オリンピックのメダルについて考える

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今回のブラジルオリンピックでは、日本勢が大活躍で、連日誰が誰それがメダルを獲ったというニュースが流れていますね。それはそれで、おめでとさんなんでしょうけど、オリンピックの報道に違和感を感じたので、思うところを書いてみようと思います。

事の発端は、朝のNHKニュースで、女子マラソンの結果が伝えられていた時でした。今回の女子マラソンでは誰もメダルに届かなかったわけで、日本人最下位の人は46位だったんですね。それを聞いた我が母は、「そんな順位なら出場する意味ないじゃん。出なきゃ良かったのに」って言ったわけですよ。これを聞いた瞬間に、一連の報道の違和感の正体が分かりました。そしてそれと同時に、その前日(だったと思う)予選で負けたとある選手のインタビューを思い出したんですね。一人は射撃男子ラピッドファイアピストルの秋山輝吉選手で、もうひとりは陸上100M走の桐生祥秀選手です。

ちなみに秋山選手のインタビューはここから。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160814/k10010634971000.html

桐生選手のインタビューはここから。
http://www.nikkansports.com/olympic/rio2016/athletics/news/1694486.html

私はこのお二人のインタビューに感銘を受けたんですけど、それと母親のコメントがリンクしたんです。それが違和感が解消した瞬間だったんですね。

ちょっと考えて欲しいんですけど、オリンピックに出場する目的、ゴールって何なんですかね?

今の日本では「頑張ってメダルを獲るためだ」という答えが正しいという風潮になっていますよね。だからこそ、税金を投入して選手を育成して、勝ったら報奨金を上げて、負けたら悔し涙を流して雪辱を誓う、という画が成立するわけです。その結果、メダルを獲得した選手を中心に報道時間が割り振られ、予選で負けた選手、名前も知られていない競技については、下手したら結果すら報道されないという現実が生まれたんです。そうなると選手の方もメダルを獲ることに躍起になりますし、獲れなければ悔し涙を流さなきゃならなくなるんです。下手したら決勝で負けて銀メダルになっても悔し涙を流したりするわけですよ。自己ベストを出したのに、予選で負けたら悔しいとか言うわけですよ。

これって根本的に間違っていると思うんですよ。特に、私が専門にしている自己啓発とか、願望実現の世界では、このフレームワークでは幸せになるのは難しいですから。

この構図のどこに問題があるのかを考える前に、プロスポーツとアマチュアスポーツの違いについて考えてみましょう。両者はおカネをもらえるかどうか、という違いがありそうですが、実はこれは違いとは言えないんですよね。アマチュア選手は事業団とか、実業団、場合によってはどこかの企業の所属になって、そこからお給料をもらって生活をしている人が大半(特にオリンピックに出場するレベルの選手は)なんですけど、これって仕事ですよね。体操の内村航平選手は、ゲームメーカーのコナミの所属ですけど、彼が他のコナミ社員と同じレベルの仕事をしているということはなく、彼の仕事はコナミの看板を背負いながら体操の練習をすることにあるんですから。プロ野球やJリーガーのように、個人事業主として年俸もしくはインセンティブ契約をしていないだけで、やっていることは同じですよね。スポーツをしてその対価として年俸やインセンティブをもらうか、お給料をもらうかの違いであって、どちらもおカネをもらっていることに代わりはないんですから。

では、名誉とか名声という無形の報奨についてはどうでしょうか。こちらもプロ、アマ共に勝者が手にするもので、両者に大きな違いは無いんです。つまり現代に於いては、プロスポーツとアマチュアスポーツの違いって、ここには無いんですよ。だからオリンピックの野球には日本のプロが出場出来るわけですし、サッカーだってJリーガーが出場出来るわけです。

ところがこれは、あくまでも現実世界を見た場合の話なんです。理念という意味では、プロとアマチュアとでは大きな違いがあるんですよ。それを最近忘れちゃっているように思えるんです。

プロスポーツというのは、そのゴールがどこにあるのかというと、見ている人、観客を喜ばせるというところにあるんです。だって見ている人っておカネを払ってくれるお客さんですから。だからプロレスのように、シナリオがある出来レースのような試合だって、シナリオが存在することを糾弾されることは無いんです。だって見ている人が興奮して喜んでいれば、また足を運んでくれる、つまりはまたおカネを払って見に来てくれるわけですから。いくら真剣勝負をやって勝ち続けても、お客が喜んでくれない、見に来てくれないような試合をしてたらプロとして失格なんです。かつて西武ライオンズの黄金期を作った森監督は、その試合運びがつまらない(初回から送りバントをやるところとかね)ということで、ペナントレースでは連勝していたのに、観客動員数は減少を続けて、そのためにクビになったという歴史があるんですね。中日ドラゴンズの監督だった落合氏にも同じようなエピソードがありますね。つまり、強いか弱いか、真剣勝負かそうでないか、というモノサシよりも、「お客を呼べるかどうか」というモノサシの方が強力だということです。

