ないが、そのような時間さえ
ちょっとした暗記モノに使えてしまう。

一時、勝間和代さんの勉強本で、徹底的にITを使った学習方法が
紹介され、私も取り入れさせてもらったが、今後はさらにこの傾向が
高まるだろう

ビジネスの話に戻ると、すきま時間を意識していれば、昼は混雑する
社員食堂などはさけ、近くの喫茶店で簡単なランチをとりながら
スマホを使って情報検索や、作業を行ったりできる
私はノートPCを携帯し、さっと開けばすぐに作業できるよう設定し
時間のロスを防いでいる
サラリーマンでも、このように自分のすきま時間を有効に使おうと
いう人が増えてくるだろう。
特に、出世競争も終えた世代で、そこまで仕事に燃えるものがなくなっても
副業で自分のビジネスを持つことができれば、そこでまた燃えるものが
復活することもあるのではないだろうか?


少し考えをマクロにすると、すきま時間を意識するようになると
自分の1日24時間をどこに投下するかという意識も芽生えるようになり
ムダにテレビを見たり、飲み会に参加することも減ってくる

本書にも書いてあるようにこれからはますます公私混同になると思われる
私は営業職で外回りが多いので、本当にそのように感じる
お客様とのアポでも少し前について、余った時間をスマホで有意義に
使うことができる。

人生は短い。
本書に書かれているように、
負の時間はなるべく効率化し、楽しい時間を作り出して
人生を豊かに生きていきたい 

 

 
投稿者 akiko3 日時 2015年4月30日

「時間資本主義の到来」を読んで
  
 年収1000万円を目指すというより、時間単価を上げたい!と思ったのが、とあるメルマガ愛読のベースにある野望かもしれない。フルタイムで仕事をすると1日拘束される。だから、休みの日とか帰宅後の束の間が自分の自由な時間。たまには、そんな自由な時間で自己啓発の勉強をしても資格給とか具体的に反映されるものはなかったので、自己満足の自己投資だった。
フルタイムでなくなって手にしたものは自由な時間。どう使おうが自由と言う快適性!ノーストレス。自由だぁーと身体の細胞1つ1つからにじみ出るような自由さを味わう前には、しばらく時間単価的発想が付いて回って、こんなことしてていいのか?生産性0円は何か罪悪感を感じてしまっっていた。自由=責任で不安感もつきまとった。でも、あまり人と合わなくても平気な年頃にもなっていたし…。組織に拘らなくてもいいかもと思えた。でも、霞を食っては生きていけない。(1日1食とかにもまだそそられないし…。)なんらかの糧を得るOutputを出さなくては!時間単価を上げることを考え、自分という人間がいったいいくらの価値を生み出せるのか?自分に何が出来るのか?何をしたいのか?時間をブレークダウンして、生活時間、趣味娯楽など楽しむ時間、責任や課題に取り組む時間、収入を得る時間、貨幣価値を生み出す時間、自己投資的な時間。あふれてしまってやり残しの多い日々。生産性のない時間の使い方をしてしまったと反省の日々。何かが間違っているのか?こんなことしてていいのだろうか?もっとやり方を変えた方がいいのか?と、つい“時間が欲しいー”と思ったのは、時間を積み重ねてれば安心する残業体質を引きずっている???。
そんな中、本書はもやもやを論理的に解説してくれていた。その前にもメルマガで一歩一歩の過去の積み重ねが今の自分を助けることになるとあったので、気持ち的にはすっきりしていたのだが…。

時間単価UP=儲かるビジネスとは思うものの、どこまでの作業や思考を時間単価に換算できるかがわからない。自分にとっては計れない価値観が大きく占めている。なぜなら、生活=人生だからだ。よりよいビジネスに出来るか?生きる為の術をどんな時間で埋めていくか?幸せな人生にする為にどんな生活したいか?大切にしたいものは何か?
日々、変化し続けていく中で、年と共に、生活環境、人間関係も当然変わる。どんな変化の中でも変わらずに得られる幸福感とは、その時々でちゃんと自分で選択できる、自分の人生を自分で選択するということだと強く思った(読んでいて選択の科学の例は、仕事に活かせるエピソードで、自己啓発の読書時間が有益な情報収集時間になった)。
現実は、日々の積み重ねが\1000万円にはとても到達しないのであるコミュニティーでは肩身の狭い思いだが、今はお金より時間が大切。それに、いつか貨幣価値に上乗せされるかもしれない。効率化に囚われず、自分なりの時間快適化を目指して幸せな今を味わおう。
「選択の科学」もこの引き寄せを活かして読まないと!
今月も課題本に取り組めて本当によかったです。ありがとうございました。 
 
akiko3の追伸

これならあと30分で読み終わって、1時間で書き上げると見積もって、予定より10分早く終了。時間単価UPした気分でした。

 

 
投稿者 chaccha64 日時 2015年4月30日

「時間資本主義の到来」を読んで

今からは、「付加価値サービス業」の世界になる。それを、「時間価値」という考え方で見事に説明されている。すっと納得できた。
今までは工業化によって「節約時間価値」の増大に向かって進んできたが、今後は「創造時間価値」の増大が重要視されていく。そして、2つの時間価値の高めるためのアイデア、クリエイティブなモノ・サービスを生み出す人(創造生産性の高い人)の時代になる。クリエイティブなモノ・サービスを生み出す人と、それを享受する人の二極化が進んでいく。一部のクリエイティブなモノ・サービスを生み出す人と、その他多くのそれを享受する人に。
そして、創造生産性の高い人はこうすればなれるという方程式がなく、人との出会い、コミュニケーションによって創造性、アイデアを生み出していく。それも直接会うことが大事なので、東京一極化がますます進んでいく。また、クリエイティブなモノ・サービスを享受する人たちも創造性の高い人をサポートするために集まる。と、説明されている。

