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第27回目(2013年7月)の課題本

 

7月の課題図書は・・

不平等が健康を損なう

 

いつもよりちょっとお高めの本ですが、ここで説かれている事は衝撃です。


今までの定説では健康とは自分自身の問題で、太りすぎないように、塩分糖分

を摂りすぎないように、適度な運動をして、規則正しい生活をし、酒を飲み過

ぎず、ストレスを減らし、睡眠をチャンととるというやり方で手に入れられる

モノだと思っていたわけです。っていうか、みなさんもそう思ってるでしょ?


ところがどっこい、そういう個人の枠の中の話じゃ無く、自分以外の人との相

関関係というか、比較の問題だったって事なんですよ。


あなたが所属する集団、つまり会社や地域、コミュニティ、趣味の仲間たちと

あなたとの比較で、あなたが自分が劣っていると感じるような格差の中で生き

ていると、早死にしちゃうのです。


例えばあなたの年収が500万円だとして、それがあなたの会社に於ける平均賃金

との比較をしたら平均以上だった場合(つまりネガティブな格差がない場合)

と、逆に平均年収1000万円の中で500万円しかもらっていない場合(つまりネガ

ティブな格差がある場合)とでは、前者のケースの方が長生き出来るらしいの

です。


ヒエエエ、これスゴくありません?


これが真実なら、いくらの年収をもらうかではなく、周りと比べて低くない

か?を気にしなきゃならないって事です。


詳しい内容は本書を読んで頂くとして、たまにはこういう堅めの本も良いんじ

ゃ無いかと思います。

【しょ~おんコメント】

今回はみなさん良く読み込んでいました。

マヂで誰にしようかウンウンと悩みました。

同じようなレベルで5人が並び、最後はエイヤで選びました。

こんな選び方をしたのは正直初めてです。

という事で、エイヤで選ばれたのは『naru』さんです。

マントヒヒやオランダでの飢餓の話を、同じ視点で受け止めたところが良かっ

たと思います。

という事で、今月の優秀賞に選ばれました。

 

 

【頂いたコメント】

投稿者 nakajirou 日時
アメリカ型の自由放任型の資本主義が行きつく先は格差の拡大であり、格差拡大はそのコミュニティ全員に幸せをもたすものではない事を、健康問題を中心に書かれている本です。

本書が書かれたのは2004年ですが、それからほぼ10年経つ現在状況はますます悪化しつつあると思います。特に昨年末から開始された所謂「アベノミクス」はデフレ撲滅という名のもとに、一部の大企業や富裕層を豊かにしそれ以外の人との格差を広げる入口の施策ではないかと考えていますので、この本の提示する問題提起は今後ますます日本に当て嵌まるのではないかと危惧せざる得ません。

ただこの本を読んで印象に残ったのは健康問題に書かれている以外の部分でした。特に所得が増える事と幸福感に関連性がない事、幸福が隣人に負けないように見栄をはる事により成り立っている点への危惧は考えさせられるものがあります。

人間が転落する一番の要因は、不要なプライドや見栄が起因している事は確かです。以前フィリピンで暮らす貧困日本人の話を書かれた「日本を捨てた男達」という、真似てはいけない人間の事が書かれた本を読んだのですが、それらの人に共通していたのが、非常に見栄っ張りであり、プライドが高い点でした。

先進国に生きる人々が幸福感を感じる要因が他人より多い富を持つ事であれば、上には上がいますのでどこまでお金を持っても不満を感じる事になります。経済的成長が、格差を拡大し、富める側も、貧しい側も幸福感を感じられないのであれ「経済成長」することが何のために行われるものなのか本当に考えないといけないと思います。

21世紀に入り10年経ちますが、この世紀は20世紀とは違った価値観を求められる時代に来ており、その過渡期に今いるのだと思います。資本主義的経済成長を行い、豊かな物資に囲まれれば幸せが来ると思っていたのが20世紀の考え方としたら、21世紀はその考えが行き着くところまで行っても幸せになれないと分かり、極端に経済成長重視となった振り子が戻ろうとする時代なのではないでしょうか。

だからといえ、急に市場経済の世界から離れる事は我々には困難です。出来る事は、お金は大切だと分かりつつも、お金だけが重要でない価値感を学び他のものにも目を向けるバランス感覚ではないかと改めて感じた次第です。

投稿者 whockey51 日時

自己評価ではなく、相対評価で人は生きている。自分基準ではなくて、他者の基準に人生を委ねてしまっている。

国がどんなに豊かになろうとも、貧しさの層は一定に存在する。その貧しい人たちを糧に、自分たちの優位性を保っていようとしているのかもしれない。幼いころから今に至るまで、誰もが新たな価値基準と闘い続けている。終わることなく続いているレースは死ぬまでゴールは切れない。自分自身の尊厳を保つには、自分以下の事に目を向けるしか、方法が見つからないからだ。

なぜ人は身近なものでしか判断できないのだろか。プロ野球選手と自分の年俸を比べるサラリーマンがほとんど存在しないのに、自分の身近な人を価値基準として判断してしまっている。お金もそうだし、時間の基準で見ても同じだ。そうやって小さな判断をもとに自分の尊厳を守ることが、唯一の人生における楽しみになっているとしかいえない。


問題の本質から離れれば離れるほど、人は自分を顧みなくなる。社会は他者との関わりで成り立ってはいるが、判断基準としては他者を用いるべきではない。自分自身の尊厳を保つには、過去の自分と比べるだけで、その尊厳が保てるといえる。あくまでも世の中は不平等であることを認識して、それに左右されないようにすべきだろう。

