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第9回目(2012年1月)の課題本

 

 砂糖の世界史

 

近代の文明史を追いかけるのに、砂糖に着目した著者はエライです。

砂糖なんて単なる日用品でしょ?という認識しか無かったのですが、本書を読むとビックリ。

黒人奴隷と砂糖ってこんなに密接な関係があったわけ?

それが大航海時代、植民地、産業革命とリンクするなんて・・・

受験勉強のために、断片的に世界史のイベントを丸暗記していた人にとっては、この本で世界史が意味のある人類史であったことに気付くはずです。

勉強って本来こうやると俄然面白くなるんですよね。

 

 

【しょ~おんコメント】

1月の優秀賞は、「Issues01」さんに差し上げる事にしました。

もうお二方、最後まで悩んだ方がいらっしゃるんですが、Issues01さんはこの 本の思考を横展開し、「日本ではどうだったんだろうか?」と思考を広げたと ころが良いと思います。

歴史は繰り返す、そんな歴史を味方に付けるための思考法が横展開なんですね。

 


頂いたコメント】

 

「砂糖の世界史」を読んで

砂糖といえば、マクロビクッキング(Macrobiotique生命を大きな観点から捕らえた健康法、玄米菜食中心の料理)をかじった時、砂糖には、体を冷やし、緩め、血液を汚す性質があり、また、例えば昔から知られている食べ合わせ(刺身にわさび、焼き魚に大根おろし)のように砂糖の毒消しになるものはないので取らない方がいいと教わった。本当はよくないものは引き算するといいのだろうが、覚えた味(チョコレートとか)は我慢ができず、ついつい足し算的な改善しかできていない。体のことを考えて、精神的にも余裕があれば、砂糖の代わりになるもので済ますこともある。砂糖不足の時代には、魔法の白い粉としてもてはやされた(砂糖をみただけで回復したとか)ようだ。
食べるだけでなく、おばあちゃんの知恵袋的に、たんこぶに砂糖水をつけると直りが早く、青あざにもならないとか、お役立ち調味料でもあるようだ(砂糖の性質を思うと、利に適っているから先人の知恵はすごい)。
でも、私にとって砂糖はなくてはならないものではない。でも、あればあったで味わえる嗜好品である。


何がよくて、何が悪いのか、取捨選択をする基準はなにか?なのだが、その基準に大いに重みを与えたのが、砂糖の出発点。奴隷制度を生み出したものとは知らなかった。
学問とはすでにあるものではなく、生まれるものとは目から鱗の事実である。事実を丸暗記する為の歴史ではなく、過去の事実を紐解き、“いまある世界がなぜこのようになっているか?”を推測していく歴史学のあり方を学び、今後の視野拡大に結び付けたい。


そうしていろんな角度から物事をみれば、いつの時代も仕組みを作って、人々を巻き込み、利益を得る人達がでている。砂糖に限らず、日本人が大好きな海老を確保する為に、アジアのマングローブの崩壊とか、昨今女子に人気のローズの香りも、きっとその朝摘みローズを収穫する為に早朝より汗水たらしている人達がいることだろう。もともと貨幣価値で計るものではなかったものを、無理やり貨幣価値に置き換えようとする、最悪は安く買い叩く。驚いたのが、同じイギリスで、安く砂糖を入手する為に奴隷制度を利用した事実もあれば、砂糖を安くする為にその奴隷制度を廃止した事実もあることだ。
これだけ文明が発達し、相互に行き来し(その為に発達させた部分も大いにあろうが)、もう個人で生きられる時代ではない。常に国vs国の利害関係と安全保障が渦巻く大海原に浮かぶ船の乗客だから、長いものには巻かれろ的に生きるしかないのだろうか?いや、もっと大きく、地球自体がそういう1つの船ではないかという考えもある。そう考えると、ありんこのような個は右往左往するしかないのか?(あ、この例えは、餌を集め続けている働きものの蟻に失礼)