基本的にはその通りだと思うが、二点疑問点が残った。
一つは、東京一極集中化だ。確かに、東京一極集中はなくならないだろう。人との出会い、コミュニケーションによって創造性があるモノ・サービスが生まれるのはその通りだと思うが、コミュニケーションツールの発達でその垣根も低くなっているのではないか。著者は24時間すぐに会える環境が大事だというが、skype等でコミュニケーションもできるし、日本国内のほとんどの場所は24時間以内に会うことはできる。モノ・サービスによっては24時間すぐに会える環境が必要でないものもあると思う。
二つ目は、クリエイティブなモノ・サービスを享受する人も悪くないのではないかということ。結局時間価値とは「創造時間価値」を高めることが重要だ。それをみんな望んでいる。その時間を「楽しい」「快適だ」と思えること。しかし、これは個人個人の心のもちよう、考え方、感じ方だ。これも東京一極集中の問題になってしまうが、東京での生活よりも田舎の生活がいいという人はいる。「年収は住むところで違う」と著者は主張しているが、確かに年収は違うが生活に必要な費用も違う。収入の多寡だけでは判断できないし、東京の時間と地方の時間も違う。人間は多様だし、感じ方も違う。

最後に、この本を読んで、時間を「楽しい」「快適だ」と感じる時間を増やしていくことが大切だと感じた。「楽しい」「快適だ」と感じるのは自分であり、結局は自分が問題。その時間を「楽しい」と思えるように努力していきたい。

 

 
投稿者 magurock 日時 2015年4月30日

「時間資本主義の到来」を読み始めて、なんだか不快な気持ちになった。
効率化とかすきま時間とかうるさいな、細切れの時間まであくせく働きたくないや、と思った。
これでは「モモ」の時間泥棒につけこまれてしまうぞ、と。

でも読み進めていくうちに、時間資本主義とはそういうことを言っているのではないよな、と気づいてくる。
忙しさに追われる日々を送っていると、つい「すきま時間を効率化」イコール「あくせく」と脊髄反射のようにとってしまいがちだが、本書は時間に踊らされず、時間の快適化にも目を向け、創造的で豊かな人生を生きよう、と言っているのだ。
まずはすっかり刷り込まれた「あくせく」の呪縛から解き放たれることから始めなければ、と思った。

これからの時間資本主義時代では、公私の境目があやふやになっていくという。
確かに、この時代の勝ち組と言われているクリエイティブな職種のほうが、より公私混同が多い。
当然だ。
私もクリエイティブ職のはしくれだが、アイデアが降りてくるのは、掃除の時間や寝る前、風呂に入っているときなどが多い。
これは確実に終業時間外だ。
ぼんやりしているときのほうが、頭は意思とは別のところでフル回転しているものだ。

そこでふと、以前の課題図書にあった「ずる―嘘とごまかしの行動経済学」の中に、クリエイティブな職種の人のほうが、より「ずる」をしやすい、と書いてあったのを思い出した。
当時、違和感を持ったのを記憶している。
あげられていた例の中に、これも「ずる」に入るのかな? と感じたものもあったからだ。
公私混同は、どこまでが許されて、どこからが「ずる」なのか?
「ずる―嘘とごまかしの行動経済学」を読んだときに感じた疑問が、また頭をもたげてくる。

でももっと公私の境目が溶け出してくれば、その疑問すら意味を持たない時代が間もなくやってくるだろう。
楽しみではあるが、それは真の実力社会ということになる。
これはボヤボヤしてはいられない! 

 

 
投稿者 sakurou 日時 2015年4月30日

「時間資本主義の到来」を読んで

「スキマ時間の活用」というと使い古されたような言葉だが、スマホによりその意味は大きく変わっている。
先日見たのは1回6分という短い時間で学習できるプログラミング教材という、まさに時空ビジネスをよく表している。

スキマ時間でプログラミングスキルを付けた主婦が自宅でクラウドソーシングにより仕事を受けるという時代になった。
社員プログラマはオフショアどころか、主婦と仕事を奪い合うことになる。

本書を読んでいて一番気になったのは「時間破産」というキーワードである。
事務的ホワイトカラーがスキルアップのために時間を使うことにより、ますますクリエイティビティが失われていくということだ。
ここを読んでいて感じたのは「勉強しないとスキルアップできないのでは?」という違和感である。

ただよくよく考えると、スマホ学習教材は肥料で言えば化学肥料で、芸術や読書は堆肥だと思うと納得がいく。
よい土ができるのに何年もかかるように、クリエイティビティを高めるには時間がかかる。
誰でも習得できるスキルだけではダメで、芸術や読書で時間をかけて自分を高める営みが自分の市場価値を高めることにつながるのだ。

クリエイティビティが高い人は時間をうまく使い、集まって飲んで刺激し合い、情報交換に活用している
ぼーっとすることで集めた情報からアイデアを思いつくことでクリエイティビティをますます高め、
時間に縛られる人はクリエイティビティを高める時間を失い、両者の差はますます広がっていくことになる。