投稿者 omieakanat 日時

不平等が健康を損なう

端的に世界の不平等を表したデータが面白かったです。

この本で掲載されているデータを見て改めて認識しましたが、日本
を世界の中で相対的に見れば豊かさも、平均寿命も本当にトップ
レベルなんですね。

世界の国々の人たちに日本のデータを見れば、羨ましがられる
のでしょうか。

しかし、私事のミクロの視点で見ると事情は変わります。

年収400万円サラリーマンである私は、友達の年収が自分の2倍~3倍
であることは良くあります。時々自慢話にむか―ッと来ますし、ボー
ナスの時期などは話題に触れたくありません。

よって、そこには明らかに不平等が発生している為、この問題に関心を
持たずにはいられません。

もしかしたら、年収が私よりも多い大勢の人たちの方が、自分より健康
で長生きできるのか?と思うと、(実は)日本一の健康オタクを目指して
いる私としてはムムッ?となるわけです。


この本を結論付けるのは非常に難しかったです。

まず、不平等という言葉を金銭的にネガティブな格差に固定して
考えると、本の最初にでてくるエチオピア、メキシコ、アメリカ
という経済性が極端に異なる下記4つの地域同士では、金銭や
物質に対する価値観が異なり過ぎて比較はできないものだなと
思いました。

1.必要なものが手に入らない国 極貧層
2.必要なものが手に入る国   平均的な層
3.欲しいものが手に入らない国 豊かな層
4.欲しいものが手に入る国   豊か過ぎる層


よってまずは、自分の身の回りの事が重要ですので、社会保障や
健康保険が同条件下の同国内、同じ地域のご近所さんの間で、
不平等(格差)が健康に与える影響はあるのか?について考えてみました。


冒頭に書いたとおり、この日本において平均レベルの生活が出来て
いれば、医療へのアクセスも不自由無いわけで、金銭面の不平等
(格差)が私に与える影響はそれほど無いわけです。


よって考えるべきは金銭面以外で、格差が健康に与える影響です。
読了した結果からまとめると、日本国内であれば、金銭的な格差
があっても、下記の要因に気をつけていれば健康を損なわないの
では、との結論に達しました。

1.資本主義社会の中での精神面への影響に気を配る
  (不平等自体が近場にいる人たちの中では物質的にだけでなく、
   精神的にも作用する。ご近所との比較で顕示的消費、顕示的
   衰弱、物質的分野 特権的分野に惑わされるな!)

2.労働時間に気を配る
  (労働に携わる時間が長くなるほど地域社会への参加が低下し
   社会性が落ちる。社会性が落ちると健康に影響が出る。
   また、休暇取得数が少ないほど心筋梗塞にかかる率もアップする。
   更に、忙しくなると、ストレス 血圧上昇、ストレスホルモン
   の分泌、緊張レベルの高まり社会性が落ちる。)

3.社会性を持つ
   (ロゼト効果で分かるように、地域との連帯感が高い場合、
    免疫力を向上させる。また信頼度、ボランティア組織への
    参加度が上がると死亡率が下がる。さらに愛する人々と過
    ごす時間は健康を向上させ、かぜ、うつ、自殺、心臓発作
    に抵抗力をつける)

4.健康それ自体への関心
  (資本主義における消費文化・贅沢病に気をつける。運動不足、
   糖尿病、脂肪摂取過多。)


要するに金銭的に裕福であると、自主的な自己管理に重きを置く
必要があるということなんですね。重要なのは金銭的な不平等
よりもそれに付随するこうした要因に気を配ることなんだと
思いました。

ただ、発展途上の国では更にこの他に、貧困、危険、環境など
の要因を考慮しなければいけないことを考えると、改めてこの国
に生まれた幸運を思わずにはいられません。


・・・ちなみに、読み進めて行く中で、私は第二章が一番好きでした。
この章はしょ~おん塾の皆さんは皆好きなのではないでしょうか。


なぜなら、『あるがままで幸せ』な状態を作り出せる我々しょ~おん
塾生にとって、金銭的な繁栄と幸福は別々に作り出すものだと
いうことが論理的に理解出来ているから。

我々にとっては金銭が幸福を支配してしまうなんてことは無いと
予め分かっているから一歩前へ出ている感じです。


しかしながらデータを見ると目が覚めます。これだけ豊かな日本が、
生活満足度に関して先進国中最低です。これが日本人の意識
の現実かと、正直悲しくなりました。

働く目的である金銭と幸福度がごちゃ混ぜになっている何よりの
証拠でしょうか。大概の人にとって、働く目的が稼ぐことであり、
稼ぐほど幸せになれると思い働きますが、稼ぐほどにお隣さんに
合わせて贅沢をし、結局最低限の生活を維持するのでやっとに
なってしまうのではないでしょうか。

結果、稼いだ先に幸せは得られない。福は得られても幸せは得られない。


ここから分かる日本の幸福度を上げる方法を導き出すのは簡単で、

一つはお金と幸せは別々に作るものと認識すること。
二つ目は行きすぎた資本主義に影響されないようにすること。

これだけで、日本人の幸福度はぐっと上がると思います。


以上、今回はちょっと骨がありました(笑)。
今回も良書をご紹介頂きありがとうございました。

投稿者 take0125 日時

ナントナ~ク

この本を読んでいると、サラリーマンのわたしとしては、一昔前の日本の
年功序列型で賃金があがっていく方が、欧米の成果主義的な給料体系より
も健康的に良いんじゃないかと思えたんですけど、そう思ったのは私だけ
でしょうか?