それに対してアマチュアスポーツのゴールがどこにあるのかというと、amateurの語源が、「趣味として愛好する人」という意味ですから。つまり何かにハマって愛好する人は全てアマチュアであって、オリンピックというのはそんなアマチュアが集まる祭典なんですよね。つまり、究極の愛好家が集って、自身の愛好っぷりを披露し合うのが元々の目的だったんです。それをスポーツでやると、どうなるかというと、アマチュアとは自分自身が納得する身体操作を追及することがゴールになるんです。スポーツとは極限まで身体を使って、何かを表現する、その時に内的自己で何かを感じ取る、さらには今まで動かせなかった、自由にならなかった身体を少しでも意志通りに動かせるようになる、それを喜ぶ、この一連の流れがアマチュアスポーツなのですよ。見ている観客が喜ぼうが、試合の勝ち負けがどうであろうがそんなことはどうでも良くて、やっている自分が、心と脳みそと身体がシンクロしたと感じられたら、それは目的を達成したと言えるんです。

これをもう少し分かりやすく説明すると、プロというのは他者評価の世界なんです。おカネを払ったお客さんによる評価で優劣が決まるわけですから。ところがアマチュアスポーツというのは、全て自己評価なんですよ。だって自分の身体の可動域がどう変化して、昨日出来なかったことが今日はどこまで出来た感じがするのか、なんて他者に評価してもらう必要はありませんから。

楽器をやっている人ならその感覚が分かるでしょう。昨日よりも弾けてる感じ、指使いがスムーズになった感じ、リズムが切れよく演奏できた感じ、ビブラートのちょうど良く決まった感じ、これって全部演奏している自分は分かるものですから。その結果、昨日よりも良い、悪いという評価を自分で出来るわけです。

翻って今のオリンピックは他者評価なんですよ。その象徴が順位でありメダルなのです。審判が勝ち負けを決めて、タイムが順位を決めて、その中で自分がどこにいるのかを争う、って全部他人が作ったフィールドじゃないですか。そこで金だ、入賞だ、予選落ちだという結果は、自分の身体操作感覚とは全く関係ない次元の話です。

そしてこのようなやり方、つまり他者評価で優劣が論じられるから、金メダルならエライけど、46位じゃ出て来る必要がなかったという考えになるわけですよ。金メダルの人は本当に自分の身体操作に満足しているんですかね?46位の人が金メダルの人よりも充実して、納得したということはあり得ないんですかね?

金メダリストの中に、

  ● 金を獲れたけど今日の演技(泳ぎ、試合、走り)は全然ダメでしたわ

って言う人がいたらスゴいと思うんですけどね。でも今は、「金メダルを獲れたから良い演技、泳ぎ、走りだった」という評価に流されちゃって、本人もそこに疑問を持たなくなっちゃってるでしょ。それって自分自身に軸を持っていないということです。

  ● 誰がなんと言おうと、今日の出来は最高だったのだ

と言う予選落ちの選手は、このシステムからは生まれにくいですし、それを共感出来る人もほとんどいないでしょう。上でご紹介したお二人からはその薫りを感じたんですよ。

決勝で負けて銀メダルになって悔しさで号泣しちゃう選手とか、自己ベストを記録したのに予選で負けたから悔しがる選手って、それが本当に身体操作感覚と一致しているのなら良いんですけど、ほとんど場合、「負けた」という結果について泣いているのであって、「あそこはもう少し細かく身体を制御出来たはずだったのに」という悔しさで泣いているわけじゃないんですね。後者なら、泣く必要はなく(というか、泣くという感情が立ち上がるはずもなく)、反省点を整理してお終いになるはずなんですから。だいたい自己ベストを出せたということは、身体操作としては過去最高の出来だったはずで、それを喜べずに悔しがのは、明らかに他者評価が優先されているからです。

今大会の開幕前にひとしきり問題になったロシアのドーピング問題って、他者評価の結果に、名誉とかおカネが絡んで来るから生まれたんです。ドーピングをゼロにしたければ、順位付けを止めれば良いんです。そもそも自己評価的視点から言えば、そんな順位にビタ一文の価値もないんですから。ですから、あのメダルをありがたがっている人は、スポーツの本質を理解していないんです。あれは勝った負けたの戦争ゲームですから。戦争ゲームなら何をしても勝ったモノがエライ、という「勝てば官軍」的な気質が出て来るのが当たり前です。