ここ数年、社外の様々な活動に参加するようになり、いろいろな人と話をする機会を積極的に増やしている。
年代や職業が様々な人と飲むといろいろと勉強にもなる。また、ぼーっとしたくて、時々近くの公園で散歩をしたりしている。
まさにこの本と同じことを実践していたことに気付く。

ただ、こういう活動を継続させることが重要なんだと思う。
(といっても、単なる飲み会で終わっちゃいけないのだが。。。) 

 

 
投稿者 049158 日時 2015年4月30日

「時間資本主義の到来」を読んで

人の時間を買うとはどういうことか?
1つの意味として、人生において誰と時間を共有するのかということではないだろうか。

今の自分にとって何が重要なのかを天秤にかける場合、
何を基準に判断しているだろうか。その時と場合によって変わるものであれば、
絶対評価は難しく、人の価値観によるものと言える。

一つの観点では、今後、日本の製造業ものづくりはどの方向に進むのだろうか。
ひと昔前までは大量生産すれば、儲かる時代であったが、現在はモノが溢れる時代である。
物質欲求を満たすだけではキリが無いので、本当の幸せにはなれないことを気付き始めているが、
市場要求、情報変遷当等、あらゆる技術革新の日新月歩は凄まじく、
置いていかれないようにするのも大変であるが、
人々が何を求めているのかの本質を突いたビジネスが脚光を浴びていくことは間違いない。

また、時間を売り買いすることは、本当に法の下に平等に扱えるものなのか。
お金のない人は、お金のある人の奴隷に近いものを想像してしまい、ほかにも、
疑問に思うことも多々あるが、
そうは言っても、資本主義の世の中、お金で時間を買えると言っても言い過ぎではない。
お金を持たないものは、優先的に色々なサービスを受けることが出来ないのが現実世界である。

今後、ますます、人の活動によって人にしかできない付加価値を生み出すことが
重要視されてくるだろうが、時間の使い方による貧富格差がより生まれるものと思う。
言い換えれば、時間の使い方が人生を大きく左右し、その行動原点となる情報が非常に
大切になってくると思う。

時間をかける必要がある時に、必要なだけ、その物事に費やすことを可能にすることが、
より幸せに繋がるのではないか。
今後、情報リテラシーを高めてより意義のある時間の使い方にシフトさせ、
理想的な未来のあり姿への時間投資をして行くことが非常に大切になると思います。

そんな中、時間短縮による効率化の弊害として、本来、ゆっくりと時間をかけて醸成される
人の感性による幸せもあると思います。全く無駄となる回り道はしたくないものですが、
後から必要な時間であったと思える行動に時間を割いて行きたいものです。


以上、ありがとうございました。 

 

 
投稿者 gizumo 日時 2015年4月30日

「時間資本主義の到来 あなたの時間価値はどこまで高められるか?」を読んで

 この本が生まれるきっかけとなった「すすぎ1回の洗剤」の事例は、自分もテレビでのコマーシャルを見るにつけ、「そんなに気にする部分かな?それよりもきちんとすすげるのかな?」と懐疑的に眺めていた。
自身が皮膚が弱くすすぎが充分でないと負けやすいこともあるが、やはり文字通り“時間価値”を優先するニーズが多くヒットしたのには驚いた。
「たかが10分」ではない「10分も」ということなのだろう。

 ITの進歩による「まじめな事務エリートの悲劇」では、身につまされることが多い。「自分の価値」を上げようと「すきま時間」を活用し「有意義な時間」を過ごすことは、今まで推奨され雑誌などでも目玉企画で取り上げられ素直に従い活用してきた。
しかし、確かに“クリエイティブ”の不足は感じる今日この頃である。

 生まれた時からスマホ時代の台頭に危機感はないが隔世感はある。それ以前の生まれた時からパソコン世代と仕事をすることが多くなり、パソコン普及時期に決して触ろうとしない人生の諸先輩方を見ていた自分からすると本当に違和感や特別感なく“道具”の一つとして使いこなす姿には、うらやましさを通り越して嫉妬してしまう。
「そんな時代かな」と、決しておなじ尺度で判断しないようにするのは忍耐が必要ではあるが・・・。

 「公私混同の時代」では、これを良しとするかどうかはやはり別れる部分ではないかと考えた。はやりの「好き」を仕事にしている人は望むところかと思われるし、自分自身で考えても仕事の視点でプライベートを過ごすと休まらない部分も多い(しかし、それができないのですが・・・)
しかし、その人の行動を判断するときやはり「○○のお仕事だからね」とバイアスがかかったりすることもあり、「公私混同」というよりは「一体化」しているようにも思われる。
さらにクリエイティブなお仕事の方はこのような方々が多いようにも感じられるので、クリエイティブな仕事を希望する自分としては望ましいのかもと考えるようになった。

 企業が時間価値を高めるために、包括型からモジュール化へ、不確実性の外部化などの動きがあることは今回新しく学んだ情報であり今後興味を持って調べていきたい点だと思っています。