でも、成果主義が悪いと言ってるわけじゃないですよ。努力し、自らの手で
勝ち取った仕事に対して、それ相応の報酬を得るに値する人を非難しようとも
サラサラ思っていませんし。

ただ自分が勝ち取った分、その分け前を減らしている人もいるってことです。
評価が良い人もいれば、悪かった人も当然います。そして、上司からの
評価に対して、素直に納得する人もいれば、そうでない人もいるわけですよ。


 「あいつの評価はAなのに、なんで俺はCなんだ!!」


こんな類のセリフってあなたの周りでも聞きませんか?少なからず、私は過去
にこんなセリフを心の中で、何度も叫んでいましたけど(笑)

でも、そんな感情の集合体が「格差」というマイナスの雰囲気に変わっていく
のでないかと思うのです。

だからこそ、普段からネガティブなイメージを消したり、智の道を心掛けていく
ことが、大切なのではないでしょうか。

 ”他人も幸せ、自分も幸せ”となるようにってね。

確か、著者の表現でいうと”内在的目標志向”ですかね。これを忘れず、心掛けて
いきたいものです。

投稿者 kd1036 日時

学術的な論理の進め方で、健康について記述されているなという印象を持ちました。
データに基づいた論理展開をするには必要なのはわかりますが、欲を言うとこれが絵本だったらいいなと思います。(個人的な我儘です)

健康とは?
健やかに長生きができる
身体に不具合・欠陥のない状態
であるのは勿論なのですが、精神的にも健康である事がとても重要なのでしょう。
体はピンピンしてるけどドス黒い精神の人と、体にハンデはあるが健やかな精神の人では、後者の方が明らかに健全であると思われます。(健全=健康ではないのかもしれませんが)

社会的基盤が一定程度以上に整備された地域においては、人間が生きる(生命を維持する)環境は多少の差はあれ整備がされています。
衣食住が充足されて不足なく医療にアクセスできる状態にある地域において、個体別の差になるポイントとして、コミュニティ内での格差があるという点は確かに存在すると思います。
それは精神的に満たされない部分が常に存在する事に起因する気がします。アメリカを中心とした近代の生活や幸福について記されていますが、他者と比較した相対的な価値観で人生を過ごすのは危険だなと感じました。
自分の生活は、今ここにしかないという事を認識したうえで、世界はこういった状況であるという事も踏まえて生きていくものなのかもしれませんね。

健康については、日本でも生活習慣病健診が行われるようになって久しいです。
体に良くない事はわかるのですが、何故体に良くないもの程欲しくなるんですかね?
嗜好品にしろ食べ物にしろ、不思議でなりません。
ただ、人は刺激はより強いものでないと感じにくくなるのかもしれません。高カロリーのあんな食べ物やこんな食材、アルコール等の刺激物に関しても、恒常的に摂取していると逆にもっともっととなってしまいます。ある程度のスパンをあけるとその時の摂取が多量でなくても満足できたりします。
それとは別に体が喜ぶような物も星の数ほどあります。そういったものを摂取した時の身体感覚とその記憶は大切かと思います。
本文で登場する健康・幸福状態という言葉はwell-beingという言葉の訳語だそうだが、健康・幸福状態とは、誰かが与えてくれたり、他者との比較をしていく中には存在しないようであると感じました。

投稿者 akiko3 日時

「不平等が健康を損なう」を読んで

 「人は“比較する”ことから、不幸になる。」と、諭されて、比べない生き方をしようと思ってはいた。しかし、言うは易し…“隣の芝は青い”と、つい羨ましく思ったものだ。
20代の頃は、“幸せは自分の心が決める”by相田みつを の言葉が心に響いても、じゃあ、自分にとっての幸せってなんだ?とブレまくっていた。
  いつ頃だろうか、あれもない、これもない自分の人生だけど、自分で決めて、自由に選んで来た結果だから、いいやと思えるようになったのは。結局、あれもこれもと欲張っても、取りこぼしてしまうことの多さを経験したからだろうか?

  健康オタクな自分は、心と体の関係を説いているボディサイコロジストのおのころ心平さんのブログを愛読している。彼のインタビュー記事の中で、“人は一人では病気にはなれない。”とあった。
  以下抜粋
  「人は一人では元気になれない」といつも話してるんです。人は、誰かの励ましや、誰かの支えが必要なんです。
  しかし僕に言わせれば、「人は一人では病気にはなれない」とも言えるんです。病気の裏には、ほとんど人間関係のストレスがあります。誰かと「関係性」があるんです。例えば家族とか、社会におけるいろんな人との関係、もっと広げると国のあり方との関係・・・僕は、その関係性のズレが、病気をつくっていると考えています。個人がいる環境との関係性は、健康創造に大きく関与すると思うからこそ、セルフケアを伝えているんです。