時は移る。その中心にあると思われるものも変化する。まさに、“祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり”の一節を思い出す。
過去の課題図書にもあったが、時間の経過にも、色あせず、継続されている文化や知恵があった。その根本には利他の心があった。一方、我欲に突き進むものは、いずれも途絶えている事実も感慨深い。
何事も当たり前のようで、当たり前でない現代。「すべての歴史は、現代史」と書かれているとおり、現在議論されていることも、歴史の事実になる。TTP…、原子力…、震災…。自分も歴史の一部と思うと、どうしても生き方とか、価値観ということを見つめざるを得なくなる。物を見る目、判断力、利己に囚われない視点、抽象的な大きな言葉が並ぶが、マクロビの考え方にある身土不二を意識しながら、身の丈にあった生活、健康的な食生活をまずは続けていきたい。
また、知識が共感や相手の立場を理解する一歩となることもあるのに、まだまだ知らないことが多いことに気づき、あせっている。とりあえず、これからも知識、教養を読書により培っていくしかないが…。今回も勉強になりました。ありがとうございました。

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16~18世紀、贅沢品や、薬として扱われていた砂糖が、
現代では、日用品や、飽食により摂取を控えたい物として扱われている。

覇権国家となるべく、
世界商品となった「砂糖」を作る為、
植民地を増やしていった欧州各国。

という当時の状況を、
現在に当てはめるなら、

覇権(基軸通貨?)を維持すべく、
世界商品となった「石油」を得る為、
紛争(民主化革命)を起こした米国。

といった感じでしょうか?
ちょっと無理やりすぎるかも(笑

砂糖の扱いや、奴隷制度等の文化は時代の変化により変わってしまったけれども、
権力に関する思想は変わっていないのかもしれないと思いました。

2011年8月の課題本「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」に続き、
自分があまり勉強してこなかった世界史を学ぶ良い機会となりました。

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「砂糖の世界史」所感

いつの時代も覇権めぐる争いの裏には世界商品が関わっていたという事が本書を読む事で理解でき、教科書で教わったバラバラの知識が一本の線につながっていく感動を覚えました。

それにしても、奴隷制度&植民地制度しかり、イギリス風朝食しかり、白人の合理主義というのは目的のためには人間らしさを失う事もいとわない徹底したもので、我々現代の日本人とはずいぶんかけ離れた価値観だと感じました。
(それが支配者階級、労働者階級のいずれにおいても一貫しているというのは面白い事実ではありましたが)
ただ、最近よく話題にあがるTPP交渉のような流れもあり、このような思想・価値観を持った人間を相手にしていく事になり、日本人と言えども合理主義の波に呑まれつつあるのは注意するべき点だと考えます。おそらく資本主義も根底にあるのはこの合理主義で、突き詰めれば世界商品のみに特化した脆い社会構造になってしまうのでしょう。その世界商品が世界商品としての地位を失うとき・・・考えるととても恐ろしいです。

「フラット化する世界」でも述べられている通り、これからグローバリゼーション2.0から3.0に移行しつつあり、この流れは避けられないものですが、上記のような社会に向かうことにならないためにも過去の歴史に学び、少しでも我々の望む未来へ軌道修正していければと思います。
本書のような経済学から歴史をとらえる視点はそのためにとても有用なものだと思いました。
とても良い本のご紹介、ありがとうございました。

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投稿者 koyajin86 日時

「昔は砂糖は贅沢品だったんだよ」とか、「薬として考えられていたんだよ」などの雑学もさることながら、砂糖の歴史を知るだけで世界の歴史の流れが一部理解出来る点でビックリしました。

他の本を読んだ時に、ハワイ在住の日系人が「昔は差別されたこともあるんだ」なんて記載があるのですが、「あ~、真珠湾攻撃があったから差別されたんだな」といっただけではなく、昔のハワイではサトウキビを栽培するためにプランテーションが作られ、作業者として日本人や中国人が奴隷のように使われていた、なんてバックグラウンドを知るだけで先の日系人の言葉の意味が理解出来ました。