 本書を読んで改めて時間の過ごし方ほど「価値観」や「人生観」が出るものはないのかもしれないと思った。振り返れば自分はやはり考えることなく行動していることが多いのかもしれないと反省した。確かに「すきま時間」は便利な機器を活用して「有意義」に過ごしてきたが「それが何のためか?」はなかったのかもしれない。
本書には事例として多くの書籍の紹介があり、どれも興味をそそられた。時間価値を高めて仕事をこなしぜひ読んでみたいと思っています。
また、今後は積極的に「ぼ~」っとする時間を取っていきたいとも考えさせられました。 

 

 
投稿者 nkatani 日時 2015年4月30日

「時間資本主義の到来」を読んで、

まず「厄介な時代になった」と思いました。

というのも、現在の資本主義において「考えない人」から「考える人」へお金が流れていく構図がありますが、
この構図が時間においても適用されるように見えたからです。

これは、以前に自分が見た映画「TIME」の世界観と少し似ています。
この映画は、時間(余命)が貨幣として取引されるようになった世界が舞台の物語で、
この世界の人間は余命が尽きた瞬間に死亡します。
貧しいものは今日を生き延びるために安い賃金でこき使われ、明日尽きるかもしれない運命を憂い、
富める者は永遠とも言える余命を生き、その余命をかけたギャンブルと贅沢に明け暮れるという世界です。

現在の格差社会のテーマを「お金」から「余命」に置き換えるだけで、
その恐ろしさは簡単に想像してもらえると思います。

現在向かおうとしている時代では「時間」と「お金」の両方が対象になるので、もっと恐ろしい世界と言えます。
飛躍した言い方になりますが、考えない人は「貧乏ヒマなし」を体現するように、
自分の一生を自分以外の人のために費やすことになります。
その時間の捉え方にもよりますが、奴隷のような不幸な人生と言ってもおおよそ差し支えないでしょう。

では考える人は「時間」と「お金」を得られて幸せになれるか、というとそうとも限りません。
お金がたくさんあるだけでは幸せになれないのはもはや言うまでもないのと同じように、
時間が有り余っても幸せになれません。
これは、定年迎えて抜け殻のようなった人の話がちらほら出るように、わかりやすい話ではあります。
もちろん、時間・お金の両方ともたくさんあっても同じなのは言うまでもありません。
使う人及び使い方によります。

これはつまり、自分の人生において「選択の自由」と「選択の義務と責任」がより強く出る時代になった。と考えます。
自分の幸せについて考え、幸せになるように選択していく必要があるということです。
そのためには自分と向き合い、価値観を棚卸して、
どういう時間を過ごすのか、何にお金を使うのかなど、
自分の思う「幸せ」をはっきりさせておかなければなりません。
これができないと、人の価値観に振り回され(あるいは時間、お金共に搾取され)、
自分の思ったものとは違う、不幸な人生を歩むことになります。


今回この本を読んだ事で、
「自分の価値観」や「自分の思う幸せ」について積極的に自問自答し、
自分の思う「幸せな人生」に近づいていこうと思いました。 

 

 
投稿者 ktera1123 日時 2015年4月30日

「時間資本主義の到来」を読んで

自分の時間単価はいくらですか?
給与明細には、遅刻早退欠勤時の控除のための時間単価が書いてあると思いますがあくまでも給料ベースの基準であるので対外的な単価とは違うし、各種保険の会社負担分として給料以外でも負担している分もあるし、社内の間接経費等の諸経費を考慮すると、実際は給与明細の倍程度は稼がないと採算レベルにはあわない計算になる。それを考慮すると、年収600万円とすると最低1200万円/年稼ぐことが必要になり、100万円/月、5万円/日(20日換算)、6250円/時間(8時間換算)104.2円/分、1.74円/秒になる。

そこまで稼いでいるのかって。自分的には人日単価的にはあっていないのかもしれないけど、配置技術者としての役割もあるのでトータルとして会社から見た採算レベルはあっているかもしれない。

今の仕事の概ねのやり方は以下のとおり。

1.やり方を考える。
2.プログラム(ツール)をつくる。
3.試しに1か所だけ流してみる。
4.結果を確認して不具合があればプログラム(ツール)を修正して再度流してみる。
5.問題がなければ残りも実行してみる。
6.残りの結果を確認して不具合がないか確認する。
7.問題があれば4にもどる。問題がなければおわり。

日によっては腕力でどうにかする。

やり方を考えるのも、ただデスク(椅子)に座っていても思いつかない時はでてこないので、うろうろする、場所を変える(大義名分的には化粧室へいく)誰かにアイデアを話してみる(レビューしてみる)など傍からみてみると謎な人物と思われているのかも知れないし、やり方がうまい具合出来た場合は段取り8分と言われているように「できた、できた」モードになる。

クリエイティブな仕事をしているような気もするけれど、仕様はある程度決まっているのでキーボードをたたくのとマウスを移動、クリックするだけだけの腕力仕事かもしれいない。ただ、クリエイティブな仕事が「何かを発信して世に問う」形のイメージが強いだけかもしれないけど、残業代を稼ぐような時間単価的な仕事をしているわけでもない。4つの分類のどれにはいるか謎なところもあるけれど、少しでもクリエイティブな仕事に近づけていければと日々精進しています。

隙間時間なにしているって。隙間時間は睡眠というある意味すごい人もいるけれど体質的な問題がありそれはさすが無理なので、ネットでの情報収集(FaceBook、Twitter含む)と読書ぐらいかな。森羅万象が仕事に結びつくのでジャンルはなんでもかまわないのがありがたいところかな。

 

 