  
  WHOの定義じゃないが、身も心も精神ともに健康であることを目指してはいたが、なかなか心をコントロールすることは難しい。どうしようもない心と体の関係性をテキメンに経験したことを、未だに時々思い出す。
  まさに仕事の人間関係のストレスが、じわじわと手に現れ、2年目ぐらいから湿疹が時々出始めていた。直っては荒れての繰り返しで、範囲も手の甲、指に広がり、かゆみと乾燥で皮膚にはアカギレ様の亀裂がピキピキと入って、鉛筆を握るにも涙がチョチョギレル懐かしい思いもした。4,5年痛みと痒さに付き合って、もう元のような皮膚には戻らないんだろうと思っていたが、仕事を辞めて、気づいたら、すーと潮がひくように肌荒れが直って、昔のようなキメの細かい皮膚の状態に戻り維持されている(手と首の年齢は隠せないというので、多少の経年劣化はあるだろうが…詳細割愛)。ホント、(心と)体は正直!って、手を見るたびに実感し、冬でもないのに手をすりスリしながら、ありがとうね、ごめんねと手を労わっている。
  おのころさんの説く“肌荒れの心”は、“知りすぎて、でも外にそれは出せないことで、自分の中に溜まった思いが、どうしようもなくなってピキピキと外にでようとする”だった。「見たんかいっ」と突っ込みたくなるように腑に落ちた。(ほんと、おのころさんすごいよなー)
  
  ちょっと健康オタクにずれ込んでしまったが、この本で指摘されていることは、個人レベルではどうしようもない、社会全体、地球上の強いものが都合よく社会を構成し、維持しようとする理不尽な力学に支配されていることだったり、全員が豊かさを求めても全員が豊かになることはできないという矛盾が指摘されてたり、これらも結局は不健康の要因になりうるとか。 
  それに、健康に生きたくても、不衛生で不十分な環境の中で命耐えるのを待つしかない生もなくならない。そういう環境も富を求めるがゆえに、作り出してしまう理不尽さに、頭を抱えてしまう。
  一方で、ごみの山の地すべりの翌日には、普通に戻っている逞しさ。生命力の強さには圧倒された。インドやネパールで見かけた路上生活者(幼い子供から老人まで)の逞しさ、自分はここでは生きていけないと感じたことを思い出した。何もないからこそ強くなれるのだろうか?不平等を跳ね除ける強さ、どうしたら、強い生命力を自分のものにできるだろうか?

  やはり生きる目的、特に“喜び”を感じることだと思う。お乞食さんにとって、恵は嬉しい、お腹満たせる、明日へ命が繋がる。衣食住に満たされて、鈍感になっている自分には(その点は諌めながら)、周りの状況に左右されない価値観の上に築かれた喜びを感じること。自分の心が決めるもの。自分の心が喜んで、自分以外の人の喜びにも繋がるものを求めることだ。
社会に生きる一人として、社会的に自分を守る仕組みづくりには敏感にならないといけないし、大人として取捨選択して自分に必要なものを取り入れて行かないと。だらりんと生きている暇はなさそうだ。そして、自分の身近な人達と分かち合って、“健やかに”生きたいと思う。そして、年輪とともに分かち合いが広がっていけば、生を受けた意味が活きてくる。
  
  具体的には、そりゃ、あの術、この術、いろいろやることあるなー
  たまに、現実逃避はしても、病気で寝込む暇はありませーん
  そんでもって、人間、寿命があるから、気もぬけませんっっ

  いくつになっても“学ぶこと”=健康の秘訣だ!
  そして、“学び場“、これ、大切です! ありがとうございましたっ

投稿者 fingerxfrog 日時

課題図書「不平等が健康を損なう」を読んで。

-もし、人々の健康が社会における相対的位置に呼応しているのなら、所得が相対的に高いか低いかによって社会の中での健康状態にちがいが出てくる-

本書を読んで真っ先に感じたのは、現在の日本の厳しい雇用・就業状態とそれに伴う心の不健康である。この心の健康を損ってしまう事の問題点について書きたいと思う。

本文に「長時間労働によって自由時間が減り、家族知人・地域社会との接点が減り、社会的支援を得る機会が少なくなってくることによって、失業や大きな病気のようなストレスに対処できなくなる可能性は高い。」と書かれている部分がある。ただこれは本書の中で、”今現在、自分が自活できている”という前提での話ではないだろうか。

所得格差の原因の一つに非正規雇用があるが、これは会社の経営を維持するために、非正規社員は解雇しにくい正社員と違って、調整が効きコストダウンしやすい雇用要員であるという扱いに間違いはない。

では例えば、就職活動の失敗・リストラ・厳しい労働状況や職場の人間関係等によって、正規雇用ではなく派遣や日雇いのような不安定な雇用契約を選択した人々の所得と健康の関係はどうなるのだろうか。

低所得つまり低賃金であれば、生活は汲々としてくる状況が増え、なおさらダブルワーク等の長時間労働を確保するか、ギリギリの所まで生活を切り詰めせざるを得なくなるであろう。ご近所と自分を比べ、相対的位置いわゆる体裁を気にして、他人と交流を持つ機会は減る可能性が高くなるが、それでも周囲に支援してくれる人がいればまだ救いの余地がある。

しかし逆はどうであろう、孤独にも過酷な労働が続いたり、無職で仕事が見つからない状態に行き着き、支援する・される環境が皆無であったら、、、人はココロから不健康になる。そしてそれは最悪の場合、うつや孤独死にまでいたる。

これは昨今の深刻な問題であり、看過することはできない。なぜそこまで行き着いてしまうのだろうか。

あるNPO法人で、路上生活者を支援している団体の代表者は語る。
”特に若年層に多いのが、彼らの育ってきた時代が「自己責任論の時代」で、自己責任を果たせない人間は、人前にも、親の前にも立てないというふうに、彼ら自身が「自己責任論」に呪縛されている。そういう世代になっているのではないかと思っています。”と。