砂糖だけでも、その歴史を知ると今まで点であった自分の知識が、クモの巣のように点と点を結び、大きな知識のネットになったんですが、そのネットが大きければ大きいほど、今まで気にしていなかった様々な情報が向こうから引っかかって来るもんなんですね。

こういう体験をすると、「読書」という文字を見ただけでわくわくしてヨダレが出そうになっちゃいます。

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投稿者 whockey51 日時

昨年の10月に課題本に上がった「完本梅干と日本刀―日本人の知恵と独創の
歴史」と凄くリンクするところがありました。それはつまり、何を食べて、何を着て
いて、どんなところに住んでいたのか。という具体的な人々の生活の姿がわかっ
たことです。

歴史を知るということは、そういうことにリンクしているんだと気づくことが出来た。

砂糖がどのように作られていたかというと、黒人奴隷によって作りだされていた。
という文面は今に至るまでその影響を及ぼしていることが見えてくる。日本も多く
の経済支援をアフリカの国々にしているが、こういった産業自体を変えていかなけ
れば本当の意味での経済支援にはならないんだと思う。

これまた11月の課題本の「裸でも生きる──25歳女性起業家の号泣戦記」では、
そういった状況を払拭するために、バングラディッシュというアジア最貧国に乗り込
んで、起業をした山口さんの姿が思い出される。

ただ単に現在の状況を見ているだけでは、その現象の表面しかとらえることしか
できなく、奥にある深い仕組みと言うべきものが見えてはこない気がする。

そして、明治以来、日本も北海道でビートの栽培をはじめ、多くはありませんが、
いまも生産しています。とあるが、1880年から北海道への入植が本格的に始ま
り、多くの方が津軽海峡を渡って北海道へと移り住んだ。

私の生まれ故郷である北海道の歴史を紐解いても、全く産業と呼べるものがなか
ったところから始まったことを考えると、第一次世界大戦で砂糖の輸入が途絶えた
ことと紐づかせると、それが生きるために必要だから生産していったということに結
び付く。

そういった歴史の流れから考えると、現時点における北海道の状況が、砂糖を栽
培してきた植民地と同じではないかと思えてくる。このままでは先細って行くのは
目に見えており、産業の転換が必要な時期に来ているといえる。

単に砂糖だけをとってもこれだけの歴史の流れが分かるっていうことは、色んな物
をその背景も考えながら知るっていうことは、歴史の流れを知る上で必要不可欠な
ことだともいえる。

それを自分の仕事に置き換えて考えてみると、どういった背景でそれが出来上がっ
たのか、どういった背景があってその産業ができたのか。などを考えて取り組むこと
が出来てくるといえる。そういった考え方を活かして仕事に励んでいきたい。

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投稿者 sumio 日時

「砂糖の世界史」
あるいは、
「強欲で、愚か、そして哀しい存在、汝の名は、ヒューマン・ビーイング(人類)」

砂糖という商品を通じて、各地の人々の生活の具体的な姿と世界的なつながり、
さらに性弱な我々人類の特質がわかりやすく描かれています。

読み進めながら、映画の「パイレーツ・オブ・カリビアン」、「オリバー・ツイスト」、
「007」シリーズや女王陛下、大英帝国、大英博物館etc.を想起しました。
日本での「TPP問題」、政治屋と利益圧力団体について考えるヒントも満載です。

現代の私たちを取り巻く文化、習慣、芸術に影響を及ぼしているものの原型が
本書に記述されていると思いました。

ヨーロッパ人が外の世界に探検しようとする原動力は、やはり
フロンティア(未開拓市場)を求めて、であること。
そして、それに付随する形で引き起こされた数々の歴史的事実のすさまじさ。

本書の内容、分析手法を下敷きにすると、出来事の真相がつかみやすいと思いました。
まさに「すべての歴史は現代史である」です。

柔らかい語り口で、驚愕の事実が浮き彫りになっています。

特に印象に残ったのは次の通りです。

1.砂糖
砂糖は悪魔のような作物ですね。
奴隷による強制労働でプランテーション大規模経営。
新しい土地と労働力を求めて、次々と移動しなければならない商品特性。
莫大な利益をもたらすその裏で、同等以上の犠牲を強いることがわかりました。