投稿者 senumishima 日時 2015年4月30日


時間資本主義の到来を読んで

人は時間効率化・快適化をどのように進めていくのか。

時間効率化・快適化のためには、スマホ等、持ち歩ける端末は必須である。
この本でいうクリエイティブな「公私混同」の仕事をする立場にあるなら、この時代の環境は恵まれたものかもしれない。
しかし、波にのまれて振り回されている人もたくさんいるのが現状だと思う。
悪い面があるとすれば、どこにいても自分の意思と関係なく仕事に追われてしまうことだ。

スマホに関しては、誰かと繋がれる「コト」へとつながるツールになるのは間違いないが、目的もなく時間潰しでの使用者も目立つ。
自分の目から見れば、時間という財産と、課金システムにより実際の財産を水の泡にしているようにしか見えない。しかし本人が満足しているなら「快適化」なのだろう。
そして、このようなサービスも需要があるから巨大化していき、スマホの普及率の向上にもつながる。その結果、料金形態も変わり、手頃な値段でスマホやタブレットを持ちやすくなった。
スマホ進化のため重要なお客なのかもしれないが、端末を手放さずにスキマ時間以外にもスマホを侵食させている人を見るとせつなくなる。

これらの人々は、創造的な価値を高める人生を放棄しているのではないか。
だとしたら、敢えてこれからのクリエイティブ東京にいなくても良い人たちかもしれない。

スマホは目的次第で、ある意味どんな時間をも過ごせるツールだと思う。
本当の「快適化」とはどういう意味か、何かを提供するならよく考えなければならないと思った。
今売れるからといって、求められるものすべてをスピードに乗って提供していくと、「今」は良いけれどやがて成り立たなくなるのかもしれない。
刹那的な楽しみを求める人からはすぐに飽きられるし、そうでない人からは今よりもっと役に立つものを求められる。
どちらを相手にしても、変化し続けなければいけない。

IT化が進むと、人は雑音の多い都会より環境の良い場所へも選択肢が増えると私は考えていた。
どこでも同じ仕事が可能なら、敢えて都会にいなくてもいいのではないか。
しかし筆者は東京へクリエイティブ層の人口が集中するという。
今までの自分の考えと違うものだったので、この点に興味が湧いた。

クリエイティブな人は直接人と会う「コト」による情報と偶発的に起こる何かを求めてそうするかもしれない。
部屋の面積が半分になっても、プライベート空間が激減しても。

しかし人口が密集して同じような環境で暮らしているメンバーと会っても、本当にクリエイティブな発想ができるのだろうか。
そして、クリエイティブな仕事を順調にこなし、本当にお金も時間もある豊かな人たちが、その環境を求めるのだろうか。
仕事をするにはこの上なく理想的な環境だが、「公私混同」で仕事とプライベートの時間の境界線が曖昧になっているならなおさらだ。
時間の快適化の面で考えれば、質のいい家で良質のものを食べ、きれいな空気と音の中で日々過ごす方が快適な気がする。
まして、クリエイティブ層をサポートするレイヤー層の人達は、いくらマインドセットしても、それではカバーしきれないのではと思った。
鎖国時代、栄養失調のために平均寿命が短かったように、現代であっても環境によっては、栄養失調に変わり別のバランスが崩れるのではないか。

住む場所によって年収に違いはあるが、現金化できない環境という価値もあるので、結局トータルではどこにいても同じではないか。(ピラミッドの頂点に君臨する一握りの人は別かもしれないが。)
快適化で重要なことは、著者がいうように、「その人なりの創造時間価値を高めること」であるということだ。
誰もがみな、本当に公私混同で日常生活においても職場においても創造的価値を高めることができると、
東京に人が集まらなくとも、その場でその時間を豊かにすることができるのではないか。

時間が進むということは、変化していくことである。良い変化を続けていくためには、良質の時間を過ごすこと。
その時間が過ぎ去ったあと、思い出したときも、「いい時間だったな」と思えるような豊かな時間。
そんな時間を過ごしていくための手段として時間の効率化・快適化をしていくべきだと思いました。

時間というのは、確かに重要なものの中でも最たるものであり、効率化と快適化を考えることはビジネスで成功を収めるには、
特にこれからの時代には必須項目だと思う。そのためのヒント満載の本であったと思います。
自分にとっても、改めて時間という切り口から仕事や日々の行動を考えることができたので、とても参考になりました。 

 

 
投稿者 ken2 日時 2015年4月30日

「時間資本主義の到来 あなたの時間価値はどこまで高められるか?」を読んで

1.何を書こうか考えながら、でもなかなか思いつかず、気晴らしにFacebookのタイムラインを眺めていた。
すると、ある友人がいいね!していた「マイナビニュース」の「糸井重里さんに聞いた「公私混同」する働き方」という記事が目に留まった。

引用開始
「いいパフォーマンス出してるな」って人は、働いていない時間に、働いていないように見えて、働いているんですよね。
そこは実は混ざっていて、プライベートな時間が支えになっているとよく言いますが、支えどころではなく、その時間こそが働きそのものなんですよね。
「ここからが働く」だとか「ここからが働かない」だとか、オンとかオフだとか、あれは古い(笑)。
~中略
ワークしている時間と、そうじゃない時間の混じり方そのもの、全部をその人の「キャリア」って言うんじゃないかなあ。
引用終了