彼らは自分自身が家族や周りに救いを求めることをよしとしない。周りと比べて「自分が悪い」「今の自分は努力しなかった結果だ」と自分を責める。金銭的問題も全て自己解決しなければいけないという強迫観念に駆られ、助け呼ぶことを拒否する。まさに心が不健康化している状態である。

自分が悪いと責める背景となる自己責任。彼らの中には「仕事があって働いているのが正常」という常識的考えに苦しむ。働くという機会は誰しも平等に与えられている。そこにもう立ち戻ることができない自分はなるべくしてなった、その不平等さを自分の中で解決できていない事に苦しむのだ。

それでは、我々が考えなければいけないこととは何か、それは彼らのココロの状態を理解することだ。派遣切り・ワーキングプア・生活保護、、、こういった当事者を短絡的に落伍者の烙印を押さないことだ。

ココロの不健康が原因でそれを選択せざるを得なかった人々もいる。自分は同じ状況になる筈も経験もないし、それは今までの人生の選択の結果だよと突き放すのではなく、彼らの苦悩を受け入れてみる事が大切だ。
彼らを取り巻く環境の中で、他と比べて自分は劣っている、全てが自分に問題があると、もがいている人にこそ、誰かの存在やつながりが必要だと思うのだ。そして機会がやって来たとき、偏見なく真っ先に行動がとれる人間でいたいと思うのだ。心は誰もが平等だ。

投稿者 gizumo 日時

「不平等が健康を損なう」を読んで


衝撃の内容。なんとなく「そうかも」と“うすうす”感じていたけど“もやもや”としていた
ことが明快になった感覚を感じた。

経済学をかじった時に出てきた理論が登場して、むりやり理屈で暗記したことが具体例として
登場し、理解が深まった部分もあります。

肯定され、歓迎されることの多い「アメリカンドリーム」が秘めた闇の部分、「格差の容認」が
生む悲劇といった部分が、なんとなく表を見てあこがれるだけではだめだという厳しい現実を
突きつけるのがリアル。

やはり、歴史の浅いアメリカゆえの出来事かと思いきやその影響力は絶大で先進国にも波及
しており、「所有」が目的になる恐怖に将来が不安視される。

少し以前のデータであり、その後の世界の激変で状況は変わったと思われるが、良くなったとは
思われない。
この先を憂う気持ちはあるものの自分を見失わず一瞬一瞬を改めて大切にしたいという気持ちと、
なぜかヨーロッパの歴史を改めて知りたいという欲求が出てきた自分に希望を持ちつつ、素直に
それに答えた行動をとりたいと考えています。


この課題本を手に入れるに当たり、Amazonを始め近所の大きな本屋でも品切れで困っていて
出版社のサイトから直接オーダーしたところ、「すぐに欲しい」という自分の無理な要求に
担当者が快く対応、手配、気遣いしていただき、手元に無事届けられました。
違う意味でも自分にとっても「たいせつ」な本となりました。
本のありがたみに改めて感謝するとともに、課題本として巡り合ったことに心から感謝して
おります。

投稿者 BruceLee 日時

「本書の正しいタイトルは『不平等(と感じるあなたの心)が健康を損なう』です」

端的に言えば、本書は我々人間の心が如何に弱くなってしまったか、をデータで立証
してくれる1冊である。

そもそも平等とは何か?これは与えられる権利や条件に対する言葉である。マラソンで
言えばスタートラインや天候、そしてロードのコンディションが皆同じである事が平等。
しかし一度走り出せば足の速い奴からゴールしていく、つまり結果に差が生じるのは
自然で当たり前の話で、それを不平等とは呼ばない。逆にゆとり教育のように全員で手を
繋いで皆でゴール!というアホなルールがあれば、それこそ足の速い奴にとっては
この上なく不平等なのだ。そしてマラソン大会に出場した事のある人なら分かると思うが、
自分の前を走っている奴がいるからこそ「あいつを抜かしてやる!」と気持ちが湧いて
頑張れるのだ。分からない人は試しに休みの日でも一人で42.195km走ってみればいい。
絶対に自己新記録など出せない筈だ。競争相手がいてくれるから人間は頑張れるのだ。
つまり、結果も自分の心が関与してる訳で、不平等という言葉は適さないのである。

本書では所得格差が不平等という扱いになっているが、本当にそうだろうか?
それとて結果である。よって正しくはその格差を気にする心が自ら劣等感を生んだ
のではないか?今の世に張り巡らされてる以下の2点が浮かんだ。

1)「病は気から」を逆手に取ったマインドコントロール
2)他人の給料&平均年収という見えない相手への嫉妬心

「病は気から」という言葉は本来「病は気持ち次第だから大丈夫と思えば大丈夫!」
とポジティブに使うべき言葉。しかし、それを逆手に取れば、気持ち(こころ)さえ、
ネガティブにさせれば「あ~、もうダメだ~」と人間なんて瞬時に病気にできちゃう
生き物!という悪用パターン。そして、仕事内容、労働条件、給与体系、人員構成など
違うのが当たり前の他社と単純比較される給与。言ってみればこれほど実体の不確かな
情報もない。要するに共に作り上げられたマイナスの心の状態である。ただ面白いのは
1)は絶対的である事(他者比較ではなく、自分で「ダメだ~」と思う)、
2)は相対的である事(見えない相手と自分を比較して落ち込んでる)。
ん~、笑っちゃうくらい人間の心というのは、こんなにも簡単にネガティブに変えられ
ちゃうんだよ!ていう悪例ではないか。。。もう分かるでしょ?これを活用してるのが
今のマスコミ。だから我々は逆にツッコミ入れなきゃいけないのだ。