2.奴隷
奴隷となった人びとはどんな心境だったのだろうか。
アフリカ各地の文化を受け継ぎ、限られた範囲で、自分たちの楽しみや文化を
つくった、血も涙も感情もある人間として、黒人奴隷の人々の気持ちはいかばかりか。

3.規律
砂糖プランテーションは、遅刻せず、時間を正確に守って働く集団が不可欠。
そのために時間厳守の考え方、習慣、が生まれたのだと知りました。
強欲な目的によって、人間の習慣がしばしば作られることを知りました。

4.三角貿易
ヨーロッパ人は、「世界商品」砂糖が目的で、大金を投じてカリブ海にプランテーションを作成。
労働力として、アフリカ人の奴隷を猛烈な勢いで導入。奴隷貿易と砂糖の輸入貿易とは、
裏表一体の関係だったのですね。奴隷貿易を中心とする三角貿易によって、
アフリカ・ヨーロッパ・アメリカの三大陸が本格的に結び付いた歴史的事実。

5.阻害
働き盛りの青年を中心に多くの人々が連れ去られアフリカ社会は、
発展の力をまったく削がれてしましました。狩り出され、奴隷とされた人々の苦痛や、
その家族や友人の悲しみはいうまでもありません。なんて身勝手な。なんて恐ろしいことを。
形を変えて、現在もどこぞの国がやっていそうな構図ですね。

わが身も含め、人類について、深く考えさせられた良書です。
すばらしい本をありがとうございました。

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投稿者 takuro2411 日時

本書は、砂糖というモノに着目し、そのフィルターを通して、近代の世界史を眺めていく内容となっている。高校生くらいの頃に勉強したと思われる(全く覚えていないが・・・)、プランテーション、三角貿易、産業革命等の言葉が、この本を読み進めることで、相互に繋がっていくことがわかる。また現在のアフリカ大陸の国々が発展途上国になっている要因のひとつを知ることができる。それらは、歴史を学ぶ楽しさを教えてくれる。
現代では誰もが簡単に手に入れることができる砂糖が、その時代には高級品であり、貴族達のステータスのシンボルであり、庶民にとって憧れのモノであった。さらに万能の薬として重宝されていたことを考えると、いかに自分が幸せな時代に生きていることを実感することができる。
その時代のヨーロッパの商人は、植民地に他国の黒人を奴隷として強制的に連れてきて、砂糖などの世界商品として売れるモノだけをプランテーションで作らせ富を築いた。さらに自国の商品をそれらの植民地に輸出し利益を上げていた。そのおかげで砂糖が世界中に広がった。しかし、その陰では多くの黒人が犠牲となり、それが今日の南北格差を生みだした大きな外的要因のひとつであること認識しておかなければならない。
砂糖生産に気候が適しているために、絶好のターゲットとなってしまったカリブ海の島々は、社会構造、人間の構成、文化に至るまで、次々と変えられてしまった。
彼らは、自分のことだけ考え、他の犠牲は関係ないというあまりにも自己中心的な考えしか持っていなかったと思う。その後、奴隷制度は廃止となるが、それは黒人のためではなく、政治的な駆け引きに利用されただけであって、そこにあったのも我欲だけであった。
本書を読むことで、世界システム論と言われる歴史のひとつの見方を理解し、自分の中に新たな視点を持つことができ、良い経験ができました。ありがとうございます。

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何故イギリス人が紅茶を飲むようになったのか、イギリス人が移住したアメリカで紅茶が流行らなかったか読んでみて「なるほど」と思うことが書いてあり楽しんで読むことが出来ました。