本書内に「SNSのタイムラインがキュレーションの役割」というキーワードが出てきたが、まさにそれを体感した気分だった。

自分自身に対して何かしら「しつもん」を投げかけながら、他ごとをする。その中でふと答えが浮かんでくる。
こういった時間の使い方、自分への問いかけは有効ではないかと考える。


2.「消費者の時間価値総和の極大化」
一人ひとりの持ち時間が1日24時間と等しく決まっているなかで、時間消費の満足度を上げること、創造時間価値を高めることが人生を色彩豊かにする、幸せにする、とある。

創造時間価値を高めるためのひとつの解として、メールマガジンやブログで記事を蓄積していくこと、が挙げられるのではないか。
その成果物である記事や物語は、蓄積していく一方で減らないし、その蓄積はそれ自体が自分の分身のようでもあり、財産であり、印税的な収入を生む可能性を秘めている。
興味のある人が読み、共感、感動を覚えれば読み続けるし、人と人とのつながりが生まれる。
書き手にとっても読み手にとってもいいことずくめである。

というわけでメールマガジン、ブログ礼賛がこの本を読んでの私の結論となった。
早く自分も書き手になるんだ、と自らを叱咤激励をする今日この頃であります。

今月もいい刺激をいただけました。ありがとうございます! 

 

 
投稿者 t1100967 日時 2015年4月30日

感想を書くまでに非常に時間がかかりました。
自分が納得が行き、かつありきたりでは無い文章を書こうとすると、
まさに「時間をかけたから成果が出るわけではない」を体験することになりました。

筆者があとがきにも書いていますが、内容が多岐に渡っており、
自分なりの落とし込みが難しかったですが、要するに以下のような内容かと思いました。

・今までの時代は、生まれた時に持っているもので人生が決まることが多かった。
しかし現代は、人々がみんな平等の条件であるからこそ、唯一”時間の使い方”が、
人生を左右する時代になった。

・グローバル化とIT化によって、多くの仕事がコモディティ化し、
また逆に個人の独創性により多くのレバレッジがかかるようになり、
格差がどんどん広がる時代になった。

・大量生産のモノが行き渡ったことで、人々は自分独自のモノ、
ないし独自のコト(体験)を志向するようになった

・これらを統合して検討すると、より幸せに生きるには、
「時間の快適化」を追求し、それを実現させることが必要だ。


基本的には、やっぱり名著「フラット化する世界」と同じことを言っている気がします。
確かに大きな時代の波が来ているということなんですね。
こういうことを知らないでいると、いつのまにか所得が下がり、
みじめな生活をしている羽目になるかもしれないという恐怖を感じました。

さて、そんな恐怖を克服するために、これから具体的にやろうと思ったことは以下です。

■会社では
無味乾燥な仕事をダラダラやっていても通用する時代では無いので、
仕事に意義を見出し、独創性を打ち出し、時給以上の仕事をしようと思いました。

■常日頃から
時間を有効に使うためには何をすべきか?を常に考えようと思いました。
結局ただ休むにしても、流されるがままダラダラするのと、
意識して休むのでは「時間価値」が異なると思いますので。

また、感性を磨くために、インプットとアウトプットに時間を使い、
なるべく人と会ったり、ただ空想をしたり、やったことのないことに挑戦したり、
といったクリエイティブにつながる活動をしようと思いました。

■今後の展望として
何か個人向けビジネスをしたいと思います。
大衆に広く受け入れられるビジネスで無くとも、
価値観が多様化した現代であれば、少数にグサッと刺さるビジネスが出来れば、
それで食っていけるのだと思います。

以上。

・・・あまりに普通すぎるので追記します。
とは言え締め切りまで時間が無いので思いつきです。

本当にクリエイティブで、やっていること自体を楽しんでいる人にとっては、
”時間の概念”それ自体が消失していることは無いだろうか。
寝食を忘れて没頭している時は、
その人の主観においては時間は非常に短く感じられることだと思う。

まさに相対性理論の話ではあるが、要するにそういうことで、
時間は主体的なものであり、そもそも「時間価値」なんて概念を意識している時点で、
時間という概念に囚われており、クリエイティブでも何でも無いという気もする。

本当の勝ち組は、時間の効率化だの、単位時間当りに生み出した価値だの、
そういうものから超越している人-何も天才に限らず、ただのオタクとか、
子供のように純粋に物事に没頭出来る人なんじゃないかとも思う。

そう、この本では、時間当りに生み出した経済価値の話と、
時間当りの個人の満足度とか幸せ度の話が、ごっちゃになっている点が、
分かりにくさを生んでいる気がした。

例え何も経済的な付加価値を生み出していなくとも、
自分が楽しいと思えることをひたすらやれていれば、
人間それだけで満足なんじゃないか。
・・あ、そうか、貧乏人にはそれは出来ないのか。
時間を売って金を稼ぐしか無いから。

真面目に働くだけでは、金はあっても時間が無く、
好きなことだけやるのは金も時間も無いから不可能で、
時間があるけど金が無いのはフリーターとニートか・・。
やっぱり人生は甘くないなあ。 

 