「ネガティブな辻説法ばかりしやがって、逆中村天風か!」

あ、失礼しました。少し興奮気味なのでここで少し冷静に整理したい。
「不平等」の反対って何だろう?勿論「平等」ではなく、それは
「比較しない状態=相対的でない状態、つまり絶対的な心の状態」
ではなかろうか。つまり他者は関係無く、あくまで自分の心の有り様。自分として
自身の価値観、考え方が常に主題の状態で、他者との不平等など感じる事も気付く
必要性も無い状態。 本書はアメリカ的資本主義のマイナス面として問題点を提起する
が、もはや高度成長時代でもなく、残念ながら日本も今後この方向で進むであろう。
だとすれば、今後を生き抜く人とはどういう人か?それは、

「自分の心をコントロールするスキルを持った人」

であると思う。今までは大凡横並びであり、個人個人がそんな事を気にする必要は
なかった。文句があれば会社のせい、世の中のせいに出来た。だが今後は違う。
最終的には「あなた」や「わたし」の問題なのだ。この時、万が一弱い心を持ち、
心をコントロール出来無い人に取っては辛いものがあるかもしれない。何故なら
この時、最後に必要なのは「絶対的な心」であるから。では、その心を持つには
どうすればいいのか?それは、今この状態の「感謝」に気付けるスキルである、
と私は思う。何故なら「感謝」に気付ければ余裕が生まれ、余裕は次のチャンスに
導いてくれるから。 

個人の精神世界の時代が始まっている。だが、このスキルを持った人にとっては
全く問題ない。これからがウハウハな未来の始まりなのである。

投稿者 magurock 日時

「不平等が健康を損なう」を読んで

死亡リスクは、低所得に原因があるのではなく、所得格差によるのだ、ということに驚きながらも、妙に納得した。
隣の芝が錯覚ではなく本当に青かったら、心が穏やかでいられるわけがない。
人間は比べたがる生き物だから格差自体がストレスになるし、格差を埋めようと標準の暮らしを目指して長時間働くために、社会活動に参加する時間が削られていく。
そうして他者とのつながりが希薄になり、健康を損ないやすい環境に陥っていく。
地域社会に参加しなかったり、人を信頼できないと死亡リスクが高まるなんて、まるで社会性のある動物が群れから離脱すると淘汰されていくかのようだ。
つながりあわなければ生命維持に影響を与えるよう、人間の遺伝子に組み込まれているのだろうか?

ここ十年二十年の間に、インターネットを通じて、人との関わり方がどんどん多様になり変化していっている。
ある種閉ざされた世界ではあるが、引きこもりの人もかろうじて世間とつながっている。
果たしてそうしたつながり方が、失われた社会活動の代わりになり得るのか…?
もうすぐ出るであろう結果を待ちたいと思う。

投稿者 ktera1123 日時

「不平等が健康を損なう」を読んで

健康うんぬんはさておいて、幸せとはなにかを問いかけている本でした。

自分自身は、自分が幸せと思えればそれでいい。しかめっ面でいるよりは、ニコニコしていたほうがいいのでないかと達観した感もあり、また、評価云々は昔、大事件を起こしてスピンアウトしたのであまり気にしなくなった(それ以前もあまり気にはしていなく「なんだかわからないけどニコニコしていて幸せそうだね。」とよくいわれていた。)し、展示会の応援に出た時も「お地蔵さんみたいでなんだか知んないけど人が寄ってくる」と言われたこともありました。

本を読んでいてよくいわれているのですが

・はたして資産総額が多いほうが幸せなのか。
・物欲が満たされればと幸せなのか。
・本心から幸せと思えればどんな状態でも幸せではないのか。
・日本ほど恵まれている環境はない。恵まれているかどうかは外を経験してみなければわからない。
・物事は裏のことをしらない限り本質はわからない。(アメリカンドリーム(機会均等)の裏の話ではフードスタンプの受給者が全人口の16%を占める。ガソリン代が高騰すると交通費だけで給料が終わってしまう。)

のような内容が頭の中でめぐり、SNSでもなんだかしらないのですが本の内容を補足するような経済や海外情勢に関する情報が引き寄せられました。

「幸せ=健康」とは限らないですが、心から幸せと思える状況をこれからも作り出し健康でいれればと感じています。

深いことを考えさせてくれる課題図書にであえる機会に感謝。

投稿者 morgensonne 日時

「不平等が健康を損なう」を読んで


幸福度は相対的なものであり、その度合いが健康に影響するという。
格差の激しい社会で生活をしていると、不健康になるリスクが高くなる。
また、健康であるかどうかは、GNPなどの経済的指標とは相関関係にはないことが統計的に言える。


確かに、私たちの多くは、日常生活の中では、常に周囲の人と自分を相対的に比較しながら、
そして比較されながら生活をしています。

学生の時は、勉強の成績を比較し、偏差値で数値化をしています。
社会人になってからは、人事考課という形で、相対的に評価されています
そうでなくても、日常的に上司から部下から同僚から、そして取引先などからも評価されています。