ただこの本を読んで一番印象に残ったのは、西洋人の発想はともすれば大勢の人や自然を犠牲にして、少数の人間が繁栄する方法である事は変わりないのだなという点です。

砂糖を作るためのプランテーションの為に、アフリカから現地人を奴隷とし、過酷な労働環境を強いて、欧州の本国の人間は王侯貴族に優るような栄華を極める。特にアメリカ社会で顕著になっている、少数の勝者がいる一方で、大勢の敗者が存在する構造は、今と同じように思いました。

また砂糖を大量生産するが故に土地を痩せさせ、別の土地を求めて次から次へと自然を荒廃させてしまっている点も、ここ最近しょ~おん先生の課題図書の影響もあり、日本人が自然と何事も調和する本を読んでおりましたので、日本人との発想の違いを強く感じさせられました。

日本では明治の文明開化以降、更に言えば第二次世界大戦の敗戦以降西洋的な発想で経済成長こそが善であるとの考え方に突き進んできました。そして経済成長が止まり、中国を初めとしたアジア諸国に経済成長の面で後塵を拝するようになり、国全体が自信を失いはじめているのが現状と思います。

ただ西洋の発想を是とすることが本当に正しいのでしょうか。この本で語られている「砂糖」を「コーヒー」や「カカオ」に置き換えれば似たような悲惨な現実は未だに残っています。中国人やインド人が今の日本のような生活をすれば世界のエネルギーを枯渇させてしまうと恐れてしまうのも、人や自然から奪う事を主に考えている、砂漠の民である西洋的な成長思想にそろそろ限界が見えてきた証拠のように思えます。

とは言え、西洋的な成長がもたらした今の便利な世の中から突然隠遁生活を送るような勇気はまだ私にはありません。「経済成長=善」と我々が子供の頃から植え付けられてきた画一的な考え方にとらわれることなく、多様な考え方を取り入れることが出来るよう、自分のものを観る眼を鍛えたいと思います。

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投稿者 yokoyayayuki 日時

今月の課題図書を読んで

歴史が砂糖によってすべて説明されていることに驚きました。
私が歴史を動かす要素として認識していたのは、
人が集い→語らい→論争→失敗、時には戦争→前進
という極めて内面的なものかと思っていましたが、実際は甘い快楽への衝動がその主役だったということが分かりました。

文明化された現代においても、快楽への衝動をもとに未来を考えると簡単かもしれません。
ニュースで見る外交は、
・経済の安定化
・世界平和
・相互協力
等等見栄えがいいですが、その下に潜んでいる現代の”砂糖”を見極めながら、情報を選んでいきたいと思いました。

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10代の初めての海外、そしてNZの語学学校で最初の授業の日、やっと自己紹介が終わった事にほっとする間もなく、先生が何やら「ティータイム」とか何とか。。。

時間は、確か9時半始業でまだ自己紹介程度だけしか終わっていないので、まだ10時半頃です。言葉も全く分からないのでクラスメイトに連いて行くと、休憩室みたいな所でみんなビスケットかクッキーを食べながら先生も一緒に、ほとんどの人がミルクティーを飲んでいます。明らかにおやつ休憩です。

その当時の私の常識では、3時のオヤツなら海外ならあるのかなと理解出来るけれど、午前中も取るのは国のお祝いか何かで特別な日だろうと思っていました。

が、次の日も、その次の日も同じ時間に休憩を取ります。

週の後半、仲良くなった別のクラスの日本の方に聞くと、これがこちらの生活スタイルだとか。郷に入っては郷に従えで、そういう物なんだと不思議に思う事無く15年近く過ごして来た浅はかな自分に、この本は優しくその歴史を導いてくれました。

小学校5、6年の社会と言う科目の時点で苦手意識を持ち、当然、選択科目になった時も文系コースにも関わらず第一に世界史をはずしました。今まで学ばなければならないと分かっていながら、全く興味を持つ事が出来なかったのですが、筆者のおっしゃる「ものを通じて世界史を見る事で共感を得、つながりがひと目でわかる」そして「どういう歴史から今の我々の生活があるのか」という事を頭に置きながら読み進め、初めて歴史の面白さを自分の経験とも合わさった事で何倍にも実感する事が出来ました。