 
投稿者 andoman 日時 2015年4月30日

「時間資本主義の到来」を読んで


 本書で述べている「時間資本主義」の時代は、既に始まっている。

 ゲーム業界の視点から、ちょっと見てみたい。
 ある時、派遣社員を管理する大手企業のマネージャに、派遣社員の評価について「決まった時間働くだけでいいんですか?それとも能力を求めますか?」という質問をした事がある。
 受けた言葉は「どちらも必要」だった。
 決められた時間内で、他者よりも高い生産力を発揮する事を重要視しているという。
 私の場合、次々に来る仕事を早く終わらせるために、ある程度定型化された業務はツールを作ったり、業務フロー改善を図ったりと、時間を作るための努力を日々行っていたので、あまりショッキングでは無かったが、この話を聞いた他のメンバーは、驚きを隠せないでいた。
 今や派遣社員でも、時間あたりのより高い能力を求められる時代となっている。

 消費者の時間を取り合う話があったが、スマホゲーム業界では、何年も前からユーザーのすきま時間を「何分」奪えるかが重要視され、現在でもリリース後のアプリに対して、日々KPI分析を行い、ゲーム自体を進化させ続けている。
 数年前まで盛り上がっていた、DeNAやグリーが提供していたアプリプラットホームでは、電車の移動時間や、待ち合わせの時間、ちょっとしたすきま時間にサクッと遊んでもらい、そこからユーザーのゲームに対する時間を少しづつ広げて行く。という戦略の元、ゲーム自体も、インベーダーゲームの様な、(敵の弾に)当たらなければどうという事がはない。という何時間でも遊べる「残機数消費型」では無く、数分遊んだら遊べなくなる「スタミナ消費型」となっている。
 「スタミナ消費型」は、時間が経てば自動的に回復するため、3分遊んでスタミナが0になっても、1時間放置するとスタミナが自動回復し、また3分遊べるといったものだ。
 この1時間のスタミナ回復を待てないユーザーは、スタミナ回復アイテムをお金を払って購入するという仕組みになっている。
 つまり「1時間」を購入している事になる。
 「すきま時間に遊んでもらう」から「すきま時間を超えて遊ぶ」に変化したヘビーユーザーには、ゲーム内の体力回復を「お金」で買うという、課金形式がまさに「時間を買う」という所に結びついている。
 時間をお金で買う。という事が現在のスマホアプリで当然となっている。

 これらの事柄からも、本書で述べている様な、「時間」そのものに関する価値感が数年前よりも変化している事に、大いに賛同できる。
 そして、間違いなく「時間価値」に早く気付いた人間がこの先、先手を打って生き延びるのではないかと考える。 

 

medal1-icon.gif

 
 
 
投稿者 tractoronly 日時 2015年4月30日

時間資本主義の到来: あなたの時間価値はどこまで高められるか? を読んで

なぜ「時間主義」ではなく「時間資本主義」というタイトルなのか

最初は時間を効率的に価値が産まれるように使おうねと言う主張のように捕らえていたため、妙な違和感と疑問を感じていた。
でもどうやら資本主義の新たなベクトルとして時間の概念が重要視されるようになる。そのように捉えると全体の内容がしっくりきた。

これからは時間の価値をモノサシにして新たな資本主義が加速していくことであろうが、よく言われるように資本主義は「富める者はより富み、貧しい者はより貧しくなる」世界である。
時間資本主義が訪れた世界においても同じことが当てはまりはしないか。
案の定、最終章には「表層的には時間の効率化が鮮明になる可能性が高まる時代」という言葉が述べられており、貧しい時間の使い方をしている者はより貧しくなるんだよ。と言われてるようである。いや、現在時間プアな人生を送っている人はよりプアな状況に追いやられることは確実だろう。

本著ではクリエイティブワークな方向性を示すことで解答を提示しているが、クリエイティブでない人やできない状況の人も多く存在すると思われるので、少し考えてみたい。
それは、時間の価値を”追わない”という選択肢もあってもいいのではないかということであるが、もちろん惰性で生きよという意味ではなく、突出した価値を求めず、ある程度のところを狙おうという意味である。

結論から言うと”田舎”が一つの解答になるのではないかと個人的には思う。
東京などの時間も空間も最大限に効率化した環境では人も多く、地価の高さから快適さを得るのに大きなコストがかかるのに対し、田舎では道も広い、電車も混んでいない、空気や水、食べ物も美味しいなど、快適な空間や体験というのがローコストで入手出来る。本の中にも出てきた軽井沢がいい例だろう。

時間資本主義と言っても資本主義の発展した考えであるから、時間の観点から言ってもクリエイティブでない状況に置かれている人にとっては都会は快適さを得られにくいのではないかと思う。
だからクリエイティブな人だけではなくサラリーマンでルーチーンな人生を送っている人たちも田舎を目指しても良いのではないかと考える。 

 