その周囲からの評価が、相対的に低いと、ストレスを感じます。
そして、そのストレスがあまりにも蓄積されると、精神的にも、
場合によっては身体的にも健康を害したりすることがあります。

そのようなマイナスのストレスを減らすようにすれば、
より幸福を感じられ、より健康になれるのでないかと思います。

健康であれば、より多くの自由が得られ、自分のやりたいことに集中でき、
幸福度はアップするのではないかと思います。

本当の幸福とは、過度な競争社会で自分だけが勝てば良いというのではなく、
共存共栄のような社会でのほうが、感じやすいのではないかと思います。

個人としては、自分と他人の幸福をバランス良く目指していく必要があると思いました。

最後に報告をしたいと思います。
直接の関連はないかもしれませんが、幸福に近づくためにも、
褒めることを実践しようと思い、今日少しばかり、ある人のある仕事を誉めてみました。
褒めるとお互いに笑顔になることができたとともに、私はその人から感謝されました。
その後、仕事上のストレスが少し軽減されたように感じました。

これは自然な反応かと思いますが、
改めて幸福とは人間関係から生み出されるものなのかなと感じました。


ありがとうございました。

投稿者 sishida 日時

不平等が健康を損なうを読んで

それぞれの社会の発展段階で求めるものがマズローの欲求段階説に沿った、生理的欲求→安全的欲求→社会的欲求→自我欲求の順になっているように思ったのですが、それが行き過ぎるからなのか逆に社会的孤立・不安を招いたり、治安の悪化などの問題に直面してしまうのも皮肉な結果で、それの心理的な部分が寿命や生存率に顕著に現れてくるのが驚きでした。

資本主義が欲の力を根源としているだけあって行き着く先は消費社会であるというのは、本著の舞台であるアメリカの国民性からしても、なるほど当然という感じです。
消費社会になると、労働者はお金を出して短絡的に得られる快楽や地位的財を得るために長時間労働になり、余暇は癒しを求めてさらに消費活動に充てる。また、会社役員等においては「ビジネスは、〈三人称〉で考える」で言うと、6人称以上で思考できる人が皆無なため、従業員をレイオフする代わりに多額の報酬を受け取り、格差が広がっていくという構図が見えました。

上記のことは最近の日本の風潮を見ていてもそのままそっくり当てはまり、自分自身もなんとなく肌で感じていたことでした。
なかなか社会全体を変えるというのは難しいですが、ギスギスした社会はいやなので、私は個人レベルでできることとして以下のようなことを心がけ、実践するようにしています。

・休日は消費活動は控え、なるべく生産活動をメインに
  ご他聞にもれず私も長時間労働の傾向があり、また妻も仕事を持っているため、休日で時間が取れるときは子供と一緒に料理をするなどの家族運営をしています。

・隣の芝の青さを見て楽しむ
  ほかの人が優遇されていたりするのを目にした場合は、心の中で「よかったね~おめでとう」と呼びかけています。

・視野を広く、視点を高くもつ
  主に読書やたくさんの人に会うことにより鍛えていますが自身の世界観が広がるようにしています。

別に私の価値観を押し付ける意図はまったくありませんが、このような人が増えていけば互いに思いやり、協力できる人々が増えていくことで、幸福感がある社会が形成されていけばいいな~と思いました。
少し甘い考えなのかもしれませんが。

以上です。今月も本のご紹介ありがとうございました。

投稿者 wapooh 日時

「不平等が健康を損なう」を読んで
 前半のアメリカ型経済による格差の拡大と消費社会における人々の幸福の価値観の差について、述べられている筆者の考えを理解することができず、ぎりぎりまで本書を読み進めることができなかった。
情報に操作され、「消費すること」に駆り立てられる気ぜわしさにうんざりしている最近の日常がある。とにかく、手に入れるために、「本物ではないけれどそれに近い手ごろなもの」で満足させられている、特に都市部での商品の豊富さと広告の多さに精神的に疲れてきた。
が、本書の最後の最後に来て、経済的格差によって、社会関係資本『生きていくうえでの豊かさ』が政治参加に通じ、自分たちのひいては心身ともの健康に繋がることが分かり、もう少し時間をかけて本書を読み直したいと思う

投稿者 kakki 日時

不平等が健康を損なう

本書を読み、2つの考えが浮かんだ。

世界各国を比べると当然、格差がある。
ユニクロは、世界同一賃金にすると公言されたが
これによって、日本と比べて賃金の安い各国の
従業員は、賃金が底上げされ結果、寿命も延びる
のではないか。
逆に、日本は世界の中で賃金が高い国であるから
ほとんどの従業員において賃金が下がり、結果寿命が
短くなるのではないか。

さらに、ユニクロに続けとグローバル企業が
こぞって世界同一賃金を採用したとすると
日本人の平均寿命が、短くなるのではないか
と考えた。
新興国などは、賃金UPにより平均寿命が延びた結果
世界的に平均寿命が、集約されていきそうな気がした。
まさにフラット化する世界である。

時間的な圧迫によるストレス等により、うつ病が
増えているが、豊さを求める限りうつ病患者が
減る事はないのだろう。
人生において、何に比重を置くか
日本人は考えなければならない時期に
きているのだろう。