まずは、実家にある小学生用の「まんがの世界史」を5冊借りてきましたので、私はそこから始めたいと思います。
今回もすてきな本のご紹介をありがとうございました。

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投稿者 yamag 日時

"砂糖"をめぐる経済活動が、これだけ歴史の動かす原動力となり、
関係のない人々を巻き込み、世界の様相すら変える結果を生むことに
驚かされました。

世界史の授業からでは到底辿れない、
一つのこと軸に追いかけているからこそ見えてくる、
視点の広がり、そして深さがあり、興味深い本でした。

歴史とは、政治という高尚なものの積み重ねだと考えていました。
しかし、政治ですら、それは利益とそれを取り囲む人々の都合で、
恣意的に作り上げられた大義名分のもと、動きうることを改めて知りました。

歴史をとらえるとき、結果ではなく、動機に視点を向ける事の大切さを感じました。

南米やアフリカなどで、侵略として位置づけられている行為が、
なんと小さなことから生まれていたのか、胸にこたえました。

私が、この本を読みつつ、思い出した映画に『ありあまるごちそう』というものがあります。

昨年公開されたものですが、
徹底した利益追求とコスト削減主義から生まれた流通のグローバル化の影響を受けた食の分野において、
需要と供給のバランスを大きく崩して貧富の差が拡大している現実を追ったドキュメンタリー映画です。

その劇中語られる「今の食料生産力は、世界人口を支える力を持っている。
しかし、経済的に豊かな国がそれを独占し、挙げ句、食べきれなければ廃棄している。
その結果、貧しい国に生まれる飢餓は、ある意味”殺人”である。」
という台詞が頭に浮かびました。