 
投稿者 jawakuma 日時 2015年5月3日

時間資本主義の到来: あなたの時間価値はどこまで高められるか? を読んで
我が家は共働きで子供が3人います。学童や保育園を利用していて、平日の朝晩はF1のピットインさながらに一分一秒を争いながら、いかに短時間で家事・育児をこなせるかを試行錯誤する生活をしています。あくまでも中心は家内なので、私や子供がプラプラしてようものならいまやるべきことが2点、3点と非難を交えながら指示が飛んできます。いうなれば我が家では市場を席巻する大資本のママゾン(Amazon)による節約時間価値を求めた戦いで子供3人とパパである私はその土俵で戦わざるを得ない中小、零細企業の経営者の体となっております。旅行にいけば今度はテッパンが求められます。サイトやガイドブックで下調べをして訪れるのですが、なかなか思うようにいきません。自分ひとりならばそれを楽しむこともできるのですが、子供も一緒だとそうはいかず、あれーこの辺だと思うのだけど、どこだっけなーなんてやっていると「お腹すいたー」やら「おしっこー」と畳みかけられ、ママゾンからはどうなってんのーと怒声が・・・慌てて、ほうほうの体で手元のガラケーで必死に検索を繰り返す次第です。そんなうちではディズニーランドのようなテッパンスポットは重宝され、神域のように崇められています。
私の勤める会社は印刷会社なので、その他製造業というくくりにあたります。私は企画制作職なので割と自由なのですが、現場では職服を着た工場員がシフト制で交代をしながら作業を行っています。産業革命以降の工場の姿がそこではいまも昼夜を問わず毎日繰り返されています。そんなうちの会社でも工場のシフト勤務以外の人には新しい働き方が求められ、時間効率化はもちろん、ワークライフブレンドという言葉が社長の口からも発せられていました。とはいえまだまだ公私がそこまで混ざっている感はなく、セキュリティの観点から個人スマホは業務フロアに持ち込めない現状です。家でも外出先でもメール電話でオフィスを拡張しているのは同感です。たまに携帯を忘れるとすごく開放感を感じ、自由を満喫したくなりますね。
本書は“スマホ革命”について書かれた書でした。従来型のエリートでは解が導き出せないことが増えてきているようです。クリエイティビティを高めて時間価値を高めていくにはどうしたらいいのか?私の経験からですが毎日続けている呼吸法をやりながらの瞑想は、直接的な関連はないけれど創造性を高めてくれている気がします。あと朝起きる直前の夢と現実の間の時間。ここでいくつも良いインスピレーションを得られることがあります。すぐ忘れないようにメモを取るのが大切です。いま会社で研修を兼ねての新規ビジネスの提案を行っているのですが、この本にはヒントになる情報がズラズラでてきていますね。私の提案内容もちょうど時空ビジネスに属するものなので、創造的時間価値を高めるビジネスをぜひとも成功させたいと思います。

今月も良い本をありがとうございました。 

 

 

投稿者 mahoro 日時 2015年5月3日


■後輩:昔からなんとなく気になっていたんですけど、商売のなかには、
「書き入れ時」に値上げができる商売と、値下げをしなければいけない商売が
ありますよね。たとえば旅行会社は旅行シーズン中に値上げするけれども、
クリーニング店は衣替えのシーズンに割引セールをしたりする。

■先輩:その違いがこの本でいう「空間の排他性」ってやつだね。
飛行機やホテルの空席には限りがあって明らかな排他性を持つけれども、
クリーニング屋さんの労働力はなかなか排他性につながらない。

■後輩:「時間価値」の概念を使ってクリーニング屋さんのサービスに
高い付加価値をつける方法って、何がありますかね?
やっぱり出来上がりまでの時間が短くなる「特急料金」とかですかね。

■先輩:それだと「高速化・効率化」で、定量的な勝負になっちゃうだろ。
数字で比較できる指標で勝負をすると、この本にもあるように寡占化した
大手企業に勝てなくなるんだよ。むしろ数値化できない「快適化」の方向で、
定性的な指標で勝負したほうがいいんじゃないかな。

■後輩:そうか。「年収は住むところで決まる」のなら、
まずは金持ちがいっぱいいるところで開業するのがよさそうですね。
クリーニング店なら高級生地の服の取り扱いに特化した技術を持つとか。
大事な服を預ける安心感を与えるとか、ですかね。

■先輩:そうだね。基本的にクリーニング屋に服を持って行ったり、
クリーニング屋さんに受け取りに来てもらったりといった作業は
誰にとっても楽しい作業じゃないから、このあたりが快適になるアイデアが
あれば面白いかもね。手入れの方法を丁寧に教えてくれるとか、
店の人がイケメンだったり、美人だったりとか。

■後輩:この本は別に商売のネタ探しの本じゃないわけですけれども、
これからの時代に商売で成功するために、参考になりますね。

■先輩:うん。今の時代は製造業主体の価値観がまだまだ残っているなかで、
「モノ」から「コト」の主体の変化が進んでいるわけで、
新しい時代に目指すべき価値観を人々が完全に共有しているわけではないからね。
「他者と交流することで刺激を受けてつつ、自ら考える時間を増やす」
ことができる人が、これからの時代は成功できる人だ、
という明確な主張はありそうでないような気がする。
この考え方は自分が生きてゆくうえでも、その中で商売をするうえでも、
すごく参考になる。

■後輩:そうですよね。時間は貴重だ、みたいなことは、
それこそ大昔からいろんな人が言ってたわけですけど、
「10分間の短縮」のような隙間時間についてはそれほどみんな真剣に
考えていなかったわけで、そんななかでITの発展で隙間時間にも価値が
生まれたことに気付いた人が成功してるんでしょうね。

■先輩:確かに。事物の潜在的な価値について、ほかの人より先に気付くことが
商売で成功する基本だからね。

■後輩:この本、不安を煽ったり、極論を張ったり、
事象を単純な構図に無理やりあてはめたりしていないから
ビジネス書としては読みやすくもないし、かといってアカデミックな本、
というわけでもないんですけど、これからの商売とか、
生き方を考えるための題材には良いと思います。

■先輩:埋もれてしまいがちな良書、なのかもね。