自己評価で満足出来るレベルを目指すと、ドーピングなんてイミフになるわけです。100M走で自転車で走って自己新記録だなんて言っても、全く嬉しく無いわけですから。ドーピングってそういうものですよ。名誉とおカネが絡むから、バイクに乗って勝っても、これがバイクだと分からなければ、バレなければそれでヨシとしちゃう価値観が生まれたんです。

これとは真逆に、自分がどれだけ納得出来たのか、どの程度まで限界を広げたのかという感覚に、他者が順位を付ける事は不可能なんです。そして参加者一人ひとりが、自己の内的身体操作感覚を味わう、そこでの限界を突破することを目指す、そういう次元の演技、競技を見ていると、人間という動物の持つ無限界さに畏敬とか、感動の念が立ち上がるはずだ、と考えたところからオリンピックってスタートしたと思うんですよ。クーベルタン男爵が、「参加する事に意義がある」と言ったのは、まさにそのことなんです。そして本質的にスポーツとは、自分で実感出来た内的世界の広がりを喜ぶのが目的なんですから。

秋山選手と桐生選手のインタビューからは、予選で負けたけど、自分が設定した到達点に届いた満足感が身体から出ていたんですよ。どうせお前らはやった事ないから分からないだろうけど、オレはスゴく狙い通りに出来たと思ってるんだよ、というオーラが出ていました。他者評価では予選敗退、つまり惨敗というレッテルになっているのに、自己評価では金メダリストと同じくらい、もしかしたら彼らよりも納得しているってスゴくないですか。

ここからは私の守備範囲である自己啓発とか願望実現の世界とリンクさせて話をするんですけど、人生を楽しく、充実して生きるために必要なのは、他者評価というモノサシを脳みそから追い出して、自己評価というモノサシをインストールする、そしてその自己評価が評価に値するレベルで自分を調えるということが求められるのです。自己評価の軸が他者評価の軸を上回ると、芸術に昇華するんです。体操の内村選手が他を圧倒しているのは、彼が自分の中に設定した自己評価のモノサシが、他の選手が全く及びも付かない次元だというところにあるんです。他の人が10を目指して頑張っているのに、彼だけは「オレにはその基準は3くらいだね、だからオレは30を目指すよ」と言ってやり切っちゃったんですね。だから他の選手から憧憬に近い称賛を受けるわけです。

イチローが3000本安打を打ってまたまた注目されていますけど、彼は徹頭徹尾自己評価だけで生きているんですよ。今日の出番で、身体をどこまで完璧に操作出来るか、その結果がレーザービームだったり、クリーンヒットだったりするだけです。その身体操作を極めるために、自分が納得する準備をする、それをやり続けている、その準備が他のメジャーリーガーという他者評価の目線で見ても高いレベルにあるから、ああいう記録が残せたわけです。プロだから観客が喜んでくれたら良いなとは思ってるかも知れませんが、そんなことをゴールにしていないんです。どれだけ心と、脳みそと、身体をシンクロさせるか、それが出来れば結果は勝手に付いてくる、名誉とかおカネなんてもっとどうでも良いレベルで付いてくると理解しているはずで、そんな結果を外野がどう評価しようが、それはオレの知ったことじゃない、って思ってるんじゃありませんかね。

本来スポーツに勝ち負けなんて持ち込む必要がないんですよ。勝っても身体が自由になっていなければ、自分的には惨敗ですし、負けても過去最高の動きが出来れば自分的には大満足するはずなんですから。それが出来る人を愛好家って言うんですから。鉄道マニアのことをテッちゃんと言いますが、彼らは自分の中にマイワールドを作っていて、そこで作った基準を満たせば、それで満足するんです。誰かと競争しようなんて考える人の方が少ないんです。

アマチュアの世界に勝ち負けとか、順位という他者評価を持ち込んで、さもそちらの方が重要であるかのように、価値基準をすり替えようとしている今の報道のあり方が(これは日本だけではなく世界的にですが)、あなたを幸せから、願望実現から遠ざけているんですよ。その末路がメダルを獲っても、「金メダルじゃなかった」と言って悔し泣きをしている選手たちですから。

人が作った基準で評価されて、その土俵で一喜一憂する人生って、それは本当に自分自身の人生なのか?という問いを発しないといけないと思うんですよ。あなたという人間の人生の世界をコントロールしているのはあなたなんですから。ですからその評価に他者を入れちゃいけないんです。それこそが幸せになるために必要な思考なんです。そういうことをオリンピックの報道を見ていて感じました。

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