一部の力あるものが多くを求め、独占し、
力ない者は虐げられている構図は、現在も変わらないのかもしれません。

そして、その飽食の社会の代表格の中に、日本がいることに胸が痛みます。

この本を読み、歴史を知ったからこそ、自分はこの構図を少しでも解消できればと思います。

自分にできることとして、食を大切にし、飽食を戒めようと思います。
そして、何かしら飢餓に苦しむ国へ援助できるような活動も意識していこうと思います。

貧しい国というのは、過去に一部の利益のために
虐げられてきた歴史を持ち、それをひきずり、
今も貧しいままなのではないかと思います。

そこに、歴史を振り返ったものの責任を感じます。

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『世界史』『経済』・・・これらは学生時代から関心が低く、苦手意識が強い分野のため、本書が高校生向けとはいえなんとなく手が伸びずに月末を迎えてしまいました。
『砂糖』も4年前激しいアレルギー性皮膚炎に罹り、症状改善のために、『白砂糖』を出来るだけ摂らない生活に切り替えて、スーパーで上白糖を買わなくなったので、なんとなく億劫になっていました。
とはいえ、市販の食料にはお菓子だけではなくポテトサラダなどの惣菜、缶詰・・・何をとっても原材料に砂糖が入っていて、砂糖を避けて暮らすなんて不可能だと実感しました。それほどに本書で言う『砂糖=白砂糖』は当たり前に生活必需品となって日常に定着しています。
読書とその感想をまとめていく作業の継続を止めないようにと、先ほどようやく読み終えました。
読んでみて、「もっと早くからじっくり読めばよかった」と後悔しています。
(感想)
本書を読むと、砂糖、と言う身近な一つの物質を通して、その歴史を紐解くことで近代の世界の地図や経済・工業システム、先進国と開発途上国と言う成り立ちなどが見えてくる。
砂糖は、「世界商品」の一つだと言う。恥ずかしながら、「世界商品」と言う言葉をまともに聞いたのは今回が初めてだ。茶、コーヒー、綿織物のほか、テレビ、自動車、石油なども「世界商品」。
「世界商品」を世の中に広めたのは、近代、植民地時代を率いたヨーロッパの国々(スペイン、ポルトガル、イギリス)だが、たとえば、砂糖も茶もコーヒーも産地はヨーロッパではない。
彼らはその商品をまずは、自国で大量に消費するために、原産国のアジアやイスラムで生産させる。
自分たちの産業(工業化)技術を使って。効率的に。安価に。。。
さらに、発見した中南米の新大陸の温暖な地域に、サトウキビの苗木を携え、アフリカで奪取した黒人奴隷と言う安い労働力を送り込んで、土地の風土、人口を塗り替えながら、ただひたすら砂糖を生産する土地へと返還させていく。砂糖きびは土地の消耗の激しい作物だ、と言うこともはじめて知った。
植物園の起源が観賞ではなく、有用な植物を採取し分類するために設けられたことも知らなかった。
こうして「モノカルチャー」中心の土地と、それまでその土地と縁のない黒人奴隷たちによって塗り替えられた国々は、国としてのシステムを形成しがたく、今日の開発途上国につながっている、と言うことすら、私は分かっていなかった。
昔、「紅茶の歴史」についての本を読んだとき、紅茶がコーヒーハウスと言う文化や芸術や科学、経済や保険制度など色々なものを生み出したことを知ったが、その紅茶とて、砂糖というイギリス国民にとってのステータスシンボルを消費することへの執着から普及したという事を知らなかった。
中国、アメリカの独立戦争のきっかけにつながったことはそこで知ったけれど、その根っこの砂糖を通して、植民地や奴隷制度まで世界がつながっているとは知らなかった。
安価な労働力を求めて外国へと生産現場や原料調達を移行させるシステムは今の自分たちの経済にも通じている。
自国の欲望や都合主義と単一の商品や効率という部分的なところへフォーカスする現在に通じる資本主義。
気がついた視点で自分の今の暮らしや仕事を見直したとき、なんとも苦い思いが残る。

一つ一つの言葉はどこかで聴いたことがあっても、関心なく素通りしていたから、『知らない』の連続。
本書をもう一度ゆっくり再読し、「知らなかった」隙間を埋めるとともに、これからも読書を通じて関心の目を開き、日常の物事についてもっと関心を持って深く見つめられるようにと意識を変えていこうと思います。

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medal1-icon.gif投稿者 Issues01 日時   

砂糖という魔物から見る人間の欲望という魔物

モノを通じたグローバリゼーションの歴史に関する近年の名著としては、『銃・病原菌・鉄』、『土の文明史』の二冊が、脳に汗をかくほどの衝撃を受けたが、高校生向けに書かれた本書、特に1章と2章で同等の興奮を覚えた。
前掲の二冊と比較すると、本書は
・対象が複数の記号的意義を持つものである
・高校生でも平易にわかるように要点がまとめられているものである
こと、さらには
・銃、病原菌、鉄、土(土壌)が人類で果たした役割は、偶然性の高いランダムなものが多かったが、砂糖に関しては、人間が恣意的に欲望をあらわにした結果歴史が必然的に動いた
ことがあげられる。

砂糖と奴隷の不幸なむすびつきは、本書の8章中4章で奴隷貿易にまつわる悲劇と、欲望に突き動かされた人間の野蛮性が描かれていることで、無視できないものとなっている。

大金のもととなる世界商品として、15世紀に世界の商人の羨望の的となった砂糖は、砂糖きびの大規模プランテーションに人々が行き着いてしまってから、1ポンドの砂糖が数十人の奴隷と等価交換される、究極のプレミアム商品となった。
その間、紅茶文化の変遷や各国で17-18世紀に市民革命、産業革命、税制改革が起こったのに伴い、徐々にコモディティとなっていった。
一方、奴隷貿易はキリスト教系コミュニティや、宣教師によるヒューマニティ運動と、アフリカ大陸が政府・国王の命を帯びた探検家たちに探検され、各地域の「所有権」が徐々に明確化されたことで、19世紀初頭から各国が禁止令を打ち出し始めた。しかし、その裏には、砂糖や紅茶のコモディティ化による価格の下落、それに反して奴隷価格の高騰があり、経済原理的に釣り合いが取れなくなっていったからであることも本書からは読み取れる。
1833年にイギリス領の奴隷貿易は廃止されたが、キューバの奴隷貿易は1880年代(130年前・・・)まで残り、ヨーロッパからの武器やキャッシュの収入に味を占めたアフリカの族長たちが続けていた、アフリカ東海岸のザンジバルの奴隷市場が閉鎖されたのは1897年、自身の開拓した探検ルートが交易商人ではなく、奴隷商人たちに利用されたことに胸を痛めたデイヴィッド・リヴィングストンらが、イギリスの政府に何度も嘆願書を送った後であった。