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投稿者 naru 日時

身につまされる本でした。
ことわざの『鶏口となるも牛後となるなかれ』を意味深く感じました。
所属する社会での地位が、精神に与える影響はこうも大きいんですね。

アメリカの低所得者層ほど、福祉を拒み、格差を容認し、不健康な保健行動が多く、
政治参加をしないという現実に問題の根深さを感じました。
まさに貧すれば鈍すでしょうか。

しかしながら、相対比較に苦痛を感じるという部分で言うと、
自分が肯定する(とすり込まれている)社会に、自分がついて行けないことを認めることが、
いま苦しい生活を甘受すること以上に辛いことなんだと思います。
しかし、どうにもならないため、諦めている状態なんでしょうか。



日々、テレビや雑誌のようなPUSH型の情報に触れていると、
その社会が維持したい考え方をすり込まれてしまうんですね。
そして、貧富の差が激しいことも思い出してしまう。

たとえば、「今年の長者番付は○○さんで・・・」などと
扱う記事を見てしまえば、別次元の話とはわかっていても
頭の中でピピッと反応してしまう。
知り合いが持っているものをうらやましいと思ってしまう。


富めるものには、力が集中することもプラスになり、より富み、
持たざるものは、手放す方向のバイアスがかかり続ける。

この不均衡が拡大していく傾向は止められないのに、
個々の幸せ感は、相対的評価によって認識されてしまうため、。
先進国の大多数が属するクラスタの抱える相対的欠乏が個々の中で膨らんでいく。
相対的欠乏の集合体のエネルギーが溜まりきったときにどこへ向かうのか考えるとおそろしいです。



いま『大きな物語』を維持するのに大多数の個々人に必要(と思わされている)ことは
・社会階層から滑り落ちないための労働時間の増加
・消費行動と時間の増加(購入物の選定時間含め)
・いつのまにか全体に形成された幸せ像をクリアするミッションの増加
可処分時間が減っている中、これらもそろそろ限界に来ているのではとも思います。




現代の社会は、西洋医学と東洋医学の扱いの違いのように、
個別最適化の追求が善とされていると思います。
つかみ所のない全体を追うよりわかりやすいためでしょう。


しかし、ミクロの集積はマクロにならないと言うとおり、
追い求めるものが、個別最適化と全体最適化ではそれぞれ、
『フォーカスのしかた』、共有の必要がある『大きな物語』が異なるということだと思います。


こうして考えていると、欧米の優秀な方たちは、目的実現の実行力が高い代わりに、
今目の前にいない他者への想像力が足りない(意図的に見ない?)んじゃないかと感じました。



長々となりました・・
しかしながら、救いは、個人レベルで見れば、
ここまで浸透している相対比較の概念からくるストレスも
生得的なものでなく、いつの間にか誰かのために自分の考えだと思い込まされているものである以上、
個人が新しい価値観を上書きすることで、無害化することが出来ると言うことです。


しょうおんさんの過去メルマガで
・いいストレスと悪いストレスの切り分けが出来る知性が必要だ
・事実は一つでも、解釈は変えられる
という部分があったのを思い出しました。



現代の背景にある大きな物語に左右されない価値観を持つこと。
陽転思考を忘れないこと。
これらを心がけられる思考を身につけていこうと思います。


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こう・・
聞いては忘れ、しばらくぶりに思い出したり、出さなかったり、
読み終わった後に、本に何を書いていたのが結局わかっていないを繰り返していると、
自分に大きな問題があるんじゃないかと感じることもしばしばです・・



本を平積みにしていたのですが、溜まってきてどうにもならなくなり、
最近、本棚を購入してどこに何があるかわかりやすくなったので、
前に読んだ本や、わからなかった本も読み返してみようと思っています。


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余談になりますが、今回に関連して思い出したのが、
ナショナルジオグラフィックの『ストレスの不思議』というDVDの話です。

ひとつは、マントヒヒの社会の話で、
ヒヒの順位はストレスホルモンを決定するそうです。
ちなみに、この社会はオスが攻撃的で、階級的。メスが虐げられています。

順位が最低のヒヒは、脈・血圧が高く、免疫・生殖機能が落ちている。
うつと同様の脳の状態になり、体脂肪の蓄え方が変化し、おなか周りに脂肪がつきやすくなっている。
さらにお腹周りの脂肪は、通常の脂肪とは異なり、悪質なホルモンや化学物質を作り出す。
また、遺伝子に与える影響として、テロメアが短くなる速度も上がる。
こういう事実があるそうです。

ここからさらに話が展開するのですが、ヒヒの社会の構成が一気に変わる事件があったそうです。
結核菌のため、オスの半数以上が死ぬのですが、なぜか攻撃的な社会的でないオスばかりが死んだんです。
ストレスを多く抱えていたと思われるオスばかりです。

メスの数がオスに比べ倍になり、オスもメスに優しい個体ばかりが残り、
これを境にこのヒヒ社会は、互いに暴力をせず、毛繕いをして、社会性が高い状態が続いたそうです。



ふたつめは、1944年のオランダの飢餓の冬の話です。
60年以上経った今も、当時胎児だった人たちは、
他の年代と比較して、心疾患、コレステロール、ストレスに敏感だそうです。
生まれる前に受けたストレスが、出生後の健康に影響すると結ばれていました。
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投稿者 koro 日時

自分と他人とを比較し、そこから生まれる劣等感、
優越感が人の健康にまで影響を及ぼすとは。。

現在の自分と比較するのは、
他人とではなく、過去の自分とだけにしたいものです。