原発再稼働に思うパート2。

前回のエントリーを書いてから、いろんな声をもらいました。ま、ほとんどが上っ面だけの知識で反原発を叩こうとする人なんですがね。こういう人たちとコミュニケーションをして改めて感じるのは、「地獄への道は善意の石で敷き詰められている」という俚諺です。彼ら推進派に悪意は無いんです。本当にこれが日本のためだと信じ切っているんですよ。足りないのは知識と想像力だけでね。

今回はそんな知識と想像力について書いてみましょうか。ここで推進派の方が勘違いしているポイントについて書いておきましょう。彼らが(無知の)善意で原発を推進、再稼働させようとしている論拠になっているのが、「原発で作った電気は安い」という事です。推進派のほとんどの人は、原発を止めて他の方式で発電をすると電気代が騰がって経済破綻を起こすと思っているみたいです。まずはこの部分の無知から正して行きましょう。

原発で作る電気は確かに見かけの上では安く見えます。ところがこれ、正確に言えば安く見えるように帳簿の操作をしているというのが実態なんです。だって原発の発電コストの明細には、「廃炉費用」やら、「高レベル放射性廃棄物処理費」やら、「311のような事故が起こった時の対処費用」やら、さらには「原発を誘致する事による補助金(電源三法)」はほとんど含まれていませんから。つまり発電に関わる最低限のコストだけで安い、高いが議論されているのです。

こういった未来に支払いが必要になるおカネって、経理処理では「引き当て」と言うんですが、廃炉なんてのは発電開始の時からカウントダウンが始まるわけで、いつか来る廃炉の時に向けて少しずつ費用を積み立てる必要があるんです。ところがこれ、全然やっていないんです。引き当てについてについての資料はここ

これを読むと、高レベル放射性廃棄物処理費用に世帯あたり20円、使用済み核燃料の再処理費用に70円が積み立てられていますが、廃炉に必要な300億から800億の費用は除外されているんですね。ではこれがいくら貯まっているのかと調べてみます。東京電力は上場企業ですから財務諸表が公開されています。ウェブでこれを調べたらここにありました。

東電のPL(損益計算書)
で、これを見ると愕然とするわけです。なんと2009年までは引き当てゼロでした。えーと、原発っていつからやってるんでしたっけ?なんでここまでゼロなの?2010年にようやく引き当てを計上していますがその額はなんとたったの22億円。311の事件が起こった(あれは人災なので事故では無く事件と呼ぶのが正しいと思います)2011年は14億円、2012年は10億円、そして3億円、去年が5億円と。なんで金額が減っているわけ?っていうか、こんな金額じゃどうやってもカバー出来るわけ無いじゃありませんか。

これって要するに、反対派にツッコまれた時に、「イヤイヤ、ちゃんと引き当てをしていますよ」と誤魔化すために項目だけ作ったって事じゃ無いんですか。もちろんこんな金額じゃ足りませんから、これは税金を投入するか、その時になってドカンと電気料金に反映させるしかありません。本来これは全部原発の発電コストとして計上されて、その上で他の発電方式と比較されるべきなのです。

推進派の人には耳が痛い話ですが、青森県の六ヶ所村に建設中の再処理工場だって1993年に建設を始めてから今までに2兆円以上の費用をかけていますが、これだって本来は原発の発電コストとして計上しなきゃいけないのに、税金で賄っているんですよ。

これを入れるのは厳しいかも知れませんが、高速増殖炉「もんじゅ」の事業費はトータルで1兆円を超えています。本来これもまた原発関連という事で発電コストにしてもおかしく無い費用です。
つまり、「原発で作った電気は安い」というのはウソまみれの妄言なのです。役人にとってはおカネが掛かれば掛かるほど、関わる人間が多ければ多いほど自分の権力拡大になるので、積極的にこのウソに加担します。役人にとっての予算とはその大きさが自組織の権勢の象徴ですからね。

これが分かると、原発をやればやるほど日本の経済は沈んで行くという事になるのです。

スゴくトンチンカンな意見として、「原発を止めたから化石燃料の輸入金額が増えた、国費が流出している」というのがあるんですが、こういう人はもうちょっとニュースに敏感になった方が良いですよ。輸入金額が増えたのは原油価格の高騰と、為替レートが円安に振れたからです。311の時には1ドル80円だったのが今では125円ですから、これだけで50%も値段が騰がっているの。これは全然原発関係ありませんから。さらに言えば、原油輸入量のうち、火力発電に使われるのは4~14%で全体に占める比率は小さいんです。だから原発を再稼働させても化石燃料の輸入金額にポジティブな影響は与えないのです。
最後に、高レベル放射性廃棄物の処理方法について書いておくと、原発を再稼働させると廃棄物の処理方法にポジティブな影響があると思い込んでいる人がいるんですが、全く関係ありませんからね。中には原発を稼働させてそこから費用を捻出して廃棄物の処理をすれば良い、なんて言う人がいるんですが、原発を稼働させようが止めようが、廃棄物処理費用は別口で出さなきゃならないんです。原発を再稼働させたら楽に費用の捻出出来るなんて設計図にはなっていないんですから。むしろこの費用、これからも原発を続ければ処理費用がドンドン嵩むわけで、これ以上増やさない方が経済的にはプラスになるんじゃ無いんですかね。廃棄物の保管問題については、処理量を増やさないようにして、これ以上キズを広げない、問題を複雑化させない、その上でこれを推進してきた人たちの責任でキッチリとケツを拭いてもらうのがスジなんじゃありませんか。

ここまでが知識の話で、最後に想像力について書いておきましょう。前回も書いたように、原発の処理というのは少なくとも数十年(六ヶ所村は着工から20年以上が経っているのにまだ試験稼働しか出来ていません。もんじゅに至っては35年前からカネを注ぎ込んでいるのに、事故の連続でほとんど稼働していないんですから)掛かるのです。福島の処理だって廃炉になるまでたぶんあと30年はかかると思うんですよ。これが廃棄物の処理方法なんて言ったら、未だにどこに、どうやって、何年間保管したら良いのかすら全く決まっていないんですよ。目途すら立っていない。だから各原発に放置しているんですから。

この問題が決着するのは私たちの子供や孫、下手したら曾孫の世代かも知れません。つまり、今我々が電気というエネルギーを享受するためのツケを、子供や孫、曾孫の世代に押しつけているのと同じなんです。原発推進派の人はその部分で想像力(イマジネーション)が決定的に欠けているんです。数千年、数万年単位で保管しなきゃならないゴミを、未来の世代に強制的に押しつけるという事が倫理的に許されるのか?許されるとしたらその論拠はどこにあるのか?を示して欲しいものです。ただでさえ日本という国は、社会保障費、年金問題、財政赤字という問題を我々の子孫に押しつけようとしているのに、この上さらに原発が生み出すゴミを押しつけるなんて事が許されるのかという議論が必要だと思うんですよ。

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