ヨーロッパ、「新大陸」の砂糖の結びつきはこのような胸が痛くなる歴史で彩られてしまっている。一方、日本では、藩ごとの名産物として、比較的平和に細々と取引されていたのが、胸が詰まる読書感の中で途中まではうれしいものだった。

しかし、日本にも砂糖の爪あとは本当に残っていないか。砂糖がカリブ海の島々に巻き起こしたような、モノカルチャー・風景の画一化のあおりは受けていないか、を考え直すと、やはり無縁ではないように感じる。
現在原子力関連の施設が集中している青森県では、産業を育てるため、砂糖大根の栽培が奨励され、県の政策として進められていた時期があった。本書にも記される、大戦の影響で砂糖が入手できなかった時で、寒冷地で砂糖は栽培できないが、砂糖大根はなんとか栽培できた。
しかし、砂糖の輸入が緩和され、第二次大戦後の砂糖自由化により、安価な砂糖が大量に流入したことで、砂糖大根産業は壊滅したといわれる。弱りきった青森に魅力的に響いたのが原子力関連施設の誘致ではなかったか。

また、イギリス流の生活を拒否し、自前の道を歩むことを宣言したアメリカは、本書に書かれている通り、紅茶よりコーヒーとコカコーラを選び、第一次大戦で疲弊するヨーロッパの銀行役に徹したことで、世界経済の覇権を手中にした。かれらが推し進めたのは、高度資本主義と、コカコーラ・マクドナルド、ウォールマートの現代版モノカルチャー化とも考えられる。本書で描かれた、カリブ海の島に立ち並ぶプランテーションは、日本の地方都市のロードサイドでどこでも見られる、ユ○クロ、T○UTAYA、マクドナルドの複合施設の「ファスト風土」を連想させ、改めて人間が短絡的に金を稼ぐ時に取る行動の安易さと、独自の産業やビジネスを生み出すことの困難さを感じさせられた。画一化され、写真を見てもどこだかわからないアメリカの町並みと、歴史と独自性を意識的に守ろうとしているヨーロッパの町並みの風景を比較すると、日本の風景の思想はどちらに近いのか(まあ、地震で周期的にリセットされるというのもあるんですが・・・)。

本書を読むことで、現代のグローバリズムや資本主義(拝金主義といってもいいと思う)の一大転換点になったのは1490年代の大航海時代であることと、人間の欲望のダイナミズムが歴史を、経済を、そして世界の風景を変えていったことが改めてよくわかる。一度甘い汁を吸った者はなかなかその味を忘れることができない。砂糖の味も、贅沢な暮らしも、考えず目の前のアイデアに飛びつくことの安易さも。それを変えるには、19世紀にリヴィングストンや、ジェイムズ・サマセットが行ったように、自分の信念に基づき行動すること、それに反する場合は声をあげることと、代替手段を考えることなのだろう。震災以降の私たちに突きつけられている課題だと感じる。
なお、本書を読み、こうして文章にまとめる過程で、私にとっての甘い蜜は、このように知的なスリルをいやおうなしに与えてくれる本を読み、忙殺され情報に振り回される生活を忘れて自己と向き合い、明日への課題を考えることであると改めて感じた。
すばらしい本を読む機会を作っていただき、改めてお礼を申し上げます。ありがとうございました。

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